夢の中で何度でも再開する校舎を舞台にした逃走劇
あの頃の級友が(君は知ってるんだろ)という顔で笑いかける
二メートル近い大猿が校舎を徘徊しながら僕たちを狙っていて
誰かを犠牲にすれば時間を稼げる事を僕は知っていて
その誰かが級友であっても構わないと思っていた
(級友はその事を知らない)と決めつけ、一人廊下を走り出すが
背後から大猿が僕を追いかけてくる

目覚めて、余裕を感じながらコーヒーを淹れる
くたびれた体をマッサージしながらベランダに出て煙草を吸う
夢の中で誰かを見殺しにしたとしても気にする事はない
あいつ、どうしてるんだと問うても連絡はつかないのだし
生きて苦しんでいようが死んでいようがそんなの知った事か
非情を装いながら、なぜか悲しくなる、春の風吹く朝
僕のベランダから向こうに見える古いマンションの壁には
セシリア・ヒメネス氏の修復したキリスト像のような染みがある

もしかすると
夢の中で一人廊下を走り出したのは
級友を見殺しにして時間を稼ぐためではなくて
僕が犠牲になろうとしていたのではないか
いや、僕は級友を愛していなかったし
それどころか嫌っていた
嫌っていても救おうとするなんて、英雄気取りか
英雄気取りと非情という言葉が、どういう訳か響き合う
それら響きに向けて、腹の底から怒りと憎しみを感じる
もしかすると
僕は級友の犠牲にされていたのではないか
高校時代の現実の記憶を大分喪失しているため定かにはならないが
この怒りと憎しみは一体何だろう
非情な英雄というものに虚偽のレッテルを突きつけたくなるのはなぜか
これを虚偽と感ずるのであれば、新たな観念を創造しなければならない
夢の逃走劇を現実の復讐劇に容易く変換しないためには

生き続ける事よりも大切な何かがあると僕たちは信じている
信じなければ生きていけない何かを切実に求めている
それが成立する事を恐れるから「全て」の滅びを望んだりする
けれども、その「全て」とやらは思い上がった個の大きさと等しく
個はその小ささ、貧しさを本当は知り抜いている
だからこそ安易に滅びを望む事ができる
だが、そのようなガキの下らない妄想には何の魅力もない
切実さは妄想を突き抜けていかなくてはならない
現実の級友がどうのこうのというのも実はどうでもいい事だ
級友、のみならず夢の場面に現れる全てのイメージが
何を象徴しているのかを問わなくてはならない
象徴同士が結ぶパターンは象徴として僕の個を部分的に規定しているに違いない
現実の思考も感情も、僕の個を部分的に規定するパターンだが
僕たちは呪縛に囚われてはならない
僕たちは、信じなければ生きていけない何かの永遠性を問い
たとえそれが滅び得ると知り死の誘惑にどうしようもなく駆られても
永遠に向けて思考と身体の動きを
夢と現実に貫かせていく勇気を持たなければならない
格好のいいものではないかもしれないが……
僕たちは無知だ
だが、この空虚さで無力を受容しなければ
どんな叫びも聴き分ける事は出来ない
非情な英雄の武装解除を果たすには
あてにならない愛の要求によってではなく
切実な問いかけの限りない生成によって
「どうでもいい」と決めつけたものの中から、無知から
切実さがそこで微笑を浮かべるような
場面と感情を創出しなければならない
偶然の産物でも、構わないじゃないか?

耳を切り落としたところで
ぽっかり空いた穴を通じて言葉は繰り返し響く
言葉の無知から僕たちは何度でも劇を再開しよう
A
2015年04月18日(土) 05時09分02秒 公開
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No.4  A  評価:0点  ■2015-05-15 00:25  ID:pA0QzJ9KbiA
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陽炎さん

ご感想ありがとうございます。

「生きる、ということは作、演出、主演、助演、裏方すべてをこなす台本のない劇なのかもしれないですね」というのは面白いですね。ご感想をいただいて、ベケットの『ゴドーを待ちながら』を思い出しました。いつまでもやってこないゴドー(ゴッドという説もありますが、他にも諸説あるようです)を待つ二人の男達(主演なのかどうかよくわからないのですが)の劇。劇なのに、何も起きないような感じなのですが、生きる事が赤裸々に描かれているようにも思います。その、台本はあるのに台本がないようなところが、人生と似てくるというか……『ゴドーを待ちながら』は恐れよりも深いところに不在があることを教え、それを糊塗しないというところが魅力になっているような気がします。
No.3  陽炎  評価:40点  ■2015-05-08 18:28  ID:fyQPGnl9bAM
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遅ればせながら感想を

4連目がとくに考えさせられました
生き続けることよりも大切な何かと
信じなければ生きていけない何か
その背中合わせの切実さを
私たちはいつも切望していながら
それは切望であって
必ずしも見つかることを望んでいるわけではない
それと同じくらい、すべてが壊れてしまえばいい
滅びてしまえばいい、という思いも強いから
成立してしまうことを恐れるのは
成立してしまうことで、逃げ道が絶たれてしまうことを
恐れてしまうからなのかもしれない

それでも、その恐れを突き抜けなければ
と、この詩は詠っていて

耳を切り落としても言葉は響く
恐れを抱いていたとしても、求める思いを止めることはできないように

生きる、ということは
作、演出、主演、助演、裏方
すべてをこなす台本のない劇なのかもしれないですね
No.2  A  評価:0点  ■2015-05-05 15:19  ID:pA0QzJ9KbiA
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笹竜胆さん

ご感想ありがとうございます。

僕→僕たちへの転換が浮いて感じられる、との事ですが、ご指摘を受けて僕もそう思いました。なぜだろう、と考えて、確かに、リアルに向けた表出が弱いせいかな、と。覚悟がなかったのでしょうね。ありがとうございます。
No.1  笹竜胆  評価:30点  ■2015-04-30 22:06  ID:bPROjq5Gwuo
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二連の展開が面白いので、夢解きはそこそこにして、そちらに戻して締めた方がいいかもしれません。
また、僕→僕たちへの転換がどうも浮いて感じられるというか。僕が僕たちと呼ぶ存在の、きっかけがリアルサイドにも欲しいですね。
肩をすくめて歩き出すような、そんな雰囲気は素敵でした。

私信 散々待たせてすみませんでした。
総レス数 4  合計 70

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