Pray again. |
自ら願わぬものに 何がわかるだろう 願うものの苦しみの、 祈るものの焦燥の、 何がわかるだろう。 君よ、と乞う刹那の、 がいがいたる声の、 何を聞いているのか。 光は君を射したが、 屈折して去ってしまった。 三度。 その先を知るものはない。 |
笹竜胆
2014年12月31日(水) 13時10分58秒 公開 ■この作品の著作権は笹竜胆さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.3 笹竜胆 評価:0点 ■2015-01-10 12:14 ID:rB6SNRMI58g | |||||
>桐灰悠さん 久々でしたかね。 感想ありがとうございます。 がいがいたり。ぱっと思い出したので使ってみたのですが、なかなか見かけない言葉ですよね。 ガラスのよう、とは嬉しい言葉です。強度のためにかなり抑えた表現をとりましたから、冷たい響きなのかもしれません。 滲んだ熱が伝わったら幸いです。 >ヤエさん こんにちは。 ストレートに好きと言われるのも感慨深いですね。 今まで小難しいものを書きすぎていたかな。 熱を隠したつもりはないのですが、統制しているところから冷めた眼が見えるのでしょうね。 英語の掛詞はどうかなと思いつつ、やってみました。playは戯れる、演じるを意識してます。 コメントありがとうございました。 |
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No.2 ヤエ 評価:50点 ■2015-01-03 10:25 ID:L6TukelU0BA | |||||
お早うございます。 何と言ったら良いか分からず、コメントを悩んでいましたが、取り敢えず伝えたくて書かせてもらいます。 この詩が、とても好きだと思いました。 どこがというと、上手く言葉に出来ないのですが、冷めた眼の奥に密かに灯る熱、という印象を受けました。願いのprayと、メッセージ内にある多意語のplayが掛けてあるのも素敵だと思いました。この場合のplayは行動するの意味でしょうか。そこを考えるのも楽しいです。 |
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No.1 桐灰悠 評価:30点 ■2015-01-03 03:54 ID:7Hv.EJVCYiY | |||||
がいがいたり。という言葉を初めて知りました。 ガラスのように透き通っていて、叩くとあの冷たい音が鳴りそうな詩ですね。 それでもどことなく熱を感じるのが、コントラストとなって印象的です。 |
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総レス数 3 合計 80点 |
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