踏切 |
生きたくて 生きたくて でも 結局僕は ねぇ最後に もう一度だけ |
時雨ノ宮 蜉蝣丸
2014年10月30日(木) 08時02分28秒 公開 ■この作品の著作権は時雨ノ宮 蜉蝣丸さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.4 時雨ノ宮 蜉蝣丸 評価:0点 ■2014-11-02 14:20 ID:JU6rwt95.6k | |||||
ヤエ 様 こんにちは。いつもありがとうございます。 心が一杯になった時って、誰かに言いたくても感情を抑えるのに精一杯で、十分に言葉を作れないことがあると思います。もしくは、言葉にした途端気持ちの価値が下がる気がして言えない。 少なくとも俺は、思いとどまりはしませんでしたが、踏みきることもできませんでした。それを形にしてみたくて、書きました。 何か次からも書きそうです、その時はよろしくお願いします。 游月 昭 様 こんにちは。 人の記憶や思考には、必ず風景というものがついてきます。 この詩の場合、俺の想像した死の風景は踏切で、その頭の中に浮かんだ言葉は星の如く、けれど実際に零れたのはたったこれだけ……そんなふうに見ていただければと。 ふと願う死の瞬間を切り取りました。ありがとうございました。 菊池清美 様 こんにちは。コメント感謝致します。 後をシークレットにしたのは、読者さんの想像力に任せようと思った次第です。 身を投げるか、引き返すか、誰か引き止める人が通りがかったか……自分ならどうするか。 たとえ一瞬でも、死を想像する瞬間は静かに褪せ、死を感じる瞬間は鮮烈かつ恍惚とした色になるのだと思います。 ありがとうございました。 |
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No.3 ヤエ 評価:50点 ■2014-11-01 13:06 ID:FVNkHzi1xs2 | |||||
彼は何を願ったのか。 悲しみと苦しみの向こうにある願いに思いめぐらせてしまいます。 個人的には抑えきれない思いが出てて、好きです。 彼は身を投げたのか、それとも思いとどまったのか。 呼吸を止めながら誰かの中で生きているのか。 こうして背景を探るのは楽しいですね。 これからも楽しみに待っています。 |
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No.2 游月 昭 評価:40点 ■2014-10-31 14:39 ID:9RQqff0XeF. | |||||
なんとなく、とは書かれていますが、案外「作り物」的イメージが無くて、また、読者丸投げというばかりのものでもないと思います。 例えば、私はいじめられたことがありません。が、周りに沢山経験者がいて、その話を聞いて思い巡らします。 例えば、危険地帯でテロリストに捕らえられた青年の報道を聞いて、 例えば、二百三高地の戦闘シーンを観て。 その思考に映す世界は人それぞれ。 この作品は特に詩らしい詩、だと思いました。 |
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No.1 菊池清美 評価:30点 ■2014-10-30 09:01 ID:dJ/dE12Tc8A | |||||
お早う御座います。 詩と言う物は何かを伝えたくて書くんだと思います。 踏み切りと生きたいで投身自殺は薄々感じます、後が判りませんね。 俳句は短詩で定型だと思いますが やせ蛙負けるな一茶此処に在り…と言う名句が有ります。 情景も作者の私情も入ってますだから名句なんだと思います。 何時も煩くてご免なさい、書ける人だから言ってしまいます。 |
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総レス数 4 合計 120点 |
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