同族嫌悪 |
喋る鏡と向き合って 濁った水がざわついた 自分の瞳は 鏡の向こうを反映していた その仕草の一つ一つが 小さな波を作っていく ソレが発する言葉によって 自己を支える地盤がずれていく 向き合い始めて数週間 ついに断層が出来てしまった 小さな波は津波となって 怒涛の勢いで鏡を破壊した 銀色の破片に傷付けられて 砕け散った残骸に 涙と何かが落ちていく 鏡は二度と喋らない |
ヤエ
2014年10月25日(土) 02時43分33秒 公開 ■この作品の著作権はヤエさんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.8 ヤエ 評価:0点 ■2014-10-31 20:56 ID:L6TukelU0BA | |||||
游月さん ありがとうございます。 一度立ち返って、ただ楽しく書いていた時の事を思い出しました。 向いてないのかと、悩んでいますが、もう少し楽しんでいきます。 |
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No.7 游月 昭 評価:20点 ■2014-10-31 14:22 ID:9RQqff0XeF. | |||||
こんにちは。何だか悩んでらっしゃるみたいですが、いいじゃないですか。(^^) せっかくその感情があるんだから、その「何だか書けない!」を書いたらいいじゃないですか。私は毎日一作の為に何でも書きます。『書けない時に無理に書く詩』おちゃらけ三部作なんてのもあります。結果駄作と成ってもいいと私は思ってます。頭がばかだ〜、と思った時は「ばかになっちゃう」それが、自分が死ぬまでに作り上げるアートの中身の一エキスであると考えています。 一発屋という言葉は、以前アーチストを卑下する意味でありましたが、その後、一つでもあれば凄いこと、という感じに変わって来てますよね。その一発(自分が納得のいく作品)を出すためにみんな苦労するんだと思います。 この詩自体は漠然としているように思えますが、この苛立ちはいずれ再び芽をふかせることでしょう。 |
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No.6 ヤエ 評価:0点 ■2014-10-28 16:25 ID:L6TukelU0BA | |||||
Aさん 後から気づいたのですが、長ったらしい上、内容の薄い文章を読ませてしまって申し訳ありません。 再度、ありがとうございます。 今までは、自分の見た「美しい世界」やであった「感情」等を主体に書いていました。 今思うと、墓参りという自分の中である種特別な出来事を綴った「晴天下」のような作品は久しく書いてません。気づかせて頂きありがとうございます。 やはり「共感」はツールに過ぎず、心にに残るような、自分の言葉を知ってもらい、感じてもらいたい、と言う結論にいたります。これからも自分の感じた世界を伝わりやすいように(この為に共感を意識してしまっていたようですが)書いていきたいと思います。 Aさんの期待に添えるかは分かりませんが、また目にした時や、思うことがあったらよろしくお願いします。 |
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No.5 A 評価:0点 ■2014-10-29 08:29 ID:pA0QzJ9KbiA | |||||
返信ありがとうございます。 >誰かに自分の見た世界を、感情を、知ってもらい、残したい。 それなら、出来事の描写に力を入れてみてはいかがでしょう?たとえば、「学校で虐められて辛い」と一行で述べるより、「休み時間や放課後によく理由なく腹を殴られたり、足を蹴られたりした。金を持ってこいと脅迫され、親の金を盗んで渡していたが、持っていけない時は罰ゲームと称して蜂の死骸を食べさせられたり、タバコの火を肌に押し付けられたりした。好きな子の前で裸にされて、無理やりオナニーさせられた」などと具体的に述べた上で「でも、自分がされた事そのものに苦しんだというより、誰にも救いを求められず、どうすればいいのか分からない状態に孤独に耐えている方が辛かった」とか、そういう書き方の方が「共感」(?)を得られるのではないでしょうか。理屈で綺麗にまとめたりする以前の生々しい現実を克明に、誰にでも理解できるような平易な言葉で開示して下さったら、それは確かに「独りよがり」ではない、価値ある作品になるかもしれませんね。期待しています。 追伸 江川隆男の『超人の倫理』という刺激的で面白い本があります。ご一読をお勧めします。 |
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No.4 ヤエ 評価:0点 ■2014-10-27 12:15 ID:L6TukelU0BA | |||||
A さん 今回、私の詩についてのスタイルを改めて考える切っ掛けを下さったことを感謝します。 もしかするとAさんからすると変な結果に落ち着いているかも知れませんが、少しばかりお付き合い頂けると幸いです。 まずは自分の詩に求めていたものを告白しようと思います。 私は「共感を呼び起こす」事を求めている訳では無かったように思えます。否、私はそれも求めていた。しかしあくまでそれはツールに過ぎないのかもしれない。私は、「私の見た世界(それは時に美しく、汚くもある)」を残して、誰かに「知って欲しかった」のでしょう。誰かの中に自分を残したかったのかもしれません。あるいは「自分を理解して欲しかった」。その為には、「共感」が重要だと、いつの間にか考えてしまっていたのでしょう。「共感」するものがその作品の一部にでもあれば、言葉として心の隅にでも残ります。逆に、「共感出来ないもの、理解できないもの」は、たとえそれがいくら素晴らしくとも、「なんか良く分からないけど、凄い 」で終わってしまう気がしていたのです。しかし、「共感」ではなくとも、「新たな考え方で、理解できるもの」も、等しく心に残ることに、今回やっと気づきました。詩とは、読み手がいるのです。 独りよがりで、誰にも理解されなくて良いのなら、何故形にして、外にだそうとするのでしょう。 少なくとも私は、理解されなくてもいいとしても、誰かに自分の見た世界を、感情を、知ってもらい、残したい。 やはり、誰かに何かを残したい、あるいは共有したいのでは無いのでしょうか。「うまく形にできない感情を書き起こしたい」のは私個人の欲です。人、ないしは私などが「この気持ちをどう表せば良いのだろう」と思う事を表現してみたいという欲でしょう。当然Aさんの仰る通り、共感されないこともあると思います。しかし、「自分の中でぴったりの表現を見つけたとき。答えのないことに自分なりの答えを見つけたとき」人は感動するのだと、私は思い込んでいます。そして、そうしたい理由はやはり私の言葉が、少しでも心に残って欲しいというエゴでしょう。しかし、私は「誰も見た事の無い世界を伝えたい」という(共感や理解とは)相反する矛盾した思いも、また持っている気がします。その折り合いは未だにつきません。 また、同じものを書いている気になったのは、私が同じ思い、感情ばかり(自然が美しい等)を書いていたからかも知れません。 途中から、混乱して訳のわからない文章になってしまっていると思います。申し訳ありません。 もしよろしければ、また私に新たな視点を知るきっかけを下さい。 本当に、考える切っ掛けをありがとうございます。こうして自分と向き合えるきっかけを、ありがとうございます。 |
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No.3 ヤエ 評価:0点 ■2014-10-27 12:13 ID:L6TukelU0BA | |||||
菊池さん まず、読んで頂きありがとうございます。 私自身、詩を手紙だと考えたことは無かったので、今回新たな視点を下さり嬉しく思います。もしかしたら、私の詩について核となる物が欠落しているのは誰かに何か具体的なものを伝えようという意志が無かったからなのかも知れないと、そう思いました。 『同族嫌悪』これは初め、普通に鏡(自分の同族)と出会い、自分の見ないふりをしていた事実、自己嫌悪の原因たる言葉遣いや仕草 と相対することで、感情的に攻撃してしまった。しかし、そうしてしまったことで、繋がりを、切っ掛けを、可能性を自ら壊してしまった事に対しての微かで確かな後悔を表現しようとしたものでした。 しかし、そのような解釈も素敵であり、後から考えてみると、同属嫌悪とはやは自分と向き合う切っ掛けであり、自分との葛藤を起こすものなのだと、改めて理解した気がします。 ありがとうございました。 |
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No.2 A 評価:20点 ■2014-10-25 08:15 ID:pA0QzJ9KbiA | |||||
宛先が不特定多数であるような手紙はもはや手紙ではない。それは客寄せの広告に過ぎない。広告につられて集まるのは似たりよったりの人々の群れだろうが、その群れの中でなら「誰でも」似たような事を考えているのは当たり前の話だ。詩は手紙であるかもしれない。だが、広告ではない。この私があの誰かにまさにこの想いを伝えるためにこそ私は手紙を書くのであり、この手紙において表現と内容は一つであるから誰にでも通じる「似たような事」など問題にならない。なるほど、似たような「内容」をより「巧みな」表現であらわした文章は、私の気持ちを代弁してくれているように錯覚させるかもしれない。だが、この私のあのあなたへのこの想いは他の何物にも代えがたいものであり、その事実が次の瞬間「代弁」の錯覚を打ち砕く。己自身の表現に向かわないようないわゆる「感情」など「感情についての通念」に過ぎない。動こうが動くまいが伝えるものを予め持っているような「主観」とは結局「感情についての通念」の別名ではないのか? それにしても作者はなぜ「共感を呼び起こす」事を求めているのだろう?「うまく形にできない感情を書き起こした」なら、それが共感されない事だってある、むしろ、共感されるより共感されない可能性の方が高いのではないだろうか?「共感」を求めた瞬間、我々は何か共通の土台を設定しなければならなくなってしまう。共通の土台ありきで何か書くとすれば、「同じもの」が出来あがるのは当然ではないだろうか?いや、必ずしもそうではない。まさにこの私が生きているという事実が、必ず共通の土台から逸れていく何かを生み出す。この何か、「波」はどこへ向かうのか?この詩の結末に反して、「喋る鏡」は何度でも甦り繰り事を重ねつづけるだろうが、これと向き合うごとに「波」は起こり、「鏡」を破砕して、あるいは超えて、流れていくだろう。「鏡」や「残骸」にせき止められる、そういう流れもあり、この詩はそれである。 |
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No.1 菊池清美 評価:50点 ■2014-10-25 04:33 ID:te6yfYFg2XA | |||||
詩を手紙とすれば宛先は不特定多数。 伝える物は情景なり心の動き、情景なら写真も有るでしょうが主観が入れられない。 詩に良し悪しが有れば其の表現力でしょうね。 形の無い心の動きを如何表現するか…誰でも似た様な事を考えているから巧みな表現に感動します。 『同族嫌悪』此処では自分の事でしょうか、鏡によって自問自答が感じられます。 鏡は二度と喋らない…心の葛藤は解けたでしょうか、そう願いたいですね。 (感情を書き起こす…) 詩の心が良く判っているようですね、余計な心配をしてた様です。 逆に根を詰めない様にと思いますね。 |
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