一本桜
去年は上手く咲かなかった
ウソと言う鳥が花芽を食べたと言う

其れによって桜は休めたのかも知れない
そう思わせるほど見事に咲いた

一本桜とアカウソは仲良しかも知れない
人が言う程桜は困っては居ない様だ

テレビ放送のどんど晴れで有名に成って
田舎には珍しく渋滞してたけど来て正解だった

此処は昔放牧地で
暑がりの牛の為日除け用に植えたと言う

人は牛を家畜として利用したけど
家族の様に大切にして来たのだろう
売られて行く車を追い駆けて子等は泣いた

人もまた桜の様に動物と仲良しだった
今より楽じゃ無かった筈なのに

人は何かを忘れて来たのかも知れない
其れが進化だとしたら悲し過ぎる

一本桜はそんな思いを何所吹く風と
岩手山を背景に誇らしそうに咲いている








菊池清美
2014年05月30日(金) 02時11分24秒 公開
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No.2  菊池清美  評価:--点  ■2014-05-30 20:27  ID:dJ/dE12Tc8A
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Aさん一生懸命のコメント有難う。

細かなところまで読んで呉れて感謝です。
今後気を付けたいと思います有難う。
No.1  A  評価:10点  ■2014-05-30 13:44  ID:pA0QzJ9KbiA
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拝読させていただきました。

>人もまた桜の様に動物と仲良しだった

この文が十分意味を持つためには、「一本桜とアカウソは仲良しかも知れない」という文が読者にしっかり受け入れられないといけないと思うのですが、僕にはなぜ、ウソと桜が「仲良し」と言えるのか、この詩を読むだけでは分かりません。困っていないという事は「仲良し」と同じではないと思います。

が、ここは一歩譲って、「仲良し」と認めたとして、ウソは桜の花芽を食べる、人間も牛を食べたり、乳を頂いたりするという事を考えれば、

>人もまた桜の様に動物と仲良しだった

ではなく

>人もまたウソの様に牛と仲良しだった

となるのではないでしょうか。ウソと牛が音的に結び付いてるし、嘘のように仲良しだという意味にも取れるので、これだと面白いです(アカウソでも、真っ赤な嘘という意味に取れるのでいいかもしれません)。ウソが桜を休ませるように、人も(桜を植える事で)牛を休ませる。休みを与えられる事で、桜は人に愛でられるために見事に花開き、牛は人に賞味されるために車で運ばれる。そういう事でしょうか。
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