Death Note |
鐘が響く 死者を弔う鐘が 二重・三重にも音を響かせながら 死の調べを響かせる 一人 また一人旅だった 虚無の世界へ 残された者達は嘆く 若すぎた死に 年老いた者の安らかな死に ただ嘆き涙を流すのみ 死者が灰に帰すれば涙は止まり 世間話が花開く 死の鐘の音を聞きながら 弔いの涙が虚無に変わる ただ静かに死者の調べだけが 亡き者を悼み哀しみに涙し その調べを奏でる |
音羽
2014年01月28日(火) 22時13分19秒 公開 ■この作品の著作権は音羽さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.5 音羽 評価:0点 ■2014-02-06 03:37 ID:Bc46jqelBqI | |||||
笹竜胆様感想ありがとうございます。 まず、前の方々への返信や作品メッセージから私が自分の考えを押し付けているように感じて不快に思われたならばすみません。 押し付けるような書き方にならないように書いたつもりなのですが……。全て、頂いた感想に対しての私の意見を返信として書いたに過ぎません。 私自身、家族同然に可愛がっていた猫を立て続けに亡くしたものですから、その時の精神状態を元にしての私なりの意見です。 人と猫を一緒にするなと思われそうですが。 感想を読ませて頂いてそう感じたものですから、もし違っていたら読み流して頂いて結構です。 永訣の朝を読んだらとの事だったので、読んできました。 妹に対する愛情と深い悲しみ、それを含んで前を向いて行こうとする決意の詩というのが私なりの感想です。 実際、今の時代にどれだけの人が詩のように生きれるかは分かりませんが。 そういう生き方ができれば素敵だろうとは思います。 お葬式に関してですが、感じ方は人それぞれです。 笹竜胆様のいう事ももっともだと思います。 最後に、詩の紹介までして頂いてありがとうございました。 |
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No.4 笹竜胆 評価:20点 ■2014-02-04 23:34 ID:wYgzQgVuDaw | |||||
本当に悲しいときは涙一つ出ませんよ。 心を交換した相手が逝けばわかると思いますが。葬式で泣けるのは、感情の整理がついている人です。たった数日で、ね。別に悪くはありませんが、故人と深い関係にはなかったのだなぁと感じます。 心にある故人の部屋に出たり入ったりしながら、もう二度とその主人が訪れることはないと徐々に認めていく。かなり時間がかかるし、色々なひと・もの・場所が故人と繋がっているから、泣くのも笑うのも傍からは突然だったりします。故人と過ごした時間が長ければ長いほど、共に会った人が多ければ多いほど、葬式という枠に悲しみを納めることは難しくなる。生前なかなか会えなかった人が来てくれれば嬉しいし、満開の桜を見るのも悲しい。それでも、いつかは訪れる。別離ってそういうものです。 永訣の朝を呼んだらいかがでしょうか。 |
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No.3 音羽 評価:0点 ■2014-02-02 22:42 ID:Bc46jqelBqI | |||||
菊池様、游月様感想ありがとうございます。 菊池様 お葬式の後に始まる苦労などは漠然と思いを馳せる事は出来ます。 残された者の為にする事も知ってるつもりなんです。 死者の為なんて所詮、生者の自己満足じゃないですか。 ただ、悲しいから泣いてますと言ったほんの数分後には別の誰かの事で笑ってる。 本当に悲しかったら、そう簡単に笑えるようにはならないんじゃないかと思っているので書いた詩です。 人それぞれ考えがあると分かる良い機会でした。 游月様 『一人旅だった』 は『一人、旅立った』 と言うニュアンスで書いたつもりです。 ので、旅が一人に付くように読めたら私の確認不足です。 『死の鐘』 と言うのは詩を書く時にイメージしたのが教会でのお葬式風景だったからです。 詩を書いてみたくなったとの事、是非書いて頂きたいです。そして拝読したいです。 葬儀後をみてやるせなくなるかもしれませんが、せめてお葬式全てが終わるまでは笑わずに泣いていてもいいんじゃないかと思っているんです。 お葬式が終わってら、前を向いて進む為に笑うのは大切だと思います。 でも、お葬式の中で、違う誰かの話で笑うのはどうかと思ってしまうもので……。 我が儘なのでしょうが、せめてお葬式の二日だけ悲しんでその後は笑って過ごして欲しい。 私って凄く我が儘勝手な人間ですね……。 |
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No.2 游月 昭 評価:10点 ■2014-01-31 19:47 ID:STGQyRbvtcY | |||||
こんばんは! 響く。響かせながら、響かせる。 虚無の世界へ/旅だ(立)った。 (旅だったは「一人旅」だったに読める) 涙が虚無に変わる 嘆く。嘆き、 調べだけが調べを奏でる 重なりがキツいですね。 「死の鐘」という言葉の響きが良くて、 ラフマニノフ、リスト、サンサーンスあたりの曲に交響詩『死の鐘』とかあっても不自然じゃない位の雰囲気なので、この詩には不釣り合いな気がします。 『死の鐘』という壮大な詩を書いてみたくなりました。 今、メッセージを読みました。若い方なんですね。子供の頃は私も不思議でした。涙を流している人たちは、本当に死を悼んでいるはずです。しかし、皆、それを乗り越えなければならないと感じています。葬儀から葬儀後もゴチャゴチャと面倒くさいことがありますが、遺族の哀しみの気を紛らせたり、元気付けたりするためにあるとも言われてますよ。 死者の霊魂が葬儀後を見ているとすれば、みんながずっと哀しみに打ちひしがれていると、きっとやりきれないでしょう。 ザー、と泣いたら、パッ、と晴れるのが良い。 |
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No.1 菊池清美 評価:30点 ■2014-01-29 04:29 ID:/dxzQ0Wmf36 | |||||
逝った人は確かに可哀相です、やりたい事も有っただろうにと思うから。 でも残された人はもっと大変です、失った悲しみの他に生活の基盤をも失ったかも知れない。 逝った人は終った人だけど遺族は苦難の道の始まりだったりする、だから皆都合を付けて集まるんです。 葬式って遺族の為にやるのかも知れないね、其れが解っているから大人は明るく振舞うのかも知れない。 |
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総レス数 5 合計 60点 |
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