エアコンをクーラーと言うこと |
僕のスパゲティが
いつかパスタになったように 君のクーラーも いまではエアコンになった 移ろいゆくもの なにもかも そういった君を 今ふと思い出す 言葉がかわる速度が 日々増していくような そんな時間の中で 僕はまだ スパゲティをパスタと言うことに違和感を感じるのだ 電話を回さなくなった ボタンを押すだけでは 何かが足りないのだ とどけ とどけ という具合に ダイヤルを回したあの頃のように 一周するたびにジーッとなる あの音を聞くたびに 君の声に近づく気がした 電話帳を開いて 君の名前を検索する 選択がすめば ボタンひとつで声が届く 便利で つまらない 10回ほど回したダイヤルの向こうに 君がいた だから愛しかったのかも知れないと 何やら逆説のようなことも思う 簡単で つまらない お前の愛と同じように だからねぇ クーラーつけてよ |
史裕
2013年08月24日(土) 15時30分03秒 公開 ■この作品の著作権は史裕さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.2 史裕 評価:0点 ■2013-09-02 23:01 ID:9PUUUb4eyoE | |||||
SHIRIAIさん 御返事遅れまして申し訳ありません ご意見いつも参考にさせていただいております また読んでいただければ嬉しいです それでは失礼します |
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No.1 SHIRIAI 評価:20点 ■2013-08-24 19:44 ID:50JQbS1CW4Q | |||||
こんにちは。 こういう気持ち凄くよく分かる〜、 みたいな言い方は批評っぽくないので言い換えます。 正しいと信じてきた自分の道が、いつの間にか時代という雨に打たれ、ぬかるんで足を取られる。歩けない訳ではない。子供のころから教えられた道をひたすら歩いて来たはずなのに、泥に流される道を歩かざるを得ない。その喪失感を否定するように抗う頑固な自分と、尻の軽ささえ感じてしまう新らすぃー言葉を使う者達の距離はみるみる離れていく。しかし、どうだろう、絶対に使いたくない言葉を除くと、使い分けは出来るはずで、また、自分世代以上の人々の多くは賛同してくれる人もいるはず。この語り手は若いころ毎日ラブレター(恋文(もっと言えば懸想文))を書いたように、今でも手紙を書くだろうか。少しだけ内容が足りない気がします。単に抗っているだけの少年のようで、いまひとつ感情移入するには思いが薄過ぎる感があります。平安の世から続く「近頃の若いもんは!」話になってしまっていますね。この詩はもっといいものに仕上げられる大切なものだと思います。 あとは細かいところを。 ● >移ろいゆくもの >なにもかも は、 >>移ろいゆく >>なにもかも の方がいいのでは? 個人的には、「なにもかも」が、歌謡曲で使い古された王道ポップス的に思えて違和感があるので、私がどうしても使うならば、 >>なにもかもが移ろいゆく とします。 ● >とどけ >とどけ >という具合に >ダイヤルを回したあの頃のように この辺りは、うるっと来ますが、 >>(一行開ける) >>とどけ >>とどけ >>ダイヤルを回したあの頃のように >>(一行開ける) という路線もあるのでは? 「〜あの頃のように」が、やはり王道ポップス的なのが気にはなりますが。 この詩は大事にして、もっとよく練り上げて欲しい作品ですね。 余談ですが、若い世代に美しい言葉を遺すために、若い世代の人が、ラップなどで歌ってくれないかなぁなんてことを思ったりしたことがあります。時代の流れを強くのぼっていくように。私たちには、「職場で、お客さま相手なら、ちゃんとした言葉を使え」という権限しか残されていませんから。 ありがとうございました。 |
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