大きな家の回廊を
小さないとこ達が走り回っている
あの子達はちょっと前の僕ら

ちょっと後の僕らは
二階で何をしているのか知らない

だいぶ後の僕らは居間で高校野球
毎年高校野球
夏はいつも同じリズムに蝉の声が被さる

慌ただしいおばちゃんの声が
「スイカば食べんねえ、ほらあ、
早よ来んばなくなるよお」
せかす

ひとつ
僕はいかにも美味しいふりをする
「たくさん食べんばぞお」
おいちゃんもせかす

いとこが二階から降りて来て
大皿を出して人数分持って上がった

おばあちゃんが僕をしっかり見て
「美味しかでしょ」
端っこまで笑顔

おじいちゃんのあぐらにおさまると
オモチャのお札をくれた
「今度来た時に本物と替えるけん」

もっともっと後の僕らの写真が
天井近くでこっちを見ている

蝉がジッ、と飛んで、
また、次の蝉がなきだした

SHIRIAI
2013年06月28日(金) 10時53分19秒 公開
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No.14  SHIRIAI  評価:0点  ■2013-07-05 22:18  ID:wM4rFoYMkSs
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笹百合さん、
詩風味の感想ありがとうございます。
笹百合さんがお幾つかは存じませんが、私の父の世代は兄弟姉妹が5〜6人というのは当たり前で、そんなわけで、従兄弟の数がかなりいました。ぐちゃぐちゃしてて、お祭りのようでした。たまたま本家が農家だったので畑や牛小屋など駆けずり回りました。小さな借家、アパートならまたそれなりに、物語りはあるんじゃないかなと思います。
感想文が魅力的なので、笹百合さんの詩を読みたくなりました。
ありがとうございました。
No.13  笹百合  評価:40点  ■2013-07-05 20:58  ID:wYgzQgVuDaw
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そして家の朽ちるまで、か。
宿借りには座ることのできない時間だわ……。
わずかなものだけ持って、二重螺旋の上を駆け抜けて、後には何も遺さない。
背景のない記憶は重ならないまま滑り落ちて、留まるところを知らない。
そんなふう、だから。
うらやましくて、いたたまれない。
No.12  SHIRIAI  評価:0点  ■2013-07-01 20:02  ID:OjNIsuoFpuI
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逃げ腰さん、こんばんは。

いやいや、どうして。
>光を当てる方向によって色が変わるガラス細工のようでした。

面白い表現です。
いくつもの世代に渡って描いているので、読者の顔が、回廊を走っていたり、遺影におさまっていたり、なんて想像するのも面白く、今後の詩作の糧になりそうです。

逃げ腰さんの感性、面白いと思っているんですよ。多分、貴方の方がカッ翔んでいると思う。私は、酷評ばかりしてますが、重要なのは、光っているものを伸ばすことと、その光を遮っているものを取り除くこと、その手伝いが出来ればと思うからです。

ガラス細工、刺激になりました。
ありがとうございました。
No.11  逃げ腰  評価:40点  ■2013-07-01 16:32  ID:jOVIbNMwIU2
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素晴らしい詩でした!
皆さん深い解説を付けているので、僕の浅い視点を付け加えることもなさそうですw
光を当てる方向によって色が変わるガラス細工のようでした。


遅ればせながら僕の方の詩にコメントいただき感謝しております。コメントはいらないとの事だったのでここに記しておきます。
No.10  SHIRIAI  評価:0点  ■2013-07-01 03:32  ID:qVUr7kcrwv.
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楠山さん、こんばんは。

読者が感じることがそれぞれ違うのが面白いですね。
意識して、軽くした詩の文体に反して、世代の箇条書きのようなところを、移っていく語り手の小学生の視線や行動が、幾何学的に、と感じられたのだろうと思います。おそらく、小学生口調のパタパタ感も手伝っているでしょう。

ひらがなのぶつかりについて、再度。
おそらく小説と違って、詩の場合は、漢字ばかり使うことは、文が堅くなることから、敬遠されます(人によりますが)。そこで、漢字とひらがな、カタカナのバランスを考えます。お二人に言われて、「いとこ」(←これはわざとひらがな)よりも、「被さる」の方が堅くて失敗だなと気づきました。小学生は、「被さる」は使わないでしょう。

カタカナは、現代の日常では外来語以外にはあまり使用しない傾向にありますが、『津軽じょんがら』のような田舎の景色に「イヌ」と「ボロ」が出てきます。これもわざとです。
『蝉』では、スイカとオモチャがそうですね。
コメントありがとうございました。

追伸
楠山さんの詩、楽しみに待ってますよ。
No.9  楠山歳幸  評価:50点  ■2013-07-01 00:06  ID:3.rK8dssdKA
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 読ませていただきました。
 良かったです。
 微笑ましい雰囲気がみごとに表現されているとおもいます。

 >大きな家の回廊を
  小さないとこ達が走り回っている

 冒頭で田舎の大きな家屋をイメージしました。
 
 >二階で何をしているのか知らない

 この表現も世代を感じられて、想像を掻き立てられて好きです。
 世代という時間と蝉というカット、耳にも訴えかけられる幾何学のような美しい作品でした。ただ、わたしもいとこは漢字のほうが良かったかな、と思いました。
 失礼しました。
 
No.8  SHIRIAI  評価:0点  ■2013-06-29 19:48  ID:m.6gUmQkDJ2
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えんがわさん、

それだけ感じて頂けたら十分です。
ありがとうございます。

ひらがなのぶつかりは、永遠のあしかせですね。有名な方の詩でもぶつかってて、おや、と思いますが、出来れば、すんなり読める方がいいですね。参考になりました。ありがとうございます。
No.7  えんがわ  評価:30点  ■2013-06-29 19:33  ID:1rXVLSXzIUI
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いいなあ。夏の風流に満ちてます。
凄く好きです。好みです。

なんだろう。
実家に行く田舎の懐かしさとほわんと漂うユーモアがありながら、読了すると過ぎ去ってしまったような。妙に切なくなる。
そんな印象を受けました。

高校野球 毎年高校野球。っていうのは、何か惰性の中でも気だるい夏の過ごし方を感じます。
スイカの辺りは、何か実感がこもってる感じ。あんまり甘くないスイカなのかな。でも瑞々しい水分が、嬉しそうです。

初読で気になったのは、
>小さないとこ達が走り回っている
初めの部分なのと、「な」と「い」が繋がった感じで、ちょっと読みがギクシャクしてしまいました。
でも、「いとこ」って平仮名にした雰囲気の出し方も巧いと思うので、うん、これは100パー主観です。
と、揚げ足取りになってしまいましたが、他に自分の詩の素地では気になる部分はありませんでした。それだけ、等身大でわかりやすく、深い余韻がありました。好きです。
No.6  SHIRIAI  評価:0点  ■2013-06-29 18:38  ID:OjM7eTTbU0g
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No.5卯月さん、

題名について、
僕らは蝉なのです。この詩に於いて何が一番重要なのかという問題です。外国映画に邦題を付けるときの「下手さ」は目にあまるものがありますが、たんに、日本人のアートに関する安っぽい購買意欲を見越してのことだと思います。この詩の場合、そんなものはいりませんね。題名に、回廊、すいか、あぐらの中、蝉、あのときの僕ら、など、いろいろと候補はあるでしょうが、趣旨が、過ぎ去っていく時の中に生きる人の儚さ。家族、親戚が集まっても、登場人物は次々と入れ替わるということ。この、時の流れの、ああ、無情。蝉の騒がしさ(高校野球のリズムとのリンク)、儚さ(天井近くの写真)、夏(お盆、終戦、線香の匂い、スイカ)など、すべてを連想させます。そんなわけで、蝉なのです。題名は詩本文を表す物。回廊という言葉は重要ですが、その言葉から、どんなイメージが湧いてくるでしょうか。

題名についての考察をされる方は、ここでは多分ほとんどいらっしゃらないので、大変うれしいことです。卯月さんのようにご自分の意見を細かく仰っていただける方は少ないので嬉しい限りです。お礼に小説の感想をと思ったんですが、もともと読むのが人よりかなり遅いのと、実は物凄い多忙な輩なので、断念致しました。すみません。時間があれば、一作でも読ませて頂こうかと思っています。お勧めは?
再度のご意見、ありがとうございました。

−−−−−−−−−
私のように
幼少から文章を読むのが遅い諸君!
努力すれば、
詩ぐらい読めるようになります。
私も高校生の時から
小説を読んで訓練しました。
頑張りましょう。

と、関係のない話、失礼いたしました。
No.5  卯月 燐太郎  評価:0点  ■2013-06-29 15:33  ID:dEezOAm9gyQ
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再訪

No.4の返信Aを読んでわかったのですが、「詩」のなかに出てきた祖父は当時生きていたということですね。

A>>お祖父ちゃんは、この詩の舞台の翌年に亡くなったので、お札は本物にならず、今も、オモチャのまま、持っています。<<

「No.2」の返信で「あぐらのお祖父ちゃんは、とっくの昔に天井近くの写真の仲間入りをしました。」と書いてあったので、誤読をして、前回、追加の感想を書いてしまいました。

したがいまして下記は取り消しです。

―――――――――――――――――――――――――

「No.2」の返信を読んで。

A>>あぐらのお祖父ちゃんは、とっくの昔に天井近くの写真の仲間入りをしました。<<
●えっ? Aだと、イメージが違ってきますね。
どこに「あぐらのお祖父ちゃんは、とっくの昔に天井近くの写真の仲間入りをしました。」と、取れる、伏線があるのですか?

この作品には「おばあちゃん」がスイカをふるまいます。
そのおばあちゃんの話に引き続いて「おじいちゃん」が出てきます。
おじいちゃんが「とっくの昔に天井近くの写真の仲間入りをしました。」と言うことになってしまえば、おばあちゃんの存在とかスイカの話はどうなるのですか?
●作者がAの発想でこの詩を書いているのなら、おばあちゃんが仏壇にスイカのお供え物をして、「おじいちゃん今年も孫がたくさん来てくれましたよ」とかの伏線を入れる必要がありますね。
そこで主人公の子供がおじいちゃんのあぐらだと思っていたところが、「古い座椅子」それもおじいちゃんが愛用していた座椅子だった、と言うことになれば、話はきれいに治まります。

―――――――――――――――――――――――

==========================
●では、取り消さなかった分と、追加の感想です。


B>>『回廊』に目をつけていただいたことはありがたいです。<<
●だったら、タイトルは「蝉」ではなくて「回廊」にしなければ、ダメでしょう。

タイトルについては、作品の内容と2つの返信を読む限り、「蝉」ではなくて「回廊」ですね。または、それに近い物がいいかな。
そうすれば、誤読が無くなります。
タイトルは「テーマ」に近い物を書く必要があると思います。
特に「詩」の場合は、説明が少ないので、タイトルは重要です。

C>>題名に回廊はあり得ません。例えば遺影と蝉、脱け殻は繋がりますが、遺影と回廊はとなると、文字通り、まわりくどくなります。<<

●「例えば遺影と蝉、脱け殻は繋がりますが」これは納得ですが、この作品に書かれている「遺影と蝉」は作品の一部です。内容からすると25%から多くて30%ぐらいまで。
残りの70%から75%は「回廊のある家」での「僕ら」のことと「おじいちゃん、おばあちゃん」のことです。
だとするならば、タイトルは内容が多く書かれている「回廊」に関係があるものにするのが筋だと思います。
そうすれば、誤読も少なくなる。
というか、私が誤読したのは作品ではなくて「No.2」の返信を読んだからですけれどね。


●「遺影と回廊はとなると、文字通り、まわりくどくなります。」それは、「詩」の内容次第でしょう。「まわりくどく」ならないように書いたら、よいだけの話です。

======================

●うちださんのこの「詩」への読解力は50点ですね、よく「D」のように解釈しました。

D>>ぼくは、汎神論?とか輪廻?とか時間のズレ?とかの延長みたいに読むのが良かったです。
『大きな家の回廊』を巡る『僕ら』っぽい感じ。です。
いとこも僕らだし、もっというと、蝉すら僕ら、という感じ。<<



お疲れ様でした。
No.4  SHIRIAI  評価:--点  ■2013-06-29 03:51  ID:gYbTEfdSPrU
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卯月さん、ありがとうございます。

詩とコメントは違います。
実際、この詩は、余すところなく実話です。詩は、おそらく35年以上前。コメントは今です。お祖父ちゃんは、この詩の舞台の翌年に亡くなったので、お札は本物にならず、今も、オモチャのまま、持っています。
うちださんは、回廊と蝉が、世代交代や、輪廻等の意味で関わりに気づいてくれということです。題名に回廊はあり得ません。例えば遺影と蝉、脱け殻は繋がりますが、遺影と回廊はとなると、文字通り、まわりくどくなります。
オチたところで、(←ホントニ?)
またよろしくお願いいたします。
卯月さんの批評、楽しみにしています。
ありがとうございました。
No.3  卯月 燐太郎  評価:40点  ■2013-06-29 01:11  ID:dEezOAm9gyQ
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「蝉」読みました。


この作品はリズムがありますね。
主人公の周囲というか、祖父の家には親戚の子供が集まっていてそれぞれ、あちらこちらで、好きなことを楽しんでいます。

そこにスイカというアイテムがおばあちゃんという主人公とは、かけ離れた後ろの人が勧めに来る。

「ちょっと後の僕ら」主人公よりも少し年齢がいっているいとこが降りてきて、数だけスイカを持って行く。

>>「美味しかでしょ」
端っこまで笑顔<<

●この表現がうまいと思いました。
これって、スイカの隅まで甘いという意味にとれました。


>>おじいちゃんのあぐらにおさまると
オモチャのお札をくれた
「今度来た時に本物と替えるけん」<<
●これも、かなり笑わしていただきました。
●オモチャの札が本物になる魔術は、今度来ること(笑)。
子供心を「ぎゅっ」とつかみましたね、おじいちゃんは。


>>もっともっと後の僕らの写真が
天井近くでこっちを見ている<<
●これは構成でいうところの「起、承、転、結」の「転」と言ったところでしょう。
話が今までとは違い、締まりました。
ご先祖様の写真かな。


●オチは「タイトル」の「蝉」でまとめましたね。


かなり、よかったです。

=======================
「No.2」の返信を読んで。

A>>あぐらのお祖父ちゃんは、とっくの昔に天井近くの写真の仲間入りをしました。<<
●えっ? Aだと、イメージが違ってきますね。
どこに「あぐらのお祖父ちゃんは、とっくの昔に天井近くの写真の仲間入りをしました。」と、取れる、伏線があるのですか?

この作品には「おばあちゃん」がスイカをふるまいます。
そのおばあちゃんの話に引き続いて「おじいちゃん」が出てきます。
おじいちゃんが「とっくの昔に天井近くの写真の仲間入りをしました。」と言うことになってしまえば、おばあちゃんの存在とかスイカの話はどうなるのですか?
●作者がAの発想でこの詩を書いているのなら、おばあちゃんが仏壇にスイカのお供え物をして、「おじいちゃん今年も孫がたくさん来てくれましたよ」とかの伏線を入れる必要がありますね。
そこで主人公の子供がおじいちゃんのあぐらだと思っていたところが、「古い座椅子」それもおじいちゃんが愛用していた座椅子だった、と言うことになれば、話はきれいに治まります。


>>『回廊』に目をつけていただいたことはありがたいです。<<
●だったら、タイトルは「蝉」ではなくて「回廊」にしなければ、ダメでしょう。


それでは、次回も頑張ってください。
No.2  SHIRIAI  評価:0点  ■2013-06-29 00:28  ID:5ZzWE3oSpa2
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うちださん、コメントありがとうございます。

『回廊』に目をつけていただいたことはありがたいです。
これは子供の視点から書いた詩なので、どの世代の人が読んでも、自分の体験とあわせて感じられると思います。
回廊のある家に里帰りというのがどれほどの人にあてはまるか分かりませんが、ここに書かれてある以上のことを感じてくれる人もいるかもしれません。
各世代に対して「〜の僕ら」という表現は歳をとればとるほど、身近に感じられるものになると思います。
あぐらのお祖父ちゃんは、とっくの昔に天井近くの写真の仲間入りをしました。

ありがとうございました。
No.1  うちだ  評価:40点  ■2013-06-28 22:58  ID:CZOIz3QLVx2
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今回の作品はちょっとだけ分かった気がします。
どういえば良いのか、三つほど読めるスジがあったのですが、
ぼくは、汎神論?とか輪廻?とか時間のズレ?とかの延長みたいに読むのが良かったです。
『大きな家の回廊』を巡る『僕ら』っぽい感じ。です。
いとこも僕らだし、もっというと、蝉すら僕ら、という感じ。
刺激的でした。
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