ここを過ぎて悲しみの街

狂ってしまいそうなくらい暑い日だった
私はカラカラに乾いた喉を潤すためにコーラを買い
そこでしばらく座り込んで街並を見つめていた


強い陽射しにいまにも溶けてしまいそうなアスファルトの照り返しがきつい
目の前をケイタイでなにやら話をしながら通り過ぎる40前後のサラリーマン
額の汗を拭いながら今日もあくせく働いている
大きな荷物を抱え 腰を曲げながら歩くおばあさんの横を通り過ぎる自転車の青年
夏休み前なのか 帰りの早い女学生たちの笑い声
悲しみがすっぽりとなくなってしまったかのような風景
なにかを包み隠すような平和的空間がそこにはあった


私はふと思う
たとえばいま けたたましいサイレンを鳴らしながら
一台の救急車が通り過ぎたとして
それに気をとめる人が一体何人いるというのだろう


目の前で人が死んだとしても
きっと世界はなにも変わらない


そんなことよりも
早くこんなクソ暑い場所から逃れて
クーラーの効いた涼しい場所に行きたい


誰だってそう
私だって


          今日もどこかで誰かが刺されたってさ
          通り魔の犯行ですって
          へえ、怖いわねえ

          2歳幼女父親に殴られて死亡
          虐待ですって
          まあ、信じられない

          いじめで中2男子 自宅マンションから飛び降り自殺
          担任も気がついていたらしいわよ
          そりゃあ、ひどいわねえ



かわいそうに
かわいそうに
かわいそうに?



そのことばは誰のため
そのことばは誰のため



ニュースに流れることはテレビの中の出来事
どこか遠い世界の出来事


それよりも


私の大切なあの人が殺されなければいい
私の大切なあの人が傷つかなければいい
私の大切なあの人が病まなければそれでいい


そう
そうなんだ


誰だってそう
私だって


まるで林檎でも切るように
まるであきたおもちゃを捨てるように
まるで木の葉が枝から落ちるように


人知れず命が消えてゆく


その命は誰かにとっての「大切なあの人」ではなかったか
その命は誰かにとっての「かけがえのないあの人」ではなかったか



そこには沢山の涙や 沢山のやり場のない怒りや
沢山の悲痛な声があったはずなのに


命は地球より重い
だなんて云い出した奴は一体どこのどいつだ


きっと命は軽い
ひとひとりの命なんてきっと
空のペットボトルよりもずっとずっと軽いんだ


そこになんらかの反応を期待しても
話題はもう別の何かに変わってしまっている


私はなにを感じればいいのだろう
私はなにを感じなくてはいけないのだろう


すべての命に悲しんでなんかいられない
私たちは日々とても忙しく生きているんだもの


だけどでも
そうだとしても
もう一度 
もう一度 考えてみないか


私の命は本当に 空のペットボトルよりも軽いのか
貴方の命は本当に 空のペットボトルよりも軽いのか




相変わらずむせかえるような暑さだった
私は残りのコーラを飲み干してふたたび街の喧騒の中を歩き始めた
生ぬるい風が頬を舐めて不快だったけど
気にしないで歩いた


なにも気にしないで
ただ 歩き続けたんだ
陽炎
2012年07月11日(水) 21時12分11秒 公開
■この作品の著作権は陽炎さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
ちょっと過激な内容になってしまいました

タイトルを見てぴんと来た方
そうです
太宰の小説「道化の華」の冒頭から拝借しました

「命は空のペットボトルより軽い」
この表現に眉をひそめる方もいらっしゃると思います
問題提議のためにあえて挑発的に書いてみました
不快に思われた方、いらっしゃいましたら
遠慮なく仰ってください

この作品の感想をお寄せください。
No.9  陽炎  評価:0点  ■2012-07-19 11:26  ID:33E/nA6Ip9Y
PASS 編集 削除
☆はしずめまいさんへ☆

ふたたびコメントありがとうございます
そうですか
そう云って頂けてよかったです


☆ゆうすけさんへ☆

いつもありがとうございます

梅雨が明けましたが
九州地方では連日、大雨が続いていますね
その、経験したことのない豪雨というものに
どうしても注意が行ってしまうけれども
豪雨によって川が氾濫して
家や大切な家族、友人、恋人が流されていく
そのやり場のない哀しみを前に
私たちは目を覆ってしまう

自分や自分に関る人たちを大事に思うことはいいことだと思うんです
互いに不信感や猜疑心を抱えながら生活していたら
ぎくしゃくして、とても安心して暮らしてなんていけないですし

でも、じゃあ命って一体なんなんだろう
近くとか遠くとかを抜きにして
フラットな状態で考えたときに
一体それは何なんだろうと

巌を落すことができていたのでしたらうれしいです

私もいろいろ考えることができました

ありがとうございました
心より感謝
No.8  ゆうすけ  評価:40点  ■2012-07-16 08:53  ID:dZDA6s9Jnbw
PASS 編集 削除
ふう、やっと一息できる。慌ただしく、前をみてひたすら走らないといけない日常、僅かな時間を見つけてはここにくる私。心に触れたいから。

! 寝ぼけた頭をしゃきっとさせられました。
朝のニュースで見た、九州地方の大雨。流されそうなおじいさんとかを、好奇の目で観ていなかったか?
虐待やらいじめやら、これから伸びて行くはずの若い芽、社会全体で育むべき幼い命、無残に踏みにじられる現状すら、ひとつのニュースとして聞き流してはいなかったか?
「人の子の死んだより、うちの子のこけた」そんな言葉を思い出す。よその子が死んだことより、うちの子がこけたことの方が重い出来事。誰もが保身、我が身がかわいい。我が身が一番かわいいもの、「御仏より授かった我が身、一番大事で何が悪い」どこかで見たセリフ、されど「惻隠の心なきは人にあらず」慈しみ、憐れみを感じる心なければ人は人たりえないはず。
「命は空のペットボトルより軽い」
突き刺さるような攻めの言葉ですね。誰もが自分のことしか見ない、凍てつく荒野のような都会を表しているような。

っと、感じたことを殴り書きしてしまいました。
挑発か〜、読む人の心の泉にどっぽ〜んと巌を落として波を立てる、心を揺らす一撃でしたよ。

立ち止まって想い、そしてまた歩いていく姿が見えてきそうです。映像として見えてくるライブ感を感じました。
No.7  はしずめまい  評価:0点  ■2012-07-13 23:06  ID:RfRMeO.b25M
PASS 編集 削除
投げかける言葉、いいですね。

自分のことで手一杯だから。そこを突いての言葉、あらためて刺激的だと思い、重ねてコメントいたします。
No.6  陽炎  評価:--点  ■2012-07-13 22:44  ID:o8nsDp1H04c
PASS 編集 削除
返信が遅くなりまして申し訳ありません
反応を示していただけてとてもうれしく思っています

☆謝染はかなしさん☆
☆緋色彰弥さん☆
☆ひまわりさん☆
☆はしずめまいさん☆
☆FNOONさん☆

ご感想、ありがとうございます
本来ならばおひとりおひとりに返信をお返しすべきところですが
皆さん、ほぼ同じご意見のようでしたので
失礼ながら今回はまとめて返信させていただきます

皆さんが仰られているように
その人が自分に近しいかまったく関係ないかで
その重さは変わる、私もそう思います
それは詩中の中でも書きました
確かに、自分に関係のある人以外の
まったくの他人の命がどうなろうと
気にもとめないのは当たり前のことだと思います

が、たとえば朝の通勤ラッシュ時
人身事故が起きて電車が遅れると
ほぼ全員がこういうふうに考えますよね
「人の迷惑を考えろ。死にたいなら別の場所でやれ」
たしかにその通りなんだけど
でもちょっと待って
人が死んだんだよ、たったの何分か前に
朝のラッシュ時に飛び込むくらいだから
きっと何か事情があったはずで
死にたくなるくらいの事情があったわけで
だけど忙しい私たちは、そんなことよりも
朝の会議に間に合うかどうかの方を気にしてしまう
それが悪いとかっていうんじゃなくて
私だってそういうふうに思ってきたわけなんだけど
ある時からふっと違和感を覚えるようになって

人ひとりの命にどれだけの価値があるんだろうか
身近な人じゃなくても
見ず知らずの誰かでも
その人を大事に思っている人がいて
その人を愛してやまない人がいて
その人がいてくれないと困る人がいて
だったら、身近だろうが他人だろうが
その価値は変わらないはずじゃないか、と

「命は空のペットボトルよりも軽い」

貴方はどうなの?
自分自身はどうなの?
ちゃんと大事に思えてる?


挑発した甲斐がありました
(初の試みだったので、少しビビリましたが 汗)

皆さん、本当にありがとうございました
No.5  Fnoon  評価:30点  ■2012-07-13 19:35  ID:wu8aH7H6eSE
PASS 編集 削除
どうも。ふぬーんです。
ペットボトルを持ちながら、ただただ歩き続けたんだってのが好きです。

自分も命の重さに関しては「遠近の問題」だと思います。
No.4  はしずめまい  評価:20点  ■2012-07-12 19:00  ID:gQJSghkGoWM
PASS 編集 削除
重いも軽いもなく、強いて言うならそれは、命の重さを考える人によって変わるのではないでしょうか。

どうであれ、我々が案ずることのできるのは自分と家族や親戚、友人や教師、ご近所さんなど、自分と関わりある人たちだけだと思います。それも、口づたえで聞いた「その人」でなく、自分が直接会って、見た人に限られるように、私は思います。
No.3  ひまわり  評価:30点  ■2012-07-12 16:55  ID:pkP/EC4hRbk
PASS 編集 削除
命は空のペットボトルよりも軽い・・確かに挑発的かつ破壊的な印象をうけましたが、なかなか奥深い作品だなと私は感じました。
何処の誰と分からない人が命を落としても実際心にとどまりません。ただ可哀想・・まだこんなに小さいのにとか若いのにとか、加害者に対してだってこの悪魔!というくらいの感情しか湧きません。でも、もし自分の愛する人・家族の命だとしたら別問題です。
誰の命であっても差はありませんが現実は差があるのかもしれません。
No.2  緋色彰弥  評価:30点  ■2012-07-12 09:16  ID:.BEHR6pPreU
PASS 編集 削除
ちょっとびっくりしました。
命の重さって、その人との遠近によるんじゃないでしょうか?
たとえば、私が死んだら家族や親戚、恋人はかなり「重い」命と受け止めるかもしれません。
親友、友達、知り合い、先生、同じ学校で学んだ人、その人にかかわる人…と、関係が離れると、「重さ」もだんだん軽くなってしまう。
自殺やら事件やら事故で報道されたところで、日本全国の皆様は「ああ、またか」とかその程度でしかないでしょう。
大切な人の命ほど重いのだと思います。
No.1  謝染はかなし  評価:20点  ■2012-07-12 00:19  ID:O0hPqL2SkzY
PASS 編集 削除
ふむ、なかなかでした。

私は命に軽重などないと思います。「命」は主観です。

みんな一様に糞尿製造機です。
総レス数 9  合計 170

お名前(必須)
E-Mail(任意)
メッセージ
評価(必須)       削除用パス    Cookie 



<<戻る
感想管理PASSWORD
作品編集PASSWORD   編集 削除