花がうつくしいのは/花とおっさん |
花がうつくしいのは/花とおっさん 1.花がうつくしいのは 花がうつくしいこと、これはどういうことだろう。ぼくには花のうつくしさは、なにかが死んでいくことと密接な関係があるように思えてならない。梶井基次郎が言っている。桜の木の下には屍体が埋まっていると。桜の木の下にはあらゆる形の屍体が埋まっていると。死人に花を供えるのはどうしてだろう。死人と花はとても似合う。死人と花とは結婚しているのではないか。そうだ、そうなのかもしれない。 ぼくは睡蓮の花を育てていた。生きている人間は少しずつ死んでいく。ぼくたちは少しずつ死体へと変わりながら、花への愛着を強くし、花が似合うようになってゆくのではないか。最後に温かい手がぼくの背中に触れたのはいつだっただろうか。ひとの温もりに疎くなってしまってから、もう大分ながい時間がたったような気がするのだが。 植物を育てることには重大な意味があるのではないか。一輪の花であっても、私たちのさびしさを癒やすには十分すぎるものだと思うから。ぼくは睡蓮の花を育てていた。睡蓮の花が開くところを見た人は多くはないのではないか。夜明けのベランダで、白い花弁が吹き出す瞬間をじっと待っていたことがある。マグカップを両手で抱えて、冷めていくコーヒーを飲みながら、十文字に割れたつぼみから花が出る瞬間をただ見つめていた。 「いま」どこかで咲こうとしている花、ここにはあらゆる過去がつまっているのではないか。遠い昔に土に埋もれた種子が、根を生やし、茎を伸ばし、葉を茂らせ、花を開く。花は種子を残して枯れ果て、やがてまた新しいいのちをむすぶ。そうして現在までむすばれてきたいのちの連続が、ようやく「いま」へ、ぼくの目の前へと辿り着いたのではないか。 花束をもらうと、どうしようもなく胸がしめつけられることがあるのはどうしてだろう。あれは一度きりのいのちが、花の姿となって燃え上がっているからではないか。私たちの心のなかで、限られた時間が、めぐりあわせが、花弁の姿に燃えているのだ。私たちは花の姿に、邂逅とせつなさとを同時に認めるから、胸がしめつけられるのではないだろうか。 ぼくは夜明けに睡蓮の固いつぼみひとつだけ割ったことがある。つぼみのなかでは凝縮した過去と、いまという一瞬と、それからちいさな未来とが、白い花弁にむすばれていた! だから、死者には花を供えよう。すべて孤独な人たちに花を贈ろう。花は死人の手のなかでこそ、冴え冴えと、本当にうつくしく咲くものだと思うから。 2.花とおっさん 想像して欲しい。ハゲたおっさんがブリーフ一枚で、一輪の花を握っている。これはギャグではないか。花のうつくしさは変わらないのに、どうしてこのようなことが起きてしまうのだろう。ハゲたおっさんとブリーフとは、あらゆる花のうつくしさを無力にしてしまう魔術なのだろうか。 あめ 春のあめが つぎつぎに出港してゆく 薔薇の花弁へと 劇場へと 管弦楽隊の 青年の帽子の上へと 果てしなくまるい おっさんのハゲ頭へと あめは 薔薇の花弁の上や おっさんの頭のうえで 水銀のようにまるくなり 碇をさげた船のように ただじっと 停泊している |
うんこ太郎
2012年02月21日(火) 12時54分36秒 公開 ■この作品の著作権はうんこ太郎さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.7 うんこ太郎 評価:--点 ■2012-02-26 08:09 ID:iIHEYcW9En. | |||||
Phys様 ご感想ありがとうございます。 >あまり賞賛ばかりするのは重みがなくてあれかもしれないですけど、すっごく良かったです。 ありがとうございます。とても嬉しかったです。 他の方へのコメントで拝見いたしましたが、お仕事大変のようですね。 私は新人ではないのですが、仕事でミスが多く、落ち込むことばかりです。 そういう時にこのようなあたたかいコメントを読むと、がんばろうと思うことができます。 コメントに重みがあるかどうかは、受け取り手にゆだねて、 Physさんが感じたことを気楽に書いてくれれば、私はそれで嬉しいです。 >横道に逸れますが、私はサンテグチュベリさんが大好きで、特に星の王子様は翻訳が新しくなるたびに買います。河野万里子さんの訳のあとがきに、 『二度ともう会うことができなくても、空を見て、星を見て、その人の笑い声や笑顔を思い出すことができたなら、そのとき人は、どれほど心をなぐさめられ、生きていく力を与えられることだろう。生者は死者によって生かされ、死者は生者によって生き続ける。−―ふと、そんな言葉を思い出す。生は死と、死は生と、ひそやかにつながっている』とあったことが印象的でした。 Physさんはご存知かもしれませんが、ネアンデルタール人が埋葬された状態の 化石と一緒に、花粉の化石が発見されて話題になったことがあります。 もしかしたら、ネアンデルタール人は埋葬の時に死者に花を贈ったのかもしれません。 もしも死者に花を贈ったのであれば、それはどういう気持ちからだったのでしょう。 誰にも真実は分からないと思いますが、色々と想像すると楽しい、私の大好きなエピソードです。 「二度ともう会うことができなくても、空を見て、星を見て、その人の笑い声 や笑顔を思い出すことができたなら、そのとき人は、どれほど心をなぐさめら れ、生きていく力を与えられることだろう。」 いい言葉ですね。ありがとうございます。 >旅人、読みました。 ああ、よかった。人様に恐れ多くも本なんて薦めるもんじゃないなと 内心ひやひやしておりました。 今回はPhys様の好みに合ったようで、ほっとしました。 本を薦めるとか、あげるとかいうことはなかなか難しいことなので、 これからはもっと慎重になりたいと思います… 汗 |
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No.6 Phys 評価:40点 ■2012-02-23 23:02 ID:nv9wuwYC7r6 | |||||
拝読しました。 あまり賞賛ばかりするのは重みがなくてあれかもしれないですけど、すっごく 良かったです。上手さの中にも素直さみたいなものがあって、『気の利いた』 詩だなぁ、と思いました。(私のような初心者に対して、です) そして、とにかくうつくしい文章でした。漢字で書くとなんとなくイメージが 違う気がするので、平仮名です。 >ぼくたちは少しずつ死体へと変わりながら、花への愛着を強くし、花が似合うようになってゆく >花は死人の手のなかでこそ、冴え冴えと、本当にうつくしく咲くものだと思うから このあたりなんて、きゅっ、となります。きゅん、じゃなくてきゅっ、です。 うんこ太郎さんの詩を読むと、どうしようもなく胸がしめつけられることが あるのはどうしてでしょう。(しれっと盗作です) おじさんの頭に停泊する水たまり。なんだか、かなり映像的で素敵でした。笑 急にお話が転調したので、会社のトイレの中でくすくす笑ってしまいました。 (周りの人に頭のおかしいひとだと思われたら太郎さんのせいです……!) 横道に逸れますが、私はサンテグチュベリさんが大好きで、特に星の王子様は 翻訳が新しくなるたびに買います。河野万里子さんの訳のあとがきに、 『二度ともう会うことができなくても、空を見て、星を見て、その人の笑い声や笑顔を思い出すことができたなら、そのとき人は、どれほど心をなぐさめられ、生きていく力を与えられることだろう。生者は死者によって生かされ、死者は生者によって生き続ける。−―ふと、そんな言葉を思い出す。生は死と、死は生と、ひそやかにつながっている』 とあったことが印象的でした。(自分の日記に書いてあったやつのコピペです) 太郎さまの詩を読んで、このあとがきを読んだ時の気持ちを思い出しました。 いろいろなことに優しくなれる詩でした。これからも期待しています。 また、読ませてください。 P.S. 旅人、読みました。太郎さんがお勧めするだけのことはありました。あれは、 エッセイというより、一つの文学作品です。彼の人生そのものが一つの美しい 物語でした。今は会社の同期の人たちに(無理やり)勧めています。 私にとっては宝物のような本になりました。ありがとうございました。 |
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No.5 うんこ太郎 評価:--点 ■2012-02-23 13:01 ID:iIHEYcW9En. | |||||
エンガワ様 ご感想をありがとうございます。 ゆうすけ様にもご感想いただきましたが、 もう一押し(インパクト)足りないようでした……。 詩を書くって楽しいけど、とてもとても恥ずかしいことで、 なかなか開き直れないです。 あと一週半というのはいいですね! ご感想ありがとうございました。 |
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No.4 エンガワ 評価:30点 ■2012-02-22 22:52 ID:SED/FC6RMzg | |||||
拝読しました。です。 1 死体と結ばれた花。 このまま終部まで物悲しく終わるのかなと予感してたのですが、命の燃える感じ、煌めきまでも表現していて、鮮やかでした。 睡蓮というのも、凄くハッとしました。 何というかカーネーションや朝顔とかだと在り来たり感があります。バラだと重すぎる感じがします。 そこに睡蓮。死と仏と蓮の花。とても感覚が鋭いチョイスじゃないですか。 2 何か脂ぎった感じの中年を想像してしまいました。 前話の余情を吹き飛ばすには十分だと思います。 ただタイトル(花とおっさん)とハンドルネーム(うんこ太郎)から推測されるものと比べて、ちょっとインパクトが弱いようにも思えました。 ああ、照れなんでしょうか。開き直っても、あと一周半しても、面白いと思います。 |
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No.3 うんこ太郎 評価:0点 ■2012-02-22 10:55 ID:iIHEYcW9En. | |||||
■ゆうすけ様、ご感想ありがとうございます! 絶対にハゲたおっさんとブリーフだって美しいはずだと思います。 でもその美しさが分かるくらいの境地にたどりつくと、 この世のほとんどが美しく見えてしまいそうです。 いつか自分が死ぬときが来たら、すべてが美しく見えるんですかね……。 う○ことかもきれいに見えちゃうんですかね?どうでしょう。 ■楠山さん 楠山さんがコメントを書いてくださって嬉しかったです。 最近お姿を見かけなかったので、もしや去ってしまわれたのではと 心配しておりました。 過分な評価をいただいて、恥ずかしいです。中途半端な作品ですみません…。 詩を書くことって楽しいです。下手の横好き! 小説を書かれる皆様には失礼かもしれないですけど、詩は短くて手軽なので、 ほいほいと書いてしまいます。 楠山さんも小説の息抜きに、また是非詩を書いてください。 |
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No.2 楠山歳幸 評価:40点 ■2012-02-21 22:29 ID:3.rK8dssdKA | |||||
お久しぶりです。読ませていただきました。 前半、いつものうん太さんの広がるような世界がやや希薄かな、と思いましたが、逆に直情的な感じと何か訴えるような雰囲気が花と死者に対する思いをより強く感じました。あと、おっさんにも。こういう題材、僕だったら陳腐な頽廃的なものになると思います。ピュアな雰囲気になるのも、うん太さんのすごい所と思います。 詩も良かったです。平仮名の響き、美醜分け隔てなく包み込む世界、うん太さんは健在だなあ、と思いました。 また読ませてください。それでは。 |
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No.1 ゆうすけ 評価:20点 ■2012-02-21 19:05 ID:1SHiiT1PETY | |||||
はげ……我が祖父はつるっぱげ、我が親父ははげ、最近弟も危なくなってきた、私は……うちには鏡なんかないぜ! 前半の花の美しさを考察する哲学的部分から急転直下、はげたおっさんとブリーフ、このギャップに笑っていいのか思い悩みました。はげたおっさんとブリーフも、それはそれで美しいはず……意味不明な対抗心が芽生え、何が何やらわけのわからない感想になってしまいました。 全体的にもう一つ押しというか想いというかオチというか、何かが足りないような気がしました。 |
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総レス数 7 合計 130点 |
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