僕は世界を救わねばならない
夢うつつで始めた
夜の街角での
運勢占い

昨夜だけで十七人の通行人が
メルヘンチックな魔法のパラソルの下に集った
そのうちの十四人が
現状に漠たる不満を抱いて生きている女性で
外見はイマドキの若いコギャルなのに
口から飛び出すのは
スピリチュアルや癒しという言葉
深い切実な涙と共に
世界は哀しいことで満ちている
そう囁いた

僕は彼女の話を真剣に聞いて
最後には水で彼女の額を濡らした
僕の洗礼名である洗礼者聖ヨハネも
かつて民衆に水による清めを施した
彼女の頬を伝う涙と
僕の水が溶け合った時
僕は神の声をはっきりと耳にした

続けなさい
そして都市で生きる迷える者たちの
真の相談相手になりなさい

世界は哀しいことで満ちている
僕はその言葉を魂の屋根裏にそっと隠して
今夜も街路で魔法のパラソルを広げる
限界が来ている会社員の男たちは
僕の白い衣装に唾を吐いたが
幾人かの真に見る目のある女性たちは
憐れむようにハンカチを差し出し
僕に全てを打ち明けたいと告白した

主よ
我に力を与え給え
我に彼女たちが少しでも笑顔で生きられる
聖愛に溢れた言葉を贈る力を与え給え

世界は哀しいことで満ちている
だからこそ
僕は世界を救わねばならない
鈴村智一郎
http://slib.net/a/178
2011年01月20日(木) 03時49分53秒 公開
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No.4  鈴村智一郎  評価:--点  ■2011-01-31 01:58  ID:r/5q0G/D.uk
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返信が遅くなって申し訳ないです。
皆様、コメント嬉しく読ませていただきました^^

>としおさま

御読みいただき、感謝します。
カトリックでは、間違いなく「禁忌」です。
これはむしろ、キリスト教の文脈から「洗礼者ヨハネ」のイニシエーションを特別に取り出したものです。

としおさまは、占いをされておられるのですね。
非常に興味深いと思います。
私も西洋占星術には関心がありましたが、現在はカトリックの教えから出発して、今の時代に本当に適応したスピリチュアリズムの地平を前提にした詩を書こうと思っています。
聖霊は、感謝すべきことが起きた時に定期的に感じます。
でも、「啓示」というのは、「ありふれた心の平安」だという仏教の教えが正しいと感じており、これはキリスト教神秘主義者の教えでもいえることなので、特別な体験は経験しておりません。
強いていうなら、幼年時代の、例の詩に書いた水死です。

OZさまへ

ご感想、嬉しく思います^^

実は、この前駅前で占い師の女性を見ました。
手相占いの方だったかもしれませんが、大半の人に、(私や彼女も含め)無視されていました。
でも、私には何かその時、「見失っているような気配」を感じて、この詩を書きました。
実社会で、こういう活動をして生活していく人はいないと思います。
あるとしたら、副業とか、もっと切実な修行の一貫などで行うと思います。
この詩は、詩を書くことで自分の新しい地平に気付きたい、という一心で書きました。

どうもありがとうございました^^

>新地さまへ

ご感想、ありがとうございます。

救い、という言葉には私も色々な想いを抱きます。
安易に使う人には、やっぱりアレルギーを感じるし、何か胡散臭いものを嗅ぎつけます。
でも、自分の経験と照らし合わせることで、他者の「今の苦しみ」を「分かち合う」ことが、もしかしたら、小さな幸せにつながるかもしれないな、と思います。

ありがとうございました^^
No.3  新地  評価:20点  ■2011-01-30 02:11  ID:I8l.ZdILHq.
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鈴村さんは、昔現代歴史の板で、非常にエネルギッシュな作品を投稿していたように覚えていますが、こういうものを書く心境になったのかな、と勝手に考えてしまいました。
救い、ということは私も宗教に関わっていないなりに考えることがあるのですが、救いたいのか、救われたいのか、分からなくなったりもします。それは、救いという言葉が私の中で、何の根も無く漂流しているだけのことで……。
そういう人間である私としては、もっと、不幸な人を救おうという強い意思を見せていただきたかったかな、と思います。
No.2  OZ  評価:40点  ■2011-01-25 22:37  ID:4MvGQJq3VCA
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>限界が来ている会社員の男たちは
>僕の白い衣装に唾を吐いたが

ここが最高にいいです。共感を持って読めました。
私も限界がきている会社員の男たちのひとりだと思います。
唾は吐かないですけど。いえ、吐いたかも。

創作であれ、事実であれ、限界がきている会社員に対して
慈悲の心を伝える文章がある、もしくは一切を俯瞰するということであれば
マグダラのマリアや、ヨブといった聖人的な人物を思わせると思いますが
この一言には書き手の抱える抑圧を感じました。
そしてだからこそ、作者様の人間味を感じて良かったです。

No.1  としお  評価:30点  ■2011-01-25 15:34  ID:kWriX7DAQx.
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 面白いですね。
 本当に、やっているのですか?
 ちなみに、カトリックで、占いは禁止されてはいないのでしょうか?
 いえ、私はカトリック信者ではないので。

 ちなみに、私も占いをそこそこやっています。
 基本は易ですが、西洋占星術もやっています。
 ただ、占いは時に、神託としか思えない程の、凄まじい当たり方をするする一瞬と言うものがあるものです。まあ、占った人にしか、分からない一瞬でしょうけれど……。
 作者様は聖霊が降りた¥u間を体験なされたのでしょうか?
 だとしたら、とてもうらやましく思います。
 それでは。
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