光速に一番近い果実
 お嬢様、お茶をお持ちいたしました。お体が温まれば寝つきも良くなりますよ。
 これは今までに味わったことのない美味しさですって? それはきっと秘密の隠し味のおかげでしょう。
 一体、何の味なのかですって? ではその説明がてら、良く眠れるようにおとぎ話をして差し上げましょう。題名は「うさぎとかめ」です。
 いえいえ、そうおっしゃらずに。聞いたことがあるお話でしょうが、少しだけ裏話があるのですよ。それは一羽と一匹が競争を始める少し前に遡ります。
 兎に足の遅さを馬鹿にされた亀は、駈けっこの勝負を挑みます。兎は自信満々でそれを受けるのですが、ここで亀がこう言いました。
「その前に、少し腹ごしらえをしないか。ちょうど果物を二つ持って来ているんだ」
「それはありがたい。腹が減っては戦はできないと言うからな」
 兎は亀から時計草の実を受け取って、大口を開けてかぶりつこうとしました。しかし、
「いや、まさか毒でも仕込んでいるのではあるまいな」
 疑わしげにそう言うと、じろりと亀を睨みつけます。
「それならば僕の分と取り換えるかい? それで文句はないだろう」
 亀は少しも慌てずに、自分の時計草の実を差し出しました。
「そうさせてもらおう。用心するに越したことはない」
 兎と亀はそれぞれの時計草の実を交換すると、あっという間に平らげてしまいました。そして、いよいよ競争が始まります。
 え? 時計草の実とは何かって? そうですね、そろそろそれを明らかにしなければお話に集中できないかも知れませんね。時計草の実とは、パッションフルーツの別名です。外側は黄色や赤色で、中には鮮やかな黄色をしたゼリー状の果肉と果汁が詰まっているあの果実のことです。それではお話の続きに戻りますよ。
 とは言っても、続きは有名でしょうね。初めは圧倒的にリードしていた兎ですが、その余裕から木陰で気持ち良く居眠りをしてしまい、その間に亀がゆっくりと兎を抜き去って、兎が目を覚ました時には既に亀がゴールに辿り着いていたというお話です。
 さてさて、少しだけ眠るつもりだった兎は何故寝過ごしてしまったのでしょうか。その理由は時計草の実にあるのです。
 お嬢様には少し難しいお話になってしまいますが、時計草の実にはハルミンという有機化合物が豊富に含まれているのです。これには睡眠導入効果があるのですが、それはつまり体内時計を遅らせているということなのです。
 噛み砕いて言えば、およそ二十四時間を一日として動いている私たちの体が、この効果によって一時的に三十時間ほどを一日として認識してしまうのです。ゆっくりとした体内時計の針が、兎やお嬢様を深いまどろみへと誘うのです。亀はもともとのんびり屋ですから、たいした影響はないのでしょう。
 そう、もうお判りですね。先ほどのお茶にはパッションフルーツの果汁が混ぜてあったのですよ。ちゃんと味見をしながら作りましたから、美味しさは保証いたします。お嬢様のお父様がまだお嬢様くらいの年頃の時には、同じようにしてお茶を淹れて差し上げたものです。そのまたお父様、つまりお嬢様のお祖父様にも同じように味わって頂きましたっけね。どれもこれも懐かしい思い出です。
 あらあら、さすがに長話が過ぎましたか。お嬢様ったら、目がとろんとして今にも夢の国へと出かけてしまいそう。お休みなさいませ、お嬢様。私は部屋に戻らせて頂きますよ。
 おっと、まだ起きておられるのですか、お嬢様。え? お祖父様が子供の頃にもお茶を淹れただなんて、嘘でしょうって?
 さあ、どうでしょう。毎夜毎晩、お茶を所望されてもされなくてもいつでも対応できるように、ちゃんと味見をして作った、私が庭の片隅をお借りして育てている特別な時計草の実のお茶を用意していたのです。
 ほらほら、早く眠らないと明日に差し支えてしまいます。何しろ、時計草の実の効果でいつもより長く深い眠りがお嬢様を待っているのですから。
 それならば、お姉さんの年は幾つなのかですって? あらやだ、私をお姉さんと呼ぶのはさすがに無理がありますよ。このお屋敷にお仕えして長いのですから、決して若くはありません。少なくとも、見た目よりはずっと。
 何よりも、女性に年を訊くのはあまり好ましいことではありませんよ。
 あらあら、いつの間にか可愛い寝息をお立てになって。
 それではお嬢様、今度こそ本当にお休みなさいませ。どうぞ良い夢を。
脳舞
2012年07月22日(日) 21時42分18秒 公開
■この作品の著作権は脳舞さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 冗長な文章の矯正目的で「原稿用紙五枚におさめる」という目標を掲げて書きました。
 ……結果は、一行分の超過。自分に甘い私です。
 タイトルは自分自身では気に入っているのですが、意味がわかりづらい気も。
 そして何よりも、本文の内容はどうなのか。短いので気軽に読めるだけが取り柄になっていなければ良いのですがどうでしょうか。

 お嬢様である貴女からも、そうでない貴方からも指摘をお待ちしております。

この作品の感想をお寄せください。
No.5  お  評価:30点  ■2012-09-04 22:12  ID:.kbB.DhU4/c
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ハルミンは、春眠かと思ったら違ったのか……違わないのか?
ども。
良くできてるなぁと思う一方、面白いかというと、うーん。
語りがじじいの執事で何がいけないのか良く分からなかった。
お嬢様の人となりが分かりにくく、かわいーとまでは思えなかった。
うぅん、そんなところかなあ。
でも、良くできた話しだなぁ。
No.4  瀬川コウ  評価:20点  ■2012-08-29 19:41  ID:Lkc7NEsUsTk
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最初語りかけから入ったのがよかったです
物語にとてもはいりやすいですね
文章を読んで特につっかかるところもなかったのですが、亀に時計草の実があまり影響がないっていうのがちょっといまいちかなーと
それと題名もなんだか話のほんわかさに比べて大袈裟すぎる気がします。
物語のどこにも光速はないんじゃないかなぁ・・・と
えらそうにいろいろすいませんでした・・・
では、また!
No.3  FK  評価:30点  ■2012-08-08 10:49  ID:9k6nD5IEsbI
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 長らく投稿していなかったので、まず少し短めの作品として読ませていただきました。こんな不純な動機で済みません。
 なかなかしゃれたファンタシーで、文章もなかなか読ませます。もっとSFらしくするなら「ほ乳類にだけ効く薬だ」とか説明が必要なのでしょうが、これは好みだと思います。
 いちばん気になったのは「光速に一番近い果実」という題名で、ファンタシーならもっとくだけた、たとえば「ウサギとカメの裏話」(これもあまりよくないな)とか「時計の果実」にしたほうがいいと感じました。
 でも、このラスト、けっこう気に入りました。
No.2  王捨文  評価:30点  ■2012-08-05 13:11  ID:zDw.Ei.W7Gs
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拝読いたしました。
ポピュラーな童話がSF風にアレンジされており、楽しく読ませていただきました。語り掛けてくるような地の文で、実際におとぎ話をしてもらっているような臨場感がありました。

惜しむらくは、やや描写不足の感があるところでしょうか。
文字数制限を設けた作品とうかがいましたが、「あらやだ」という台詞を聞くまで語り手が男性だと思い込んでしまい、多少混乱してしまいました(私の先入観も手伝っているのでしょうが)。
とはいえ、少ない文章量のなかで物語を完結できる構成力は素晴らしいと思います。
No.1  星野田  評価:20点  ■2012-07-30 01:39  ID:p72w4NYLy3k
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こんにちは。時計草ってなんか、ときめく言葉の響きがありますね。
コメントに習作とあるのでちょっと辛めの感想を。

 読みおわって、この作品の目指す所がよく分からないなあ……という感想をいだきました。読了後にタイトルを見て、ようやく何となくだけど作品のしたいことをつかめたような気がします。

 科白形式で進むのはいいのですが、この手のタイプの場合、科白によって風景を描写するのも大事だと思ったりもします。
 例えば冒頭の一番最初に「お嬢様、まだ眠れないのですか?」と前置きを入れるだけでも、そのシーンの風景を脳内で保管するためのキーになる気がします。眠りに付く寸前に「さあお嬢様、お布団にお入りください」と言わせてみたり。話の中での動きは「お嬢様眠れない、侍女お茶を出す」「侍女話を始める」「お嬢様、疑問を浮かべる」「お嬢様、眠ってしまう」だと思うのですが、それぞれの区切りに、それぞれの動きを思わせる文章をもっと入れたほうが、風景を楽しみながら話を追える気がしました。お嬢様がいつの間にか布団に入っていたり、光速に近い動きをしている・・・!(?) 一方で、パッションフルーツの構造の話(外側は黄色や赤色で)については、なぜその説明を詳しくしたのかw

あと細かいツッコミですが、
・「ゆっくりな亀の時間が更に伸びたら、むしろ兎よりものんびりになって不利じゃね?」という気持ちもしなくはない。実際どうとかはさておいて、そういう気持ち悪さを一瞬感じました。
・「そう、もうお判りですね」という言い方が、目上の人間の言い方みたいで、この二人の関係性に相応しくないような? まあこの侍女にとってお嬢様は曾々孫みたいなものだし、ある意味適切なのかも知れないけど・・・
・「毎夜毎晩、お茶を所望されてもされなくてもいつでも対応できるように、ちゃんと味見をして作った、私が庭の片隅をお借りして育てている特別な時計草の実のお茶を用意していたのです。」これ、冗長な文章だと思います(笑)。
・「あらあら」とか「そろそろ」とか、そういう言葉がおおいのが個人的にはちょっときになる。

 ってかんじでしょうか。なんか頓珍漢なことも言っているかも知れませんが、見逃してください。
 五枚でまとめるのは難しいですよね。でも次は500文字でまとめてみると、5枚のありがたさが分かったりするかも・・・!(ぇ
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