潜脳
 秋も終わり。
 このところ風が冷たさを増していた。気まぐれな秋空は、今は晴れ渡り、透明度の高い青色をたたえていた。上空は風が強いのか、雲がちぎっては集まり、一時(いっとき)として形をとどめない。めまぐるしく変わってゆく雲が空を流れる。
 冬が近いことを予感させるような空模様だった。
 少年は第二ボタンまで外していた黒い学ランのえりを整えて寒さに耐えた。
 ほっそりとした少年だった。十七歳にしてはやや小柄で、加えて女性的な顔立ちをしていたが、可愛らしいという印象はない。目つきが鋭く、見た者の心を見抜くかのような強い視線を持っているため、多くの人は触れることさえ恐れるだろう。銀ぶちの眼鏡をかけていることによって、その印象はいっそう強かった。
 少年は、ずれかけた眼鏡を薄手の白手袋に包まれた手で直し、廃墟となって久しい病院の敷地(しきち)を訪れた。
 かつて白かった外壁は風雨と年月によって灰色になり、ここが病院であった印象を奪っていた。ほとんどの窓ガラスは割れ、風が好き放題に入り込む。少年の歩みに合わせるように屋内に入り込んだ砂利が鳴く。
 廃病院に入って間もなく、物陰から少年に声がかかった。
「田上レイキ、だな?」
 起伏がなく、感情を感じさせない声だった。
 少年――レイキは、驚いた様子もなく、声のした方向に向いた。
 三十代と思しきスーツ姿の男性が立っていた。地味な風貌(ふうぼう)に地味な服装。意図的に個性を消した没個性(ぼっこせい)を放っていた。
 はい、とレイキは淡々とうなずいた。
 ついてこい、と男性がレイキをうながす。
 レイキは手術室と思しき場所に案内された。薄暗く、微かな光の中でほこりが舞っていた。
 手術台の上には拘束衣を着た少女が座っていた。歳の頃は十代半ば。髪は透き通るような色合いの薄い金髪だ。口には卓球玉くらいの大きさの球体をくわえさせられ、そこからは唾液がしたたっていた。半眼に開かれた目は透明度の高い青色だった。白人だろう。
 少女のとなりには、黒いスーツを着た大人の女性が立っていた。レイキの知った顔だった。女性の名前はユネ。まるで人形のように整った顔立ちは、二十代半ばにして妙に落ち着いた雰囲気をまとっていた。腰までまっすぐに伸ばされた黒髪がその印象を強めていた。そういった人形のような印象に反して、強い意志を感じさせる鋭い視線をレイキに向けている。
 ユネは美しい。
 しかし、その美しさは人を安心させるたぐいのものではない。どこか魂の暗さを漂わせていた。明るい場所から隠れるように闇を養分にして咲く花があるとすれば、きっとユネのように暗く美しいに違いない。
 ユネの右手にある細い葉巻からは、相変わらずチョコレートの甘い香りがしている。それはレイキと出会った頃から変わらないユネの癖。
 ユネは少し微笑んでみせた。
「レイキ君、来てくれてありがとう。さっそくだけど、やってもらいたいことがあるの」
「この女の子に潜ればいいんですか?」
「そう」とユネはうなずく。「この子の仲間が潜んでいる場所を探って欲しい」
「分かりました」
 レイキは、自動的に触れた相手の心を読むことを避けるためにはめている白い手袋をはずし、拘束衣を着た少女の頭に手を置いた。
 潜脳(せんのう)。
 レイキは、少女の脳で構成されている霊子のネットワークにアクセスする。
 霊子とは四つある素粒子の番外。人の心を構成する仮想粒子。現在、霊子理論によって人の心への理解は急速に進んでいた。否定的に見られていた超能力は霊子理論によって見直され、能力者たちの育成が始まった。
 触れるだけで人の心が読める者たちは、レイキのように政府に重宝され、さまざまな分野で活躍している。
 レイキは少女の深層を目指した。薬を飲まされているのか、少女の心はクリアではなく、ノイズが多かった。シナプスの伝達効率が低下している。レイキは途切れそうな霊子の流れに乗って心奥(しんおう)に入り込んだ。
 フラッシュバック。
 映像が目まぐるしく切り替わってゆく。少女の記憶たち。少女はテロリストだった。重力子という素粒子によって制御される核融合炉への破壊工作のために日本に潜入した工作員の一人。
 港が見える。夜、小銃をたずさえた男たちが見守る中、木箱が小さな漁船から次々と降ろされてゆく。
 その埠頭(ふとう)の場所は――。
 レイキはそこで接続を切っても良かった。ユネに頼まれたことは十分に果たしている。しかし、レイキは少女のことが気になった。この少女をテロに駆り立てるものは何か。それを知りたかった。
 レイキはさらに深部へ進む。
 少女の原風景にたどり着く。
 そこは戦場だった。たそがれのように妙に明るい空の下、乾いた銃声が響く中で、道路のわきで擱座(かくざ)する戦車の横をすり抜け、少女はドラグノフ狙撃銃をたずさえて教会の尖塔に登る。四倍スコープを通して戦場を見通す。トリガーに指をかける。
 轟音(ごうおん)。
 七・六ニミリ弾を食らって目標である歩兵が倒れる。少女は次々と敵を撃ち倒していった。十発撃ったところで少女は、場所を変えることにし、素早くマガジン(弾倉)を交換しながら次の狙撃地点へ走った。
 その途上でレイキは少女を待った。
 少女はドラグノフ狙撃銃をレイキに向ける。
「貴方は誰?」
 少女はいつでも撃てるという意思を示した。
 けれど、本当にいつでも撃てるなら最初から撃っているはず。
 それは少女の優しさを表していた。
 レイキは静かに語りかける。
「僕は敵じゃないよ」
「でも味方でもない」
 と少女はトリガーにそえた指に力を込める。
 味方ではない者は敵。そんな単純な世界で少女は生きていた。それはとても悲しいことだとレイキは思う。白でも黒でもなく、世界は灰色だ。そんなあいまいな世界でも生きてゆかなければならない。それでも希望はある。自分たちは今、生きている。生きているなら、いくらでもやり直せるはず。
 レイキは少女のほおに手を伸ばした。
 少女はびくりと身を震わせた。
「撃つわよ」
「撃てないよ。君は優しい人だから」
 とレイキは少女のほおをそっと撫でた。肌と肌が触れ合う。接触することでレイキは自分の心を少女に伝えた。純粋に少女を思う気持ち。それが少女に手を通じて伝導する。そんな気持ちで接してくる人は少女にとって初めてのことだった。
 心の底では求めていたものが少女の目の前にある。
 少女のほおに涙がつたう。
「僕はレイキ。君の名前は?」
「……ソーニャ」
 世界が一瞬にして切り替わった。
 戦場が消え、春の野原が展開された。そよ風に乗って、花びらが舞い散り、心地よい香りを漂わせる。それがソーニャの本当の原風景。きっとソーニャの故郷ではこのような光景が親しまれていたのだろう。
 ソーニャは戻ってきた。
「おかえり」
 とレイキはソーニャの帰還を心の底から喜んだ。

 レイキは接続を切った。
 現実世界に戻ってきたレイキは潜伏場所をユネに告げる。
「分かった。ありがとう」
 とユネは礼を言うやいなや小型拳銃を取り出した。かちり、という安全装置をはずす冷たい金属音が閑散とした廃病院に響いた。
 銃口がソーニャに向く。
「やめろ!」
 とレイキはユネとソーニャの間に割って入った。
 両腕を開いて、せいいっぱいソーニャを守る。
 ユネは拳銃をかまえたまま、けげんそうな顔でレイキに尋ねる。
「どうして邪魔をするの?」
「テロリストだからって殺すなんてどうかしてます! 裁判にかけるべきです!」
「どうせ死刑になる。私は裁判の手間を省こうと思っただけ」
「貴方、本当に刑事ですか!」
 しばし無言で視線を交えるレイキとユネ。
 レイキのひたいから汗が流れ出した。レイキが緊張するのも無理はない。現実世界で銃を突きつけられるのは初めてのこと。沈黙がつらかった。ユネは自分もろともソーニャを撃つつもりだろうか。レイキには分からない。それでもソーニャを守らなければ、とレイキは思った。今さっき知り合ったばかりではある。けれども心を確かに交わした。それを無駄にはしたくなかった。
 レイキが沈黙に耐えられなくなった頃、ユネは銃をスーツの内側にあるホルスターにしまった。
「気分が削がれた。希望通り、この子は裁判にかけさせてあげる。それでいい?」
「ええ」とレイキはうなずいた。
「正義感が強いのね。人間嫌いのくせに」
「僕は……」
 僕は、本当は人間を信じたいんです。
 そんな言葉をレイキは飲み込んだ。

 その後、ソーニャは終身刑を言い渡され、刑務所に収監された。
 レイキは毎週のようにソーニャのもとに通った。
 限られた時間、狭い面会室で、防弾ガラス越しにレイキとソーニャは言葉を交わす。それは二人にとって何よりも大切な時間になった。
 レイキは皮膚ではなく言葉で心を伝える術(すべ)を探した。
 ふつうの人間に戻ったような気分だった。
 いつしか、レイキは手袋をはずすようになっていた。
クジラ
2013年04月03日(水) 21時21分07秒 公開
■この作品の著作権はクジラさんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
練習用の短編です。

この作品の感想をお寄せください。
No.2  クジラ  評価:--点  ■2013-04-06 22:34  ID:1uvxQElyDno
PASS 編集 削除
ご意見、もっともだと思います。
感想ありがとうございました。
No.1  卯月燐太郎  評価:30点  ■2013-04-03 22:48  ID:dEezOAm9gyQ
PASS 編集 削除
「潜脳」読みました。

一応、起承転結というか、短い作品でしたが、話の筋は通るように書かれていました。
超能力者のレイキがテロリストの心を読むことや、仲間であるべきの、刑事らしからぬ者との対決やら。
だけど、話に背景がないので、もう一つ面白くありません。
作者は背景を描いていると思っているかもしれませんが、背景が薄っぺらいです。

これはさらりと表面を描いているから「だけ」ではないでしょうか。
わかりやすく言うと、ストーリーに少し色付けをしたという感じかな。
短い作品の中にいろいろな物を整然と書き込んだ結果の作品と思いました。
主役のレイキにしても、人物を掘り下げてほしいですね。
文章自体は、書きなれていると思いました。
この作品を膨らますと面白くなると思います。
以前テレビで「外事警察」というのを観ましたが、公安とテロとの戦いですが、緊迫感があり、面白かったです。
そういった作品と御作を比較するとやはり練り込みが足りません。
一つ一つのエピソードが足りないのですよね。
総レス数 2  合計 30

お名前(必須)
E-Mail(任意)
メッセージ
評価(必須)       削除用パス    Cookie 



<<戻る
感想管理PASSWORD
作品編集PASSWORD   編集 削除