千の音
 闇が広がり、空を覆っていた。その闇の中で焚火が一つ燃えていた。旅人はまだ起きていた。周囲の闇に対する本能的な不安から寝付けなかった。どこからか少し風が吹いてくる。だが吹く風は冷たく、小刻みに震えた。森は深く、黒く非常に不気味だった。
 やって来た時、森は人の味方だと思っていた。だが旅人は今、それにからかわれた様に怯えている。音がかすかに聞こえてきた。今まで気にも留めなかったのだが突然、はっきりと聞こえた。森全体が一定のリズムで動いていた。森は深い秘密を隠しているように思えた。周囲を木が取り囲んでいた。地面は草や枯れ葉に覆われてあまり見えなかった。こんな気持ちになるのは初めてだった。温かい家でくつろいでいる間には感じることのなかった感覚が旅人を襲っていた。それは不意に襲ってくる見えない矢のような鋭い恐怖心だった。
 また音が聞こえた、だが今度は生物の気配があったように感じた。この森に何か危険なものがいるということを、旅人は聞いたことがなかったが、奇妙な音を出す生物の情報も聞いたことがなかった。音はガラスが割れるのに似ていた。あちこちで音が響いた。旅人は瞼をパシッと開いて周囲を見た。木々の間をすり抜けるように走る影が見えたように思えた。音はだんだんと近づいてくる。
 旅人はそばにあった松明を持って走り出した。できるだけ音のする側から遠くに走った。木々の間を旅人もまた駆け抜けた。いくつもの影が旅人を狩りをするときの獲物のように集団で彼を追い詰めていった。やがて彼が選んだ方向の先に開けた土地があった。そこには生い茂る森はなく、中央に一本の木があるだけだった。彼の背後の影はその瞬間にはもう消えていた。中央にある木がなぜか旅人にとって味方のように思えたのだ。旅人は木に向かって歩いた。立ち止り、そして、見上げた。
 だがそこにある木は普通の物ではなかった。幹や枝、葉に至るまで鋼鉄の、震えあがるような恐ろしい物だったのだ。それが地面から鋼鉄でできた根を突き出し、旅人を捕えた。彼はやっと木が捕食者であることに気が付いた。すでに手遅れの状態だった。旅人の正面にある鋼鉄の幹の表面に目が現れた。木は旅人の悲痛な表情を見たが、まるで何の反応も起こさなかった。ただ木は旅人を締め上げる鋼鉄の根をより強く捻じっただけだった。
 木の根元に穴が現れた。穴は黒く相当な深さがありそうだった。穴の中から無数の小さな恐ろしい叫びの集合体があふれだした。怪物は旅人の絶望の叫びの声を聞きながら旅人を穴に放り込んだ。だが、旅人の張り裂ける叫びなどは鋼鉄でできた無機物のような怪物の意識の一点にものぼらなかった。この怪物は今までにどれだけの生物を食べたのだろう。旅人は無数の、不運にも捕まったうちの一人でしかなかったのだ。旅人の終わりは無数の悲劇の中の一点でしかなく、怪物にとってそれは何の価値もない物であった。
黄泉
2015年10月28日(水) 18時39分05秒 公開
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No.5  黄泉  評価:0点  ■2015-11-04 16:54  ID:fS43f89H6ho
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ゆうすけ様
怪物の描写のヒントや、恐怖の引き立て方など、たくさんのアドバイスありがたいです。
違和感のあった箇所などはとても参考になりました、ありがとうございます。

通りすがりです様
なるほど語尾をまとめるですか、そこまで配慮できなかったです。貴重なご意見ありがとうございます。
No.4  通りすがりです  評価:20点  ■2015-11-03 15:12  ID:W.SanRdNWms
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 面白い文章だなと思いました。
 あくまでも個人的な好みだと
「中央にある木がなぜか旅人にとって味方のように思えたのだ」は
「中央にある木がなぜか旅人にとって味方のように思えた」
「幹や枝、葉に至るまで鋼鉄の、震えあがるような恐ろしい物だったのだ」は
「幹や枝、葉に至るまで鋼鉄の、震えあがるような恐ろしい物だった」
「旅人は無数の、不運にも捕まったうちの一人でしかなかったのだ」は
「旅人は無数の、不運にも捕まったうちの一人でしかなかった」
「怪物にとってそれは何の価値もない物であった」は
「怪物にとってそれは何の価値もない物だった」
 という感じに語尾をひとつにまとめてくれていたほうが良かったです。
「〜だったのだ」と書かれると、そこだけ今まで読んできた感じから、変に違うところに運ばれてしまうように感じました。
 あくまでも私の個人的な感想なのですけど。
No.3  ゆうすけ  評価:30点  ■2015-11-01 13:14  ID:4xqmDqxi.sE
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拝読させていただきました。

森に潜む怪物の恐怖を描いていますね。食虫植物が虫をおびき寄せて捕食するような感じでしょうか。物音によって追い立てられるようにしてくるわけですが、ここは餌でおびき寄せる方が、最後に食われることとの段差が大きくなって面白いと思います。魔法の国ザンスの触手木みたいになりそうですけど。恐怖は、恐怖から逃れたり安心しているときに急襲されてこそ引き立つものだと思います。
鋼鉄の木に違和感を感じました。鋼鉄だと硬くて無機質なイメージがします。脈打つ不定形のぶよぶよしたどす黒い…クトゥルー神話だとこんな感じですね。
文字数制限なしで書いているのなら、怪物の描写と、旅人に感情移入させるための感情描写を足した方が、物語世界に入り込めると感じました。
No.2  黄泉  評価:0点  ■2015-10-31 17:29  ID:fS43f89H6ho
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非常に高く評価して頂き光栄です。
短い文章のわりにとても時間がかかったのでその甲斐なのかなと思います。嬉しいですが、まだ初心者で手慣れているわけではないと思います。
確かにご指摘いただいたように矛盾がありますね。
次からは気を付けて書きます。
No.1  土門  評価:50点  ■2015-10-31 12:03  ID:o7hllq9AgaY
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表現が多彩で、手馴れた方が書いた文章なのだな、という印象を持ちました。
ストーリーもしっかりとしているのですから、もう少し話を膨らませて(なぜ旅人はそこにいるのか、など回想を加えて)いけばより厚みのある話になるのではないかな、と思います。
それと、一つ気になったのは

温かい家でくつろいでいる間には感じることのなかった感覚が旅人を襲っていた。それは不意に襲ってくる見えない矢のような鋭い恐怖心だった。

と言う部分ですが、旅人ですからいつも家にいるわけではないでしょう。その感覚が始めて、ということに私は若干の違和感がありました。

話自体は、しっかりとしていると思います。より深みを持たせれば、更に読者をひきこませられるのかな、と思いました。
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