腕時計の妹 |
ありきたりな話だ。高校に忘れ物をしてしまったのだ。妹の形見の腕時計。寝るときも、風呂に入るときも、いつも肌身離さず持っていた。理由は、妹が死ぬ直前のある出来事。 病院の一室。静寂だけがあたりを支配していた。照明はあるのに、俺の目に映るのは、どんよりとした暗い闇。 「お兄ちゃん。今日、誕生日だよね」 「そう……だな」 遠い目をした妹はつぶやくように言い、俺はそれに答える。 「去年、お兄ちゃんのために買った腕時計があるんだよ。喧嘩して渡せなかったけど」 そうだ。去年はほんの些細なことが原因で仲違いしてしまったのだ。 「今、ちょうどいいかなって思って」 妹は細くて震えている手で時計を差し出す。俺は丁寧にそれを受け取る。 「ありがとう……」 妹は弱弱しい笑みを浮かべる。 「私、お兄ちゃんのこと、結構好きだよ。もちろん、兄妹として、だけどね」 「あぁ……」 俺は、嬉しいような空しいような、そんな気分になる。もう長く無いことは、医者から知らされていた。 「元気出して。私が死んでも、私の魂はその腕時計の中にきっと宿るから。だから、壊さないように、大事に、肌身離さず持っていてね」 一呼吸して、妹は言う。 「それが私の遺言」 妹は一生懸命話しすぎたのか、疲れ、ぐったりとしているようだった。 妹は、この三日後に息を引き取った。 俺はそんな大切なものを学校に忘れてしまった。言い訳だが、理由はある。俺の通っている学校は校則が厳しく、腕時計をつけるなど、言語道断だった。だが、普段は腕時計など、制服に隠れて見えない。しかし、今日は特別だった。抜き打ちの身体検査。俺は、丁寧に腕時計をはずし、机の奥に入れた。これがまずかった。 無事に終わったあと、俺は腹が痛くなり、トイレに駆け込んだ。そして、腕時計のことは忘れたまま、帰宅してしまったのだ。気づいたのは、風呂に入るとき。 俺は急いで、服を着なおし、家を出て、学校に向かった。街頭の光が俺を照らす。永遠に続くかと思えるほど暗く、冷たい夜道。途中、前方から足音が聞こえる。音はだんだんと大きくなる。 ――ねぇ。 声が聞こえ、立ち止まる。静かな夜道では、小さな女の声がよく響いていた。声の主が近づいてくる。姿が見える。 少しうつむいていたので、顔は見えない。 ――君、もしかして。 何を言っているのだろう。俺は不可解に感じると同時に恐怖を感じる。俺は走り出し、彼女の横を通り過ぎだ。 ――ちょっ、ちょっとまって。 なんだ。幽霊ではなさそうだ。俺は落ち着いて、振り返る。――瞬間。女の顔が眼前に出現する。暗い表情。くぼんだ目。お世辞でも美人とはいえないその顔。だが、見覚えはあった。 「なんだ、どうした井上」 クラスメイトの井上。暗くて不気味と恐れられている。噂では夜道を歩くのが趣味らしい。いや、もう噂ではなく事実だが。 「いや、歩いていてクラスメイトに出会うのは初めてだから、どうしたのか気になって」 彼女はイメージとは違い、小さな声で饒舌に話している。 「というか、人と会う前にたいてい逃げられちゃうのよね。私ってほら、暗いから」 ぼそぼそとして聞き取りづらいが、恐怖は感じなかった。当然。 「で、どうしてこんな夜道を走ってたの? もしかして私と同じ趣味?」 「いや違う」 俺は即答する。そして、続ける。 「学校に忘れ物をした。取りに行く途中だ」 「こんな時間に? よくそんな気になるね。あぁ。一つ忠告してあげる。うちの学校って昔、殺人事件の現場になったことがあるんだよ。その呪いで不可解な死を遂げた生徒もけっこういるんだよ。それも、私たちのクラスの近くで。確か、三組だったと思う。ふふふ。面白いなぁ」 俺はそれ以上に妹の腕時計をはずしたまま、呑気にクラスメイトと話をしているこの事実に、恐怖を感じていた。 「悪いな。どうしても大事なものなんだ。早く行かないと」 「え、ちょっと待って。どうしても大事なものって何? 気になるんだけど」 俺は黙って、走り出す。こんな奴に構っている暇は無い。妹は、そんな暗くて、昔殺人現場があったかも知れない場所の近くで、一人、針を鳴らしているのだから。 「分かった。私もついていく。いいでしょ?」 となりに並ぶ井上。走るの速すぎ。 学校は不気味だった。まるで要塞のように、黒く、恐怖という名前を借り、俺を阻んでいた。 「行かないの?」 そうだ。行かなければならない。妹はもっと怖い思いをしているに違いない。 「あぁ。行こうか」 こいつがついてきてくれて本当によかった。学校は予想以上に怖い。 下駄箱で鳴る、竹馬が歩くような音は、俺を少し怖がらせた。無駄に響く音。 「君、びびってるよね。あんなに強気だったのに」 愉快そうな声を出す井上。お前だけが頼りだ。もう怖い。 俺たちは靴を脱ぎ、一階の教室に向かう。 玄関を出て、右側に続いている通路を歩く。廊下は、長く長く、先が見えない。緑色の非常口の明かりだけが、その暗黒を照らしていた。懐中電灯でも持ってくればよかった。少し歩いていくと、一つ目の教室が右手に見える。音はしない。足音だけがやけに響く。二つ目の教室を通り過ぎようとしたとき、音がする。少し離れたところから。俺たちの教室である四つ目の教室あたりから。机が揺れるような音。俺はちょっとしたパニックになる。心臓が飛び出そうだ。胃が小さくなるのを感じた。 「や、やばいよね」 さすがの井上でも怖がっているようだった。俺は井上の声が予想以上に廊下で響いていたことにまた、恐怖を感じていた。 「ど、どうする? 帰る?」 いや。だが、妹を置いて帰るわけにはいかない。 「い、行くぞ」 俺は決死の思いで言う。だが、井上は裏切る。 「わ、私はまだ死にたくないから。じゃ、じゃあね」 すごい速さで逃げていった。足音が響く。響く。そして、消える。本当の静寂。俺が足を前に出そうとした刹那、また、音が聞こえる。ガタガタと何かを探すような音。俺は勇気を出し、教室に向かう。 三つ目の教室を通り過ぎようとしたとき、隣から、水が落ちる音がする。蛇口は近くには無い。だが、三つ目の教室に用は無い。そうだ、俺は妹を取り返して、帰るのだ。 後ろに気配を感じるが、無視する。恐怖という感覚に対して、少し麻痺しているようだった。 ついに四つ目の教室の前にたどり着いた。何かを考える前に扉を開け、電気をつけようと心に決める。が、音が鳴り、扉にかけた手を止める。ガタガタと、揺れる、音。続いている。少し、止まる。俺は覚悟をして、扉を開ける。そして、音の正体を見る前に、横にある電気のスイッチをつける。 パチッと音が鳴り、電気がつく。目の前には、一人の男が机の中を探っていた。 「あ、そうか。電気つければよかったんだ」 「な、中村ぁ」 俺はその場にへたりこむ。危うく失禁しそうだった。広がる安堵。こいつはクラスで一番のおっちょこちょい。電気があるのを忘れて、暗い中、探し物をするくらい。 「お前も忘れ物か?」 中村が呑気な声で聞いてくる。 「あぁ。そうだ」 俺は立ち上がり、自分の机の中を探る。あった。腕時計。俺の妹。 中村は、その手に小さい人形を持っていた。俺がそれを不思議そうに眺めると、言う。 「あぁこれか? 可愛いだろ。となりの教室で拾ったんだ。引き出しに入れたまま持って帰るの忘れてさ。このままだと可哀想だろ?」 学校のものを当然のごとく私物化する男。そしてその人形は可愛いというよりかは怖い。目が、怖い。 「お、おう。じゃあ帰るか」 「そうだな」 俺は電気を消し、教室を出る。俺はもう廊下が怖くは無かった。中村より先に歩く。扉が動く音がする。中村が閉めた音だろうと思う。 ここまで考えて、不思議なことに気づく。音は前方からも聞こえてきた。俺は立ち止まり、後ろを向く。驚いた表情を隠せない中村。 「お前。後ろ――」 俺は振り向いた。 |
掌
2014年02月23日(日) 12時24分49秒 公開 ■この作品の著作権は掌さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.3 游月 昭 評価:20点 ■2014-05-05 20:46 ID:MTrRusuO86M | |||||
こんばんは。 小説昨日からの超初心者ですが、読ませて頂きます。批評させて頂きます。 冒頭(質問:小説でも初連と言っても良いのでしょうか)の理由とは、無くしたことか、あるいは、肌身離さず持っていることかが曖昧です。 二段落目(こう言った方がいいですかね)の冒頭は、良い感じのようにも見えますが、静寂「だけ」に「暗い闇」が加わってます。 細かいことはこれくらいにします。 スリラーと思わず読んでいたので、だんだん感じてくる恐怖が心地良かったです。 ラスト、唐突で繋がりがなく、インチキな恐怖映画みたいです。 超もったいないのは、不可解にも死にたくないと帰ってしまった女の子をラストに使ってないこと。 怖いなら男にしがみつく筈が、何故か帰る。これを利用しない手はない!と思います。 中村に言われて振り向こうとした時、その女性の特徴である、こもっているが響く声、足元に異様にのびた長い髪の毛先(←これは記述されてないですが) そして、更に脚色として、ハサミの音、とか。 ラストに姿を見せないのは良い手法だと思いますので、中村が指差したものが何であるのかを仄めかすものが欲しい! あ、妹を登場させても全編に繋がって良いですよね。 ラスト振り向いたらな〜んだ先生、やべっ!みたいなつまらないオチにしないために。 もっと怖がらせましょう! では。 |
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No.2 クジラ 評価:20点 ■2014-03-07 14:45 ID:52PnvSC7.hs | |||||
描写が足りないと思いました。五感を基本とする情報を付け足して行けば、怖さを演出できるのではないでしょうか。 | |||||
No.1 時雨ノ宮 蜉蝣丸 評価:20点 ■2014-02-25 15:00 ID:ODqnD6yJvJA | |||||
こんにちは。読ませていただきました。 うぅん、どう言うべきなのでしょうか……。とりあえず思ったことを書かせていただきます。 ぶっちゃけ、妹さんの腕時計の位置がわかりません。大事な形見、というのはわかりますが、それがどのように物語に干渉しているのか、描写も説明も無い状態で理解するのは困難です。たとえば、遺言に背き時計を忘れた兄を咎めに化けて出るとか、井上さんの言う殺人事件被害者の亡霊に遭遇、絶体絶命のとこで腕時計の妹さんに助けられる……とか。ありきたりと言えばそうですが、ホラーって結局、ある程度わかりやすくないと、怖がる前に頭使って面白くなくなってしまうんです。 あと、井上さんと中村さんの登場が中途半端すぎます。どうせならがっつり出してあげてください。最後も同様、尻切れ蜻蛉状態です。後味の悪さと中途半端は違います。 好き放題書きましたが、修正すればきっと、正統派ホラー小説になると思います。なので期待も込めてこの点数で。 すみません。ありがとうございました。 |
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総レス数 3 合計 60点 |
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