季節はずれ

 今日は五匹見つけなければ。
 僕は団地の真ん中にある砂場の傍で獲物を必死になって探している。季節は秋、十月末になったけどまだ夏の名残が残って暖かい。先週ここで遊んだときにはいっぱい這っていたのに。いまでは見つけ出すのに苦労をしている。
 もう隠れてしまったのだろうか、僕は焦る。深い地中に潜ってしまったならどうしよう。ほじくりかえしてでもそいつらを捕まえて踏み潰さないと、僕の気持ちは口惜しさに押しつぶされてしまう。それがストレスだと知ったのは近所のお兄ちゃんが話していたのを聞いたときだ。
 でも、それを知っても何の役にも立たない。出口を見つけられない怒りは僕の脳みそをぐちゃぐちゃにして谷底へと引きずり落とす。そうなると最悪だった。
 あばら骨の下にある筋肉が強張り、真ん中辺りに硬いしこりが出来ている。胃は風船のように膨らみ上へ上へと持ち上がる。すると胸が詰まり息が出来なくなって苦しい。このまま死んでしまうかもしれない、僕は恐怖のあまりパニックに陥ってしまう。
 もう時間はない、息苦しさがじわじわと胸を圧迫している。早くしないと、出てこい、出てこい、僕ははいつくばってじっと目を凝らした。
「マモルちゃん、なにしているの?」
 遊び仲間のヒロチャンがいつの間にか背後に立っていた。幼稚園ではいつも僕にくっついて離れない。僕が「おしっこ」と言うと、マモルちゃんも「僕も」と手を上げる。オヤツの時間もいつも僕の隣の席。すこしウザイけど、僕の子分だから大目にみている。
「探しものだよ」
「ふーん、何かを失くしたの?」
 失くした?
 ううんまだ失くしてはいない。でも見つからなければ僕はきっと正気をなくすのだと思う。
「教えてくれたら、僕も一緒に探してあげるよ」
「そう、じゃあ蟻を見つけてくれる」
「蟻? どうして?」
 ヒロチャンが不思議そうに見つめる。
僕はどうしようか迷った。探している理由を言えば、きっとヒロチャンは自分のお母ちゃんにお話するだろう。そうすればヒロチャンのお母ちゃんが近所に言いふらすに決まっている。ヒロチャンのお母ちゃんは話好きで有名だもの。有馬のニュースキャスターといわれている。僕のお母ちゃんが隣のおばさんとそんな話をしていた。有馬というのは僕が住んでいる団地の名前だった。
 その結果僕はまたたくさんの蟻を探さなければならない羽目になる。
「言えない」
「どうして言えないの?」
「それは……」
 僕が悪い子だからだと話さなければならない。
 今日も幼稚園から帰ってくると、僕は冷蔵庫の中のジュースを取り出して飲んでいた。するとお母ちゃんが急に怒った。
「何をやってるの、このボケが」「ちゃんと人の話を聞きなって言っているだろうが」お母ちゃんはそう言って僕を打つ。そんなときのお母ちゃんは鬼のようで怖い。使うのは一メートルほどのよくしなる竹だった。それも打つのは背中や太もも、決して他人の目に触れる場所は叩かない。お母ちゃんは「見えたらみっともないからね」と口にする。
「ごめんなさい、いい子にします」
 泣いて謝る。
 だが、お母ちゃんは、
「泣いても駄目だよ。いいかい打つのはおまえのためだから」と許さない。
 でも僕は良く分からない、どんな悪いことをしたのか。お母ちゃんも何も教えてくれない、それは僕がまだ小さな子供だからだと思う。
 今日も五回打たれた。身体中がひりひりと痛み熱っぽい。だから僕は五匹の蟻を見つけて踏み潰さなくてならない。風船のように膨れ上がったストレスに押しつぶされる前に。でも寒くなって蟻が見つからなかったら何を探せばいいのだろう。急に不安が押し寄せてくる。他にって言っても、僕は顔を上げると辺りを見回した、近所のおばさんが犬を散歩に連れて行くのが見える。黒猫が暇そうにゆっくりと芝生を横切っていく。僕の目は猫の後ろ姿を捉え姿が消えるまで追いかけた。身体が熱くなる、「そうだよ、あれなら」と僕は呟く。
「ねえ、教えて」
 僕は頭を振った、言ったら、ヒロチャンは他の子にも言いふらすに違いない。僕が悪い子だと分かったら誰からも相手にされない。ヒロチャンだって僕を嫌いになる。古文を止められたら困ってしまう。一人で遊ぶのって詰まんないし、そんなのお断りだった。
「ヒロチャンは悪い子じゃないの?」
 僕は話題を変えた。
「僕? 良い子だもん」
「じゃあ、お母ちゃんに打たれたことないんだ?」
「無いよ、マモルくんは?」
「もちろん……僕だって良い子だよ」
「知っている、信人君悪い子だって」
 信人君は同じ団地の三階に住んでいる、僕たちより一つ年上の今年小学校に入学した子だった。いたずらっ子で、三階のベランダからペットボトルの水を撒いたり、ゴミを平気で投げたりしていると評判だった。
「じゃあお母ちゃんに打たれているんだ」
「ううん、そんなこと無いって」
 嘘だと思った。一度信人君が棒切れを持って何かを懸命に叩いているのを見ている。あれはきっと信人君も蟻か他の虫を潰していたのだ。僕と同じように打たれた口惜しさで、すーっとしたいと思っている、でなかったらきっと気が狂っちゃうもの。僕は蟻のお陰で平気でいられるのだから。
「あ、居たよ、いっぱいいるよ」
 ヒロチャンが得意そうに言う。
 僕は五匹摘まむと、指先で捻り潰した。それでも飽き足らない、さらに僕は何匹もの蟻をつかむと、何度も何度も踏みつけた。ヒロチャンが怯えたような顔で僕を見ている。僕は胸の痞えが取れると、「もう平気だよ」とにっこりと笑った。


 僕は中学の一年生になった。僕の中では染み付いた習慣が根を張って伸びている。息が詰まり呼吸困難になるのはますますひどくなっている。
 お母ちゃんが今日も癇癪を起こした。
「全くどうしようも無い子だね、お前は」
 まだ青竹は健在。僕はズボンの上から青あざの残る太ももをさすった。痛みは残っているが胸の痞えは消えている。
目の前には僕が通った幼稚園の黄色の帽子が落ちている、まだ新しく綺麗だ。茶色に湿った土の下から僅かに覗いているのは小さな古い靴。僕はそれを蹴飛ばした。白っぽい棒状のものが顔を出す。
 誰かが見れば、何だろうと掘り返すかも知れない。僕は念のため土を被せ踏みつける。今は冬、もちろん蟻は見つからない。代わりを物色したが団地のペットはとっくに姿を消してしまっている。だから僕は手ごろの……
 仕方なかった。
 遠くからヒロチャンの僕を呼ぶ声。
 僕は手にしたスコップを叢に隠す。「ここだよ」と枯れたススキを抜けるとヒロチャンに向かって走った。気持ちはすごく爽やかだった。
 きっと明日の新聞に出るかも知れない、「又も幼稚園児殴られ帽子と靴が盗まれる、犯人の目的は?」
 了

なんやかや
2013年07月07日(日) 20時24分11秒 公開
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No.2  高尾 椿  評価:30点  ■2013-08-15 13:04  ID:0ZVYKmW6SXo
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拝読いたしました。
とてもコワイお話ですね。実際にありそうで、それを淡々と語る子供。虐待という文言を使わずに読み手に想像させる、上手いです。
ラストはてっきり殺害してしまっているのかと、勝手に思ってしまいましたが、そこは作者の方の良心なのでしょうか。
No.1  お  評価:20点  ■2013-07-09 02:10  ID:.kbB.DhU4/c
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素直な子供らしい語りで、かなり際どいことが書き込まれていて、現代の世情をみるに現実にもありそうで、その分だけ、ぞっとさせられました。
一方、フィクションとしては、過激なモノが氾濫する現代、際立つものはなかったかなとも。らラストも、未来の予兆として怖いものがありますが、物語の締めとしてはマイルドだったようにもかんじました。

評価は、25点 ちょっと良かった。て感じで。
総レス数 2  合計 50

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