平和を守るお仕事
 市民たちが地下鉄を待っていた時のことだった。
 どこにでもある景色に異色が混じる。
 ホームに突然スピーカーから女性の声が流れた。
「特務車両が到着いたします。市民の皆様は、作戦行動のさまたげとなるため、その場から動かないようご注意ください。ご協力ありがとうございます」
 その声は機械的なまでに無機質。
 特務車両はすぐにやってきた。
 うめくような声が市民たちの間から上がる。
「装甲騎兵……!」
 屋根のない車両から降りてきたのは、装甲騎兵の一個小隊であり、多くが鈍く光るガトリング砲を装備している。いずれも東ヨーロッパ製の騎兵車両だ。騎兵の役割は蹂躙(じゅうりん)することにあった。歩兵を。あるいは人間を。装甲騎兵たちは平然と銃を市民たちに向けながら隊列を組む。ここは日本であって日本でない。人権よりも優先すべきことがある。
 都市部のような地形では装甲車両の動きが制約される。装甲騎兵は、かつて騎兵が歩兵を蹴散らしたように、市街戦において一般歩兵を駆逐することを目的として開発された。よって人型でありながら騎兵と呼ぶ。常に前かがみでいる外観は、重荷を背負うた老婆に似て、盛り上がった背部が目を引く。そこには主電源が納められている。背部を含む重要部分を、ぷにぷにした弾力のある装甲がおおう。柔らかい感触とは裏腹に、その防御効果は意外にも高く、ほとんどの物理的な衝撃をやわらげてくれる。こうした防御方法は旧ソ連や東ヨーロッパの国々がよく好む。
 状況に新たな変化が起こったのは小隊到着から少しだけ後のこと。
 市民たちが次々と倒れていった。
 皮膚が虫食いのように侵食されてゆく。
 ここまでの推移を見てパイロットの三木春高(みき・はるたか)は、
「生物兵器?」
 とデータリンクを通じて中隊本部からの情報を待つ。
 騎兵車両は、気密性が保たれており、化学兵器や生物兵器への耐性がある。だが何もできずに市民たちがもだえ苦しむ姿を見るのは辛い。思わず目を背けたくなる。それでも春高は直視する。ほどなくして情報がもたらされた。やはり生物兵器だったとのこと。ダーマルモールド。腐食されたかのように人間の皮膚を侵す。即効性の生物兵器としては最も凶悪なたぐいと言えるだろう。十分な治療設備がなければ100%助からない。これ以上の犠牲を増やさない方法は唯一つ。生物兵器をまいている人物を倒すことだ。人物と言っても人間とは限らない。その正体にはおおよその見当がついている。春高たち九台の騎兵車両は急いで階段を駆け上った。人工筋肉が春高たちの動きに追随し増幅する。
 春高は、
「フォワード、フォワード」
 と音声による補助的な入力で装甲騎兵を急かす。
 ホームとホームを結ぶ渡り廊下に立った目標は待ちかまえていたように両手を開く。人間に擬態している。姿形はどこにでもいる若者といったところ。しかし笑みを浮かべている点だけが奇異に映る。地獄を絵図にしたような世界にあって、その人物は笑みを増してゆく。
 そもそも防護服もなしに猛毒の中で無事でいられるはずがない。
「撃て!」
 という小隊長の命令を受けて、小隊はガトリング砲を一斉に発砲。
 三本の銃身が金属的な悲鳴を上げながら回転する。
 雨のように降り注ぐ銃弾を浴びて目標は平然と歩む。目標を包むかのような不可視の盾が命中するたびにきらめいて視認できるようになる。祝福だ。外なる神からの祝福が見えない盾になって目標を守っている。それも当然と言えるだろう。目標はこの世界の外から来たのだから。弾き飛ばされた銃弾が周囲へ流れ弾となって跳ぶ。このままでは市民の犠牲は増える一方。春高を除いた小隊は横一列になって火力を集中させる。一つ、また一つと祝福がはがされてゆく。こちらが押している。あと少しだ。
 そこで目標は具体的な行動に移った。
 目標の周囲に魚のような群れが現れる。魔弾か。それらは的確に装甲騎兵の弱点である背中の主電源を撃ち抜く。気密性を破られた隊員は毒を浴びてもだえ苦しみながら発砲。第三者である一般市民に銃弾が流れる。魔弾は初歩的な術にすぎない。的に向けて直線的に進むだけ。しかしながら上級者の放つ魔弾はその限りではない。目標の放った魔弾は高速で複雑な軌道を描く。まさに回遊する魚だ。動きの鈍い装甲騎兵では避けきれない。
 一匹の魚が春高に食いつこうとする。
 春高が叫ぶ。
「バースト!」
 音声入力によって脚部に備え付けられたピストンが地面をうがつ。地面を蹴るように姿勢を入れ替えて魔弾をかわす。
 小隊長が指示を飛ばして防戦する。
「防御円陣! 急げ!」
 盾が円く並ぶ。
 並列化した盾にほどこされた文様がいっそうの輝きを放つ。こちらは内なる世界の神からの祝福を願う。
 目標はさらに魔弾を呼び出す。
 その注意がやや離れて様子を見ていた春高からそれる。この瞬間を春高は待っていた。今が好機と見るや装甲騎兵を駆って肉迫する。手にした特火槍(とっかそう)も祝福されており、祝福が祝福を相殺し、目標をつらぬく。特火槍――別名アンチマテリアルランスは、装甲騎兵のための武装として開発され、特に対戦車戦闘で真価を発揮する。目標体内へねじこんで春高は特火槍のトリガーを引く。目標の体が半分ほど吹き飛んだ。人間ならば即死。しかし相手は人間ではない。
 実(さね)だ。
 中心部分にある実を破壊しない限りやつらは倒せない。
 残った半身だけが動き出す。
「逃がすかぁあ!」
 叫んで、春高は特火槍を投じる。
 目標を壁にぬう。
 動きを制約されながらも目標の体が変化する。有機物も無機物もおかまいなしに取り込んで肉塊と化す。例外は特火槍だけ。特火槍は内なる世界の祝福そのものと言っていい。これを吸収するのは容易ではない。とは言え、このままでは特火槍は肉に埋もれてしまう。特火槍が見えなくなる前に春高は突進して柄をつかむ。際限もなく秩序もなく肉塊はふくれあがってゆく。すぐに車体が肉に取り込まれた。肉によって装甲が侵食される。車体がもたない。残された時間があとわずかを切った。その前に実を破壊しなければならない。だが実はどこにある? 焦る気持ちを抑えて春高は特火槍で肉をかき回すように実を探す。ごりっとした感触があった。
 春高は再び特火槍を点火。
 今度こそ目標の中心部分にある実を破壊する。さらに目標の体がふくれあがり爆裂した。血と肉がまき散らされる。
 作戦終了。
 車体が赤く染まった。



 春高は夜遅くに帰宅した。
 すでに日付は変わっている。
 作戦のあった日に帰りが遅いのはいつものこと。
 しかし家には明かりのついている部屋があった。
「ただいま」
 春高は小さな声で帰宅を告げる。
 そのまま一階のリビングに向かう。
 水を飲む。
 飲み終えたところで背後から声がかかった。
「兄さん、おかえりなさい」
 振り返ると、片目に医療用眼帯を着けた髪の長い少女が立っていた。起きていたのは、やはり朝比奈唯(あさひな・ゆい)だった。彼女は、この家の家主である朝比奈零(あさひな・れい)の娘であり、春高とは幼い頃から兄妹同然に育ち、今でも兄さんと呼んで慕ってくれている。
 春高は問う。
「勉強してたのか?」
「ええ」
 と、そっけない返事が返ってきた。
 とは言え、それはいつものこと。唯は生まれた時から愛想というものを置き忘れているようなところがあった。良く言えばクール。悪く言えば無愛想。春高は長い付き合いだから慣れている。せっかく整った顔立ちをしているのに損をしていると春高は思わないでもない。
 春高は心配する。
「あんまり根を詰めるなよ」
「分かってる。もう寝ようと思っていたところ」
 唯はそう答え、まっすぐに伸ばした黒髪をひるがえして二階にある自室に戻ってゆく。
 見送って、春高は風呂に入ることにする。湯を温め直してゆっくりとつかった。
 春高は今夜の戦いを振り返る。危ないところだった。積層された装甲はあと一層のところまで浸食されていたと言う。命を拾ったと言える。そうは言えども、来訪者との戦いがぎりぎりなのは常日頃のこと。簡単に勝てるなら戦後およそ半世紀をすぎても戦いが続いているはずがない。
 第二次大戦の末期、旧日本軍は戦力補充のために外なる世界から来訪者を招く。試みは半ば成功したものの、来訪者を支配することはできず、次元回廊はそのまま残された。戦後、実験場だった新実(にいみ)市周辺は封鎖され、国連の管理下に置かれることに。潜伏する来訪者との激しい戦いが市街でくり返される新実市は、日本で唯一つの戦場となった。戦争はまだ終わっていない。

 翌朝。
 けたたましい目覚まし時計のアラームによって春高は起こされた。家の中はまだ静かだ。どうやら自分が家人の中で最も早く目が覚めたらしい。
 春高は朝食の支度を始める。
 居候をしている以上、この程度のことはしなければならない。
 しばらくして高校の制服を着た唯が下りてきた。
「兄さん、おはよう」
「ああ、おはよう」
 すぐ春高は気づいた。
「眼帯を忘れてるぞ、唯」
「あ」
 と唯は古い傷のついた右目を触る。
 過去の事件によって唯は右目の視力を失った。以来、唯は医療用眼帯を着けて傷を隠している。それを忘れるとは珍しい。昨日の疲れでも残っていたのだろうか。
 唯は無言で部屋に戻った。
 眼帯を着けてきた唯はセーラー服の上にエプロンを着て朝食の支度を手伝う。
 さすがに二人だと支度も早く進む。
 すぐに終わった。
「唯。叔母さんを起こしてきてくれないか」
「分かった」
 やがて唯は母親の零を連れて戻ってきた。
 零はパジャマ姿のままだ。こうして連れ立っているところを見る限り二人は姉妹のようにしか見えない。それほどに零の容姿は若々しい。二十代で通るだろう。春高は零の実年齢をいまだに教えてもらっていない。零曰く、とっぷしーくれっと、だとか。
 春高はあいさつする。
「叔母さん、おはようございます」
「ん、おはよ」
 と、眠そうに零が返事を返す。
 三人がそろった。
 テーブルについて朝食にする。
 テレビをつけるとニュースをしていた。
 ちょうど昨夜の来訪者との戦闘について言及している。
「これ、春高くんも戦闘に参加してたの?」
 と零が尋ねてくる。
 その通りなので春高はうなずく。
 そうなんだ、と零は言葉を続ける。
 気づかわしげな口調だった。
「春高くんは騎兵だから仕方ないのかもしれないけどさ、あんまり危ないことはして欲しくないかなって。今さらかもしれないけど」
「分かっています。危ないことはしません」
 と春高は嘘をつく。
 心が痛む。
 しかし目的を達するまで騎兵を辞めるわけにはいかない。
 唯がつぶやく。
「だといいけど」
「ん?」と春高は聞き返す。
「兄さんって熱が入ると他のことに気が回らないところがあると思う。お母さんの気持ちも分かる」
 と唯は指摘する。
 そうだろうか。
 と春高は自問しないでもない。
 それでも長くいっしょにすごしてきた唯の言葉であるだけに重い。
「気を付けるよ」と春高。
「そうして」
 と唯は相変わらすそっけない。
 これでは心配されているのか突き放されているのか分からなくなる。
 春高は微苦笑を漏らす。

 朝食が終わった。
 三人それぞれ出かける支度を終える。
 あいさつを交わす。
 零はびしっとしたスーツに身を固めている。
「今日も頑張るか」
 と零は会社に出かける。
 唯は学校へ。
 春高はスクーターのエンジンをかける。スクーターで今年から勤め始めた会社へ向かう。大和警備(だいわ・けいび)。新実市に進駐する国連軍と契約する民間軍事会社だ。契約企業とも言う。春高のように会社員でありながら最前線に立つ者たちが多く集う。



 春高は駐車場で呼び止められた。
 知った顔だ。
 高見淳(たかみ・じゅん)と言う。
 春高と同じ十九歳。
 年齢が同じこともあって親しい。
 高見が昨日のことに触れる。
「昨日は大活躍だったらしいね。話は聞いてるよ」
「大活躍なものか」と春高は言葉を返す。「死にかけたんだぞ」
「それでも来訪者を討ち取ったじゃないか。お手柄だよ。あーあ、やっぱり花形はランサーだなあ。僕も特火槍が欲しくなるよ。今度、社長に頼んでみようかな」
「おまえはお気楽だな」と春高。
「そうかな」
「そうだよ」
 と春高は歩きながら返事をする。
 すぐガレージに着いた。
 社屋のガレージには何台ものKV72が鎮座している。
 古い車体だ。
 開発は1971年にさかのぼる。それでも現在にあってなお最も広く運用されている騎兵車両としてKV72が挙げられる。新実市に駐留する国連軍でも使用国は多い。そこで東ヨーロッパなどでは、改修を施して第二・五世代とでも言うべき実力を持ったKV72を盛んに輸出している。このガレージに並んでいるKV72もそうだ。

 社長の長沼信司(ながぬま・しんじ)が定例となっている朝会を開く。まだ若い。四十歳になったかならないかと言ったところ。かつては装甲騎兵に乗っていたと聞く。精悍な面構えは歴戦のつわものを思わせる。
 社員たちが一室に集う。
 開口一番、社長は昨日の戦闘について触れる。
「昨日はご苦労だった。市民にも社員にも犠牲は出たが、来訪者を討ち取ることはできた。上出来と言っていい。国連軍のお偉方も満足していると聞いている。よくやった」
 さて、と社長は語をつなぐ。
「試合の申し込みが来た。今週末、イギリスの契約企業と対戦する。俺はハルで行くつもりだ。ハル、異存はないか」
 ハル、と春高は指名された。
 社長の長沼は何かと春高に目をかけてくれる。
 今回の人選もそうなのだろうか。
 だが春高は言いよどむ。
「試合ですか」
「気が進まないか?」と社長は春高の心を見抜いたようだった。
「俺たちの仕事は人類を守ることのはずです」
「人類を守る前にすることがあるのさ」と社長は平然と言ってのける。「これは社運を賭けた真剣勝負だ。命を失うこともあり得る。それに相手は最新型の第三世代の騎兵車両を用意するつもりらしい。うちの騎兵車両はどれも第二・五世代と言ったところだ。分の悪い勝負と言えるだろうな。無理強いはしない。嫌なら別の人間にする」
「やります」
 と春高は答える。
 社長の期待に応えたかった。自分を騎兵に選び、特火槍を与え、最も来訪者と戦える役割に任じてくれたのは全て社長の意向だ。春高は感謝している。ただの歩兵では春高の目的を遂げるのは難しい。
 社長はうなずく。
「よし、決まった。安城」
 と社長は整備主任である安城成実(あんじょう・なるみ)を呼ぶ。
 まだ二十代の若さで主任に選ばれた女性だ。若いが腕は確か。装甲騎兵に乗るパイロットたちの信頼は厚い。もちろん春高も厚い信頼を寄せている。
 安城は答える。
「はい」
「ハルが最高の感触で乗れるよう整備を頼む」
「分かりました。春高、安心しなさい。あたしが週末まで車体を仕上げてあげるから」
「ありがとうございます」と春高。
 あとは自分次第。
 春高の両肩に重い責任がのしかかる。



 夜に帰宅した春高はリビングで一人考え込んでいた。
 どうすれば勝てるのか。
 相手は最新型の第三世代と聞く。
 こちらは旧型の第二・五世代。
 第三世代と第二世代の大きな違いは主電源の出力の差にあると言っていい。それが積載できる量を決定し、装甲や兵装を選ぶ幅を拡張する。
 第二・五世代は通信機能や索敵能力などを近代化したものであり、性能は第三世代にはおよばない。
 少なくとも世間の評価はそう。
「兄さん、テレビもつけずに一人でどうしたの?」
 と唯が二階から降りてきた。
 また勉強をしていたのだろうか。考えてみればもう二年生なのもあとわずか。大学進学を目指す唯としては休む暇もないのかもしれない。
 話を聞いた唯は知恵を貸す。
「インナーマッスルを鍛えてみたら?」
「インナーマッスルか」
 と春高は考え込む。
 人間の筋肉は何層にも重なって体をおおっている。どこか特定の一つの筋肉を指しているのではなく、比較的深い部分にある筋肉を総じてインナーマッスルと呼ぶ。このインナーマッスルは、姿勢を微調整したり、関節の位置を正常に保ったりする働きがある。複雑な動きからなる人体において、インナーマッスルの助けは欠かせない。しかし一般的な筋力トレーニングで鍛えることは難しい。
 唯は提案する。
「水泳はどう?」
「水泳か。いいかもしれない」
「じゃあ決まりね。私も付き合う」
「そうだな」と春高は同意する。「勉強ばかりじゃなくて、たまには息抜きも必要だろ」
「そうね」
 と唯はうなずく。

 次の日の夕方。
 プールサイドにて。
「何故、おまえがいる?」
 と春高は高見淳に問いかける。
「いやだなあ、僕と君の仲じゃないか。水臭いこと言うなよ」
「そんなこと言って唯が目当てだろ」
「まさか、そんなことはないですよ。ええ、ほんとに」
「ていねい語になってるぞ」
 春高はため息をつく。
 淳が朝比奈唯に執心なのは傍目からでも良く分かる。たまたま大和警備に遊びに来た唯に一目惚れしたらしい。
 その唯が水着に着替えてやってきた。
 ワンピース型の白い水着だ。生地は無地。地味かもしれないが、スレンダーな唯にはよく似合う。ほっそりと伸びた白い手足が眩しい。
 唯が尋ねる。
「どう、兄さん? 欲情した?」
「おまえ、もう少し言葉を選べ。でも、まあ、似合ってるよ」
 淳が割って入る。
「僕は欲情したよ、唯ちゃん」
「そう」と唯の反応が薄いのはいつもの通り。
「淳、おまえも言葉を選べ」
 やはり唯が目当てか。
 しかし、それも空回りしているように見える。唯はそういったことにまったく興味を示さない。兄のような立場の春高としては少し心配になるほど。
 それはさておき。
 今は訓練に来たのだ。
 春高は泳ぎ始める。行きは全力で。帰りは力をできるだけ抜いて。それを交互にくり返す。泳ぎ方も変えてみる。
 時間はあっという間にすぎた。

「疲れた」
 と春高はリビングのソファに倒れる。
 朝比奈家にて。
 ふだん使っていない筋肉を鍛えようとしたせいか疲労が濃い。これを週末まで連日やるのかと思うと春高は気が重くなる。
 それでも、やれることはしておきたいのは確か。
「唯は気分転換になったか」
「少しだけ」
「少しでも気分転換になったなら良かったよ。淳のやつは邪魔じゃなかったか」
「誰?」
「高見淳だよ。俺の同僚」
「ああ、彼。別に平気。ああいうのには慣れてるから」
 憐れ。
 高見淳は名前すら覚えてもらっていなかった。
 唯らしいと言えばらしい。
 ところで、ふと気になったことを春高は聞いてみることにする。
「なあ唯」
「なに?」
「唯は勉強熱心だけど将来の夢とかあるのか?」
「あるけど」
「へえ」
「でも今は秘密」
 珍しく唯はそう言うのだった。



 対戦相手がフェンサー型であることが期日ぎりぎりになって明らかになった。フェンサー型は、ランサー型と同じく白兵を主とするが、一般より軽量化されている。ランサー型が一撃必殺を狙うのに対し、フェンサー型は攻撃回数を増やすことに主眼を置く。
 ヴィッカース社のマークVが対戦相手として送り込まれてきた。マークVは、輸出を前提とした作りで、最新技術はあえて用いず、既存の技術のみで手堅く構成されている。加えてモジュール式の追加装甲によってマークUまで弱点だった防御面を補う。左右の手にはそれぞれ剣をかまえている。その様は古めかしい鎧をまとった騎士のよう。ただし風車に突撃するような田舎騎士ではない。
 週末。
 いよいよ演習が始まる。
 指定されたのは棄てられた村落だった。朽ちかけた家々はすでに無人となって久しい。標高が高いせいか雪がちらほらと見える。装甲と装甲がしのぎを削る場所として、これ以上ふさわしい場所もないだろう。敵を求めて進んでいるうちに小川を挟んで相手の姿を認める。
 どちらともなく前進を始めた。
 清流を進む。
 春高はゆるやかに渦を描きながら相手に近づいてゆく。
 期せずして相手の動きも同じ。
 円の中心で両者は激突する。先に動いたのは春高。川面に水しぶきが上がる。春高は手首のひねりだけで特火槍による突きを入れた。予備動作はほとんどないに等しい。予測するのも回避するのも難しいはず。
 それを避けられた。
 モジュール式の追加装甲が弾け飛ぶも本体は健在。
 肉迫される。
 フェンサー型が最も得意とするゼロ距離だ。
 二刀が乱舞する直前――。
「バースト!」
 春高は大地を蹴って間合いを取る。
 だが序盤は春高にとって不利なまま進んだ。春高の乗るKV72がマークVのスピードに翻弄される。いくどとなく剣を受けた。今のところ、いずれも致命傷には至っていない。双方ともに内なる神によって祝福されている。果たして内なる神はどちらの味方になってくれるのか。まだだ、と春高は勝負を捨てていない。一撃を放つ力が残っていれば十分だ。たった一手が全てを決する。そのために特火槍はあり、そのために槍騎兵はおり、そのために自分はいると言っていい。
 あとは信じて機を待つ。
 正面からマークVが迫る。操る二刀が閃く。
 こちらは左右に矛と盾。
 春高は強引に盾で殴りつける。初めて盾を使っての能動的行動だった。盾が防具とは限らない。あらゆるものは戦士が手にした時点で武具となる。戦うと決めたのはいつのことだったろう。自分は一個の戦闘機械にすぎないとすでに見切った。その在り方を内なる神は良しとするかのように祝福が弾けてマークVの車体を揺さぶった。
 一瞬、相手がひるむ。
 隙が生まれた。
 そこを特火槍で突く。
 相手はバーストを用いて後ろへ下がってしまう。槍先すら届かないと春高は思った。今まであれば確かにそうだったかもしれない。しかし腕がさらに伸びるような感覚とともに特火槍がコックピットを強打する。インナーマッスルを鍛えておいたおかげだろうか。かつてない感覚で当てた。特火槍のトリガーはあえて引かなかった。間違いなく相手はこちらを殺す気でいただろう。それでもかまわない。人間同士が殺し合う不毛なゲームに参加するつもりは春高にはない。
 勝敗が決する。
 春高は対戦相手を一時的に戦闘不能に陥らせた。春高の勝ちだ。
 歓声が上がる。
 ところが喜びもつかの間、
「来訪者……来訪者だ……救援を……」
 不意に割り込んできた通信が水を差す。
 来訪者が出現したらしい。
 近隣で稼働している装甲騎兵は春高だけ。
 命が下る。
 春高は勝利の余韻に浸る間もなく騎乗の人となる。
「アクセル!」
 音声入力。
 春高の駆る装甲騎兵が増速する。



 整地された路面では、騎兵車両は平均して時速六十キロメートル以上を出す。
 春高は重力加速度に圧迫されながら最大速のまま道なりに国道を曲がってゆく。やがて無人のまま捨て置かれた大型バスを発見した。
 データリンクを通じて後方地域の社長たちと連絡を取る。
「無人ですね。降りて調べます」
「ハル、気を付けろよ」
 と社長の長沼信司が注意を促す。
 護身用のビゾン短機関銃をたずさえて春高は車外へ降りる。ビゾン短機関銃は九ミリパラべラム弾を五十三発も装填する大容量のヘリカルマガジンを持つ。
 残された足跡から状況を推測する。どうやら乗客たちは、自分の意思でバスを降り、無抵抗のままいずこかへ連れ去られたらしい。足跡は山間部へ向かっている。人の足で冬山を行くのだから当然ながら歩みは遅いだろう。急げば追いつけるはず。
 再び春高は騎乗の人となる。
 装甲騎兵を駆って山間部へ向かう。草木もまばらな冬山のさびしい景色が続く。
 ふと、春高はひらひらと舞い落ちる花びらを目に留める。この季節に花びらが見られるはずがない。少なくとも常識的には。
 ならば非常の場合を考える必要があるだろう。
 進むにつれて散りゆく花弁が密度を増す。
 春高はモニターを凝視する。
 巨大な百合のような姿をした生物がいた。来訪者だ。背の高さはおよそ三メートルはあるだろうか。騎兵車両と同程度と言ったところ。その来訪者のそばには連れ去られた乗客たちと思しき人々が列をなして歩いていた。
 春高は外部スピーカーにつなぐ。
「救援に来ました! 避難してください!」
 しかし乗客たちの反応はない。
 操られているのか。そう考えれば無抵抗のままなのも納得がゆく。
 春高は乗客たちの列を跳び越えて来訪者に挑む。
 特火槍で突く。
 祝福が穂先を弾いた。
「く……!」
 と春高は第二撃を放とうとする。
 その時、来訪者のツタが巨木に絡まった。怪力が巨木を引き倒す。横合いから巨木が倒れてくる。双方、木を避けるため後ろに下がった。
 距離を取った来訪者は離脱しようとする。
 春高は追撃しようとするも、それを引き留める声があった。
 無線から通信が入る。
「追うな、ハル」と後方で注視していた社長が春高を制する。
「しかし」と春高。
「おまえの車体は限界に近い。いったん退け。乗客を助けただけでも上出来だ」
「了解、です」
 ダメージが蓄積していた春高もここは見逃すことにする。
 モニターに映る来訪者の姿が小さくなり、やがてセンサーの範囲外に出た。
 ロスト。
 来訪者を見失う。
「ちくしょう」
 コックピットに春高のつぶやきが漏れる。



 車体とともに会社に戻った春高は手荒い歓迎を受けた。
 もみくちゃにされる。
 会社で待機していた高見淳が喜色をあらわにして肩を抱く。
「やったな、春高! やっぱり君がエースだよ!」
 春高は素直に喜ぶ気にはなれない。
 来訪者を見逃した。それは自分にとって軽視できない事実だ。
 春高は歓迎の輪を抜け出す。
 車体を調べていた安城成実に尋ねる。
「安城さん、車体の損傷はどうですか? どれくらいで前線に復帰できるでしょうか?」
「春高」と安城成実の苦言を呈する。「今のままの戦い方を続けてたら貴方、死ぬわよ」
 思いもかけない言葉に春高は戸惑う。
「どういうことですか」
「いつも車体をぼろぼろにして帰ってくる。白兵を挑むからランサー型は損傷が多いものだけど、春高の場合は異常。来訪者を倒すことしか頭にないんじゃない?」
「それのどこがいけないんですか」
「いけなくはないわ。それが仕事なんだし。でもね、命は大事にしなさい。貴方にだって死んだら悲しむ人がいるでしょう」
 そう言われて春高の脳裏に唯の顔が浮かぶ。
 いつも無表情な唯。その唯が悲しみを表に出すかどうかはその時になってみないと分からないが、そんな表情はさせたくないのは確かだ。それでも自分にはやらなければならないことがある。大和警備に入ったのは、装甲騎兵にあこがれたわけでもなく、高額な報酬に釣られたからでもない。
 目的がある。
 それを果たすまでは装甲騎兵は辞めない。



 その日の夜。
 唯が春高の部屋を訪ねる。
 春高が問う。
「どうした?」
「手伝って」
 唯について玄関に行くと叔母の零が泥酔して帰ってきていた。
「またか」と春高はため息をつく。
 会社勤めをしている零が接待で酒を飲んで帰ってくるのは今日に始まったことではない。美人であるだけに接待を任されることが多いのだろう。
 とは言え、今夜は特にひどい。
 零は靴も脱がずに玄関で寝転がっている。
「水ぅ」と零が催促。
「はい」と唯がコップについだ水を飲ませる。
 水を飲ませたところで春高が零を抱え上げて寝室まで運ぶ。
 ベッドに寝かす。
 そのあとの世話は唯に任せる。
 リビングで待っていると唯がしばらくして帰ってきた。
 春高はねぎらう。
「お疲れ」
「慣れてるから平気」
「叔母さんも大変だな。あんまり酒に強くないのに」
「兄さんは接待とかしないの?」
「俺はまだ未成年だからな。それにそういうことは社長が一手に引き受けてる。俺の出る幕はないよ」
「仕事は楽しい?」
「どうかな。正直なところ分からないよ。でも達成感はある。だから続けていられるんだろうな」
 それは本当に正直な感想だった。
 来訪者を一体倒すごとに充実感が得られる。
 生きている喜び、とでも言おうか。
 唯がしばし考え込む。
「達成感……それは来訪者を倒した時?」
「ああ」
「そんなに来訪者が憎い?」
 唯の問いが三木春高という若者の核心部分に触れる。
「父さんと母さんの敵(かたき)だぞ。憎くないって言ったら嘘になる」
 まだ幼い頃、両親といっしょにドライブに出かけた春高は市内で来訪者と遭遇した。当然と言うべきか激しい市街戦になる。暴れ出す来訪者の手によって春高は両親を失う。ドライブに同行していた唯は右目を負傷する。
 自分という人間はその時に決定されたのだろうと春高は思う。
 来訪者は許さない。
 春高は決意を告げる。
「俺は戦う。来訪者を全て倒すまで」
「じゃあ私は次元回廊をふさぐ」
「何だって?」
「次元回廊をふさぐって言ったの」
 次元回廊は広域にわたって存在する場の乱れのようなものらしい。新実市のほぼ全域が次元回廊として外なる世界とつながっている。来訪者の出現が予測できないのはそのためだ。いつ、どこで現れるか、まったく予想できない。
 その次元回廊をふさぐと唯は語るが、それが簡単にできるなら今まで戦いが続いているはずがない。
 春高はあ然とする。
「そんなことができるのか」
「でも、次元回廊をふさがないと兄さんはいつまでも戦い続けるでしょう?」と唯は答える。「そんなのは嫌。私は兄さんにふつうに暮らしてもらいたい」
「そのために大学に入るのか?」
「ええ」と唯はうなずく。
 途方もない目標だ。
 人生を棒に振りかねない。
 だが、途方もない目標を持っているのは春高も同じ。
 他人のことは言えない。
 それでも春高には言っておきたいことがある。
「おまえの成績ならもっと別の進路もあるだろう」
「なら兄さん、騎兵を辞めてくれる?」
「それは……できない」
「じゃあ私も次元回廊をふさぐ夢をあきらめない」
 話は終わったと唯は二階に上がってゆく。
 春高はそれを黙って見送るよりほかになかった。
 自分の復讐が唯の人生を狂わせてしまう。
 そんな気がして春高の気持ちが沈む。



 次の日、まだ車体が整備中の春高はすることもなく、会社で待機していた。
 高見淳との雑談で時間をつぶす。
 たまたま待機中だった高見淳は気さくに相手をしてくれる。
「なあ、淳」と春高は尋ねる。「おまえが騎兵になった理由って何だ?」
「どしたの、突然」
「別にいいだろ」
「まあ、いいか」と高見淳は話し出す。「弟が病気なんだよ。治療費がすげーかかる。だから契約企業に入って騎兵になるしかなかったんだ。僕って馬鹿だからさ、それしか大金をかせぐ方法がなかった。まあ仕方ないよね」
「馬鹿は騎兵になれないだろ」
 装甲騎兵を駆るには工学的な知識が不可欠。
 ただ運動神経に優れていれば務まる兵科ではない。
 高見淳は答える。
「試験は一夜漬けで乗り切った」
「おまえは……」と春高はあきれる。
「君は?」
「ん?」
「君が騎兵になった理由さ」
「俺か」と春高は説明する。「両親を来訪者に殺された。だから来訪者は全て俺の敵だ。それが騎兵になった理由だよ」
「お互い、いろいろあるんだなー」
「そうだな」
 そんなやり取りをしていると、アメリカ軍の軍服を着た中年男性が入ってきた。
 奥へ通される。
「春高」と高見淳が話しかけてくる。「見た見た、さっきのおっさんの階級章?」
「いや」
「大佐だぞ。大佐。すげー偉い」
「その表現だといまいち偉さが実感しづらいな」
 二人の話に整備中だった安城成実が混ざる。
「春高。終わったわよ、貴方の車体の整備」
「ありがとうございます」
 と春高は礼を言う。
 これでいつでも出撃でいる。
 そう思うと心が浮き立つ。
 高見淳が安城成実に尋ねる。
「ねえ成実さん、今のおっさんのこと知ってる?」
「ああ、トゥイート大佐ね」と安城成実は答える。「知らない? ジョナサン・トゥイート大佐。国連軍のお偉方ね。うちの社長とは昔からの知り合いみたい」
「そうなんだ」と高見淳。「ありがとう、成実さん」
 そのトゥイート大佐が社長と何の話をしていたのかすぐに分かった。
 社長の長沼信司が社員たちを集めて説明する。
「封鎖線の内側ぎりぎりに小さな村がある。その村は密かに来訪者を崇め奉っているらしい。たびたび人々をさらっていたのは村の連中の仕業と思われる。だが確証がない。国連軍は契約企業であるうちにやらせることにした。万が一の時はうちの独走として片づける算段だろう。契約企業は国連軍の下働きが常だ。だが上等。やってやる」
 全社員が集められる。
 一個中隊の兵力が全て集う。

 その日のうちに村へ出発する。
 今夜は月が明るい。
 先頭を行く春高の騎兵車両のセンサーが移動目標を捉えた。
 大きさからして人間だろう。
 ほっそりとしたシルエット。おそらく女性だ。
「撃っちゃう?」と高見淳。
「馬鹿」と春高は高見淳を制する。「撃ってどうする。まだ敵かどうか証拠がないんだぞ」
 女性が訴える。
「助けて!」
「どうしました?」
 春高たちは事情を聴く。
 村の連中にさらわれて今まで拘束されていたとのこと。同じように囚われた女性が何人もいるらしい。儀式が進行中とも言う。
 儀式。
 いったい何の儀式かは女性も知らなかった。
 装甲騎兵を駆って春高たちは急行する。
 それを、RPG7を持った村人たちが迎え撃つ。RPG7は対戦車兵器として最も一般的な小火器と言っていい。安価であることもあって世界中で用いられている。主力戦車ですら装甲の薄い部分を狙えば撃破できる装甲貫徹力を持つ。もちろん騎兵車両にも有効だ。
 ガンナー型である高見淳の騎兵車両がガトリング砲で掃射する。三つの銃身を束ねたガトリング砲が回転。人間に対しては威力過剰とも言える五十口径の銃弾が粗末な家ごと標的である村人たちをなぎ払う。
 人殺しは春高の好むところではない。
 だが来訪者に与する者ならば話は別。
 容赦なく殺す。
 廃坑となったはずの鉱山の奥に祭壇があると言う。村の掃討は任せて単騎で坑道を進む中、植物を思わせる来訪者が姿を現す。あの来訪者だ。昨日は見逃したが今日は違う。今度こそ倒す。春高は特火槍をかまえて来訪者に肉迫する。
 祝福と祝福がせめぎ合う。
 特火槍で突くたびに祝福が可視化して火花が散る。来訪者のツタが伸びて春高の乗る車体に絡まった。怪力で締め上げてゆく。装甲がきしむ。かまわず春高は特火槍の穂先を前に突き出して一歩ずつ前へ進む。
 祝福を突破した。
 すかさず特火槍のトリガーを引く。
 来訪者が爆裂する。
 勝利の余韻に浸る間もなく春高は最深部を目指す。
 広い空洞に出る。
「来たな、不敬な輩(やから)め」
 と敵意をあらわにする人物がいた。
 祭壇を背にしている。祭司だろうか。この祭壇は来訪者を祭っているものらしい。祭壇には一人の女性が寝かせられている。
 春高は外部スピーカーにつなぐ。
「女性を放せ」
「もう遅い」と祭司は高らかに宣言する。「我々は外なる神の受胎に成功した」
「何だって?」
「新しい神代(かみよ)の始まりだ」
「ふざけるな」
 春高は盾で祭司を殴る。
 それだけで祭司は吹き飛ばされてしまう。
 特火槍をかまえる。
 この女性は外なる神をはらんでいると言う。
 それは春高の理解を越えていた。それでも危険なことは分かる。外なる神は内なる世界への侵攻を企てているというのが通説。全人類に対する脅威と言える。放置はできない。だが自分に殺せるのか。春高は迷う。
 その春高の前で女性が半身を起こす。
 目はうつろ。
 正常な判断力が働いているとは思えない。
 ふくらんだ下腹部が見て取れる。そこに外なる神は宿っているのだろうか。
 女性の背中から翼が生える。翼が展開して二度三度と羽ばたく。その姿は禍々しくも神々しい。ふくらんだ下腹部からエネルギーが溢れ出す。何か仕かけてくる。そんな予感があった。それでも春高は動けない。
 来訪者は自分の敵だ。
 だが何の関係もない一般女性を巻き添えにして良いのか。
 迷っている間に数秒が経つ。
 貴重な時間がすぎた。
「ハル、何をしてる!」と社長の通信が飛び込む。「何か仕かけてくるぞ!」
 すでに遅い。
 女性の下腹部から熱と力が拡散する。
 春高の乗った車体は爆発にのまれた。



 春高は見慣れない部屋で目覚めた。
 殺風景な部屋でベッドに寝かされている。病院だろうか。ベッドの脇にある椅子に座った朝比奈唯は春高の胸に頭を預けて寝入っていた。
 すーすーと寝息を立てている。
 春高が唯の長い黒髪を撫でると、
「ん……」
 という小さな声を唯は漏らす。
 小さい頃はよくいっしょに寝たのを覚えている。思えば、唯はあの頃から無表情で、さも当然のように春高のベッドに潜り込んできたものだ。あの頃は幸せだったのだろう。
 では今は?
 そこで春高は意識を失う直前までの記憶を思い出す。そうだ、自分は外なる神を妊娠したという女性と相対して爆発に巻き込まれたのだった。あれからどうなったのか。
 春高は上半身を起こす。
 その動きで唯が目覚める。
「……兄さん?」
「おはよう、唯」
「……」
「どうした、唯?」
「心配をかけさせないで」
「ごめん」
 春高は心の底から謝る。
 唯としてはすぐにでも春高に騎兵を辞めて欲しいところなのだろう。その気持ちを知りながら戦場に出た。結果はこの有様。
 かっこ悪いと言ったらない。
「ここは病院か?」
「ええ」
「俺はどういう状況でここに運び込まれたんだ?」
「来訪者にやられたって大和警備の人が言ってた」
 と唯は答える。
 外なる神のことは唯には知らせていないのか。それも当然かもしれない。春高が知る限り、戦後およそ半世紀にもおよぶ戦いの中で外なる神が降臨したことはない。戦いは新しい局面を迎えたと言っていい。今はまだ一般人に知らせていいものか判断に迷っているのだろう。
 春高は尋ねる。
「俺はどのくらい寝てた?」
「今日で三日目」
「そうか。心配かけたな」
 そう言いながら春高は唯の頭を撫でる。唯は嫌がらず、されるがまま。もしかすると喜んでいるのかもしれない。それは春高の考えすぎか。唯は表情に乏しいので何を考えているのか読めないところが多々ある。
「お母さんにも謝っておいて」
「叔母さん、怒ってたか?」
「怒ってた」と唯はうなずく。
「そうか。やっぱり怒ってたか」
 危ないことはしない。先週そう約束したばかりだ。それを破った。唯の母である朝比奈零は怒らせるとかなり怖い。覚悟しておいた方が良さそうだ。



 その日のうちに大和警備の社長である長沼信司が病室にやってきた。
 社長は爆発の後の状況を説明する。
 あの爆発の後、外なる神を妊娠しているという女性は姿を消した。村の制圧そのものは無事に終え、捕らえた村人たちからの事情聴取は進んでいる。それによると、あの祭司が語った通り、村では外なる神の降臨を企んでいたらしい。その企ては成功したと言う。女性の行方は国連軍が大和警備に代わって捜索しているが、今のところ手がかかりはない。
 社長は大きく息を吐く。
「何故、外なる神を殺すのをためらった?」
「それは……あの女性を殺せなかったんです。あの人は被害者でしょう」
「それでも殺さなければもっと大きな犠牲が出るかもしれないんだぞ。分かるか、ハル」
「分かって、います」
 社長は話題を転じる。
「どうして俺がおまえに目をかけてきたか分かるか」
「いいえ」と春高。
「おまえを見ていると憎悪が透けて見えるようだ。来訪者に対する憎悪がな。それがいい。俺も昔は騎兵だったから分かる。騎兵にはそういう気持ちが大事なんだ。俺が会社を立ち上げたのはそういう気持ちを持った若いやつらに働く場所を与えてやりたかったからだ」
「俺は……平和を守る仕事に就きながら個人的な復讐のために働いていました」
「それでもいいさ。兵士ってのはな、ハル。大義名分のためではなく自分のために命をかけるもんだ。それが結果的に平和につながれば十分だろ」
「十分ですか」
 と春高は考え込む。
 そうだ、自分には唯を始めとする大切な存在な人々がいる。加えて自分にはあの女性を救う手立てがない。どちらか一方しか救えないのだとしたら答えは決まっている。自分は何を迷っていたのだろう。例え、何の罪もない女性であろうとも、大切なものを守るためならば命を奪わなければならない。誰から何と言われようと自分はかまわない、と春高の心は決まった。
 社長が春高の気持ちを確認する。
「ハル、今でも来訪者に対する憎しみに変わりはないか?」
「はい。変わりありません」
「ならいい。傷が治るまで休め。おまえには引き続き特火槍を預ける」
 それはこれまで通り装甲騎兵に乗れるということ。
「ありがとうございます」
 春高は心から社長に感謝する。
 装甲騎兵から降ろされても仕方がない失態を犯した。それでも社長は変わらず信頼してくれる。今度はその期待を裏切りたくない。例え、ぬぐいきれない罪を背負うことになろうとも。



 春高が復帰してしばらくは何も起こらずに日々がすぎる。
 国連軍のジョナサン・トゥイート大佐が大和警備にやってきて状況の激変を告げた。何と国連軍の一隊が外なる神の出産まで周りを守備しているらしい。全世界に対する裏切りだ。だが、それほど神の降臨は魅力的なのだろう。外なる神が産まれれば世界は激変する。選ばれた民と選ばれなかった民とに。外なる神に選ばれれば大きな利益が得られることは想像に難くない。
 裏切り者はまだ国連軍の内部にいる可能性がある。
 そこで信用できる契約企業に内々に討伐を依頼することに。
 大和警備が選ばれたのにはそういったわけがある。
「いつも済まないね」とトゥイート大佐。
「気にするなよ」と社長は笑う。「会社設立の時には世話になったからな」
 場所は市内にある建設中の高層ビルだと言う。
 警備する兵力は装甲騎兵を主力とする一個中隊。車体はヴィッカース社のマークVだ。大和警備も持てる兵力を全て投じて突入する。兵力は互角。敵は一階のロビーに兵力を集中させていた。自然、そこが主戦場となる。
 敵は騎兵砲を主武装としていた。外観は歩兵が持つ突撃銃を大型化したようなものだ。二十ミリ砲弾を三十発装填する。対人ではなく対戦車戦闘に適した装備と言えよう。騎兵車両がその二十ミリ砲弾を食らえば一発で行動不能になることもあり得る。
 たまらず大和警備は煙幕を張る。赤外線の透過をさまたげる特殊な煙幕だ。その煙幕がロビー全体をおおう。
 高見淳が春高に先に行くように促す。
「行ってくれ、春高」
「しかし」と春高。
「祝福を破るには特火槍の装甲貫徹力が一番なんだよ」
「分かった。死ぬなよ、淳」
「君もね」
 高見淳たちを残して春高は先に進む。
 社長の長沼信司の通信が入る。
「ハル、聞こえるか」
「はい」
「無人偵察機から情報が得られた。目標の女は屋上にいる。屋上にはヘリが待機中だ。おそらく逃げるつもりだろう。急げ」
「分かりました」
 屋上へと通じる大型エレベータに乗る。
 敵歩兵たちが屋上で春高を迎え撃つ。
 カールグスタフ無反動砲を一斉に放った。
「バースト!」
 春高は床を蹴って、すんでのところでロケット弾をかわす。
 彼らが次の弾を装填する前に春高は特火槍で横殴りの一撃を見舞った。敵歩兵をなぎ払う。障害を排除したところで屋上に留められたヘリに迫る。
 そこから降りる人影があった。
 外なる神を身ごもった女性だ。
「どうしてもこの子を殺したいの?」
 うつろな目でそう問いかけてくる。
 春高自身、自問してきた質問だった。だが答えはすでに決めている。迷いはすでにない。
 よどみなく春高は答える。
「俺には大切な人たちがいる。その命を守るためなら何でもする。貴方には済まないと思う。でも俺はどんな罪も背負うと決めたんだ」
 そう告げて春高は特火槍で女性の腹をつらぬく。
 トリガーを引く。
 それで全てが終わった。



「終わったみたいだね」
 と階下にいた高見淳が春高を迎える。
 すでに戦闘は終わっていた。こちらの犠牲も大きい。それでも勝利には違いない。
 会社に戻るとおどろいたことに唯が待っていた。
 春高は問う。
「どうしてここに?」
「社長さんが教えてくれたの。大事な戦いがあるって」
「そうか」
「終わったの?」
「終わったよ」
 罪を背負った。
 この罪をどう償えばいいのか分からない。それでも生きようと思う。
 自然と言葉が紡がれる。
「唯。俺、騎兵を辞める」
 それを聞いた唯が無言のまま抱きついてくる。
「唯?」
「ありがとう、兄さん」
 唯は微笑んでいた。
 あの唯が表情を見せるのは稀有なことと言える。それほど春高にふつうの生き方をして欲しかったのだろう。来訪者への憎しみを捨てて自分は生きてゆけるだろうか。今までとは全く違う生き方だ。けれども微笑む唯の顔を見ていると不安は感じない。
 大丈夫。
 この笑顔がそばで咲いていてくれれば自分はやっていける。
クジラ
2013年01月01日(火) 13時43分31秒 公開
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No.3  シリコン  評価:40点  ■2013-05-25 19:12  ID:FQ0egyY8cUo
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最初のページを読み、文体に惹かれたので最後まで読ませて頂きました。
パラグラフが簡潔で力強さがあり、その効果が戦闘シーンにも活かされていると感じます。それでいて会話の部分では、短いやり取りを通じて登場人物たちの個々のキャラがちゃんと伝わってくるので、すごく上手いなと思いました。
個人的には、こういった技量がまるでないので、羨ましく思います。

物語の内容は、作者が任意に創作した設定が、効果的に物語に反映されていれば読み続けたくなるのがSFの醍醐味の1つだと個人的には思いますし、実際、不可視の盾がシールドの効果を発揮するたびに、その存在があらわになるような作中のシーンなど読むと、いわれなどどうでもよくなって読み続けたくなります(個人的には)
主人公が辞めてしまい、『ハル』の物語が終わってしまうのは残念ですが、祝福や、内外の神を始め、次元回廊などの設定が力をふるうシーンをもっと読みたいと感じている読者は私だけではないでしょう。
今後の展開に期待しています。ありがとうございました。
No.2  クジラ  評価:--点  ■2013-01-11 21:29  ID:52PnvSC7.hs
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感想ありがとうございました。
設定をもっと練ることにします。
ありがとうございました。
No.1  帯刀穿  評価:10点  ■2013-01-02 11:31  ID:DJYECbbelKA
PASS 編集 削除
前もって説明しておきたい。
これは個人的な感想に過ぎず、絶対ではない。
また、意見を聞くか、流すかは本人の自由だ。

設定が先行してしまっている部分があり、そこがいまいちになっている理由だ。文章の基本的な書き方はきちんとしているし、読ませ方に問題はない。
来訪者が来る理由にしても、「外なる神」の考えがあまりにも唐突すぎるし、違和感が大きすぎた。
「祝福」についても同じことがいえる。
人物像の描き方は可もなく不可もないといったところだが、基本的なところはうまくいっているように思える。
肉付け部分の加筆、違和感の解消、設定の練り直し。
大枠の部分でかなり無理があるように思えた。
色々とやらねばならないことは山積しているのではないだろうか。
総レス数 3  合計 50

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