ボボルスキ・ボボの話
 ボボルスキ・ボボがいたのは、今は廃墟になっている病院の中だった。去年の夏、蒸し暑い夜にそこで友人達と肝試した時に、偶然に僕が見つけたのだ。
 ボボルスキ・ボボは患者が体を洗うための浴槽の中に入っていた。塵埃で黒ずみ、異臭を放つベビーバスケットの中で、弱弱しくプルプルと震えていた。少し大きめのピロシキみたいな形をしており、無色透明だが中央に核らしき赤い球体と、それを囲む青い輪が二つ備わっていた。
 友人達は嫌悪の眼差しで、そのブヨブヨした奇怪な物体を見ていたが、僕は妙にそれが気に入って持って帰ることにした。友人達は大反対したが、僕は逆に彼等を腰抜けと馬鹿にして、生暖かいその物体を、落ちていたビニール袋に入れて家まで運んだ。帰る道中、瞬く星空を眺めながら考えたついた名前が、ボボルスキ・ボボという訳である。
 ボボルスキ・ボボにはバケツの家が与えられた。当然、パパとママには内緒だった。知られたが最後、「こんな気持ちの悪いモノは捨てろ」と言われるのが、火を見るよりも明らかだったからだ。なので、殆ど使われていないガレージの中で、こっそりと彼を飼うことにした。餌はパンだったり、野菜だったりしたが、好き嫌いなく何でも食べた。食べた物によって体の色がオレンジやパープルに変わったりするのが面白かった。
 飼い始めてから二週間が経った頃、僕はあることに気づいた。家の周りで虫を見かけることがなくなったのだ。巣を張る蜘蛛も、草むらを撥ねる飛蝗も、地を這う蟻すらも。原因はすぐに解った。ボボルスキ・ボボの姿が、ピロシキから昆虫のような姿に変わっていたからだ。フェロモンか何かを出して、動物を誘き寄せて自分で食っていたのだ。そして、このことで、彼は食べたものと同じ姿になれることが判明した。僕は初めて薄気味悪さを感じたけれど、それ以上にボボルスキ・ボボの不思議さに仰天し、有頂天になった。こんな生き物を飼っているのは、世界広しと言えども僕だけだと思ったからだ。
  それから暫くして、飼い犬のニッキーがいなくなった。灰色の毛並みが綺麗な三歳のシベリアンハスキーである。方方探し回ったが、結局何事もなかったかのように、二日後に帰ってきた。でも、僕にはニッキーがニッキーでないことがすぐに解った。吠えることは滅多になくなり、僕等の顔を何か物色するように眺めていることが多くなった。
 それからまた暫くして、突然ママが家出をした。パパはその理由が全く分からず困惑していたが、三日後にはちゃんと帰ってきた。代わりにニッキーがいなくなってしまったけれど。
 それから二週間後、パパとママが部屋に引き籠もってしまった。何度ノックをしても、全く返事がなかった。寝室の中で何が行われているのか、解っていたけれど、僕にはどうしようもなかった。パンと牛乳で腹を満たして、学校にも行かず、寝室の前でずっと座って待っていた。三日後に、寝室からパパが出てきた。パパだけが出てきた。
 パパは僕に「ご飯を食べよう」と言った。パパは今まで料理なんてしたことないのに、美味しいボルシチを作ってくれた。ママの作るボルシチと寸分違わぬ味だった。二人でそれを食べた。ママが何処にいったかは訊かなかった。訊いたが最後、このボルシチが最後の晩餐になるような気がしたからだ。
 ボルシチの夜から暫くして、僕が自分の部屋で本を読んでいると、パパが無言で入ってきた。ああ、ついに来たかと、僕は思った。
 今でも不思議なのは、何故僕が逃げ出さなかったのか、ということだ。誰かに助けを求めることもしなかった。思うに、どうやら最初にボボルスキ・ボボを見た時点で、僕は一種の洗脳か何かをされたらしかった。というのも、僕はボボルスキ・ボボの考えていることが解るのだ。逆に解らないのは、今こうして昔のことを思い出している僕は「僕」なのか、それともボボルスキ・ボボなのか、ということである。その境目は非常に曖昧で、はっきりと区別がつけられないのだ。最近は、元から僕はボボルスキ・ボボだったのではないかとすら思っている。去年の夏の出来事も、ニッキーやパパ達が消えたことも、全て僕、つまりボボルスキ・ボボが考えたお話しなんじゃないかって。
 でも、それは考えても答えのでない類の話だと思うので、なるべく考えないようにしている。目下僕の頭を占めているのは、同級生のアンジェリカのことだ。彼女のクセのついた赤毛のことだ。碧くて円い眼のことだ。しなやかな白い脚、特に脹ら脛のことだ。
 これから久しぶりに学校に行こうと思う。彼女に会いたくてたまらない。
 僕は家を出るとき「いってきまーす」と叫んだ。声は家中に響いたけど、返事はなかった。汚れた皿の上で踊り狂う蠅のブブブンブブブンという羽音以外、物音一つしなかった。
 でも返事が聞こえた気がした。「いってらっしゃい」と。
 僕の頭の奥底で。
志保龍彦
2012年10月02日(火) 23時48分33秒 公開
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No.3  蜂蜜  評価:30点  ■2012-11-06 00:27  ID:fxD0PHpbJtA
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TC『卒業』に際して、数名の、僕が一目置いている作者さんの最近作へ、感想を落としていくことに決めました。『卒業』の詳細は、掲示板をご覧下さい。

奇怪な話ですし、よくまとまっってはいますが、小ぎれいにまとまってしまっているところが惜しく、おもしろみを欠いていると感じました。

『なんでこんなに面白い話をこんなにつまんなく書いちゃうんだよッ!』

と、叱咤激励したくなりました。

破綻無く、淀みなく、及第点は差し上げられますが、このモチーフの取り扱いの杜撰さという意味では、

「これじゃプロじゃ通用しないよ」

と、言わざるを得ません。

面白い話なんです!
本当に面白い話なんです!
でも、なんでこんなに小ぎれいに、小さく小さく纏めちゃうの!?

SF作家なんでしょう?
もっとさ、突き抜けようよ? 
想像力の極北まで走り抜こうよ!!

僕から最期に言えるのは、以上です。

今後のご健筆をお祈り申し上げます。

私信:文学フリマの話ですが、ちょっと事情が変わってしまい、文フリに僕が出品するのは不適切になってしまいました。準備も進めていたのに、残念です。こちらから持ちかけた話で大変申し訳ありませんが、あの話、忘れていただけませんか?
No.2  HAL  評価:40点  ■2012-10-06 11:15  ID:AXeqh4JrETM
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 遅ればせながら、拝読しました。

 怖い! 上質なSFホラーでした。読みながら背中がざわざわしました……淡々とした筆致が効果的だったと思います。
 食べる対象が、何でもいいのではなくて、最初はともかく後半には、どうやら宿主が好意を向けている相手こそを食べようとしているらしいところが、ただ怖くて不気味なだけでなくて、ちょっと悲しいような余韻を残していると思いました。

 舞台がロシアというのを、時計職人さまのレスを見て、「あっなるほど、そうだったのか」とようやく気付いた次第でした。ふつうに日本の話かと思っていました……鈍い読者ですみません……。

> ボボルスキ・ボボの姿が、ピロシキから昆虫のような姿に変わっていたからだ。
 些事で恐縮なのですが、ここの「昆虫のような」というのがちょっと漠然としていて、てっきり昆虫っぽい特徴を備えてはいるけれども、もとの姿を一部残した透明の外観なのだと思っていたんです。あとまで読んだら、捕食したものと寸分たがわない姿になっているのかなーという印象だったので、そこだけ読み終わってからちょっと「あれ?」と思ってしまいました。最初は不完全で、捕食を続けるうちに擬態の能力も進化したということなのかな……。

 楽しませていただきました。つたない感想、どうかお許しくださいますよう。
No.1  時計職人  評価:50点  ■2012-10-03 22:38  ID:.oy212q2wQY
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どうも初めまして。時計職人と申します。
読ませていただきました。とても好みのお話でわくわくして読ませて頂きました。

ボボルスキ・ボボと言う名前がすごく不思議でかわいらしいですね。一体どのようにして思いつかれたのかお聞きしたいくらいです。
ピロシキ、ボルシチ、シベリアン・ハスキーと来ていますから、おそらく舞台はロシアなのでしょうね。ボボルスキ・ボボを主人公が見つけた場所は廃病院との事なので、冷戦時代のソ連で病院で極秘に研究されて出来、持て余されて放置されていた生物がボボスキ・ボボなのかな、と勝手に思いました。
いかんせん、おどろおどろしくて雰囲気があります。

周りの生物が段々と食われて取り込まれ、最終的に自分に迫ってくるというのはじわじわとした恐怖感を煽られました。また、他人と自分の境界線が曖昧になり、どこからが自分でどこからが他人かわからなくなると言ったディックのようなSFホラー的な要素も感じました。

食われた物はみんな意識の断片を残してボボルスキ・ボボの体内で溶け合っているのでしょうか。最後、主人公の頭のそこで「いってらっしゃい」と言ったのはおそらく母親か父親かな、と思ったのでそう思ったのですが……。最終的に人類はみんな食べられちゃって、エヴァの人類補完計画みたいにみんな一つになっちゃうのですかね。うーん、考えさせられますね。


面白い作品をありがとうございました。特にロシアが舞台の作品はあまり無いので、ロシア好きとしては読めて嬉しかったです。
それでは、執筆お疲れ様です。拙い感想ですが、お許しください。
それでは失礼します。
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