アフィリエイジ
 男は部屋の中でぼんやりと死を待っている。
 先日、両親が揃って事故死し、二人には生命保険も掛けられていなかったため、葬儀やその他の細々としたことで金が出てゆくばかりだったのだ。
 そして男は、生まれてこの方働いたことがない。どこの企業で就職のための面接を受けても、
「君からは働きたいという意欲が感じられない」
 と、けんもほろろに断られるばかりだ。
 男は自分の何が悪いのかを、殺風景な部屋で考えていた。
 子供の頃から、周囲の大人には欲のない子だと褒められて育ってきた。そう言われることが嬉しかったからというわけではなく、男には本当に欲というものがなかった。手の掛からない子供だったのだ。
 学生の頃、友人に彼女を作る気はないのかと問われ、欲しいと思わないと答えた。決してモテないことへの強がりではなく、そんな欲求など湧いたことさえなかった。
 現在、両親が借りてくれた部屋に一人暮らしをしているが、ほとんど物らしい物はない。貰っていた仕送りの額では、普通の人間なら最低限の生活すらままならないはずだったが、男はアルバイトもせずに日々を送っていた。
 男には本当に欲がない。手に入る限りの安い食料で食い繋ぎ、それ以外に何もすることがなかった。
 しかし、そんな無欲な男も何も食べずには生きられない。積極的な食欲があるわけではないが、さすがに食べなければ死んでしまう。この部屋もじきに追い出されるだろう。何しろ、家賃を払う者がもういないのだから。
 それでも、男はあまり気にしていなかった。生きたいという欲求も特になかった。
 男はごみ箱の中身を纏め始めた。ごみらしいものはほとんどなかったが、最後に食べた食パンの空袋だけがひとつ入っていた。当然、ジャムの瓶やバターの包み紙など存在するはずもなかった。
 単に今日が燃えるごみの回収日であるからという習慣で、男はそれだけを集積所に持って行くべく立ち上がった。
 玄関のドアノブを回して押すと同時に、チャイムが鳴った。
 普段なら応対しようとも思わないが、半開きのドアの隙間の向こうの訪問者と目が合っては仕方がなかった。男はそのままドアを押し開けて訪問者が用件を告げるのを待った。
 訪問者は大家だった。家賃の催促だと男は思ったが、大家の口から出たのは意外な言葉だった。
「家賃はもう頂いていますから」
 男の両親が亡くなったことは大家も知っているはずだった。そして、それが家賃の支払いを滞らせることも同様に。
 それだけを告げて背を向けた大家に、男は当然の疑問をぶつけはしなかった。一体誰が払ったというのか、それを知りたいという欲求が湧いて来なかった。
 一度は閉めたドアだったが、手に持ったままの袋に気がついて、男は再度ドアを開いた。今度はそこに別の訪問者が立っていた。
「あなたの口座に、今月から毎月最低限の額を振り込むことになりました。いや、最低限と言っても我々ではとても生活出来ない額ではあるのですが」
 無表情のままドアノブに手を掛けている男に、訪問者は構わず話を続けた。
「あなたの部屋の映像を見るために動画の再生ボタンをクリックした人が出る度にごく少額の、実際に商品を買った人が出る度にそれより多い額の報酬がプールされています。それは今も続いているのですが、そこからあなたに、あなたにとっての最低限の額だけを毎月お払いするという契約ですからね」
 それは男の両親が交わした契約だった。生まれてすぐに本能的な欲求を司る大脳辺縁系に手術を施して、無欲な人間を作るというサービスを提供する会社との。
「職もない、将来の保障もない、夢も希望もない――そんな世代の人間が世の中をエコロジーに生き抜くための欲求抑制サービスは、あなたというアフィリエイト・プログラムのおかげでまずまず繁盛しているのです。あなたはサンプルであると同時に広告です。あなたの部屋の映像は二十四時間三百六十五日、リアルタイムで見ることが出来るようになっているのです。ほら、これがエコロジーなサンプルですという具合で」
 男は、へえ、と思った。それだけだった。見られて困るものがなかった。性欲すらないので自涜に耽ることもなかったのだ。
 ドアを閉めた男は、手の中でくしゃくしゃになっているパンの袋を見つめながら、訪問者の話を聞いているうちにごみの回収車はもう行ってしまっただろうと思った。それから、銀行に行けばまたこれと同じパンが買えるのかと、何の感慨もなくそう思った。
脳舞
2012年06月04日(月) 23時23分18秒 公開
■この作品の著作権は脳舞さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 書くものがずるずると冗長になる傾向があるため、「原稿用紙五枚に収める」という目標を定めて書いたものです。結果から言えば、五枚を二行だけオーバーしてしまいました。
 冗長ではなくなったと思うのですが、逆に窮屈になってはいないかどうかという点が気にかかります。そして説明を極力省いたために解りづらくなっていないかという点も。
 その他、指摘などいただけると嬉しく思います。

この作品の感想をお寄せください。
No.8  脳舞  評価:--点  ■2012-07-22 21:06  ID:vbFRuyuhwTI
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>マサチューサ様
 育児放棄よりは幾分かマシ……とも言い切れない感じの話です。嫌な雰囲気の話が好きなんです。フィクションの中だけの絵空事であって欲しいですが。

>G3様
 こんなサービスが選択肢の中に入ってしまうような、そんな世界の話なのです。この男はまだその先駆けといった感じで、流行らなければそれに越したことはありませんが。親も将来に絶望してたのでしょうね、きっと。

>かなたん様
 ディストピアにしかなり得ないでしょうね。この贅肉をこそげ落としたような書き方は私にとっては原点回帰でもあるのですが、この書き方をしていた頃にはいろいろと批判も受けました。文章に温度がないだとか、余裕がないだとか、至極もっともなものを。
 でも、この内容ならばこの書き方で良いだろうと信じています。出来の良し悪しは措くとしてですが。

 お三方とも、感想を有難う御座いました。
No.7  かなたん  評価:30点  ■2012-07-22 18:15  ID:A1kyEuqeoCs
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読みました。
着想の良さ、それを引き立てる端正な文章、無駄のない展開等、筋肉質な作品だと感じました。
作者コメに書かれているような、ずるずると冗長になるという悩みはぼく自身にもあるため、なるほど、こういう修行の仕方もあるのだなと思った次第です。

人間の欲望は果てなく時に醜いものですが、それを完全に抑制したとしても、ディストピアのような世界ができあがっちゃうんだろうなあと思ったり。
色々と想像をかき立てられる、良いお話でした。
それでは。
No.6  G3  評価:30点  ■2012-07-15 23:01  ID:v1oYWlDv7GQ
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読ませて頂きました。おおっ、そう来たか、という感じです。子供の生きて行く未来を憂いて施す内容としてはあまりに悲しい選択だなぁと思いました。逆に犯罪者になりそうな予兆に脅えての選択というのも有るかもな、と思いました。いずれにしても絵空事だけでは済まされない時代であるように思います。ただ、彼に用意された生きる道が私には少し脆弱に思えました。この他に新薬のモニターであるとか、何かの実験とか、ご両親にはもう少し確実性のある方法を選択して欲しかった。そんな親も無気力なのかなぁとも思いましたが。
面白かったです。
No.5  マサチューサ  評価:30点  ■2012-07-12 13:12  ID:oCtkFZvppYg
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 こんにちは、お初です。
 説明が必要最低限で、とてもまとまった文章なので、非常にうらやましく思えました。淡々とした描写が、男の怠惰さとうまくマッチングしていたと思います。
 僕も、我が子をなんの面白みも無い人生に放り込む親なんて信じられませんが、近頃は育児放棄や虐待をする親も多いようなので、あながち絵空事でもないように感じられて、恐ろしいです。
 これからもがんばってください。
No.4  脳舞  評価:--点  ■2012-06-10 15:16  ID:vbFRuyuhwTI
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>ゆうすけ様
 ロボトミーと意味合いはほぼ同じなのですが、そちらは治療が目的の外科手術なので一応分けておきました。この話の場合は対象者が健康体ですから。
 親がこのサービスを利用した理由は、世の中に(特に子供が独り立ちする頃の将来に)絶望を覚えていたからです。若年者から見た現在の日本を少し大袈裟に考えれば近いかと思います。別に風刺とかではないのですが。職も将来の保障も夢も希望も――の辺りがその表現だったのですが、確かに背景の説明はあまりにも簡素過ぎましたね。反省。

>境様
 言われてみると、確かにこの男が今まで生きてきたことが不自然な気がしますね。生きてきたというよりは「人生をやり過ごしてきた」という感覚で書いていたのですが……ある程度までなら、何もせずに生きることは容易いものだと思います。
 キレが良いとお褒めの言葉を頂きましたが、やはり説明なり話そのもの以前に対する疑問など、引き換えに犠牲になった部分は多々あったようです。

>HAL様
 このサービスを利用した理由については、ゆうすけ様も引っ掛かっていた箇所のようなので、やはりそこの説明は掘り下げるべきでした。こういうものって書いている自分は当然わかっているせいか、疎かになりがちです。「説得力の担保」というフレーズが妙に突き刺さったので、しっかり心に留めておきます。
 サービスの利用の代金については「サンプルであると同時に広告」なので、負担がなかったのか安価だったのか、まあどちらだとしても問題はないだろうと省いてしまったのですが、これも前述の問題と同じであまりにも説明が足りませんでした。難しい。
 話は逸れてしまいますがHAL様の書く物語は、長く書くべき話を長く書いているのでさしたる問題はないと思うのです。私の場合は短く書ける話が無駄に長くなってしまい、密度の薄い文章になるきらいがあるので少し戒めようと目標を作ってみたのです。ですから、HAL様は別に心配しなくても良いと思うのですが。

 お三方とも、こんな拙文にお付き合いいただき有難う御座いました。
 
No.3  HAL  評価:40点  ■2012-06-09 20:02  ID:mcritlFxpwI
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 拝読しました。

 面白かったです。強欲が悪徳というのは、実感としてわかるのだけれど、しかし、無欲というのは本当に美徳なのか。そういうことを、ふと考える機会がこのごろ続いていたものですから、タイムリーに本作を拝読しまして、あらためていろいろ考えこんだりしていました。

 流れるような展開、過不足のない説明で、解りづらいということは感じませんでした。ぞっとするような真相と、それを不愉快と思う気力さえない主人公の哀れさ、彼をそうさせた世界の不条理さ。淡々としたラストが、なんともいえず悲しいです。

 きれいにまとまった掌編でしたが、気になったことをひとつ。「生まれたばかりの子どもに」手術をするサービス、という部分です。
 これがもし、男が人生の競争に敗れてニートになったから、親がその手術を決意した……というのなら、酷いなりにも理屈の通る話ですけれど、まっさらな未来のある赤ん坊に、あえてそれをしたわけですよね。
 ではなぜ、人々はこのサービスを利用するのか? という疑問が、ちょっと残りました。
 この主人公のケースだけならば、愛情のない親だな、と思って終わるのですが、サービスの普及が始まっているという描写がありましたので。こうしたサービスが流行りだすことへの説得力の担保、が、もうちょっと欲しかったような。

 といっても、じつは初読のときには気にならず、二読めで「あれ?」と思っただけだったので、重箱の隅をつついているだけのような気もします(汗)設定が面白いだけに、ついいろいろ考えたくなってしまいました。
 たとえば、親たちもまた貧困にあえいでおり、どのみち子どもに投資をする余裕がないから、自分たちの子どもは落伍するに違いない、と思っている可能性。この場合は、そのサービスを利用する代金はどこから出すのか? という疑問が出てきますが、しかし、技術が進んでいて、あんがい安価なのかな。そう考えると、ますます怖いですね。人の脳をいじるような手術が、手軽に、安価で行われる時代。
 あるいは、無欲というのが、新世界の哲学なのか? 我が子を人の世の欲という業から解放しようという、宗教的/哲学的な理由?
 でなければ、我が子が競争に勝ち抜く可能性さえ検討できないほど、なまなかでなく貧困の深刻化した社会なのか……。

 贅沢をいえば、そのあたりをもうちょっとつきつめて、詳しく読んでみたかったような気もします。……と、己の書くものの考証の甘さを高い棚に上げて、ものすごい勝手なことをいっているという自覚はあります……。いうだけなら簡単ですね(汗)

 コメント欄を拝見すると、長さの制約があったとのこと。わたしこそ話が冗長になる傾向があるので、見習ってそういう修行をしてみようかなあ、なんて思ったりしつつ。しかし五枚で起承転結をつけて面白く読ませるということが、どれだけ腕のいることなのかを考えると、考えただけで心が折れました。
 だけど、理想ですよね。無駄のない筆致、しっかりと組み上げられた、流れるような物語。伏線のためだけの退屈な場面や、つまらないシーンなどひとつもない。そんな話が書けたら、幸せですよね……。
 五枚とはいわなくても、少しでも見習いたいです。

 ……と、つい感想外の無駄口が増えてしまいましたが(←話が冗長になるタイプ)、なにはともあれ、楽しませていただきました。
 拙い感想、どうかお許しくださいますよう。次回作も楽しみにしています!
No.2  境  評価:40点  ■2012-06-06 00:53  ID:gNCXE32rH2E
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 読ませていただきました。
 これはキレのいいショートショート……! 
 発想、展開、皮肉感といい、ショートショートとしては理想的な作りだという風に思いました。
 ただ逆にいうと、この設定だとこの男がここまでどうやって生きてこれたのが不思議で仕方がないというのがあります。個体保全の能力で、どこまでもつものなんでしょう。
 と、そういう妄想を楽しめるほど、刺激的なテーマでした。しいていうと無欲な人間の表情の描写があれば、ほしかったなと思います。しかしとにかく、面白かったです。
No.1  ゆうすけ  評価:30点  ■2012-06-05 09:15  ID:1SHiiT1PETY
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拝読させていただきました。
無気力症候群のような主人公、ただのだらしのない男かと思ったら衝撃の結末。この意外性にまず驚かされました。
次に思ったのが「親は鬼畜か!」です。子供の脳をいじって廃人にする、あまりといえばあまりの非道。
貧困な親が生活の為に子供を犠牲にしたのかな。ここら辺は本筋ではないのかもしれませんが、読者ってのは変な所に引っ掛かるものです。
大脳辺縁系……視床下部の機能を低下させたのかな。性欲も食欲もなくなりますし。ロボトミーで済みそうな気もするな〜。
行き詰った人の欲望をなくして穏やかな余生を送らせる……皮肉がこもった面白いテーマだと思います。逆に欲望を漲らせて社会の活力を生むとか、想像を喚起させられました。
社会情勢とか、背景がもうちょっと分かった方がより楽しめた気がします。
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