雨物語。 |
その日は酷い雨音で、中々に寝付けない夜だったと記憶している。まあ、昼寝に耽いっていた為、その夜は眠れなかったのかも知れない。 柔らかな布団の感触、寝返りを打つと飲みかけのペットボトルが脇腹の下敷になり痛みが走った。 「ああ、眠れないなぁ!」 ヒステリックに私は叫ぶ。しかし、その次の瞬間には部屋はシンと静まり、ただ雨音が耳朶に染込むだけになる。 ―――寂しい。 「全く雨は嫌いだ」 呟き、私はまた布団を被り、枕に顔を埋める。目覚まし時計に目をやると、短針が二と三の間を指していた。私は十二時ピッタリに床に入ったので、かれこれ二時間半ほどこの様な状態が続いているらしい。 もし、誰かが隣に居てくれたら子どもの様にすやすやと眠りにつけるのだろうか。私を愛してくれる人が隣にいてくれたら天使のように眠られるのだろうか。いや、多分それでも私は眠れないだろう。雨が五月蠅いから。 嫌気が指して、私はとうとう厚手のカーテンをガラリと開けた。別段、雨を止める力なんて物は持ち合わせては居ないため、ただこの雨が、この夜が、通り過ぎるまでその時が来るまで、この夜と向き合おうと決めたのだ。 私が住んでいるのは分譲マンションの五階の為、こんな雨の夜でも煌びやかに光る東京が視える。でも、この俯瞰の風景はあまり好きでは無い。私自身、その硝子細工や光り輝く宝石の類が好きではないため、それを集合させたような、宝石の山を彷彿とさせるこの風景は好きでは無かった。 退屈だ。 こんな夜は本当に誰か隣に居て欲しい物だ。 そんな妄想に溺れそうな時だった。 インターホンが鳴ったのだ。 誰だこんな夜に、とモニターを覗くとそこには傘も差さずにここまでやってきたのか、ずぶ濡れの見知らぬ男が立っていた。夏でもないのにシャツ一枚で、寒くないのだろうか。 誰だろう。 普段なら、変人が来たと特別気にもせず居留守を使うのだが、この時の私は少々この夜に飲み込まれそうな、そんなイメージに囚われ、妙に心細かったため、よく考えずに私は受話器を取っていた。それが当たり前の行動だと思ったのだ。 「どちら様でしょうか……」 訊くと、モニターに映る男が顔をぬう、と上げた。無精髭に光を失ったように暗い瞳をしていた。 ―――似ている。私と。 男は予想したとおり寒さで震えながら、話し出す。 「……すみません、今夜だけ……、今夜だけで良いので泊めて貰えないでしょうか。朝には帰りますから……」 男はそんな事を云っていた気がする。しかし云っている割には男からは焦燥感という物は感じなかった。 何故、私の所に。偶然? 「あの、どうして……」 「すみません、理由は詳しくは云えないのですが……本当に今夜だけで良いんです……」 やはり、焦りは感じない。それどころか非常に落ち着いて言い聞かせる様な口調だ。 怪しい、怪しすぎる。 当時の私もそうは思ったと信じたいが、この夜の所為で私は常軌を逸していた。 「わかりました。―――入って下さい」 私は玄関に向かい、鍵とチェーンを外す。間もなくして男は入ってきた。モニターで見るよりも背は高く、細身だ。 「感謝します」 「いえいえ……今晩だけなら」 云って灯りを付けようとしたが、 「いえ、灯りは結構ですから……何もしないですし、ただ、この雨があまりに酷いので……」 私は彼が冷えたままではいけないと、洗面所からタオルを持ち出し、それを貸した。男は受け取ると、すぐに頭、腕と拭き、水滴を払い落とす。 「ご自宅は?」 私は訊いてみた。 「家は、今探している途中でして。最近地方からこっちに引っ越してきたのですが、住むはずだった家が放火かわかりませんが、燃えてしまって……」 平坦な口調で男はそう言う、灯りが点いていないため表情までは確認できないが、そこまで悲しんでいると言う風でも無かった。 「そうですか、大変ですね」 「でも、ありがとうございます。貴方の様な人が居なかったら自分は今夜も一人で、雨に濡れることでしたから」 「今夜も?」 男はタオルを私に返し、話し出す。 「ええ、昨日も雨は夜、雨は降っていたんですよ」 「そうですか? 私、昨日も夜起きてましたけど……雨は降っていませんでしたよ?」 そうだ。昨日も私は寝付けずに外を眺めていたが、昨夜は鋭利な三日月が夜空を奪っていた。 「いえ、違います。昨日は今日にも増して凄い雨が降っていましたよ。その所為で自宅に居た自分もかなり濡れましたから」 そこで私は矛盾に気が付いた。 自宅に居た? 家が焼かれて今、探している所じゃ? やはり、彼は怪しい。焼けたゴムのような……異臭もするし。 「あの、自宅は焼けたんでは無いですか?」 気に掛り訊いてみた。 「ええ、すっかり焼けましたよ。見事にね。今日みたいな雨が昨日も降っていたら焼けなかったんでしょうけどね」 その時、知らず雨が止んだのか雲の裂け目から三日月が顔を覗かせた。その光は開けていたカーテンから部屋に侵入し、私と男の姿を写し上げた。 「いや―――」 私は小さく悲鳴を上げた。目の前に居る男の顔が先程とは代わり、見るも無惨に焼け爛れ所々黒く変色しているからだ。目も片目は溶けてどろっとした液体が流れている。 「自分、昨日、家事で死んだんですよ。全く知らない人に家を燃やされてね」 男の言葉を訊いて私は今朝やっていたニュースを思い出した。内容は都内で放火事件があり、家屋が全焼したという物だ。 死者一名と云う話しだけど……。彼がその一名という事か。 「消防に雨みたいに大量の水かけられたんですけどね。焼けた皮膚には痛いのなんのでね」 男が語尾を強め私にじりじりと近付いてくる。距離は一メートルも無い程だ。それでも、逃げようと私は後退りをする。 「こ、来ないで下さい……!」 訊くはずもなく、男は口を開け血のような涎を吐く。 「一人で死ぬのは嫌なんですよ……だから一緒に逝きましょうよぉ」 「嫌、来ないでお願い!」 もう一歩下がろうとした時、踵に壁の感触があった。その時、私の心臓は破裂するのでは無いかと思うほど高鳴った。 男の指の足りない炭化した手が私の喉元にキリキリと食い込む。通う熱は尋常じゃ無いほどだ。 熱い。 とても、尋常じゃ無いほど……熱い……。 「た……すけ……て……」 ………。 翌朝も昨夜と打って変わらず酷い雨だった。 その雨音で目が醒めると例によって私は布団を被っていた。はっとして首元を触る。しかし何もそこにはなっていなかった。 「夢かぁ……怖い夢」 嫌な夢で、寝起きが悪い。 身体を起こし、顔を洗うため洗面所へ向かう。夢を思い出し一瞬、玄関を一瞥したが、やはりそこには何も無かった。鏡を見ても、やはり首には何の痕跡もなかった。良かった、本当に夢のようだ。 顔を洗い、タオルで顔を拭く。異変に気が付いたのはその時だった。 拭いても拭いても、湿った感覚が抜けないのだ。どうしてだろう。もう一度拭いてみるが、やはり湿っている……、と言うより拭けば拭く程、濡れていくような雰囲気だ。タオルが元々濡れていた? それに何だか変な臭いもする。 私はゆっくり顔を上げて、タオルを確認した。それとほぼ同時に、 「―――嫌!」 夢と同じように私は声を上げ、持っていたタオルから反射的に手を離す。 血だ。 タオルの内側に、血と何か良くわからない黒焦げた粕の様な物、そして蛆がびっしりと付着し蠢くいていたのだ。気持ちが悪いと言う物では無い。これで顔面を拭いていたと思うと背中が弥立つ。 慌てて鏡を覗く。 そこで私はまた声を上げた。 そこにあったのは、夢に出てきた男と同じように紅に塗れた私の歪んだ顔だった。 |
邂夏
2012年03月01日(木) 21時36分28秒 公開 ■この作品の著作権は邂夏さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.4 プラズマクラスター 評価:40点 ■2012-12-09 16:16 ID:hFy7mUL.M6I | |||||
失礼しました。点数つけ間違いです。 | |||||
No.3 プラズマクラスター 評価:20点 ■2012-12-09 16:15 ID:hFy7mUL.M6I | |||||
拝読しました。面白かったです。 >当時の私もそうは思ったと信じたいが この一文があることによって主人公の回想になっていますが、 あとあと作品に効いてくる部分ではないようなので、 削るか表現を変えたほうがいいんじゃないかと思いました。 >「一人で死ぬのは嫌なんですよ……だから一緒に逝きましょうよぉ」 なぜか甘えた口調で脳内再生されてしまい、クスッとしてしまいました。 でも結構物語に引き込まれました。荒削りでも才能を感じる作品でした。 |
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No.2 邂夏 評価:--点 ■2012-03-17 23:36 ID:ZeBLG8V72F2 | |||||
ゆうすけ様、ご感想ありがとうございました。 受験や何やで色々と立て込んでおり、返信がかなり遅くなってしまい申し訳無い限りです。 確かに夢オチでは無いと言う所は……考えたのですが文章がまだまだ稚拙で出来ませんでした。すみません。 励みにして頑張ります ご感想ありがとうございました。 |
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No.1 ゆうすけ 評価:20点 ■2012-03-04 12:47 ID:m0hMR5bWYIY | |||||
拝読しましたので感想を書きます。 一時間ぐらいで書いたとの事ですが、慌てる必要はないと思いますよ。「火事→家事」大事な場所が誤字ですとすっかり興ざめしてしまいます。 主人公は老若男女いずれでしょうか? 映像として想像するために冒頭に描写があった方がいいと思いました。若い女性だったら、ちょっと悩ましいシーンとかあるといいと思います。 見知らぬ妖しい男を部屋に招き入れるのもやや違和感あります。主人公となんらかの因縁があったほうが自然だと思いました。例えば、別れた恋人とか遠くに住む親せきとか最近会っていない同級生などを招き入れる若い女性とか、定番すぎですが。 夢だと思って安心したら、夢だけではなかった。ここももう一ひねり欲しいです。 きつめに書きましたけど、めげないで頑張ってくださいね。 |
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総レス数 4 合計 80点 |
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