タクシー |
暗い山道を走る車は俺の運転するタクシー以外になく、ところどころに設置された自動販売機の明かりがとどく範囲以外はまるで死んだような景色だった。ちらちら通り過ぎていく桜の木。わずかに残る花びらが必死に枝から落ちまいとするさまは今の俺の姿と――闇に落ちまいとあがく俺の姿とよく似ていた。 俺は今、あの男との約束のために車を走らせている。俺はあの日、あの男と会って以来、人を信じることを忘れてしまった。だが決して恨んではいない。むしろ感謝している。あの男のあかげで俺は助かるのだから。 あの日、男はこう話しかけてきた……。 ※ 「もしもし。こちら、タクシードライバーさんですかな?」 太陽がまぶしい昼下がり、突然サイドミラーに現れた男はこう俺に話しかけた。黒い背広に真っ赤なネクタイ、黒い帽子という服装に貼り付けたような笑顔が印象的で、背が高いわけでも太っているわけでもないのに妙に威圧感というか、雰囲気のある男だった。 コンビニで買った菓子パンで昼食をすませたあと、近ごろの日課になっている「花見休憩」をしていた俺は耳を疑った。俺に聞いたのだろうか。もしそうなら車を見ればわかるだろうに。男のべったりした視線を見るかぎり視力に障害があるようにも見えなかった。 とにかく、サボる時間は終わったわけだ。どこに障害があろうと客は客、無視するわけにもいかない。四年半前、始めてこの車のハンドルを握ったその日からお客様は神様だと教えられてきたのだ。 「ええ、そうですよ。どちらまで?」 「あぁ、そうですか。良かった。○○駅までお願いします」 男の目的地はずいぶん遠い駅だった。こういう客なら神様と呼ぶのもうなずけるってもんだ。俺は何も言わずに後ろのドアを開けた。しかし、男は乗ろうとしない。 「あの、すいません。助手席のほうに座ってもかまいませんかな?」 笑顔をくずさないまま男は、申し訳ないような嬉しいようなあるいは恥ずかしいような声色で言った。なんだか妙な男だ。しかしお客様は神様である。俺は後ろのドアを閉めてどうぞ、と短く答えた。 「失礼ですが、……伊藤、信二さん? タクシードライバーを始めて何年になるのですかな?」 一つ目の信号が青に変わったとき、助手席のまえにある俺の名札を見ながら男は言った。やはり、視力は正常なようだ。アクセルを踏み込んで、俺は答えた。 「そうですねぇ。もう二、三ヶ月もすれば五年になりますかねぇ」 「ほう、随分と長い……。いえ、すいません。年をとると思った事がすぐに口をついて出てしまう。聞き流してください」 つくづく妙な男だ。何が失礼なのだろうか。それに五年といえば決して長い期間ではないはずだ。 「そんなに長いですかねぇ。まだまだ会社では半人前扱いなんですが」 男は目を丸くして、僅かに口のはしをつりあげた。仕掛けた罠に獲物がかかったときの狩人を思わせる表情だった。 「おや、まさか、ご存知ない……? ということはあなた……いえ、すいません。どうも年をとると……。伊藤信二さん、か。……お気の毒に」 俺の顔と名札を交互に見据えながら男はつぶやいたが、最後の方は声が小さくて聞き取れなかった。聞き取れなかったが、なにやら不吉な空気を耳ではないどこかで感じた気がした。俺がいったい何をご存知ないというのだろうか。 それから男はしばらくなにも喋らなかった。俺もあえて何も聞かなかった。 車内の沈黙を破ったのは無線の声だった。目的地まで半分ほど進んだかという所だったと思う。 「○○の××番、お願いします」 同期の沢田の声だった。今の暗号のような言葉はその場所に客がいるので行ってくれないか、という内容だが、俺は無視する。もちろん今は客を乗せているので当たり前だが、そうでなくとも俺は時々無視している。特に今の沢田からのときは必ず。沢田は俺と同期のくせに成績は月とすっぽん、どんどん出世していくムカつく野郎だ。つまるところ、そのささいな仕返しとして無視させてもらっているわけだ。 俺はなんとなく少し機嫌が良くなって男に話しかけた。 「さっきの話ですけど、ご存知ないってなんの事ですか?」 「……聞かない方がいいですよ。あまり面白くもありませんしな」 「そんなぁ、教えて下さいよ」 どうやら俺は相当調子に乗っていたようだ。しぶる男にしつこく食い下がった。 「そこまで言うのならお教えましょうか。タクシードライバーという職種ですが、その免許に2種類あることをご存知ですかな?」 話すのを嫌がったわりにはなんだか嬉しそうに男は語り出した。俺は軽く首を横にふっていいえ、と答えた。 「そうでしょうな。実はタクシードライバーというものを続けてですね、ある程度の成果をあげるとですね、上級資格というものがもらえるのですよ。そして一般的にタクシードライバーとは、まだその免許を持っていない方たちの事を指します。伊藤信二さん、あなたのようにね」 あのときの言葉はそういう意味か。それにしてもリアリティに欠ける話なのにこの男が言うと本当に聞こえるから不思議だ。あるいは俺の上機嫌のせいだったのか。 「へぇ。それで、上級資格を持った人はなんて言うんです?」 「上級ドライバーと呼ばれていますな。彼らは一般のドライバーより給料がいいだけでなく、待遇も違ってきます。仕事をサボって桜を眺めてもかまいません。目的地が極端に近かったり遠かったりするときは客を乗せなくてもかまいません。まぁそういった人はあまりいないようですがね」 冗談半分の俺の質問にここまで答えるとは、なかなか面白い客だ。それにサボりとはどうやら俺の事を言っているらしい。それで俺が上級ドライバーだと思ったのだろう。乗せてもらえないかもしれないと思ったのだろう。今までの不審な言葉の辻褄は一応合っているわけだ。 「面白い話じゃないですか。俺もなりたいですよ。上級ドライバーでしたっけ?」 「はい。しかし問題はそこでして。本当に聞きますか?」 男の口のはしがつりあがった。 「そこまで話しておいてそれは無いでしょう。聞かせて下さいよ」 俺は男の話に聞き入っていた。話し方や声のトーンもそうだが、なによりこの男の放つ形容しがたい雰囲気が話に真実味を帯びさせていたのだろう。冗談半分、つまり俺はこのときすでに男の話の半分くらいは信じていた。 「では、お話しましょうか。上級資格というものはですね、普通は三年半から四年ほどでとれますな。私の知り合いに五年ギリギリでとった人もいますがね」 「へぇ、じゃあ俺もそろそろもらえるんですかね。いやぁ、嬉しいなぁ。……ん? 五年でギリギリってのはどういう事ですか? 何か期限のようなものが?」 「そう。そうなのです」 やっと問題の答がわかった出来の悪い生徒をさとすような言い方だった。さらに男は手品のネタばらしをするような、聞かせたくてたまらないといった口調で続けた。 「五年以上かかっても資格をとれなかった者はクビになるのですよ。そんな人間は会社に必要ないとみなされてね。まぁ早い話がリストラですな」 そうなのか。それはまいったな、おそらく俺は駄目だろう。あくまでも男の話が本当ならの話だが。一応、来月あたり雇ってくれそうな所を探しておこう。 「しかしですねぇ、成績が特にかんばしくない者はさらに他の処置を受ける事になるのです。かなり稀なケースのようですがね、しょっちゅう車を停めて仕事をサボったり無線を無視したり……といった具合の人は危ないようですな」 「他の処置? 一体なんですか? リストラ以上となると……罰金とか?」 自分の発言が全くの的外れであることに俺は気づいていなかった。罰金なんてあるはずがない。俺はもうすっかり男の話を信じきっていた。男はさきほど見せた狩人の表情を浮かべて、低い声で言った。 「そんな甘いものじゃありません。消されるのですよ。ええ、この世からです」 俺は凍りついた。一瞬、頭の中が真っ白になる。その男の口から出てくる言葉は俺にとっては真実だった。俺はひたすらにあせった。 「そ、そんなバカな。消す? 殺すってことですか? 人を? 仕事をサボったことで? そんな事、俺は聞いてないですよ!?」 さっき男が言った稀なケースとはまさに俺の事じゃないか。ハンドルを持つ手が震える。 「ええ、そうでしょうな。普通は消す予定の人には言いませんから。混乱が起きてしまう。……すいません、今の交差点を左だったのですが」 「え? ……あ! すいません。メーター止めます」 俺は慌てて震える手でメーターを止める。もう目的の駅は目と鼻の先だ。こんなところで道を間違えるなんて、これじゃ殺されても仕方がない。そのときまた無線機が、沢田の声で喋った。 「よう、信二。今晩さ、先輩達と飲みに行くんだけどお前も行かねぇか? 終わったら電話くれよ。今日は先輩達がおごってくれるらしいぜ。それにしてもお前、またさっき無視しやがったな。もう新人じゃないんだからさ。そんなんじゃお前のクビ、とばされちまうぜ」 かなり大きな声だった。メーターが止まっているので客を乗せていないと沢田は思ったのだろう。しかし、そんな事はどうでもいい。俺はもう気が気では無かった。先輩達ってのは上級ドライバーの先輩達のことを言っていたに違いない。沢田はもう資格をとったのだろうか? それに最後の言葉……やっぱり男が言っている事は本当なんだ! 「その資格をとるためには何か試験のようなものがあるんですか!? 今からでも間に合いますよね? このままじゃ消されちまう! 教えてください!」 男にすがるしか無かった。パニック状態の俺とは逆に、男は涼しい顔をしていた。 「まぁ難しいでしょうな。試験ではなく積み重ねによる審査ですからな。方法があるとすれば、ただ一つ……。この辺で降ろしていただけますかな」 俺は不器用に車を止める。全く、こんな運転技術でよく今まで殺されなかったものだ。 「教えてください! お願いです、どうか!」 男は代金を座席に置き、ドアを開いた。 「仕方ありませんな。では、よく聞いて下さい。まず、審査をしている人は一般の乗客に紛れ込んでいます。常に疑うことです。世間話などはあまりお勧めできませんな。そして……」 ※ 男は言った――そして……審査のことについてここで話すのはまずいので後日、場所と日にちを改めて教えます。 俺は男に渡されたメモの通り、目的地に向かって夜の山道で車を走らせている。人が通る事は昼でも滅多に無い場所で、行方不明になった者の死体がたびたび見つかるそうだ。ここなら誰にも聞かれない。 俺はあの日から男が言ったとおりに乗客すべてを疑い、話すことも極力さけるよう心がけた。サボることもずいぶん減った。もう少しで待ち合わせの場所だ。俺は死ななくてすむ。俺は助かるんだ。 俺は歓喜のあまりアクセルが全開になっていることに気づかなかった。路面の黄色い文字が何かに覆われて見えにくくなっていることに気づかなかった。最後に見えたのは、錆ついて今にも折れそうなガードレールだった。 「もしもし? 社長さんですかな? 私です。ええ、すべて終わりました。……はい。わざわざオイルをまく必要は無かったようですな。やはり彼の運転技術は拙い……。では、失礼します」 携帯電話を内ポケットにしまって、男は車が落ちていった崖のあたりを見た。その男は黒い背広に真っ赤なネクタイ、黒い帽子を身に着け、顔には貼り付けたような笑みを浮かべていた。 |
雪踏
2012年01月29日(日) 16時42分01秒 公開 ■この作品の著作権は雪踏さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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No.4 雪踏 評価:0点 ■2012-01-31 14:10 ID:T/ncJda.ROw | |||||
>zooeyさん やはり生死に関わる問題に繋げるにはまだまだ演出が足りないですね。会話ももちろんですが、男の風貌やラジオなども上手く利用してもうひと工夫加えてみたいと思います。 ラストがあっさりというのは気づきませんでした。言われてみればなるほど確かに…。あまりしっかりした勉強をしてこなかった私には新たな着目点でした。 お褒めの言葉も励みとしてありがたくいただきました! ありがとうございました。 |
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No.3 雪踏 評価:0点 ■2012-01-31 13:13 ID:T/ncJda.ROw | |||||
>ゆうすけさん オチありき、完全に図星です。殺人の動機はいろいろ模索中ですが保険金と罪のなすりつけ、おおいに参考にさせていただきます! もし聞いてもらえなかったら、というのはあまり気づいていませんでしたが客観的にみると致命的ですね。研究します。 ありがとうございました。 |
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No.2 zooey 評価:30点 ■2012-01-31 01:13 ID:1SHiiT1PETY | |||||
こんばんは、読ませていただきました。 プロットがとても面白いですね。 「世にも奇妙な物語」というと、ああたしかになあという感じです。 タクシー内の雰囲気も、特に前半のお互いに様子をうかがっている段は、とても雰囲気が出ていました。 唐突にかかる無線の声もいい味を出しているなあと。 ただ、後半に差し掛かってくると、少しもったいないなと思う箇所がありました。 まずは、男が「成績が芳しくない者は消される」という話をした時に、すっかり信じてしまう主人公にリアリティが感じられなかったところです。 それまでの、ふざけ半分で聞いていた雰囲気、 「成績が芳しくない者」というワードから少し不安を覚え始めるところなどはとても良かったのですが、 そこで「殺される」という、普通に考えたらあり得ない状況を叩きつけられて、鵜呑みにして焦りまくるのは、私にはしっくりきませんでした。 あり得ないと言ってバカにしていても、次第に男を信じてしまう、恐怖してしまう仕掛けが必要なんじゃないかなと思いました。 ラストの描写がそれまでに比べてあっさりしているのも、もったいなかったです。 オチとしては面白いのに、なんとなくラストのインパクトが薄くなってしまっている気がします。 前半の描写を削るか、後半を厚くするかして、バランスを取るとさらに良くなると思いました。 とか言っている私自身も、文章量のバランスを取るのはとても下手なのですが。 会社側の思惑が分かり難いかなというのも少し気になりましたが、その点はゆうすけさんが仰っているような保険金とかそういうネタだと面白いと思います。 いろいろ書きましたが、だましのテクニックが面白い作品でした。 私自身はこういう構成で持って行くタイプの作品は書けないのでうらやましいなという気持ちです。 |
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No.1 ゆうすけ 評価:20点 ■2012-01-30 18:49 ID:1SHiiT1PETY | |||||
拝読しましたので感想を書きます。 面白いオチではありますが、オチありきの強引な展開でリアリティが低いと感じました。このオチにいくための展開に無理があるように思います。余計な社員の口減らしでしょうか? だったら退社に追い込むだけでいいはず。死なせることの明確な理由が欲しいですね。簡単なものとして保険金とか罪のなすりつけとか。 タクシー内の会話、突拍子もない話を聞いて信じて狼狽する主人公、この段階では緊迫感があっていいですね。ここで期待が高まった分、オチでややがっかりしました。もし聞いてもらえなかったら、信じてもらえなかったら、殺し屋としては無理がある方法に思えましたので。 会話文は多すぎるとは感じませんでした。 |
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総レス数 4 合計 50点 |
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