九月十六日の夜

 連休前の夜、ぼくはルリ子の家に行った。
 ルリ子は大きな家に住んでいる。伯父さんが残したのだというそれは、とうてい一人で世話できる広さじゃない。彼女は何人かお手伝いさんを雇っていて、雑事をすべて任せている。
 ルリ子は地下室で、いつものように本を読んでいた。リクライニングチェアにふかぶかと腰かけて、書見台をペンやノート、お菓子のはいったバスケットや何やかやで散らかった机に置いて。
 地下の書庫にあらわれたぼくに彼女は一瞥だけして、すぐに読書を再開する。挨拶もないし、かまう気もないらしい。
「明日から休みなんだ」
「そう」
 と興味なさそうに返事をする。
「時間があるから、何か変わった本でも読もうと思って」
「そう」
「それで、何かお薦めとかないかなって」
 彼女は目だけをぼくに向けて、
「今日は泊まっていくの?」
「そのつもりだけど」
 ルリ子は目を閉じて、じっとした。空白のような沈黙がしばらく続いてから、ルリ子は立ちあがり、圧倒する密度の本棚に近づく。そこから一冊とりだして、
「これなんかどうかしら」
 と、机の空いているスペースに置いた。それは分厚いハードカバーで、鼠色の装丁がされて、タイトルは金糸で、食人大全、とある。
「なかなか興味深い内容よ」
「ぼくは、どう反応すればいいのかな?」
「さあ」と彼女はうっすらと笑ってから、もう一度、本棚に目をむけた。別の本を探しているらしい。小さく、あった、とつぶやいて、一冊を食人大全の上に重ねた。アピキウスの料理帳、と書かれた小冊子で、正規に出版されたものではなさそうだ。
「あなた、アピキウスは知っていたかしら」
「知らない」
「そうよね。アピキウスはむかしの食道楽で、レシピを沢山のこした人よ。でも、これはそのアピキウスのレシピじゃなくて、そのアピキウスにあやかって作られた偽書。内容はよくできているし、ぞっとするわ」
 ルリ子は机に置いた時計を見やると、楽しそうな顔になり、
「やっぱり、あなたは運がいい。ね、カーマ・スートラも結局は実践して、ステキさが分かったでしょ」
 それだけ言うと、ルリ子は部屋から出ていく。こつこつ、と、階段をあがっていく音がする。言葉が足りていないけど、ついて来て、という意味だろう。ぼくはすぐには追いかけず、彼女のことばで意味の分からないところは、きっと薦められた本を読めば分かるんだろう、と、ルリ子が最後においた本のページをいくつか捲った。
――ふくらみだした頃の乳房は、脂肪が少なくあっさりとして美味である。これに合った調理法を我ら研究会は考案した。これには、藤本君の多大な努力があったことを申しあげておく。
 ぼくは本を閉じた。

 その日の夕食は肉料理で、普段はお菓子しか食べない彼女も珍しく口にしていた。前菜にも、スープにも肉が使われていた。
 食事が終わると、ルリ子は、
「走り、旬、名残っていうけど、その素材が何で、どいうものかっていうコンテキスト。つまり、私の素材への感情とか思いが、料理の味を好くする、ということかしら」
「それが久しぶりに肉を食べた感想?」
 ルリ子は優しくほほえんで、何も答えなかった。
tori
2011年08月28日(日) 22時23分11秒 公開
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 よろしくお願いします。

(2011/0828, 投稿)

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No.13  貴音  評価:30点  ■2011-10-05 23:39  ID:f8a3Jz3EZ8c
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はじめまして。読ませていただきました。
もっと長いものが読みたいなと思いました。
ルリ子さんに興味が尽きません・・・・・・。
食卓に肉がでた、という話(それだけではないとは思いますが)
で、読後に続きが気になるなんて面白いなと思います。
こういうミステリアスなルリ子さんはきっと
美人なんでしょうね。
No.12  tori  評価:0点  ■2011-10-04 00:42  ID:D4btj63JLkc
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 大遅刻の作者レスです・・・。
 申し訳ないです。

> 藤村さん

 まいど、ありがとうございます。
 音楽にかかわらず、タレントなひとはとんがってますよね。お菓子しか食べないっていうと、なんかそんな芸人いたなぁ、とか思いだしました。
 ルリ子のイメージは魔女だったので、きっとそのイメージは僕の妄想とそんなに乖離してないのかもとか。

 では。

> 片桐秀和さん

 まいど、ありがとうございます!
 文体はいつも悩むところで、最近は簡潔さを意識しています。簡潔に雰囲気を出すには、とか、少ない言葉で深みを出すには、とか、そんなことばかり考えていました。
 掌編以外へのチャレンジは、もうちょっと時間ができるか、自分の飽きっぽい性格が変わるか、どっちかができたらすると思います。すぐに飽きてしまう・・・

 ではではー。

> FKさん

 はじめまして、toriです。これからもよろしくお願いします。
 というには、もう1ヶ月ほど経ってしまっています・・・ほんとうに申し訳ないです。
 さて、これを投稿したころは人食いの話が多かったですね。カニバリズムは安易に衝撃や恐怖、忌避感なんかを演出できるから、少ない文字数で頑張ると、選択しがちなネタかもしれません。ほんとうは、もっと深みまで掘り下げるべきなのでしょうね・・・

 ストーリーはもうちょっと方向性が絞ったほうがよかったですね。どれがどれであれ、落ちついて食事をしてしまう二人なのだ、という印象付けが不足していた、と反省しています。

 では。感想、ありがとうございます!

> 昼野さん

 いつもありがとうございます。
 ルリ子を気に入っていただき、恐悦です。いやあ、なんかコロンと書けたキャラは久しぶりでした。

 全体の完成度は確かに低いですね。無理やり押しこめた感があるし、そのせいで1シーンで落ちてもいない。ご指摘のとおりに、ぼくも腰を据えて物語を書きたい(ぇ

 では!
No.11  昼野  評価:30点  ■2011-09-09 02:38  ID:MQ824/6NYgc
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読ませていただきました。

ルリ子のキャラがいいなーと思いました。もっとルリ子のことを知りたいと思いました。

>ふくらみだした頃の乳房は、脂肪が少なくあっさりとして美味である。

この一文が好きです。

褒めてばっかりな感じですが、全体的な完成度は低いなと思います。もうちょっと腰を据えて書いたものも読みたい感じです。
No.10  FK  評価:20点  ■2011-09-08 10:26  ID:vhPtSBIikT6
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 読ませていただきました。
 昨日、同サイトの『怪談の、名前。』を読んだばかりだったので、最近はこのような(残酷な)小説が流行りなのかと思いました。
 むかし、筆者がうろ覚えなのですが、相手の女が肉の手料理で歓待してくれて、主人公が「なんの肉?」と訊くと、「この前まで飼っていた猫。前に来たとき『猫が好き』って言っていたじゃない」と答える小説を読んだことを思い出しました。
 流麗で、無理のない文章で書かれていて、この点楽しめましたが、ストーリーはよくわかりません。肉はルリ子のものなのでしょうか。それだと料理する体力があったとは思えません。また他の少女の肉なのでしょうか。それだと犯罪で、大事件。とてもゆっくり食事をする余裕はないと思います。
No.9  片桐秀和  評価:30点  ■2011-09-05 18:32  ID:n6zPrmhGsPg
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読ませてもらいました。
うん、この文体いいですね。もっと読みたいなと思いました。ずっと掌編を書かれているけど、トリさんらしさもありつつ、ぐいぐい読ませる感じもあって、いずれ成果がでるのではないだろうか、と僕は思いました。
話の筋としては、こう、ぞわ、っとするラストで、これも良い味が出ていました。言葉の意味が分からないところがあったのは個人的に残念ですが、あえて解説して欲しいとも思わない不思議な魅力があったなあって。

簡単ですが、僕からはこんなところです。
No.8  藤村  評価:30点  ■2011-09-04 02:02  ID:a.wIe4au8.Y
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こんばんは、拝読しました。
以前よく、髪を赤く染めた女性ベーシストをある場所でみかけたんですが、風のうわさによれば彼女がお菓子以外のものを食べているのを誰もみたことがないとか、ないとか。背の高い人で魔女っ子というより魔女子さんという感じでしたが、そんなひとがいたなあということをおもいだしました。
No.7  tori  評価:0点  ■2011-09-04 01:35  ID:S6SCLCl937.
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作者レスです。
今回は、なんだかもう大分前にチャットでA4一枚に収まる話をいくつか書いたら面白んじゃない、ということを思いだして作りました。
ちょっと端折り過ぎたかな、と、思ったり、そのコンセプトでいくなら連作にしなきゃ意味ないだろ、と、思ったり。
反省点は多いです。

では、個別に。


> 弥田さん

ありがとうございます。
文章量は増量したいような、するとしたら連作形式にするかも、というのが何とやらで、結局一発ネタなのではあります。
長くて濃厚で、あっさりとしたのはいつか書いてみたいものの、長いのはどうしても苦手です。

では、重ねて、ありがとうございます!

> ゆうすけさん

お褒めいただき、ありがとうございます。
妖しく艶かしいのが好みなので、ついついそうなれー、そうなれーと念じながら書いてしまいます。ですので、そのあたりの雰囲気が伝わっているだけでも私は大満足です。

作中に出した本は、すべて実在するものではありませんでした。食人大全は、名前的にどっかで誰かが書いてそうではあるけれど。
たしかに、知る人ぞ知る的なネクロノミコンだとか、レッドドラゴンだとか、そういう奇書、偽書の類をつかっても良かったかなと思います。

では、ありがとうございます!


> 山田さん

 同じくカーマ・スートラの相手に恵まれないtoriです。
 藤本君は、完全に創作でした。元ネタもない、という・・・。ちょっと唐突すぎたかもしれません。アピキウスはどっかで誰かが、サメの味をよくするためにプールに人を投げこんで食わせた男さ、というのを思いだしながら入れ込みました。

 では、いつもありがとうございます!

> 陣家さん

 ありがとうございます。
 厳しい意見はためになりますので、これからもよろしくお願いします。

 オチへの集約はそうですね、たしかに新しいお手伝いさんの履歴書をちらつかせたり、顔ぶれを変えたりしてあげれば、自然と一個に集約できますね。
 その辺りは、書き手の趣味の領域かもしれないとも思いながらも、そのやり口、参考にさせて頂きます。

 では、ありがとうございました。

> 瞬光さん

 ありがとうございます。
 あの下りは、主人公の開いた本の内容という位置づけだったりしたのですが、分かりにくかったですね。もっと書き方を工夫できれば、と思います。

 とはいえ、作者としても瞬光さんの解釈を楽しませて頂きました。重ねて、お礼もうしあげます。

 では、ありがとうございました。

> HALさん

 いつもありがとうございます!

 誤字は、ちょっと死にたくなりますね。これだけの短さで誤字するとは・・・orz
 もう一度修行しなおしてきます。

 解釈はいつものとおりにお任せですが、ここのところお任せするにも、ちょっと自分の書き方というか、行間の幅が振りすぎな気がしています。引き締めるのに、いい機会かも、と思いました。

 では、またよろしくお願いします!
No.6  HAL  評価:30点  ■2011-09-03 22:16  ID:VTNJW6kplLg
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 拝読しました。

 わ、怖い! 語られない怖さ……ですね。
 怖いの自体は、苦手なほうなのですが、怖いなかにもなんともいえない暗い美しさがあって、楽しく(?)読ませていただきました。

 わたしはこれは、ルリ子さんの肉ではないと思って読んでました。誰か別の、不幸な被害者。もしかすると藤本君=ルリ子で、彼女が、材料を確保するために努力したのかな? など。そこのところ、真相は読者の想像にお任せ……でしょうか?

「走り」が、ふくらみだした頃の……ということでしょうか。えげつない!(念のため、いい意味です)

> 私の素材への感情とか思いが、料理の味を好くする
 このくだり、思わせぶりですね。憎くて殺した相手ではなく、好意を抱いている相手をこそ、素材にしたのかな、なんて。

 一箇所、脱字かなという箇所がありましたので、念のため。
> どいうものかっていう

 楽しませていただきました。いつもながらの拙い感想、たいへん失礼いたしました。
No.5  瞬光  評価:30点  ■2011-08-31 21:56  ID:MPFU0eXDYm6
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感想ありがとーございました。

拝読いたしました。

藤本君の多大な、、、努力なんですかね?
功績だったらなんとなく分かりぞっとするんですが……。
自分の解釈では(以下ネタばれ)



藤本君=ルリ子が乳房を提供したと捉えました。
(でないと、藤本君についてわざわざ書く必要はない為)

そして乳房を切除して提供するのは努力というよりは覚悟、とか功績って言葉になるのかなあ…と。

解釈が全然違っている可能性大ですが、ひとつの考え方として捉えて頂ければ幸いです。

余韻を残らせた終わり方とかは自分には真似できないと思いました。
ありがとうございました。
No.4  陣家  評価:30点  ■2011-08-30 22:10  ID:1fwNzkM.QkM
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拝読させていただきました。
すっかりディスりキャラが定着してしまった陣家です。

tori さんの前作でもさんざんにやってしまいました、すいませんでした。
今作は…… 分かり易い! 
ありがとうございます。しっかり読ませていただきました。
怖い話ですね。雰囲気作りが最高にうまいと思いました。
アレクサンドリア大図書館みたいな家、良いですね。
ボイニック写本の原書とかが転がってそうです。
そして微妙に結末をぼかすあたり、作者様の優しさを感じました。
ルリ子の手の込んだいたずらだった可能性もあるわけですもんね。
自分なら『なぜか給仕役はいつものドジっ子メイドでは無かった』
とか、冒頭でルリ子の本の間からメイド求人の履歴書をパラリと舞わせてみたりといった余計なことまで書いて読者を追い込んでしまうだろうなと思いました。

自分のブラックさをさりげなく映す鏡のような作品だと思いました。
そして、思い知りました。
ありがとうございました。
No.3  山田さん  評価:30点  ■2011-08-30 19:19  ID:3RErvQF9ZU.
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 拝読しました。

 カーマ・スートラを実践したいけど、相手に恵まれていない山田です、ども。

 一瞬、映画「ハンニバル」の「最後の晩餐」と呼ばれているシーンを思い出したりしました。
 ロッキー・ホラー・ショーなんてのを思い出したりもしました。
 勉強不足なので「アピキウス」がわからずネットで検索してみました。
 同じように「藤本君」も検索したのですが、こちらはよくわかりませんでした。
「あなたは運がいい」確かにこんな貴重な体験は運がよくなければ出来ないでしょうね。
 はてさて、それにしても何の肉だったんでしょうね。
「ふくらみだした頃の乳房」なんて探せばいっぱい世の中に転がってますものね。
 優しくほほえんたルリ子さんの胸元あたりを想像しながら、これからどうやってカーマ・スートラを実践するんだろう、と他人事ながらちょっと心配したりします。
 面白かったです。
No.2  ゆうすけ  評価:30点  ■2011-08-30 08:50  ID:1SHiiT1PETY
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拝読させていただきました。食生活アドバイバー(失効)のゆうすけです。

独特の妖しくも艶めかしい雰囲気が出ていると思いました。一切描写の無いルリ子なんですが、声の感じとか、容姿とか、勝手に思い描けてしまいます。

仄めかすにとどめる恐怖ですね。はたしてその肉の正体は? そこから連想されるこの二人の関係とは? 奥行きを感じます。

本棚に並ぶ本。すいません、私知らなかったので楽しさ半減でした。これって知る人には最高に楽しいんだろうなって思いますよ。私だったら屍食教典儀を置いておくかな。クトゥルーファンが書いたらネコロノミコンとかも本棚に並べたくなっちゃいそう。タイトルだけで雰囲気や、キャラの特性を提示できる本棚の本って、使いどころが意外と難しいかなって思いました。
No.1  弥田  評価:40点  ■2011-08-29 02:11  ID:ic3DEXrcaRw
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春画しかり魔導書しかり、本て言うのはなにかした不思議な魅力があって、いいなあ、と思うのと同時に、おそろしいなあ、と思ったりして、なんだかそういう本のこわい部分が上手に使われていて、すごいなあ、と感心しきりでした。

わがままを言うなら、この分量じゃちょっと物足りなかったかな、と。一発ネタみたくなってしまって、さみしいな、と思いました。

面白かったです。ありがとうございました。
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