YH薬
 あの男は薬を完成させた。
 あの男は私の人生を狂わせた
 あの男は別の私を殺した。
 あの男は私を殺した。
 
 
 私の前を一人の男が走り抜けていった。その男は、目の前にいた私に気付かないほど焦っているようだった。顔は引き攣っており、青白くなっていた。
 なぜあんなに急いでいるのだろうか。普段なら一々こんなことを考えたりしないのだが、あまりの焦り具合に気になってしまった。
 何かに追われているのかと思った私は男が走ってきた方を見てみたが誰もいなかった。
 どうでもよくなり視線を戻し駅に向かおうと歩き始めた。
 既に、この男は見えなくなっていた。


 私が焦って走っている男を見たところからいくらか進んだところで、いきなり後ろから声をかけられた。
「ここを誰かが走り抜けていかなかったかね?」
 私は声の主を見ようと振り返ると同時に若干驚いてしまった。さっき走り抜けていった男と同じ顔をしていたのだ。異なる所と言えば、この男は若干不機嫌そうな顔をしているということだけか。すぐに一卵性双生児だと判断した私は、驚いたのが顔に出てしまったかと不安になったが詫びずにありのままのことをその男に話すことにした。
「あなたと同じような容姿をしている男性がここを走り抜けていきました」
「そうか、やはり……」
 その男はそう答え下を向いて黙ってしまった。
 私は何があったのか気になったが、他人のことに首をつこっまない方がいいと思い捕捉だけすることにした。
「とても急いでましたよ。まるで何かに追われているようでした」
「……」
 この男は顔を上げたが黙ったままだった。沈黙が長く続き私もそろそろ駅に向かいたいと思ってこの男と別れることにした。
「あの……そろそろ」
「いやいや、申し訳ない。ちょっと大変なことになっててな」
 この男は大汗をかきながら苦い顔をしていた。
 ひったくりにでもあったのかと思った私はこの男のことが少し気にかかりひったくりかと聞こうとした。
 しかし、その男は私が聞く前にいきなりわけのわからないことを言い始めた。
「そいつは私から逃げている。YHという薬品を飲んで私と同じ容姿になってな」
「……YH? 同じ容姿になる……?」
 私は薬に精通していたがYHという薬は聞いたことなかった。
「そうだ。最近私が開発している薬なのだが、やつが盗んで飲んでしまったのだ。まだその薬は未完成だから私にしかなれなかったが完成すれば誰にでもなることができる」
 この男の頭はおかしいのかと思ったが、いきなり会話を止めることは失礼だと思い警察に連絡したのかどうか聞いておくことにした。
「警察には連絡したのですか?」
「いや、あれは私の弟でね。警察沙汰にしたくはなかった」
「……弟さんですか。これからどうするつもりですか? その弟さんは大分先に行ってしまったと思いますよ」
「やつはそろそろ歩くことすら困難になってるだろうな」
「……?」
 ますます意味がわからなくなってしまった私はどう反応したらいいのか困って黙ってしまった。しかしこの男はかまわず話を進めた。
「だからあの薬は未完成なんだ。あれを飲んだら死ぬ。そろそろ俺の弟は嘔吐しながらのたうち回ってるだろう。劇薬だからな」
「じゃ……」
 急に体に戦慄が走った。もし、この男が言ってることが本当だとしたら……
「なんだ?」
「いや……」
 盗んで勝手に飲んだのは弟といえ、そんな薬を開発してるこの男はかなりの危険人物ではないだろうか。警察沙汰にしたくなかったのもこの男が不利になるからだと思った私はこれ以上この男に関わることはまずいと思い、この場を離れることにした。
「私はそろそろ行かないといけません。」
 駅に向かって歩き始めようとしたところ後ろから肩を掴まれた。
「私は急いでいるので失礼します」
 少しいらっときた私はそう言ってその男の手を払いのけようとしたのだが、
「何を言ってるんだ。こんな話を聞いといてただで帰れるとでも?」
 この男はいきなり私を殴り倒しビンに入った少量の緑色透明の液体を私に飲ませた。
 体中から汗が吹き出し視界もぼやてきた。
「悪いな。お前は今から私になるんだよ」
「いつかは警察沙汰になるんだ。いや、もうなっているかもな。しかし、私はまだやらなければならないことが腐るほどある。今捕まったらその研究を終えるのは不可能だ。この薬と並行して開発中のものの方が私にとって重要だ。弟はこれを飲みたかったのだろう。犯罪者の私になりたがる奴なんているわけないからな」
「いや、こんなことをお前に話しても無駄だったな。言いたいことはお前が私の代わりに捕まってくれということだ。弟をもっと早く見つけていればお前が犠牲になることはなかったんだがおそらく既に弟はこのことを誰かに話してしまっただろう」
「心配するな、未完成とは言っても私と記憶以外は同じになる。血液型から指紋などあらゆるものがな。お前が捕まったところで、元のお前の名誉が傷つくことはない。体格が似ていて助かったよ。服を変えなくてすんだからな」
 この男は一方的に、私に掛ける言葉が無くなったのか、私に背を向けてどこかに走っていこうとした
「ちょ……っと……待」
 この薬のせいであろうか。声が出すのことも立ちあがることも困難になっている。この男の背中を睨みつけるのが精いっぱいだった。
 声を出そうと四苦八苦しているとこの男は再び自分の方に近づいてきていった。
「言い忘れてることがあった。その薬は弟が飲んだ薬と違ってすぐに死ぬようなことはないし、死んでも元に戻ったりしない。しかし、言葉が話せなくなるな。お詫びに私の財布をお前にあげよう。好きなように私の金を使ってくれ。いや私の金というと語弊があるか。もうお前の金だらな」
「財布に免許証が入っている。誰もがお前を西崎信二だと思うだろうがそれはそれで面白い余生を送れるだろう」
 私を西崎信二だと思わせるのが目的であるとしか思えなかった私は反抗しようとした。しかし、すんなり私のポケットから財布と取り出すと、代わりにこの男の財布を突っ込んできた。私の財布を持ちながら、満足そうに私を一瞥するとそのまま立ち去ってしまった。
 数分後、私は救急車の中にいた。



 数年後、長い間行方不明になっていた私の死体がミイラ化した状態で見つかったことが報じられた。これは私以外には知る由もないだろうが、あの男によって無理やり薬を飲まされ私の姿にさせられた誰かの死体ということになる。
 私の死体だと……身の毛がよだつ話だ。あの男はなぜこんな真似をしたのか。元の私のクローンのような人間を殺すことによって、私に薬が完成したことを知らせたかったのか。狭い空間に閉じ込められた私をあざ笑うために。

 
 この記事が新聞に載った数日後、私は死刑台の前にいた。
 あの男は、私に会う前に数々の重罪を犯しており指名手配されていた。誰もが予想していた通り私は終身刑になった。あらゆる手段を使って無実であるということや私の死体は本来の私ではないということを伝えようとしたが誰も信じようとはしなかった。不幸なことに薬を飲んだ後の弟の姿を見たのは私だけであり、弟は死ぬ前に元の自分の姿に戻ってしまったため私の容姿が薬によって変わってしまったことを証明するのは不可能であった。
 

あの事件が起きたすぐ後、あの男はYH薬という小説を書いた有名な作家であり、ヒステリー性失声症を患っていたことを知った。
 ヒステリー性失声症だったというのはどういうことなのか。あの男は普通に話せていたではないか。あの男が行方不明になっているときに自然回復したとでもいうことだろうか。だがそうだとしたら、今の私が話せないのはなぜだ。薬の副作用によるものなのか。
 ……結局このこともわかるのはあの男だけか。

 

 あの男に運悪く出会ってしまったばっかりに私の人生は狂いに狂った。
 一度も神の存在を信じなかった私が、死刑台の前でこいつを恨んでいる。
kinoko
2011年01月01日(土) 16時27分17秒 公開
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■作者からのメッセージ
あけましておめでとうございます。初めて小説を書きました。ご感想やご批評して頂けると嬉しいです。よろしくお願いします。いくつか訂正しました。訂正前より不自然なものになっていないか心配だったりします。

この作品の感想をお寄せください。
No.5  FK  評価:20点  ■2011-03-14 13:49  ID:.v7Q78Jgsi6
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 読ませていただきました。
 初めて書かれたとのことですが、途中までは読ませます。
 ただしラスト、このようなSF的な作品の場合、やはり最後は(やや強引でも)解説を期待してしまうと思いました。
No.4  kinoko  評価:--点  ■2011-01-01 22:39  ID:ZPfpfkM2KRo
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ゆうすけ様

>「あの事件が起きたすぐ後、あの男はYH薬という小説を書いた有名な作家であり、ヒステリー性失声症を患っていたことを知った」
出会った時にしっかりと喋っていますよね。なんらかの伏線なのでしょうか。

確かにそうですね。これは、西崎信二は行方不明になってから数年後の話であり失声症は自然回復したという設定でした。しかし、そうだしても矛盾した点がありますね。ここも直してみようと思います。

今回はなるべく短くしようと思ってたのですが、ただでさへわかりにくい内容だったためもっと読者のことを考えて書くべきでした。次回作で活かしたいと思います。

ご指摘ありがとうございました。
No.3  kinoko  評価:0点  ■2011-01-01 22:17  ID:ZPfpfkM2KRo
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片桐秀和様

私もいくつかご指摘された箇所で悩んだところがあるのですが、上手く表現できませんでした。とても参考になりました。

やはり言葉足らずでしたか。
>数年後、長い間行方不明になっていた私の死体がミイラ化した状態で見つかったことが報じられた。
この箇所は片桐秀和様をご指摘を参考に補足してみることにします。

ご指摘ありがとうございました。
No.2  ゆうすけ  評価:10点  ■2011-01-01 21:56  ID:4xqmDqxi.sE
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拝読しましたので感想を書きます。
容姿を己と同じに変える薬を開発した犯罪者によって、替え玉に仕立てられた憐れな通行人の話ですね。
私も把握しにくい箇所があります。
「あの事件が起きたすぐ後、あの男はYH薬という小説を書いた有名な作家であり、ヒステリー性失声症を患っていたことを知った」
出会った時にしっかりと喋っていますよね。なんらかの伏線なのでしょうか。

この謎の男が、せっかく面白そうな研究をしているのにそのまま回収しないで終わってしまうのがもったいないように思います。作家であるならば、主人公の境遇を書いた小説を出版しているなどの展開があるとより面白くなると思いました。

初挑戦ですか、投稿するのは緊張したことと思います。
では頑張ってくださいね。
No.1  片桐秀和  評価:10点  ■2011-01-01 21:01  ID:n6zPrmhGsPg
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 読ませてもらいました。
 ある人の外見をまったくそのままコピーする薬品の話でしたね。最後に私の死体が見つかる、という部分など、理解するには時間がかかったのですが、気づけばなるほどと思わされました。僕の理解力のなさが手伝い、作品の内容をどこまで把握できているか不安も残るのですが、僕として思ったことを書かせてもらいます。
 話が分かりにくいと思ったのには大きくわけて二つ理由があります。

 まず第一に文章面。
 初めて小説を書かれたとのことですから、当然のことではあるのですが、文をいささか強引に繋げていたり、理解に手間取る形になっていた箇所が少なからず見受けられました。

>私が焦って走っている男を見たところからいくらか進んだところで、いきなり後ろから声をかけられた

 駅に向かってしばらく歩いていると、突然声をかけられた。
(この前に駅に向かおうと歩き始めたとあるので、男をみたところから云々は省いても伝わります。)

>すぐに一卵性双生児だと判断した私は、驚いたのが顔に出てしまったかと不安になったが詫びずにありのままのことをその男に話すことにした。

 すぐに一卵性双生児だと判断した私は、その動揺が顔に出たのではないかと不安を覚えた。しかし詫びようとも思えず(あるいは、『しかしそのことを気づかれまいと』)、ありのままを話すことにした。

 接続助詞の「が」は繋ごうと思えばいくらでも文章を繋げられます。順接、逆接と使え便利な分、切った方が分かりやすい文までつなげてしまうということもままあります(特に順接の場合)。この作品のように、全体としてシンプルな表現をしている場合は、無理に文を繋ごうとせず、接続詞「しかし」「だが」と繋げた方が分かりやすくなる場合も多いです。

>ひったくりにでもあったのかと思った私はこの男のことが少し気にかかりひったくりかと聞こうとした

 男が引ったくりにでも会ったのかと気になり、私は相手にそのことを尋ねた。
 
 重複表現はできるだけ避けると文章が綺麗になります。

 僭越ながら前後の文脈を踏まえて、僕として分かりやすいと思える表現の一例を提示させていただきました。もちろん、長い文が使えることも素晴らしいことではあるのですが、書き始めてまもなく、文章を整理する慣れがない場合は、まず第一に分かりやすく伝えることをモットーにした方が、より多くの方に楽しんでもらえると思います。

 続いて第二点。
 これは本当に僕の読解力のなさかもしれませんが、

>数年後、長い間行方不明になっていた私の死体がミイラ化した状態で見つかったことが報じられた。
 
 この文章の理解にかなり時間がかかりました。薬によって「私」をもう一人作り出し(すでに「私」は別人になっているから、元の「私」ですね)、それを獄中にいる「私」に死体が見つかったと示すことで、犯人の男が薬が完成したとあざ笑っている、ということだと思うのですが、ここはもう少し補足して書いた方が僕としては良いと思いました。あまり語りすぎると興が醒めるということもあるので、微妙な按配ながら、僕としては分からない人も多いのではないかなと。

 文章の指摘、内容への指摘とさせていただきました。こういったことをするほど僕自身に文章力があるとも思えないので、恐縮してしまう部分もあるのでけれど、こういった意見もある、という風に捉えていただければ幸いです。

 初めて書かれる物語としては、ご自分で書かれながらもなかなかに難しい話だったのではないかと思います。書き続ければ文章はレベルアップしていくと思うので、これからのご健筆をお祈りいたします。ではでは。
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