キミハコノナカ ( No.1 ) |
- 日時: 2011/10/09 22:14
- 名前: ラトリー ID:SvDKnOMk
昼すぎから降りだした雨は次第に強さを増し、日が沈むころには土砂降りになっていた。秋雨前線の動きが活発になっているらしく、ラジオではしきりに洪水の注意を呼びかけるアナウンスが続いている。 「秋祭り、延期かな」 暗闇の中にキミの声がひびく。誰がここにいるのかわかってはいても、姿が見えないので不安になる。だから安心するために独り言を口にしたのだろうか。 停電した家の中はあまりに静かで、くぐもった雨の音が厚いカーテンのように室内を包みこんでいる。誰にも邪魔されない環境に、ひそかに胸の鼓動が高まる。 「延期だろ。こんな日にやろうとしたら、川に落ちて一巻の終わりさ」 雨音に負けないように、普段よりも張り上げた声で応える。平均年齢五十代の自称「青年団」が時代の流れに逆らって続けてきた秋祭りも、そろそろ限界に近い。毎年、会場にいる人間の大半が運営側で、御幣や提灯を振り回して必死に盛り上げようとする空回りな姿を見せつけられては、わざわざ参加しようという意欲も失せるというものだ。 父に母、叔父に伯母、昨年祖母を亡くした祖父たちは、今ごろ会場近くのプレハブ小屋で何を思っているだろう。父の生まれ故郷で数百年続く祭りに何の関心ももたず、築百年を超える家の、つい半年前に新築された区画で留守番したいと言い出した不届きな孫に、ほとほと愛想がつきているだろうか。 「川に落ちるとか……縁起悪いよ」 「ばあちゃんはもういないんだよ。ここにいるのは僕らだけ。罰なんて当たらないさ」 「やめてよ。ねえ、やめてったら」 キミがすり寄ってくるのがわかる。靴下で畳をこする音がやけに生々しい。ラジオから飛び出すアナウンサーの声が決まり文句を繰り返している。「気をつけてください」「くれぐれも用心してください」わかってるよ、そんなことは。 「お願い。どこにも行かないで。お願い」 「怖いんだろ。安心しなよ。ずっとここにいるから。ほら」 差し出したキミの手を探り当て、指をからめて握りしめる。冷たい感触が伝わってくる。お互いの姿が見えない中で重ね合わせるのは、ふだん自宅で過ごしている時よりもずっと刺激的で、背徳的で、たまらない。遠いところまで行ってみたくなる。 「僕らは似た者同士だ。同じ日に生まれ、同じ部屋で過ごし、同じ世界を見ている。親しい友達なんか誰もいない。僕らは僕らとだけでつながっている。キミは僕だ。僕の中にキミを感じてごらん? 僕もキミの中に、自分を感じてみるから」 キミの背中に手を回し、確かめようとする。抱きしめた両腕で、冷えきったキミの身体を暖めたい。そうすれば、残酷な現実を飛び越えられるような気がした。 「あったかい。お兄ちゃん、あったかいよ」 「本当に? キミの身体、まだ冷たいじゃないか」 「そんなことないよ。お兄ちゃんのおかげで、身体ぽっかぽかだよ」 嘘だった。キミの背中も、触れあった胸元も、畳に下ろされた足も、ずっと冷たいままだった。むしろ、どんどん熱を失っていくように思えた。 ああ、消えてしまう。去ってしまう。自宅で過ごした無数の日々と同じように、この代えがたい時間はいずれ終わってしまう。他人に見られたくないとか、キミが嫌がっているとか、そんなのは本当の理由ではない。ひとえに、自分の勇気が足りないのだ。 「やめろよ、キミ」 「どうしたの、お兄ちゃん」 「嘘なんてつくな。本当のことを言えよ。でないと――」 キミの口に触れる。あえかな花のごとき唇に口づける。命の息吹が口を伝って、愛しい双子に流れこんでくれることを願った。今この瞬間、奇跡が起きて、彼女が本物の妹としてこの場に生まれ落ちてくれることを心より祈った。 けれど、キミは冷たい唇のまま、またしても期待を裏切るばかりだった。
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ぽーん、とブレーカーのある方向で気の抜けた音がして、電気がついた。 停電が復旧したのだと知り、我に返る。目の前には大きめの人形。白い靴下には畳から削れた破片がこびりついている。唇をとがらせ、愛嬌たっぷりに微笑んでいる。 隣には同じくらいの大きさの紙箱が置かれ、『魔女っ子キミちゃん』の名前がファンシーな文字でプリントされていた。 「ばあちゃん、ごめん……」 部屋の上方に、去年亡くなった祖母の白黒写真がかけられている。人形よりもずっと穏やかで優しさにあふれた微笑みは、深夜の徘徊が始まる直前のものだ。 今日みたいな大雨の夜、孫の名前を呼びながら出ていった祖母は、本気で連れ戻したいと思っていたのかもしれない。そのころからこんなことをしていた、世間とまっすぐに向き合いたくない愚かな孫――いや、僕のことを。 ただいま、の声が聞こえる。帰ってきた。僕の裏声なんかじゃない、本物の母の声だ。いつしか雨音は去り、ラジオもニュースから音楽番組に変わっていた。 人形を箱にしまい、障子を開ける。両親や叔父伯母祖父の姿が見える。さあ、現実に戻る時間だ。最後まで祭りの手伝いをしなかった分、せめて大人しくしていよう。 「さよなら、キミ」 振り向かず、しばしの別れの言葉を告げた。
「うん、またね」 わたしはきみのなまえをよんだ。
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