お題: つぎの中から任意で3つ以上選択「謝辞を考えて」「こんな嫁に誰がした」「リンク」「遠い空」「ビームサーベルは装備したか?」「このくらいにしといてやる」「嵐」縛り:なし投稿期限: 本日23:30 ということで、今日も元気にいってみましょー!
川辺に立ち、空を見上げる。夏が過ぎ去り、入道雲が消えて無くなると、空は急に遠く感じる。先日、ウィスキーを飲み過ぎた僕の腹は、遠い空とは相反して、嵐が吹き荒れており、下痢を催していた。しかし、僕はここ最近、下痢をもよおした際に、便所に駆け込む、という行為に疑問を持っていた。地平線の見えるような草原で、堂々と下痢をしてみせる野生動物を思うと、便所に駆け込むことが、滑稽なことに思うのだ。 下痢をするために便所に駆け込むことが歪んだ事に思える。僕はもっと野生動物のように、太陽のように、単純に生きることだって出来る。それが反社会的な行為であると言うなら、歪んでいるのは社会だ。 肛門から出たばかりの熱い下痢のように不可解な生、僕はそれを、肯定する。この下痢を、肯定する。 そう思いながら僕は川の水を眺めていた。下痢による腹痛を感じながら。川の水は、何の形もしておらず、常に変化し続けている、下痢のように。 不意に、僕に話しかけるものがあった。女だった。それと同時に、僕は盛大に下痢を漏らした。女は、ものすごい美少女だった。美少女は、僕が下痢を漏らしたことに気づかずに、「ここのスイミングスクールってどこですか?」と、地図を指差しながら聞いた。この美少女に嫌われたくないと思った。僕は、下痢を漏らしたことを少女に気づかれないように、神に祈った。僕は急に、有神論者になった。ついさっきまで生をしか信じない人間だったのに。社会から逸脱したくないと思った。何故ならこの美少女とリンクしたいからだ。性的な意味において。 僕は下痢を漏らしたことを少女に悟られまいと、平静の表情を崩さずに「ここはですね……」と言った時だった。少女は鼻をつまみ、「臭い……」と言った。僕はこの世の終わりだと思って、その場から走って去った。 ずいぶん走った。川の下流へ向かって走った。目端から涙がこぼれた。このまま走れば海に辿り着くだろうと思った。股ぐらは下痢まみれのままだった。 海には結局、辿り着かなかった、そんなもんだろうと思った。疲労して止まった所は、まだ川だった。川は泥臭かった。海の潮の匂いのようなロマンはひとかけらもなかった。これが現実なのだろうと思った。しかし、と僕は思った。現実を現実として受け入れてばかりいたら、僕はけっきょく悲しみの圏域にとどまり続けることになる。僕は疲労した足に鞭を打って、さらに海の方へと走った。
ありふれた光景といってよいのかはもはや誰にもわからない。 街に子供がいる。多くの子供たちがいる。当然のことながら、しかしそれを目にし、その中で暮らしていれば、事態はやはり異常なのだと思わざるをえない。問題のひとつはその数なのだ。どこを見渡しても子供がいる。赤レンガが広がる街の、通りに、角に、路地裏に。一体どんな催しが開かれているのかと思うが、街にあるのは活気とは程遠い、生活に困窮する大人たちの恨み言や、溜息ばかりだ。 もうひとつの異常は子供たちの表情にある。皆虚ろな目をし、結ばれているかさえ疑わしい焦点の先に、遠い空を見ている。私が目にする子供がそうだったというわけではなく、このアウネルの街に暮らす子供のすべてが精気とはかけはなれた表情で世界を見つめているのだ。笑顔を失い、感情を失い、育つことなくいつまでも子供のままで生きる存在。庇護するものがいなければ、たちどころに路頭に迷い、餓えて死に絶えるだろう。そのような子供たちは虚児と呼ばれ、このアウネルの街だけでなく、今や世界中に虚児はあふれているのだという。 私が酒瓶片手に公演のベンチに腰掛けていると、一人の老夫と、一人の虚児が手をつないで目の前を通り過ぎようとしていた。祖父と孫といった構図ではおそらくない。虚児の表情に色はなく、老夫の表情は沈痛なまでに暗い。おそらく彼らは親子なのだ。いつまでたっても育たぬ子を育て続け、若かったはずの父親は老人となった。いつか育つ、いつか報われる、そう信じて虚児となったわが子を手放さずに育て続けたのだろう。しかし子は育たず、死期が迫り始めた老夫の支えになるどころか、生活の負担と、最大の心配の種となって、今なおそこにいる。 彼らは何も特別な親子ではないのだ。虚児の数だけ親子はあり、世界を困憊の渦に落としている。いつか報われると信じ、それでも生き続けているのだ。「いつだっていうんだ」 手を繋いだ二人の背中が離れていくのを見ていると、ふいに呟いている私がいた。声にしていたことに気づいて、やるせなくなり、琥珀色の液体を一口あおった。彼らは決して特別ではないのだ。その証明のように、私にもまた虚児となった娘がいる。 私は仕事を終えると、安酒を買って街のどこかで時間を潰す。理由はひとつだ。少しでも帰宅を遅らせるため、少しでも娘の顔をみないですませるためだ。『あなたがもっとこの子を、サアラを愛してくれていれば、虚児になんてならないですんだんだわ』 妻の悲鳴にもにた泣き言を思い出して、また私は酒をあおる。 そんなことがあるものか。与えられるものは与えた。赤ん坊の頃は可愛がってやった。私なりには愛していた。本当に十分な愛情だったのかと問われるなら、自信をもって返答するにはためらいがあるにしても、それが私にとっては精一杯だったのだ。 どれほど逃げて、遠ざけても、日が落ちれば帰宅せねばならない。私は空になった酒瓶を放り投げると、安息の場所とは程遠い我が家へと足を向けた。 虚児たちが眺める遠い空。酔って歩いているとまるで私自身もそれを目指しているかのような気分になる。風が強い。嵐の前兆かもしれない。普通の子供であれば、嵐がくるとはしゃぐものだが、そんな気配は街のどこにもなく、私はただひた歩く。 夢。夢を見ている。帰路へついていたはずが、私はどこかに倒れこみ、寝入って夢を見ているのだろうか。 それはこんな夢だった。子供だらけの街に、ある晩、嵐がやってくる。不思議なことに大人たちは皆寝入り、子供たちだけがクスクスと笑い声を上げて、ベッドから起きだすのだ。子供たちは街の広場に集まって、両手をつないで大きな円をつくる。歌だ。歌を歌っている。それはたとえば子守唄。それはたとえば童謡。子供たちはそしてつないだ両手を空に掲げ、風吹きすさぶ夜空に大きな気流をあげる。するとどうだろう。子供たちは、まるで世界が反転したように、空に向かって浮かんでいく。空に向かって落ちていく。しかし子供たちは慌て怯えるどころか、笑みを浮かべてそれを楽しんでいるようなのだ。 瞬きをする。一瞬だったか、長い時間だったか、私はおかしな夢を見ていたらしい。すべてを酔いのせいにして、残りわずかとなった帰路を歩く。私は少しばかり考える。虚児となったものたちは、みなが遠い空を眺めるようになる。まるで世界の果てをみるように。それぞれがリンクしあっているかのように。では子供たちが動き出すときとは一体いつになるのだろう。それはもしかすると、世の大人と呼ばれる私たち人間が老い滅んで、世界に子供ばかりとなったときではあるまいか。古いものは去り、子供たちはその時にこそようやく育ち始める。一体なんのためかはわからない。しかしそれは人間にとって新しい局面の始まりを告げる瞬間なのかもしれない。私たちはそのためだけに彼らを育ち、そのために死んでいく。 全ては妄想だろうか。私はやはりそれさえ酔いのせいにして、我が家の玄関を叩いた。
データベースとリンクする瞬間、ほんの数ミリ秒、意識の断絶するその感覚が、わたしはどうにも好きになれない。 ラボにはいま、四台の兄弟たちが、静まりかえって並んでいる。こうして眺めていればみな美しく優雅で、戦闘用アンドロイドなどという無粋な言葉の響きには、とうてい似つかわしくないように思われる。 同型機といっても、わたしのほうが彼らよりもすこしバージョンが新しく、外観に差異がある。そしてどうしても納得のいかないことに、型式の古い彼らのほうが、より美しい。 バージョンアップしたほうが、より機能美を増すのが、世の道理だとわたしは思うのだが。 わたしがそれを口に出すと、整備士たちはそろって笑う。 笑われるのが、わたしは、好きではない。 ともかく、バージョンが違うために、先に共有化を終えてしまった彼らと違い、こうしてわたしだけ、調整に手間取っている。 一瞬のあいだに流れ込んできた兄弟たちの記憶そのものは、けして忌むようなものではない。だがデータが流入してくる瞬間の、あの意識の空白だけは、何度経験しても、好きになれない。 共有化のあと、調整という名の下に回路が書き換えられていく、その感触もまた、わたしが嫌いなもののひとつだ。 嫌いだけれど、義務から逃れられるものではない。しかたなく、わたしは沈黙する。インストールされた兄弟たちの記憶、そのひとつひとつをたしかめる。ノイズが混じるのは、彼らと異なる武装のためだ。調整されたはずの記憶は、それでもなお、おさまりが悪い。 ときおりかすかにゆきかう電波のやりとりのほかは、皆、もの思わしげに黙り込んでいる。 ラボはいつも静かだ。兄弟たちも、整備ロボットたちも、みな微弱な電波に載せて会話をかわすし、人間の整備士たちは、ここではあまり喋らない。前線基地にいるときには、みなたわいのないおしゃべりに興じるのに、ここは、特別なのだそうだ。 何が特別なのか、ここで生まれたわたしには、どうもぴんとこないのだけれど、兄のひとりがいつか戦場にいるときに、こっそりと答えを囁いてくれた。このラボの中で交わされる会話は、いちいちすべて、記録されているのだそうだ。 どこでも話していいことと、記録されないところでならば話せることが、あるのだそうだ。 作られて四年がたって、兄弟たちの記憶も定期的にこうして分けてもらって、わたしも成長したつもりなのだけれど、それでもまだ、色々なことが難しいと思う。明文化されないルールが、人間には多すぎる。 記憶をただインストールしても、それが体になじまなければ活用できない。調整の終わった記憶を、ラボの所定の部屋で佇んだまま、くりかえし反芻する。この時間は、嫌いではない。 インターフェイスに映る戦場の空。青く、高く、澄み渡っている。気候がどうだとか、緯度がどうだとか、空の色が場所で違う理由は、いくらもあるはずなのだけれど、不思議といつでも戦地の空は、青く、遠い。 それはわたしの思考ではない、それを見た兄の思考だ。不思議なもので、同じ型のCPUを積んでいて、同じ記憶をすっかり共有しているのにもかかわらず、そのどれが兄たちの考えたことで、どれが自分の思ったことなのか、混じることはない。 兄の記憶の中で、わたしが地を蹴っている。ワイヤーをつかってビルの壁面にとりついている。遠い空をめがけて、駆け上っていく。 自分の横顔を自分でみて、おもわず溜め息でもつきたい気分になった。実際には、溜め息をつく、という動作は、わたしたちにプログラムされていないのだけれど。 どうして兄弟たちは、みなそろって優美な身のこなしをするのに、わたしひとり、こんなふうに不恰好に走るのだろう。答えはわかっている。腕に仕込まれた狙撃銃が、重すぎるのだ。 武装が多ければいいっていうものじゃないのに。 電波に乗せては何もいわなかったつもりだが、ふと我にかえると、向かい側に立っている兄が、苦笑していた。 わたしたちの表情に、ヴァリエーションは乏しいけれど、そのニュアンスは顔というよりも、むしろ微細な電波のかすれで伝わってくる。 子どもっぽいな、いつまでも。 兄はそんなふうに笑っているように見えた。 ふい、と顔を背けながら、たしかに子どもっぽい、と自分でも思う。 記憶を定期的にそっくり共有しているのだから、性格だって同じになってもおかしくないのに。この差異は、どこから来るのだろう。 また別の兄の記憶。これはわたしが同行しなかった戦場だった。 都市戦。建物の中を駆けている。外で鳴っている轟音、銃声とはちがうその音に、驚く。驚いたのは、わたし。記憶のなかの兄の思いではなく、いまそれをのぞいているわたしのほうだ。 腹の底に響くような、砲撃よりも大きな音。――雷か、と、兄の思考がささやく。激しいノイズのような音は、雨音だ。 わたしたちは、雨の日には基本的に運用されない。戦闘兵器にしては繊細すぎると、皮肉られるゆえんだ。だから、こんな嵐を間近に感じることは、めったにない。 どこかで悲鳴が響いている。アンドロイドのものではない、生身の人間にしか出せない声。 わたしたちは悲鳴を上げるようには作られていない。 反芻を終えると、体がずっしりと、重くなったような気がする。そんなはずはないのに。 共有化を終えた電脳は、しばらく休めなければならない。繊細な、なんという脆弱な兵器。自分たちで呆れるのだから、ほかからみれば、なおさらだろう。 それでも戦果が出るかぎり、わたしたちは運用され続ける。これはいつか、兄のひとりがささやいた言葉。電波に乗せてささやかれる言葉は、いつでも、どんな内容でも、静謐に沈んでいる。 整備士たちが、端的に連絡事項を告げながら、兄たちの検査を続けている。その横を通って、所定の位置で、スリープの準備につく。 眠れば夢を見るだろう。スリープモードといっても、完全に機能を停止するわけではない。回路を電子が流れれば、そこには切れ切れの、たいした意味もない思考がたゆたう。それを夢というのだと、教えてくれたのは、誰だっただろうか。 思い出せない。 忘却という機能をわたしたちに与えたのは、誰だったのだろう。名前もしらない技術者。 あるいはそれこそが差異なのだろうか。わたしとわたしではない兄たちとの。 それはなんとはなしに、面白い思いつきのような気がした。 ようやく兄のメンテナンスを終えて、整備士のひとりがわたしのほうへやってきた。首筋のパネルに、やわらかな手が触れる。 いま眠りに落ちる前に何を考えていたのか、スリープモードから目覚めても、覚えていられるだろうか。
彼が望遠鏡を持ち、展望台へと向かったのは遠い空の果てに金星が輝いた頃だった。潮風でさび付いた軽トラックの荷台に望遠鏡を乗せ、海岸線にそって出来た比較的新しい道を走る。この道を真っ直ぐ小一時間ほど走れば大きな街に辿り着くが彼が目指すのはその途中から山へと登る舗装もされていない砂利道、そしてその先にある展望台である。「……ほんと、走りやすくなったな」 彼――彬は呟いた。落ちて行く夕日を横目にアスファルトの道路を走りながら。「あの獣道がこんなにも綺麗になるなんてな」 今、彼が走っている道路はつい最近まで雑草がしげり、車一台がやっと通れる程しかなく今では村の誰もが忘れている道だった。しかし、元々は彼の先祖たちが苦労して開拓したものだ。周りを大きな山々に隔たれた人口三千人にも満たない古く小さな漁村。木材から切り出した船で伝統的な沖網漁をし、取れた魚たちを干物にしては数十キロ離れた街へと行商に行き生計を立てる。そんな質素だが充実した生活を送るために必要とされていた交通路だったのだ。------------------------------------------------たまたま覗いたら三語をやってたので飛び入り参加しました。相変わらず筆が遅く出来が悪く3分の1も書いてないものですが投稿しておきます。消化お題は「遠い空」、このあと使う予定のお題は「リンク」「嵐」でした。
ふとしたときに、何かを思い出させる光景というものが、僕にはある。それは例えば、遠くの空に浮かんでいる、夏の背の高い入道雲であったり、そのすぐ近くをまっすぐな白い雲を糸のように残していく飛行機の姿であったり、氷と冷たい飲み物を注がれたグラスが、汗をかいたかのように浮き出させる点々とした水滴の光だったり、ちょっと間抜けそうな犬の湿った鼻先だったり、塀の上で退屈そうに寝転んでいる猫の姿であったり、本当に些細な物事が、頭の中のちょっとした記憶とリンクする。 それは本当にどうでもいいような記憶だったり、楽しい思い出だったり、ちょっとうんざりするような思い出や、時には悲しい気分にさせられてしまう記憶だったりもする。それらは、まるで体の内側で嵐が起こっているかのように胸をざわつかせることもある。そういう時はどうすればいいのか。今はただ、なるべくじっと体をこわばらせて、ただ嵐が過ぎ去るのを待っている。 高校生の頃に、僕には遠いところに引っ越してしまった仲のいい友達がいて、僕はその子と頻繁にメールのやり取りをしていた。彼女は中学の同級生で、卒業と共に僕たちの住んでいた町から出て行ってしまった女の子だった。明るくて気持ちのいい女の子で、友達は多かったはずだ。だから彼女は町を出る前に中のいい友達とメールアドレスを交換しあい、僕も彼女の連絡先を知ることが出来た。 メールの内容は本当に些細なもので、互いの近況や、面白かった映画やマンガの話なんかを良くしていた。高校生になった僕にとっては、気軽に、しかも頻繁にメールのやり取りをする女の子がいるということは、ちょっとしたうれしい事で、彼女に送るメールの文面を考えることや、彼女から帰ってくる返事を待つということはとても楽しいものだった。 僕は高校生活に少しずつ馴染んでいきながら、彼女とのメールのやり取りを繰り返した。そんなふうにして僕の高校一年の一学期は終わり、夏休みに入っていった。夏休みの間僕は中学時代の友達と遊び、楽しい夏休みの出来事を、彼女に報告したりしていた。 そして夏休みが終わり、高校生活になじむにつれて、僕は新しい学校生活に夢中になり、少しずつ彼女とのメールの間隔が開いていくことになった。それは時間が経つにつれてだんだんと間隔を広げ、少しづつ文面は短いものになっていった。 それからしばらくして、冬休みを迎える少し前に、突然彼女とのやり取りは終わりを迎えた。『いままで、たくさんのメールを送ってくれてありがとう』 話題の流れを断ち切って、突然送られてきた彼女からの最後のメールは、そんな文章から始まっていた。『この町に来てすぐの頃は、みんながたくさんのメールを私に送ってくれました。本当にたくさんの数で、正直に言って全てのものに返事を書くのはとても大変でした。だけど、時間が経つごとにだんだんと、その数は減っていき、今では頻繁にメールを送ってくれるのは時田君だけです。みんなの記憶の中から私が消えていくのが分かります。そして、私はそれをとても恐ろしく思います』 彼女と彼女の友人たちをつないでいたものが、様々な理由で時間の流れと共に細くなっていく。そして何の変哲も無いある瞬間を境に、そのつながりはそれぞれに音も無く消滅していってしまう。『でもそれはきっと仕方のないことなんだと思います。私はみんなからとても遠いところにいて、みんなはみんなを取り巻く新しい環境に少しずつ馴染んでいって、新しい友達を作るべきなんだってことが、私には分かります』『そして、それはきっと私にも当てはまることなのです』『正直に言うと、私はまだ新しい生活に上手くなじめてはいません。そんな中で時田君とのメールのやり取りは、私にとって、日常を上手くやり過ごすためのとても大切なものでした。少なくとも、私には遠いところに一人の友達がいて、そのことが私を安心させてくれていました。 だけどもう、私も、私取り囲む環に上手く馴染んでいかなければいけません。少なくとも、そのための努力はしないといけません。そのためには、いつまでもこういうやり取りを続けていくことは良くないことだと思います。だから、もう私のメールに返事を返してくれなくて大丈夫です。いままでありがとう。時田君、お元気で』 そのメールを読んだ時、僕には彼女の言おうとしていることがうまく飲み込めなくて、そのメールを何度も繰り返し読み返した。それからやっとその意味を理解して、どうしようもないほどの脱力感に襲われた。それからうまく働かない頭のままで何日かを呆然と過ごし、やっと、友達がいなくなったんだ、と理解した。 今ではもうその子の顔やメールでどんなやり取りをしていたかなどは思い出せない。ただ、ちょっとしたときに彼女のことを思い出しては、懐かしいような、少し寂しいような気持ちになる。
> 昼野さま もういまさらの賞賛でしょうけれど、シモに属するワードをこれほど美しく、かつ詩的に用いられる書き手さんて、ほかにはいらっしゃらないのではないでしょうか。なんでしょう、このラストの前向きなさわやかさ……! 海には結局、からはじまる最後の段落がたまらなく好きです。> 片桐さま 重い……! そして苦い。育たない子ども達。美しい文体で書かれた、疲弊と停滞のなまなましい手触り。希望と呼ぶには儚い、けれど縋りたくなるような夢。 よかったです。 そして、これはこれで、とても美しい掌編ですけれど、この世界観でのほかのお話も、いつか読んでみたいです。> 紅月さま き、気になるところで終わっている……と、仲間がいてちょっとほっとしているわたしです。60分、ショートですよね……。 続き、楽しみにお待ちすることにします。 ときに、文章の雰囲気が変わられましたね。意識して本作だけ変えられたのかな。なんだか新鮮です。> 二号さま 切ないです……。ほろ苦い。 60分三語にしては十分すぎる密度、内容ですけれど、これだけのうつくしい文章を書かれる方だと、読んでいて、さらに展開するお話を、つい期待してしまいますね。物語でもいいですし、散文でもいいのですが。 このお話はこのお話で、もちろんきちんと終わっていますし、60分三語としては感嘆するほかないのですが、それはそれとして、もう少し長いものなどは書かれないのでしょうか? TCに投稿されていないだけ、かな。 これまでに拝読した範囲では、という無責任な意見ですが、二号様のこの文章の重さ、手触りだと、長めのお話のほうが、もっと活きてくるのではないかという気がします。というか要するに、読みたいです。> 反省 話に脈絡とか、盛り上がりとか、オチとかを、とにかく小さくてもいいからいつでもそういうものを用意するように心がけたらどうだろう……orz
昼野さんお馴染みの昼野さんワールドですね。前回の三語ほどはぐっと来ませんでしたが、ついつい読んじゃう独特の味は変わらずあるように思います。しかし、なぜ下痢w。「青く、高く」 HALさんうーん、これはやっぱり書き急いでまとめ切れなかった感がありますかね。こういう世界観は好きですが、一方で単体として見るならもう少し独自性が欲しいなというところです。紅月 セイルさん完結してほしいw。この文章バランスで書き上げることができれば、面白くなりそうなので。私生活もろもろご大変なのでしょうが、一度頑張って欲しいです。二号さん切ない話ですね。書きたいことはちゃんと表現されていると思うので、もう少し文章的なまとまりを良くすればとさらに印象がよくなるのではないかなと思います。自作とりあえず、一歩前進。