Re: 即興三語小説 -「集落」「地元訛り」「秋の夜長」-締切10/11に延期しました ( No.1 ) |
- 日時: 2015/10/12 11:57
- 名前: 時雨ノ宮 蜉蝣丸 ID:CggQy9rM
「――そうしてシンデレラは、ガラスの靴を履いてお城へ行きました。王子様と結婚し、幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」 絵本を閉じたタイミングで、タイマーが鳴いた。結が不思議そうな顔で「お終い?」 「ええ。お終い」 「シンデレラは、しあわせになったの?」 「ええ。幸せに、暮らしたの」 私は小さな頭を撫で、絵本を置いてキッチンへと向かった。鍋の蓋を開けると、出汁のいい香りがふわり上った。茶碗蒸しは結と、私でないもう一人のリクエストだ。一つずつ取り出してお盆に乗せ、食卓へ運ぶ。結が駆け寄ってきて「ちゃわんむし!」とはしゃいだ。 「えび、ある?」 「あるわよー」 「茶碗蒸しか、久しぶりだな」 背後から聞こえた声に、私はビクッと振り向いた。 「帰ってたんですか、先生」 「なんだその言い方は。ひどいなぁ……」頭をボリボリ掻きながら、先生は言った。結が「パパ!」と叫んで飛び込んでくるのを抱き留めて、小さく笑う。 「ああ、ただいま。結。楓――」 私は「お帰りなさい、今日はお早いですね」と返した。三上和貴――先生は地元大学の教授で、民俗学の研究をしており、普段なら十時以降にならないと帰ってこない。いつもヨレヨレの(畳む時にはしっかりアイロンをかけている)シャツに黒いベスト姿で、鳥の巣みたいな頭に眼鏡をかけている。まだ三十代前半で、顔立ちだって悪くないのに……と、私は思っているが、本人はどこ吹く風だ。 「手は洗いましたか」 「もちろん。うがいもしたぞ」 「合格です、どうぞ」先生と向かい合う形で、私は着席した。右には結がいる。テーブルには茶碗蒸しの他に、温野菜、白身魚のポワレ、ネギと豆腐の味噌汁などが並んでいる。 「……蒸し物多くないか」 「デザートはプリンです」 「まじか」 いただきますの声とともに、銘々が料理に手をつけた。早速、茶碗蒸しを食べた結から感想がきた。 「おいしい!」 「本当?」 私は先生の方を見た。先生は木のスプーンで茶碗蒸しをすくい、口へ運び、軽く咀嚼してから飲み込んだ。「いかがですか」緊張の一瞬、先生の言葉は短いものだった。 「ん、美味い」 「やった!」 「出汁がいいな。俺の好きなやつだ」 「そりゃもちろんです」私はふふんと鼻を鳴らした。茶碗蒸しは得意料理なのだ、自慢しかけて、先生の呟きにピタリと声が出なくなった。
「舞のより美味い」
――『舞』。その名に思考が止まる。先生がしまった、というような顔をした。不器用な人だと知っているけれど。正直者であることも、だけど。 「……ありがとう、ございます。褒めてくださって」 結の手前、私は無理やり押し流すことにした。先生もすぐに乗っかってきて、「うむ。美味し美味し」と茶碗蒸しをかき込んでいく。きっと、もう味なんてしてないだろう。私だって、ポワレを口に入れたけど、味なんて初めから無かったみたいで。今日のソース、頑張ったのにな。 先生。 舞って、『舞子』でしょ。わかってますよ。 昔から取り繕うの、苦手ですもんね。 「……かえちゃん? どうしたの?」 結が不思議そうに首を傾げた。ごめんね。なんでもないの。頭を撫でると、結は茶碗蒸しを示して、 「かえちゃん。これ、ぎんなん、はいってる」 「えっ……。あぁ、本当だ。ごめんごめん」 結は銀杏が苦手だったわね。間違えちゃった。代わりにおっきなエビさんが入ってるから、許してね。 「ママのには、はいってなかったよ」 わかってる。反射的に返しかけて、なんとか踏みとどまった。頷く、声を出したら当たってしまいそうだったから。 先生は気まずそうに箸を動かしている。地雷を当てたのがわかってる顔だ。わかってても踏んじゃう人だ、先生は。 私は無理に笑って言った。ポワレのソース、どうです? バジルに胡椒が効いてるでしょ。そこのニンジン、今朝に下の奥さんからもらったんですよ。そういえばこの辺って地元訛りがきつい人多いですね。未だにリスニングできなくて困ってます。麻痺した味覚を誤魔化すように、喋り続けた。 先生の脳裏に、あの人が映らないように。 必死で。
先生は昔、私の先生だった。 私がまだ高校生の頃、先生は私の高校で歴史を教えていた。その頃のシャツはヨレてなくて、髪形もきちんとセットされていた。少し呑気で、笑顔が似合って、授業を脱線するのが好きで、可愛い一人娘のことを生徒に冷やかされて照れている、どこにでもいそうな先生だった。 私は先生の一教え子に過ぎなかった。 毎回、先生の授業を受けて、いじられる先生を眺めて、友人達と一緒に笑っているだけの。いや、あくまでそれは先生の視点でだろう。本当の私は少し違う。 先生を目に留めるたび、胸の鼓動を鎮めるのに苦労していた。染まりかける頬を、友人に悟られないようにしていた。 恋―― 私は先生に、決して届かないはずの恋心を抱いていた。事実、当時はただの横恋慕だった。先生の家族のことを聞くと少し心が痛んだり、嫉妬に似た感情が湧くこともあったが、それを表出させるような真似はしなかった。手が届かないことも、先生が困ることもわかっていたから。 卒業すれば、いずれ忘れていく、青い熱。 そう、信じていた。恐らくは、先生も。 ――あんなことに、なるまでは。
先生の奥さんが事故に遭ったのは、卒業式の三ヶ月ほど前のことだった。 朝、ゴミ出しへ向かったさんは、凍結した路面でスリップした車に撥ねられ、そのまま帰らぬ人となってしまった。先生は連日、卒業式の準備に追われていて、奥さんがゴミ出しをするより早くに家を出ていた。 舞子という名の、話好きで、足のほっそりした美しい奥さんだった。一度、先生の忘れ物を届けに学校に来ていたのを見かけたことがある。 事故当時、舞子さんの履いていた靴が片方、凄く遠くに飛ばされていて、その靴だけが衝撃に巻き込まれず綺麗なままだったという。 一週間後、先生は学校に復帰したが、以前のように笑う人ではなくなっていた。いつもどこか虚空を見ていて、生徒の声にも生返事をするようになっていた。 そんなだから、次第に一人、二人と生徒からも同僚の先生からも距離を置かれていき、卒業式直前には先生は完全に校内で孤立した存在となっていた。授業以外では誰とも口を利かない、誰も話しかけなくなっていた。 ――だが、例外が一人いた。 私だ。 私は先生に、挨拶から勉強まで、さまざまなことで話しかけた。復帰前より盛んに。話しかけて、笑って、以前の先生が皆にしていたように、先生と接し続けた。 先生の目が、少しずつ私に向いてくるのが嬉しかった。少しずつ、私の話に応じてくれるようになるのが。笑ったり、照れたりしてくれるのが。嬉しかった。
『先生のことが好きです。私と、付き合ってください』 卒業式のあと、私は先生に告白した。確信はしていなかったが、フラれる気もしていなかった。 大事な奥さんを失って、残された靴を片手に、世界の終わりを待っていた先生。 届かないと信じていた先生に、私は手を伸ばしていた。 『……ああ、いいよ――』 頷く先生の目が、どんな色をしていたのか。 知りたくなくて私は、感情をもみ消すように先生にキスをした。
先生が高校教師を辞めて、田舎の大学で教鞭を執り出したのは、それからすぐのことだった。 学生でなくなった私が、先生と先生の娘の結と暮らし始めたのも、その頃だった。
「結はもう寝たのか」 ベランダでぼんやりしていた私に、先生が問うてきた。湯気の立つマグカップを二つ持っている。おそろいで買った、青と赤のカップ。特別なものじゃない、ホームセンターの量産品。 赤い方を渡されて、私は小さく「ありがとうございます」と呟いた。 「おまえ、角砂糖二つだったよな」 「ええ。合ってます」 並んでコーヒーを啜る。しばらく私達は無言だった。秋の夜長に相応しい虫の音が、沈黙を取り持ってくれているようだった。 「あの」「あのさ」 同時に声を上げて、私達はまた黙ってしまった。「……お先にどうぞ」「どうも」 「……悪かった」 短く、先生が謝罪した。 「……何にですか」 「舞のこと。そんなつもりじゃなかったのに」 そんなつもり――胸のあたりで、ガラスの割れるような音がした。 「どんなつもりですか、それ」 「持ち出す必要なんて無かった。迂闊だった」 「意識しなくちゃいけないほど、奥さんのこと考えてらしたんですか」 「違う」即答する先生に、私は目を向けなかった。ガラスがまた割れた。
「違うよ。楓」 「わかってます」 「俺が悪かった。おまえを傷つけて」 「わかってます。言われなくたって」 無意識にカップを握りしめていた。やけに体が寒い。山麓の集落は夕暮れが早く、その分夜の気温低下も早い。今夜はどうだったか、思い出せない。きっと一桁に違いない。ああ、結の布団を冬物に変えるのを忘れていた。 「……わかってるんです。わかってるのに、……」
「先生」 私が呼ぶと先生は、「なんだ」と返事をした。 「下品なこと、訊いてもいいですか」 「……なんだ」 「舞子さんと私と、どっちのが好きですか」 ――本当に下品な問いかけだ、と自分で笑ってしまいそうだった。ひどい。これはひどい。先生を不器用って言ってるけど、これじゃどっこいどっこいだ。 「……今さら何を」 「答えてください」 今さら。今さらだ。酷い。非道い。 「……」 考え込む先生に、私は無機質に言葉を吐き出した。 「最近、急に心配になることが増えたんです。先生が教授になって、帰るのが遅くなって。私と結だけの晩御飯の日が増えて。結が私の作った御飯を食べるたびに、心配になるんです。『ママのと違う』って言われやしないかって。今日だってそう。舞子さんの名前を先生がこぼすたびに。何かしらのことをすると必ず、『舞子さんのと違うって言われたらどうしよう』って。料理も、洗濯も、掃除も、結にお話する時も、先生に抱きしめられてる時も、キスしてる時も。全部――」 最初は、少しナーバスなだけだと言い聞かせていた。先生の隣に来て落ち着いたから、今まで気にしてなかったところが目立ってきたってだけだと。 だが、いつまで経っても不安は消えず、ガラスのような膜となって、心臓を取り囲むようになった。 「先生も結も、そんなことないって。全部私の独りよがりな妄想だって。頑張ったけど。でも」 些細なことで砕ける。脆弱な膜。弱い癖に、一度刺さると簡単に抜けない。 「ねぇ、先生」
「先生はまだ、舞子さんのことが好きでしょう? 時々、私の前ででさえ、呼んでしまうくらいに」
あの事故の日残された、奥さんの靴を持ったまま。 永遠に戻らないもう片方の靴の持ち主を、ずっとずっと心に留めているんですよね。 それは絶対に覆らない理と事実で。 私がどんなに言葉や態度を尽くしても、ひっくり返りはしないのですよね。だって、 「先生の横には今も、奥さんがいるのでしょう」 私は、シンデレラじゃない。 十二時を過ぎて、ガラスの靴を手に項垂れる王子様に声をかけた、一人の狡猾な女だ。 両方そろった靴を履いた、ただの。
「楓」 先生が、私を呼んだ。「なんです」目を向けようとして初めて、自分が泣いていることに気づいた。 「言い訳はしないよ、楓」 「ええ」 「俺は、確かに今も舞を思い出すことがある。泣きそうになることも。けれどそれは、舞が愛しいからじゃない」 「だったら、なんです」 語尾が震えた。冷え切った頬に柔らかいものが触れた、先生の指だった。 「おまえと、結と。三人の日々が幸せで、温かくて、満ち足りているからさ。舞のいた時間が壊れ去ったあの日から、俺は死んだも同然だった。結も生徒も同僚も、みんなどうでもいい気になっていた。それを繋ぎ止めてくれたのが楓、おまえだ。おまえが俺を、ここに縫い止めて、無くしたと思っていた温かな日々を取り戻させてくれたんだ」 ああ、先生。違うわ。 私、やっぱり最低な女なのよ。 青い熱に侵された喉から嗚咽が漏れた。先生は私の手からマグカップを取り上げると、優しく言った。 「正直、舞といた間より幸せなんだ、今の方が。それが安心で、申し訳なくて。 ――おまえを傷つけたこと、心から後悔してる」 先生の腕が、私を抱き寄せる。
「愛してるよ、楓。俺の大事な人」
囁きが、耳にかかる。 心臓を覆うガラスが、粉々に散ってキラキラこぼれていった。 「先せ……」 「やめろ。『先生』は俺の名前じゃない。それに俺は、だいぶ前からお前の先生じゃないぞ」 「……和貴、さん」 消え入りそうに呟くと、抱きしめる力が一層強くなった。 長い間、呼べなかった。先生――和貴さんの名前は、舞子さんだけが呼べる特別な言葉の気がしていたから。 「楓」 「……はい」 「もう一つ、おまえに言えなかったことがあるんだが、いいか?」 「…………はい」 和貴さんが、私から身を離す。いつになく真剣な両目で、私の前に跪き、左手をとって。
「楓。今までありがとう。今度は俺が、頑張るから。 ――俺と、結婚してください」
「……はい」
和貴さんの唇が、そっと私の薬指に当てられた。笑う顔が優しくて、不安になったことが哀しくて、私は和貴さんの唇に自分の唇を重ねた。 「……もっと、ロマンチックなのがよかったかな」 「いいえ」 「結が知ったら、驚くなぁ」 「ええ。……嫌がられないでしょうか」 「大丈夫だろ。今さらなことばかり、おまえは心配するな」 また視界が滲んできた。 和貴さんの手が私を撫でて、温かさに心が鳴いた。
秋の夜。 虫の音がさざめく、ベランダにて。 「隣に来たのがおまえで、よかった」
十二時過ぎ。 靴を残したシンデレラが、微笑んだような気がした。
+ + + + + + +
期限オーバーですがせっかくなので。 5400字くらいです。一、二日かかりました。 突っ走ったので若干適当な部分がある気がします。すみません。わかってるのでグリグリ抉らないでくださいです……こんなハッピーな着地じゃなかったのになぁ。何でシンデレラにしたんだろう。 目を通してくださった方に深く感謝致します。
|
|