Re: 即興三語小説 ―なんか散財している気がします― ( No.1 ) |
- 日時: 2014/03/10 21:26
- 名前: しん ID:t97Mpf82
題 三題小説
ひとにはそれぞれ個性というものがある。 先日それを痛感した。 友人とファミレスに行き、食事をとっていると、わたしだけ手持ち無沙汰になることがよくある。 友人は食べる速度がゆったりしていて、わたしがはやいのでいつものことである。 その日はなんとなく調べたいことをおもいつき、友人のタブレットパソコンを借りたのだが。その時に驚いた、 簡単な検索であったのだけど、『なか』という言葉をうって変換してみるとなんと、『那珂』という字になったのだ。 当然それが『なか』と読むことができるのは字面でわかるのだけど、日常使うことのなさそうなこの文字が第一候補としてでるほど友人はこの『那珂』という言葉を使用しているのである。 あとで自宅のパソコンで『なか』を変換すると、『中』や『仲』などがでてくる。自分は友人にくらべ無個性なのだと思った。 わたしは三題小説というのは、こういう変換に似たものではないかと思う。 決められた同じ三つ語句をそれぞれ自分の中で消化して変換したものを文章というカタチをとりあらわれる。 素で最初に変わった変換がされるひともいれば、変換のなかでかわったものを見繕い使用するひともいるだろう。当たり前の変換を使用して文章内容で勝負するものもあるだろう。 不思議なことに当たり前のように使用した変換をしたものでも、複数あると全然中身がちがうことが多々あることである。 さて、わたしの書き方を少し説明させていただこう。まず三つのなかで一番難しい語句を選び、その語句を中心に話をつくる。 これは三語を自然にだす話をつくろうとするため、だしにくいものを話しの中心にそえることによって自然にだすためである。 まず最初にその語句がでてくる、というのが一番多いパターンであるが、話の中心として最後のほうででてくることもある。ともかく、それが出てくる前提の話をつくるのである。 そして、残りの二語の一つを話の佳境にはいるための重要な語句としておきつつ、どれか一つが最後のオチに直結しているのが理想である。 しかし、スランプになると、二語をだしたのはいいけれど、残りのー語をだすことができなくなることがある。 今がその状態である。 それをいかに突破するかが難しい。
-------------------------------- 任意のお題の スランプの場面を入れる は恐らく前回テンプレの消し忘れとおもったのですけど、一応いれておきました。
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Re: 即興三語小説 ―なんか散財している気がします― ( No.2 ) |
- 日時: 2014/03/14 19:58
- 名前: マルメガネ ID:fJqdcRxM
モノ書くとき
すこぶる閉口することがある。 それは執筆し、手書きしたうえ浄書する際の変換である。 物語上にあって、そこはかとなく佳境に突入し、ここぞ、というときの変換ミスはたちまち気力は萎えてしまう。 そこを突破することさえできない致命的なミスも散発し、全体的に意図しうるすべての事柄にあって当初に考えていたものとは別のものとなり得たりもするのは否めぬ。 正しい変換を求めてすこぶる閉口し、そして言い難いジレンマも発症して、文面に発現する。 誤変換がもたらすものはその誤りを正すのに貴重な時間を割くのみにおいて言及するとすれば、いくらか誤用を避けるべく辞書をもって意味合いを調べそして手書きでもって執筆するよりも少なからず手間を要す。 また逆に手書きで書くとき、一発で変換されうる単語ですらも思い出せぬことははなはだ残念にあり、字の間違いなどに至っては誤変換どころでなく、字の形すらもあいまいになりがちなところだ。 あれこれと考え、プランを立て、肉づけを行い、盛り上がりどころとなる佳境を突破し、盛り下がりやがて終盤を迎える物語を完成させて、プランと見比べると相違することもあるが、誤字変換に至ればその意味合いは表現にしても全く異なりそして筋が通らなくなることもある。 それは誰しもあることなのだ。
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