Re: 即興三語小説 ―そろそろ一体何回目になったんだか?- ( No.1 ) |
- 日時: 2013/12/14 00:55
- 名前: げたのはがた ID:aM6K3UbA
孝紀が大学をひけて下宿先の最寄り駅から原付に乗ったのが午後一時頃。にわか雪が降りだし、ほどなく已んだ。空はうす曇りのままである。郵便局に寄って三人待ちのキャッシュコーナーに並び、きょうは暖かいのにと不思議に思う。朝方の冷えこみは少々厳しくなってきたが日中はまだそれほどでもない。手袋を何枚もかさねる程ではない。雪をみるのは今年初めてだが、これで初雪ということになるのだろうか。天気予報によれば東北以北ないし北陸の幾県かはもう既に雪だるまが逗留しはじめている。 やがて順番がまわってき、常日頃からあやふやになりがちな己の生年月日を確かめるように必要な手順をこなした。暗証番号は元号の下一桁と誕生月・日との組みあわせからなるが、孝紀にはこれがうまく憶えられない。生年月日のみならず、氏名、住所、所属といった所謂個人情報がまるで出てこない場面が頻繁にある。自分のことだろうと友人からからかわれるのはともかくとして、初対面の人間を相手におのれの名前を思いだせず「なんだっけ」を連発して眉を顰められたにはさすがにわがことながら閉口した。孝紀自身はひそかにこれをなんらかの疾患であろうと踏んでいる。いつからはじまったという自覚はないが、中学校を出る頃までは少なくともこんなことはなかった。ひろく取ってここ五、六年……あるいは三、四年ほどを境に、症状が出始めたということになる。受験・面接各種をなんとかのりきってきたはきたが、実生活に影響をきたしていることは否めない。 もっとも孝紀はそういう症状を愉しんでもいる。自分でも意外ではあったが、そういうふしがあると発見したときは心躍った。――脳わずらい、と自虐的にわが身を規定し、そのことばのもつ侮蔑的なニュアンスに酔った。酔っている自分を醜悪だと思いこそすれ、ずぶずぶとやり場のない後ろめたさの吹溜りへ気分を追いこんでゆくのは堪らなかった。まっとうに生きられるところを歩んでいるのだから、これからもなんとか生きていくつもりならいつまでも続けていられない、そういう種類の遁走であることは自覚しつつも、腐臭のする桃色の脳味噌がなにか得体のしれない条虫に食いあらされていく様を想像する時間は増えつつある。 郵便局を出てしばらく走ると曇り空からこんどは雨が落ちてきた。 はじめはしとしと降りだったのが、次第に雨脚を増していく。アパートの駐輪場に原付を停めるときにはすっかり濡れ鼠となっていた。ヘルメットボックスに仕舞ってあった鞄から鍵を取りだすと二階へ通じる階段をのぼりかける。と視野の右手に違和感を覚えて立ちどまる。 隣家と階段とのあいだには猫の額ほどの庭があり露出した土にあれこれと孝紀には名前のわからぬ草花が植わっているが、その庭土に下駄の歯型らしき足跡をみつけたのである。 ――ははん、爺さんか。 すぐさま管理人である老爺の姿が脳裡に泛んだ。まだ下駄を履いているらしい。つっかけだとするにしてもいい加減寒かろうに。それともあの齢になるとこのくらいはへいちゃらになるものなのか。しかし泥濘んだ土のうえを歩きまわれば素足も汚れる。それとも指股の割れた靴下でも穿いていたんだろうか。 きらいな人ではなかったが、どこかよく思えない感がぬぐえずにいた相手を慮るようなことを考えているのに気づき、不思議に思う。身内でもないのにと考えると同時に、身内ということばのこそばゆさに顔が半分ゆるみ、半分ゆがんだ。老爺、という属性一点に因って、かつて懐いていた九州の祖父を思いだしているのかもしれない。ずいぶん小さい頃に死別したが、背の高い、飄々とした人だった。中折れ帽が好く似合った。家族ぐるみで本州に渉ってきてからもことあるごとにあちらへ戻っていたようで、孫である孝紀はそのたびキーホルダーを貰った。金属性で持重りのする、小児には適当でないかもしれないものが大半だったが、孝紀はむしろそのことを喜んだ。ひんやりとして重厚であることがなにか誇らしく感ぜられた。桜島の溶岩なる小さな黒い石片をごてごて盛りつけたコンパス附きの一品を孝紀はいまもって机の抽斗にしまっている。出せといわれればすぐに取りだせるだろう。形見分けには昭和新山のキーホルダーを貰った。短絡とはしりつつ、これは北海道のものだからもしかすると火山が好きだったのかもしれないとも孝紀は考えている。 昭和新山といえば――と連想が孝紀の実家附近に住んでいた眼科医のことに至ったとき、濡れたままだった身体がひとりでに顚え、柵状をなす手摺子にしたたか膝をぶつけた。 妄としていたうちも雨は已まず、くだんの足跡はあとかたもなかった。
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