ファンタジー ( No.8 ) |
- 日時: 2011/08/22 00:01
- 名前: tori ID:yWSg/gwY
その日、アリスは眼帯をつけていた。 「わるくした?」 と聞くと、首を横にふって、 「まあ、聞くなよ」 と微笑んだ。幸せそうに笑うものだから、ぼくはそれ以上なにも言えなくなる。アリスがいま付合っている相手がロクでもないやつだとは聞いているから、顔でも殴られたのではないか、と心配になる。 「で、今日はどうするんだ」 「お金を稼ぐ」 そういって、ぼくは依頼書を机に置いた。 「面白くない依頼だね」 とアリスは内容を読んで、ぽつりと言う。そのとおりで、ダンジョンの地下五階にある地底湖で、薬草を摘んでくるといったものだ。ぼくとアリスとなら、地下の三十階までなら簡単に行ける。それから先も準備すれば問題ないぐらいだ。ただ、いまはそういうことをしている時間がない。短時間で、お金が集める必要がある。 「稼ぎは悪くない。収支を考えると、これがベストだ」 「冒険者も費用対効果を考えだすとただの人間ね」 まあね、と、ぼくは自嘲して、彼女に行こう、と促した。
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お金が必要だ。 もう半年前の冒険で、ダンジョンの地下五十階まで行ったとき、仲間がグールに食い殺された。ぼくとアリスは辛うじて逃げ帰った、そいつを生き返すのに必要な髪の毛も忘れずに回収して。でも、それは本当にギリギリのところで、財産なんて失ったに近い。 人を蘇生するには、お金がかかる。部分しか残っていない、と、莫大な額になる。また、蘇生には時間制限がある。九ヶ月以上経つと、魂がこの世からあの世にいってしまう。そうなると打つ手はない。ぼくはまだあいつのことを弔いたくない。
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ダンジョンは危険な場所だ。どこまで深くあるのかも分からない。伝説では、最深部は地獄とつながっている、そして、その奥には世界の秘密がある。多くの冒険者はそれを目指している。好奇心に駆り立てられているのだ。ぼくもアリスも、それからあいつもいつかはダンジョンの最後まで行きたい、と願っている。 アリスは額にういた汗を手で拭いながら、 「やっぱ昨日の今日だと疲れるね」 「その眼帯は、」 「気にしないで、私は満足しているんだから」 「満足しているって」 無駄口を叩きながらも、周囲に目を配っている。アリスが急に立ちどまり、手のサインで屈むようにいう。前方に何かの影が見える。この階層だから、おそらくコボルトだろう。小さな痩せっぽちな人間の形をした妖精で、好戦的だ。避けてとおるのが得策だ。 「迂回するしかないか」 とアリスがいう。 ぼくらは来た道を引き返し始める。戦闘は避けるべきものだ、特にあいつがグールに殺されてからはそう思う。
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アリスがいまの男と付き合い始めたのは、あいつが死んでからだ。その前に恋人はいなかった。たぶん、始めての相手ではないだろうか。 彼女の性格は男勝りなところがあるし、その手のことに興味もなかった。ダンジョンにぼくらは魅入られていた。その理由は、いろいろと考えると、アリスの祖父の物語を聞いて育ったことにあると思う。アリスの祖父も冒険者だった。 ダンジョンの奥には世界の秘密がある。 なぜ春になると花が咲くのか、冬になると雪が降るのか。そういうことの答えがダンジョンの奥には眠っているのだ、と、いつも言っていた。ぼくらはそれが知りたい、と思ったのだ。 特にあいつが、それを一番知りたがっていたように思う。ぼくはあいつが行くところなら、どこまでも付いていきたいと思っていた。
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「そこを右に」 とアリスに言われて、ぼくは我にかえったように立ち止まった。 「どうしたの?」 「いや、」 と言ってから、ぼくはアリスの言うように右に向かった。そうやって、アリスに先導されながら地下五階におりて、地底湖にたどりついた。 地底湖の周辺は明るい。湖の底がほのかに発光していて、ぼんやりと色んなものの影が浮びあがっている。 今日は他の冒険者の姿も見当たらない。ここは不思議と怪物が近づいてこない場所で、ダンジョンを潜るなら、最初の休憩地点になる。ただ、ここまで来るにもかなりの労力が必要ではある。 湖畔に生えた薬草を必要なだけ詰む。アリスは水辺に寄っていて、じっと湖面を見つめていた。その後姿が疲れきっていて、 「どうした?」 と聞いた。すると、アリスは眼帯を押さえながら、 「何でもない」 と震える声で返事をした。 「何でもないって」 そんな訳ないだろ、と、言おうとしたところで、どろり、と、アリスの手で押さえている眼帯から、黒い液体が垂れた。それは黒く見えるけれど、間違いなく血で、ぼくは反射的にアリスの腕をつかんで、顔から引き離した。 眼帯は赤く染まっていた。眼の形にくっきりと染まっている。血を吸って、内側にくぼんでいた。 「眼帯変えるから、向こう向いてくれる?」 とアリスは言う。
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地底湖で回収した薬草を依頼人に渡して、ぼくとアリスとは別れた。夜はそれぞれの過ごし方がある。とくにアリスが恋人を作ってからは、一緒に食事するもこともなくなった。 ぼくは食事をしてから、宿にもどって、部屋に保管しているあいつの髪の一房を見てから、さっさと眠る準備をする。睡眠をしっかりと取り、明日の依頼をこなさないといけない。計算では、お金が間にあうかどうかは見えていない。一日だって休むことはできない。 ベッドに入りながら、目をつむる。子供のころのアリスとぼくとあいつとの記憶が水面にうかびあがる泡のようによみがえる。夢と現実との境のなかで、ぼくはあいつの横にいながら、アリスの祖父の語る冒険譚に耳を傾けていた。 アリスの祖父が語る歴戦の冒険者は、すべてあいつの姿に置き換わっていく。ぼくは、きっと冒険の話を聞きたいのではなくて、その冒険の話で活躍する主人公をあいつと重ねたかったのだ。 グールに食われていく姿が、ぽん、と浮かぶ。悲鳴と喚き声にぼくは、耳をふさいだ。その隣で、アリスが諦めるように踵をかえしている。
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アリスは両目に眼帯を巻いていた。杖で床の形を確かめながら近づいてきて、ぼくの漏らした声に気づいて、正確に、ぼくの対面の席に座った。 「ごめんね、もう何も見えないから、一緒に冒険できない」 「どうして」 とぼくが聞くと、アリスは微笑みながら、 「いまの男がさ、目のない眼窩をなめるのが好きなんだよね。まあ、異常だとは思うけど、私は彼が喜ぶなら、それでいい」 「あいつは、どうする」 「死んだら普通は生き返らないんだよ」 「でも、そうじゃない方法がある。それで、生き返して、また前みたいに」 「もう私は嫌だ」 アリスはそう言うと、立ちあがる。ぼくの傍から離れていった。踵を返して、目が見えないのなんて嘘みたいに颯爽と去っていく。追いかけることもできなかった。ぼくは手に握っている依頼書をじっと見つめて、それをぐちゃぐちゃに破り捨てた。それから、思いっきり机を叩くと、そのまま前に突っ伏した。 疲労感がどっと湧いてきて、足が身体が鉛になったように重くなった。
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