すいません性的描写があります ( No.8 ) |
- 日時: 2011/06/27 00:26
- 名前: 二号 ID:arFu4bXU
彼らは三人で暮らしている。ちょっとした秘密を抱えながら、静かに仲良く暮らしている。
その日も、二階からあわただしい足音が響くのを聞いて、康介と純一は笑みを漏らす。 「寝坊だな」 コーヒーを飲みながら読んでいた新聞から目を上げて康介が面白そうに笑いながら呟く。そんな康介を見て純一は再び笑う。彼自身もそんなに優雅に朝を過ごせる身分ではないのにと心の中で呟く。 「やばい、遅刻だ」 悠太が転げ落ちるように階段を降りてくる。いつもならもう家を出ている時間だ。康介と純一にあわただしく朝の挨拶をすると、彼は朝食の乗ったテーブルに向かい、いただきますといってトーストにかじりつく。 「急げよ、遅刻だぞ」 康介がからかうように声をかけると、悠太は早食い競争のように慌てて朝食を平らげる。 「よく噛んで食べなよ。顔が真っ赤じゃないか」 純一は悠太に声をかける。今彼は必死に笑いをかみ殺している。純一には彼のその姿がほほえましくて仕方が無い。
悠太はテーブルの上のトーストとハムエッグを平らげると席を立とうとする。 「おい、牛乳飲めよ。もったいないじゃねえか」 康介が言う。 悠太は牛乳が苦手だ。恐らく、遅刻を言い訳にして、うまく牛乳をやり過ごすつもりなのだろう。 「う、いいよ。遅刻しそうなんだよ。コースケにあげるよ」 康介はそれを許さない。 「ばかやろうお前、牛乳飲めよ。牛乳はすげえんだぞ。うまいし、カルシウムもたんぱく質も豊富だし、白くて綺麗だし。背が伸びるぞ。筋肉つくぞ。女の子にもてるぞ」 「でも遅刻しちゃうよ」 「だめだよユウ君、朝ごはんは残さずちゃんと食べなさい。寝坊したのはユウ君のせいなんだから。朝ごはんはしっかり食べて、そのせいで遅刻したら、ちゃんと先生に怒られてきなさい」 純一もそれに続く。 「ううう」 悠太は観念したのか、グラスに注がれた牛乳をじっと見つめると、意を決したかのようそれを飲み干す。飲み終えた後で、顔をしかめる。 「ご馳走様でした。いかなきゃ!」 「おお、時間やばいからな、走っていけよ。間に合わないぞ」
悠太が居間から駆け出していく。 「いや、走っちゃダメだよ。危ないから。車には気をつけるんだよ」 「どっちにすりゃいいのさ! ああもう、行ってきます!」 玄関から叫ぶようにそう答えると、悠太は玄関から駆け出していく。走っていくことにしたようだ。
悠太が家を出ると、家の中はそれまでと別物のようになってしまったかのように静かになる。二人は静かに朝を過ごす。悠太がやってくるまでは、この静かな朝食の風景がこの家では当たり前だった。 「俺も時間やばいな」 康介がその静寂を破る。 「ははは、走っていかなきゃだ」 「俺は走ってもいいのか。お前は?」 「まだ少し時間あるから、お皿洗っていくよ」 「ああ、悪い。いって来る」 「うん、行ってらっしゃい」
悠太が二人の家に預けられてからもう二ヶ月になる。初めのうちは緊張やよそよそしさを感じられたものの、今ではもうすっかりなじんでいるように見える。 悠太の母親は康介の姉だが、悠太に父親はいない。ある意味ではこれまで父親のような役割を康介がになってきた。悠太の母は悠太を一人で産み、康介の手を借りながら、これまで一人で育ててきた。 今は彼女は仕事の都合で一時的に悠太を康介に預け、一人別の場所で暮らしている。 この仕事を無事乗り切ることができれば、彼女は職場で重要なポストを得ることになる。そして、完全に経済的自立を勝ち取ることができはずだ。しかし、その代わりに彼女は少なからず家族の時間を失うことになる。これからの生活はどのようなものになるのか分からないが、仕事をやめることはできないと彼女は康介に言った。
康介は駅まで走っていき、何とか時間通りの電車には間に合うことができた。悠太が家に着てからは、毎朝がこの調子だ。悠太を見送り、遅刻ぎりぎりの時間に家を出て、汗だくのまま荒い呼吸を電車の中で整える。ずいぶん変わったものだと、通勤電車に揺られながら、ぼんやりと、康介はかつての自分の生活を思い出していた。 康介は男性同性愛者だ。二十代の前半、康介は何人もの人間とセックスをした。ある意味ではそれはスポーツのような気軽なものでもあった。
繁華街の雑居ビルの一室に、ひっそりと普通の人間には知られること無くそのての店はある。康介のような性的志向を持った男たちはそこでセックスの相手を探し、交わる。そこにいる人間は全てが男性同性愛者であり、セックスの相手を探すためにその店に来ている。 大きなたくましい体と精悍な顔立ちを持った康介は、性別に関係なく男女の双方によくもてた。加えて、ちょっとした気遣いや気の利いた冗談を言える頭を持ち、適当な恋人には困ることが無かった
。 その日も康介はいつものように店に行き、顔なじみの友人と行為をした。店内は薄暗く、青色のライトで照らされ、ほとんど裸に近い男たちが思い思いに会話やビデオ鑑賞を楽しんでいた。康介は行為後の心地よい疲労に浸りながら、黒い革張りのソファに横たわり、うとうとと短い眠りにつこうとしていた。
まどろみのなかで、ふと気がつくと、康介はすぐ近くに誰かが立っているのに気がついた。その男はいつの間にか康介の脇に立ち、自ら性器を手で刺激しながら彼を見下ろしていた。突然のことに戸惑いながらも、康介は何か用かと尋ねた。 小柄で小太りの男だった。恐らく年齢は50代あたりか、とうに中年の域に達しているであろうその男は、康介の好みの男ではなかった。もし彼が自分を誘ってきたら、疲れているのだといって断ろう。
康介はそう考えていた。 しかし、男は康介を眺めながら、自慰をしていいかと訪ねてきただけだった。できればそれを康介に見てもらいたいと言った。 康介はかまわないと答えた。ただ近くで男が自慰をするだけだ。もしそれが見たくなくなれば眠ったふりをすればいい。康介はそう考えた。
薄暗がりの中で見た男の体は、康介にはとても醜いものに感じられた。それに加えて、かすかに感じられるような男の体臭は、その見た目のイメージからなのか実際に放っているものなのかは分からないが、何かの発酵食品の匂いに似ている気がした。もしかしたら、この男は何か病気を持っている
のかもしれない、と康介は思った。
男はそれから五分ほどして射精を迎えた。彼はその直前に康介の体に精液をかけてもかまわないかと尋ねた。もちろん、康介はそれを断った。 男は床に精液を撒き散らし、礼を言って去っていった。薄暗い店内では、青く照らされた床の上に浮かぶその液体を見ることはできなかった。 ただソファに横たわり、男の自慰を眺めていただけなのに、残された康介の体にはうっすらと冷たい玉のような汗がいくつも浮かんでいた。急に体が冷えたように感じる。あの瞬間の康介は、戦慄していたといってもいいほどの恐ろしさを感じていた。 そしてそれ以来、康介は店に顔を出さなくなった。 再びその店に行けば自分の身に何かよくないことが起こるのではないかと感じられた。
康介の意識は、かつての自分を俯瞰する短い回想から、今現在揺られている電車の人ごみの中に戻ってくる。沢山の通勤客を乗せた電車、康介はそこから窓の外に視線を向けているが、その眼には何も映っていない。 電車が短いトンネルを通過し、康介の目の前の黒いガラスに現在の彼自身の姿が映し出される。短い間、彼は自分の姿を眺めてみる。そこにはもうすぐ30代になる男の姿が映っている。彼は時間の流れと共に確実に年を取っていく。
多分俺は、あの頃とはもうすっかり変わってしまったはずだ。康介は考える。もうかつてのような生活を送ることはないだろうし、そのつもりも無い。 多分、あの時俺が恐れたのはあの男の行為だけではない。あの男に自分自身を重ね、年を取り誰の相手にもされないようになっても、それでも自分の欲望に抗えず、孤独に惨めな男漁りを続けている自分の姿を見たのだ。 俺自身、変わらなくてはならない。今の生活が大事だ。そんなにたいそうなものが俺自身の中に芽生えているのかは分からないが、悠太に愛情のようなものも感じている。この生活はとてもいびつで不安定なものだということは分かっている。悠太はいずれ母親の元に返っていってしまうかもしれない。だけど、できることならば少しでも長く続けていたい。くもの糸にすがるような気持ちだ。ばかげた考えだということは分かっている。だけどどうしても、手放したくはないと思うのだ。
今日の仕事は早く終わるだろうか。できることならば、あまり残業はしたくない。康介はそんな風に考えて、自分の考えに思わず吹き出しそうになる。ぎりぎりのところで、それを堪える。
純一は康介の恋人で、二人の付き合いはもうすぐ五年目になろうとしている。二人は同居し、彼は昼間はスーパーでパートタイムの仕事をしている。勤務時間の短さと給与の面に不便なものがあるが、時間の融通が利きやすく、悠太との暮らしが始まってからはむしろ好都合になっている。悠太が風邪を引
いたときなどは誰かが看病してやらなければいけない。そういう場合には、今の職場ならすぐに対応できる。以前実際に悠太が風邪で寝込んだときには、改めてそれを実感した。 夕方の仕事の休憩時間に康介からその旨の連絡が届いた時、純一は慌てて上司に早退を願い出た。悠太が学校で体調を崩したので、保健室まで悠太を引き取りに行ってくれないかと言うことだった。 純一は慌てて悠太の通う学校まで走り、悠太を引き取りに行った。 学校からタクシーで家に帰り。悠太を布団に寝かせる。見るからに元気が無く、熱もある。ひどく不安な気持ちになった。とりあえずと寝かしつけたが、病院に連れて行くべきだったのだろうか。純一は自分が何をするべきかも分からず、悠太がうなされるたびに、ただおろおろするだけだった。 それからしばらくして康介が風邪薬や栄養ドリンクを買って帰ってくるまで、純一は何もすることができなかった。市販の風邪薬を飲んで、悠太はいくらか落ち着いて眠りにつくと。彼は自分のふがいなさを思い返した。 もっとしっかりしなければいけない。そうしなければ、自分はこの生活を続けることはできない、と彼は考えた。
悠太の熱は翌日には下がっていたが、二人は大事を取って学校を休ませた。看病のために純一は仕事を休み、康介もなるべく早く帰れるようにするといって家を出て行った。
眠るばかりで、目がさえてしまった悠太は、布団の中で退屈そうにしていた。純一はその隣で悠太の脇に挟まれた体温計がなるのを待っている。 「悠太君はさ」 「ん? なに?」 ふと手持ちぶさたに純一は口を開いた。 「好きな女の子はいるの?」 ずっとこのまま一緒に暮らしたいと思うかと、彼はもう少しで、そう尋ねるところだった。 「うん。いるよ」 もしくは母親と一緒に暮らしたいかと。 「どんな子?」 しかし、純一にはそのことについて話題が及ぶのは恐ろしく感じられた。 それは今聞くべきことではないはずだ。もっと、他にも話題はある。今は、そのことについては考えてはいけない。 「サキちゃんっていって、かっこよくて、ピアス開けてる」 目の前の話題に集中するために、純一は想像してみる。ピアスを開けている小学生か、と純一は少し考え込む。まあ、最近はそういうのもアリなのかもしれない。 「告白するの?」 「しない」 「え、なんで?」 「勇気が足りない」 悠太の子供らしい言葉に純一の頬が緩む。 「そっか、勇気か。大事だよね」 「サキちゃんのこと好きだけど。怖くって言えないんだ」 「うん。気持ちは分かるな」 「ホント?」 「うん。本当だよ」 「純一君もそういうことってあるの?」 「そういうこと?」 「勇気が足りないって思うこと」 「うん。あるよ」 「大人なのに?」 悠太が不思議そうな顔をする。 「大人でも思うよ」 「ふうん。でもこれ、康介には内緒ね」 「なんで?」 「あいつ絶対からかってくるよ」 「ははは、ありえる」
勇気が足りない。悠太が眠った後で、純一は静かに心の中で呟いた。
今日もいつものように、日が暮れる頃に、悠太が帰ってくる。その少し後に純一が帰ってきて、夕食の支度を始める。夕食ができて康介が帰宅すると三人の夕食が始まる。食事が終わると三人は順番に風呂に入り、並んでテレビを見る。夜の十時になると悠太を寝かせる。悠太が眠った後で、二人は毎晩のように話しこむ。
「子供っていいよね」 「ああ」 「いや、僕が言ってるのは、子供は毎日仕事なんかしないでいいよなとか、楽しそうでいいよなとか、そういうことを言ってるんじゃなくてさ。そのつまり、なんというか」 「子供のいる生活のことだろ」 「そう、毎日元気に朝起きてくれて。朝ごはん、おいしてくてきちんとしたもの食べさせようと考えたり、そんなふうに考えて作ったものを本当においしそうに食べてる姿を見たり、出かける前に忘れ物ないかとか注意してやったり、日曜の朝になれば休みなのに早起きして一緒に魔法幼女もののアニメなんか見たりして」 「魔法幼女のアニメなんか見てんのか。あいつは」 康介は苦笑いを浮かべる。 「別にいいじゃないか。男の子がそういうの見たって」 「まあ別にいいか」 「うん。いいと思う」 会話が途切れる。 「きっと、僕らはとても貴重な体験をしているんだと思う」 「ああ、ゲイの癖に、子供がもてるなんてな」 「だけどちょっとさ、怖いんだよ」 「何が」 「例えば、もし僕たちの関係が回りに知られてしまったら、ユウ君がさ、学校でいじめられないかって。ホモ野郎の息子とか言われたりしないかって」 「まあ僕らがホモ野郎であることは事実なんだけどさ。いじめとかそれだけじゃなくてなんていうかその」 「俺たちの関係が、悠太に悪い影響を及ぼすかもしれないってことか」 「そう、他にも、ユウ君はちゃんと女の子を好きになれるかな?」 「わからない」 そんなことは誰にも断言できないだろう。と康介は考える。再び、二人は黙り込む。
「この前ユウ君が熱を出した時、心配で心配でどうしようもなかったんだ」
あの日以来、純一の頭の中には一つの考えが渦巻いている。それは多分正しいことではないと分かっていながらも、彼にはどうしてもその考えを無視することができない。
「こういう考えを持つのは、多分間違っていると思うんだけど、多分僕は、ユウ君のお母さんになってあげたいと思っているんだ」 「もちろん、性転換とかそういう意味じゃなく」 「わかってるよ」 純一は少しおどけて見せるが、康介はそれに面白くもなさそうに答える。
「でもいずれ、そう遠くないうちに、きっとが僕らを必要としなくなるときが来る。いつのことになるのかは分からないけど、それは必ず来る」 その時は悠太の母親が彼を迎えに来るときかもしれない。それとも別の形でやってくるかもしれない。 「その時に僕たち二人の関係はどうなっているんだろう」 康介は答えることができない。三度、二人は黙り込む。 「でもまあ、少なくとも今は、あの子のそばにいてあげて、愛情を注いであげられる人間は僕たちしかいないんだよね」 「ああ、しっかりやるよ」
再び、純一は勇気が足りないと考える。康介は何かが変わらなくてはいけないと考えている。 二人は互いにこのままではいけないと思いながら。自分たちの目の前にある問題に深く踏み込めずにいる。
すいません。遅刻しました。ほんとすいません。いろいろすいません。
|
|