game2 ( No.6 ) |
- 日時: 2011/04/04 01:27
- 名前: 片桐秀和 ID:eyYh/LA.
――美しすぎて、何が悪い
そう書かれた札に、俺は全神経を研ぎ澄ませていた。真新しい畳の上、不規則に数十枚と並べられたうちの一枚がそれだ。視界の中にそれはあり、その一枚が俺のこれからを決める。しかし決してそれ一枚を凝視はできない。他の札も見渡しつつ、その札がある位置を何十回、何百回と確認していた。その札――美しすぎて、何が悪い――と書かれた札さえものにできれば、全ては帳消しになる。いや、それどころか、俺の新しい人生の門出に十分な金が転がり込む。 俺は対峙する黒衣の男を睨み付ける。男はすでに獲得した十数枚の札を俺にしめし、不気味に笑い続けていた。悟られているはずがない、俺は心の中で繰り返した。
破綻というものは、気づいたときには手遅れで、生活の端々からのそりのそりとしのびよるものなのかもしれない。高校を出た俺が、地元の工場(こうば)に就職したときもそうだ。はじめは自分に向いている仕事だと思った。工場用ミシンの部品組み立てというのが主な仕事内容で、職場の雰囲気は和やか、社員指導も尻をたたくというよりは、長い目で育てるといった親しみ安い環境だった。俺ははりきって働き、仕事を少しずつ身につけていった。冗談を言い合う仲間もでき、ささやかながらも、人生が軌道に乗っていると感じていた。 ある日のことだ。俺は間違いを犯した。入荷された部品の数を数え違った。上司に報告し、部品の数を再度報告すれば、それで全て解決していたはずのことだった。しかし俺はそれを隠してしまった。なぜかははっきりわからない。ただなんとなくタイミングがつかめなかったのだ。即座に報告しようと思っていると昼になり、昼に言いそびれて夕方になった。時間は経っていたが、それでも業務に支障をきたさない余裕はまたあった。次の日はちゃんと報告し、埋め合わせをしよう。そう思って、ふいに近くのパチンコ屋に寄った。すぐに帰り、明日に備えるはずが、その日は熱くなって金を注ぎ込み、五万という金を失った。 次の日、俺は初めて遅刻した。焦りに焦ってバイクを飛ばし、ようやくタイムカードを押したとき、三分の遅刻が、赤い文字で記入されていた。誰も責めたものはいない。まるで、そんなことさえなかったように、俺はその日の仕事についた。そのせいだろうか、俺は上司へ報告するタイミングをまたも逃した。二日が経ち、三日が経った。その頃、部品は備蓄があって、些細な数違いなどは、誰も気にしないのではないかと勝手に思い込むようになった。仮にそれが発覚しても、今まで気づかなかったと言えば、次から気をつけろといわれるだけで、案外ことは終わるのではないか。 あては外れた。四日目の朝、工場長が呼んでいるといわれたとき、自体が飲み込めずに、なぜ俺がと思った。工場長は、烈火のごとく俺に罵声を浴びせた。気づかなかったんです。気づかなかったんです。そう繰り返す俺の言葉を決して信じようとはしなかった。いや、俺の雰囲気から、それが偽りであると気づいたのだろう。だからこそ、工場長は俺を殴った。カッとした俺は、その場にあるものを蹴り飛ばし、その破片が工場長の額に傷をつけた。怒り狂ったふりをして、その実俺は逃げるようにして工場をあとにした。 暇をもてあまし、ギャンブルと風俗に没頭すれば、すぐに金など尽きてしまう。当然のようにローン会社の門を叩いた俺は、高利で金を借りたが、それさえすぐにあぶくと消えた。付き合っていた彼女は、しばらく俺を真人間に再生しようと励ましていたが、俺がいつまでも変わらないでいることにあきれ果て、俺のもとを去った。両親が早くに他界した俺にとっての、最後のつながりが失われ、残ったのは自分という人間へのぬぐいがたい嫌悪と、絶望感だ。 たいした金にもならない家具や親の形見を売って、その日を暮らす。あてどなく街を歩くと、狂った妄想が浮かぶ。いっそ、銀行強盗でもしてみるか。仮につかまっても、刑務所で飯にはありつける。いや、もう一度やり直そう。今までの失敗にとらわれず、もう一度まともに人生を生きてみよう。 そんな思いが数分おきに繰り返され、俺の精神は磨耗を始めていた。かさんだ借金の返済期日を思うと、もういっそ死んだほうがましではないかとさえ思う。
「いやはや、お困りのご様子」 芝居がかったせりふを聞いたのは、なんとか働き口を見つけようと、コンビニで求人情報誌を立ち読みしているときだった。見れば黒いスーツの上、黒いコートを羽織った初老ほどの男が俺の顔に向いている。面倒ごとの予感に俺が立ち去ろうとすると、 「おや、お仕事を探さなくてよろしいのですか? 期日は一週間後でしょう? 日当制のお仕事を探さない限り、面倒なことになりますよ」 俺は振り帰る。求人情報誌を見ていたのだから、職にあぶれていることは分かるだろう。薄汚れた俺の服を見れば、金に困っているとも分かるだろう。だがなぜ? 「なんで借金のことを知っている? あんた何者だ?」 黒衣の男は、黒い帽子を脱いで、一礼した。 「失礼。私には少しばかり変わった力がありましてね。困った人を見ると、放っておけない。ついつい――」 「何が変わった力だ。どうせローン会社の回り物だろう。期日には返す。それで文句ないんだろう。なんとかする」 「ほう、しかし」男は俺を値踏みするように見ると、「なんとかは、このままではできませんね」 「そんなことは――」 「二つ誤解を解きましょう。私はローン会社の回し者ではありません。そして、むしろあなたにチャンスを与えるためにやってきたのです」 「チャンス?」 「ええ、ゲームをしましょう。簡単なゲームです。その結果で、あなたの借金が帳消しになり、さらにこれからの人生を十分に暮らせるほどの金が転がり込む可能性すらあります」 「どんなゲームだ?」 「フフ。話が早い。乗り気と見ました」 「どんなゲームだと聞いてるんだ!」 男は気味の悪い笑みを浮かべてると、その片手を前に伸ばし、指を鳴らした。
暗転。
気づいたときには、俺は和室に座っていた。向かいで黒衣の男も胡坐をかいている。俺と男との間には、無数の札が不規則に並べられていた。 「カルタ、などはいかかですかな」 夢か幻か。俺はついに白昼夢を見るほど病んでいるのか。呆然としていると、不意にパチンと目の前で男の両手が打ち鳴らされる。あまりに、あまりにリアルな音。 「残念、これもまた現実なようですな」 「あんたの仕業か?」 「ええ、申しましたでしょう。少しばかり変わった力がある、と」 認めざるを得ないだろう。仮にトリックがあるのだとしても、これほど大それたことができるなら、もちかけられたゲームの結果で、金をくれるという話も、まったくでたらめだとは思えない。 「何をすればいい? どうしれば、金を?」 「そうですな。一枚とれば、借金を帳消しにしましょう」 「一枚?」 「どれでも一枚というわけではありません。最初にあなたが決めた一枚です。これからこの部屋の中に、札に書かれた文句を詠みあげる音声が次々に流れます。あなたが決めた一枚の文句が読めれたとき、それを私よりさきにとることができれば、借金は私が肩代わりしましょう」 「本当か?」 「ええ、嘘偽りありません。しかしこれだけではつまらない。さらに、最初に決めた札――「指定札」と便宜的に言っておきましょうかね。それ以外の札をあなたがとっても、一枚について、十万円さしあげます」 俺は考え込んだ。あまりに有利すぎる。 「そう、あなたに有利すぎる」男は俺の心を見透かしたように言うと、「もちろん私もゲームに参加したいのでね、これだけではありません。指定札を私に取られたなら、あなたには少々つらい目にあってもらいます。さらに、お手つきはいけません。これにも同様のペナルティを課しましょう」 「つらい目とはなんだ?」 「まあまあ。つまりはお手つきせずに、指定札をとればいいだけのことです。あなたが指定したカードをあなたが取る。断然あなたに有利だ。勝負はどちらかが指定札をとるまでとしましょう。つまりは、あなたが指定札を取ったなり、とられたなりと宣言した時点で終わります」 「本当にそれだけ、裏はないんだな?」 「何をあなたが裏と思うかはご自由ですが、ルールとしてはそれだけです。私はこういったゲームが大好きでして」 「分かった。どうせこのままじゃ、俺の人生ジリ貧だ。やってやる。やってやろうじゃないか」
指定札を決めることがもっとも重要だとは分かった。最低でもその札を俺が取れば、俺の借金は消え、当面の心配はなくなる。問題はどの札を指定札にするかだ。 黒衣の男は今背を向けて座っている。俺がそう指示したのだ。札を選ぶ際、視線で指定札を見抜かれては困るからと、背を向けるように言った。男はそれを快諾し、すんなりと背を向け、ごゆっくりどうぞ、などといいのけた。 俺は目の前に並んだ札を見渡す。観察すれば、よくある「いろはカルタ」だ。五十音全てから始まる札があり、愛してるといってほしい、一度ならず二度までも、とふざけたフレーズが印刷されている。俺は考える。男がカルタというゲームを持ちかけた以上、やつには相当の自信があるのだろう。 「あんたが札の配置をあらかじめ覚えているってことはないだろうな? 俺をここに連れてくる前に全て記憶しているということは」 「では、今のうちです。好きに並び替えてください」 またもやあっさりと快諾されたことに俺はかえって不安を抱くが、悩んだすえ札の配置を変えることにした。残った問題は、指定札をどうするか、だ。 男に近いと不利ではあるだろう。しかし、自分に近すぎてもそれが指定札とばれて危険度は増す。ならば、中間、どうとも判断がつかない位置にある札を指定札とするのがもっとも安全なのではないか。いや、やつはそこまで読んで、むしろ中間の札から位置を把握するかもしれない。 俺は散々迷った末、自分の比較的近い位置に置かれた一枚。 ――美しすぎて、何が悪い
と書かれた札を指定札とした。 「決めたぞ」 俺が言うと、男はおもむろに振り返った。 「さてさて、どれが指定札でしょうかね。私にとられぬよう、どうぞがんばってください。では、はじめましょうか」
ゲームが始まる。 俺はできるだけ視点を定めぬように、全体を見るよう意識しながら、体を前傾した。まさか一枚めに詠まれることはないだろう。いや、ありえないことではない。いつでもあそこに、あの札に手を伸ばすよう集中せねば。
――面白いほどに、切なく
不意に部屋に響いた言葉が、札を読み上げたものだと気づく。違う、指定札を詠んだものではない。俺はほどけた緊張のままに、その札を探した。 数秒が過ぎる。 見つからない。どこにある。 男の手が伸びて、それがどこにあるか、ようやく分かった。札を手にした男は、「いや、カルタとは難しいものですね」とあごをさすった。「私はこのゲームが始めてでして、慣れるまでには時間がかかりそうだ。しかし、あなたがすぐに緊張を解いたことは分かりました。指定札ではないのだな、と」 俺は言葉を返さず札だけを見る。どこまで本心なのかは分からないが、俺が緊張を解いたことは間違いない。この男は、俺を観察している。観察することを楽しんでいる。 「あなたにとっては、むしろ指定札が早めに詠まれると幸いと言えるでしょうか。万が一、いや、五十分の一ですね、五十分の一で最後の一枚になってしまえば、それこそたんなる瞬発力の勝負となる。私が年寄りであることを鑑みればただたんに不利とも言えないかもしれませんが」
――走るには、遠い距離
男が話しているうちに、次の一枚が詠みあげられた。指定札ではない。しかし、その札には覚えがあった。俺の目の前にある一枚だからだ。男はまだその場所に気づいていないらしく、見当違いの場所を探している。取って良いのか? 俺の中にそんな思いが過ぎった。お手つきには指定札を取られた場合と同様のペナルティがあると言っていた。だが、いくらなんでも間違いようがない。十万という金が、いとも簡単に手に入るのだ。 俺はおもむろに手を伸ばし、札に手のひらを当てた。男を見る。 「オオ、そんなところにありましたか。道理で見つからないはずだ。おめでとうございます。これで十万円があなたのものだ」 「本当なんだな?」 「ええ、そうせねば、盛り上がらぬでしょう。しかし気をつけてください。あまり欲を掻いて、お手つきすればそこでゲームは終わります。慎重に、しかし機は逃さず、あなたもこのゲームを楽しんでください」 「ひとつ聞きたい。途中で、俺が指定札以外の札をとって、得られた金に満足すれば、そこで降りてもかまわないのか?」 「なんと嘆かわしい。そんなことをして何が面白いのです。始めに決めたように、あくまで指定札が取った取られたと宣言された時点でゲームは終わりです」 「わかった」 やはり指定札が問題なのだ。俺は浮ついた気持ちを持ち直し、改めて体を前傾させた。
札は次々詠みあげられる。 男が取り、あるいは俺が取る。そんな攻防が静かに続いた。指定札がいつ詠み上げられるかわからず、俺はこの生涯で最大の緊張感をもって、ゲームに望む。負けるか、負けてたまるか、と自らを奮い立たせながら。
――美しすぎて、何が悪い
不意に詠まれたその文句に、俺は体をびくつかせた。万が一にも間違った札を取らぬよう、全神経をその札一点に定めた。 手が重なる。 冷たい手だと思った。これが人間の手かと思うような手。 その手は、俺の下にあった。 「おお、これは私が先に取ったことになりますね」 男はあっけなく言いのける。俺は唖然として、その様を見ていた。 「どうかしましたか?」 「――いや」 「なんだ、あまりに巣頓狂な顔をされるから、これが指定札かと思ったのですが」 「違う、あと少しで十万を逃したのが悔しいだけだ」 「ほうほう。そうでしたか。私の勘違いだったのですね。では、さて、指定札はどれだろう。札もかなり減ってきた。そろそろ詠み上げられるかもしれません」 俺は高速に事態を解析する。指定札は俺しかしらない。あくまでそれは宣言されて、男に分かるものなのだ。次に俺が取った札を指定札にすればいい。それだけだ。簡単なことだ。
札は次々詠み上げられる。 その全てを男が取った。事態に混乱した俺は、体がうまく反応せず、自分の近くにある札さえとることができなかった。 残りは五枚。 「あなたにとっては不運ですな。ここまで減ってしまえば、運の要素が大きい。私も五枚全ての位置と内容を覚えてしまいました。ここからは瞬発力勝負ですかな」 俺は答えない。答えることができない。 指定札はもうないのだ。俺は残り一枚を指定札とし、それが詠まれた瞬間に、全速で取りに行く。そして指定札を取ったと宣言せねばならない。
――困ったほどに、やわらかく
男が取る。
――間違ったなんて、いわないで
男が取る。
残り三枚。 俺は一枚だけに的を絞っていた。他の札は全てすて、その一枚をだけに集中していた。それを取り、宣言する。指定札を取ったと宣言する。
――酸っぱいけれど、思ったほど
俺は叫び声を上げながら、その札を取った。札を掲げ、喜びを表現する。 「取った、取ったぞ! これが指定札だ。間違いない」 そういって笑みを浮かべてながら男を見たとき、俺の浮ついた気持ちは一瞬で凍った。 笑っている。不気味に、見透かすように。 男は言う。 「指定札をもう一度確認してください」 「なにをいったい?」 俺は改めて手にした札を見る。そこにあったのは――。
――美しすぎて、何が悪い。
「馬鹿な。これはあんたが取った札だろう」 「ええ、私が取った札です。しかし、指定札はそれだ。そして、今読み上げられた札ではない」 「違う。俺は間違いなく」 「間違いなく?」 俺は間違いなく、指定札ではない札を、指定札として取ったのだ。 「あなたが指定札だと宣言したとき、それがあなたの手元に飛ぶように細工しておきました」 「いかさまじゃないか!」 「どこかいかさまなんですか? 確認するためのことです。私は普通にゲームをし、指定札を運良く取った。あなたは信じないでしょうが、私は純粋にゲームを楽しみましたよ。あなたの様子から、とうに指定札を私が取っていると気づかざるをえませんでしたが」 「始めから俺をはめるつもりだったんだな!」 「嵌めたつもりはありませんがね、あなたが葛藤するさまはなかなか面白かった。人間というのは、興味深い生き物です」 「俺をどうする気なんだ?」 「あなたには、とりあえず生きてもらいましょう。私はその観察をしていきます。あなたはこれからも、小さな嘘から人生を狂わせるのでしょうか。なかなかの見物だ」
明転。
気づけば、コンビニで立ち読みをしていた。何かが起こった気もするが、頭がぼやけて思い出せない。俺は求人情報誌を読んでいたようだ。大学卒、要経験、要資格、そんな条件が並んでいる。 「畜生、馬鹿にしやがって」 どうやって誤魔化そうかと考える自分がいた。
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書きながら考える話じゃなかった……。物語の破綻に気をつけよう。
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