へちま ( No.5 ) |
- 日時: 2011/03/07 01:24
- 名前: RYO ID:ZR1zelsw
あの人が沈んだ顔をしている。椅子に深く座って、ぼんやりとテレビを、NHKを見てる。残念だけど、リモコンを操作するつもりはないみたい。私はNHKは嫌いなのに。だってつまらないから。あれは成長に良くない。笑いも少ないし。やっぱり成長に必要なのは、笑顔よ。笑顔に勝るものはない。 それをあの人は教えてくれた。そんなあの人の笑顔を奪ったのは私。 あの人の奥さんがなくなったのは、先月の話。奥さんは多分、私のことが嫌いだったと思う。はっきりと聞いたことはないけど、間違いないと思う。女のカンってやつ? だって、ねぇ、そりゃ同じ屋根の下、一人の男に、二人の女がいれば、仲良くできるわけがないじゃない。もっとも、私はあの人に奥さんがいても構わなかった。あの人が私に笑顔を見せてくれたら、それで良かった。 それなのに奥さんは、私に包丁を振りかざして、切りつけてきた。 その日は、太陽が燦々と輝いていて、空は澄み渡るくらい青くて、白い入道雲が空を青さを胸いっぱいに食べたみたいにふくれて、夕方には爽快な雷とともに、夕立でも来そうだった。 奥さんはそんな天気はきっと分からない、心が貧しい人だったと、今なら分かるわ。ううん、夕立まで予測できるなんて期待したらいけなかったのよ。とにかく私は奥さんから切りつけられたわけだけど、何をするすべもなかったわ。なされるがままだったわ。悔しいけれど。私はそれでも良かったのよ。だって、あの人は、奥さんを愛してたんだから。信じてた。あの人が愛し、信じていた人だったから、私は奥さんから何をされても全然平気だった。どんな痛みも平気だった。 奥さんがどうして私を憎んだのかは、今も私にはわからない。気が触れたと言えば、誰も疑わないでしょう。それくらい、私に襲い掛かる表情は、この世のものとは思えないものだったけれど。嫉妬というものは、やはり度が過ぎてしまうとこんなにも恐ろしいものになってしまうのかしら? 分からないでもないけれど、そんな暇があるのなら、私はこの手であの人を抱きしめたいと思うのだけど。 あの人と私は、まだ一年程度の付き合いでしかないけど、ちゃんと通じてたと思うの。だってあの人はゆっくりその身をかがめて、奥さんにも言わないことを私によく語りかけてくれた。 「今年の新人にろくに使えない。叱れば辞めるし、誉めれば付けあがる。やれやれ」 「女房はどうして、私の大変さが分かってくれないのか。私とて、女房が家のことをしっかりやってくれていることは分かる。分かるが、こうも文句を言われてはな」 「たまたま帰りが遅かったくらいで、浮気を疑われるとは。これでもあいつ、一筋に生きてきたつもりなんだがね」 あの人はときどき、私の前で泣いてた。悔しそうに。私に掛けられる言葉なんてなかった。手を伸ばせば慰めになったかしらと思うけど、伸ばしても私の手が届くことなんて、あるはずがなかった。 奥さんはその日、あの人にその包丁を向けた。もともとは私に向けられたものを、あの人に向けた。気が触れて私に刃を向けた奥さんを、あの人は止めただけだったのに。あの人は必死に奥さんを止めた。奥さんも必死だった。破れかぶれに包丁を振り回した。あの人は奥さんを止めようとして、深手を負って倒れてしまった。今ならそう言えるけれど、そのときの私はあの人から流れ出る血から、気が動転してた。私は気がつくとその手で、立ち尽くす奥さんの首を掴んでいた。奥さんの恐怖で引きつる表情は、私を狂わせた。力を込めると、私の細い指先が奥さんの喉の奥深くに、くいっと入り込んだのがはっきりと分かった。奥さんの口から、「かはっ」と息が漏れたのが聞こえたけれど、そんなものにかまっている暇はなかった。だってこの手を離したら、奥さんはあの人をまた襲うに違いなかったんだから。奥さんの指先が私の手を引っかくけれど、私はその手を緩めることはしなかった。頭の片隅で、こうすることであの人は悲しむと知っていたけれど、あの人を守るためなら私はどんなことでもやるつもりだったから。奥さんの全身から力が抜けたのは、それから間もなくのことだった。 奥さんが逝って、私の中で何かが変わった。これまで抑えていたものが吹き出てしまった。あの人がかがんで傍にやって来てくれることが、私の至福となった。邪魔する者は誰もいない。 奥さんの代わりの何人かの女がやってきたけれど、私が全部追い返した。あいつらは私を気持ち悪いものでも見るように見ていた。この私を。だからこそ許せなかった。昨日今日、来たものにそんな目で見られるなんて、耐え難かった。私が手を伸すだけで、ことは済んだ。 それなのに、あの人はテレビでNHKを見てる。せっかく私と二人きりというのに。私には関係のないことだけど、家の中はあっけらかんとしている。あっけらかんとしても、あの人が私を見てくれることはなくなった。もう私に語りかけてくれることもない。だから私は手を伸ばした。伸ばした手は、リビングの床を這い、壁をつたい、椅子の足に巻きつきながら、ゆっくりとあの人に届く。私はそっとあの人の首に手をかける。私はNHKは嫌いなのよ。 「お、おまえだったのか?」 あの人から、そんな言葉がこぼれた。私は手をさらに伸ばして、奥さんにそうしたようにあの人の口まで犯した。私の緑色のそれは、あの人の奥歯にすりつぶされて、唾液と混ざる。それがなんともいえない私の至福のときだった。なんの細工ない。愛しいあの人と私は一つになったと感じた瞬間だった。私は至福のあまり、さらに手を伸ばして、ゆっくりとあの人の体に巻きつき始めた。指先の一本一本から、足先まで――体の奥がキュンと締めつられるように、あの人の体をその椅子ごとゆっくり締め付ける。変な音がして、あの人の左腕が変に曲がったけれど、構わなかった。少しずつあの人から力が抜けていくのがわかる。それが私は嬉しくてたまらない。 ああ、これで私たちはひとつになれるのね……。 そう思った瞬間、私の中で何かが弾けて、それは一気に全身を駆け巡って、あの人は私の胸の中で静かに逝ったの。 それから一週間くらいして―― 「祟りじゃ。これは祟りじゃ」 あの人の様子を見に来た近所のおばあちゃんが腰を抜かして言った。祟りなんて言われても私には分からない。だって、あの人は私に包まれて、私はこんなにも幸せで、おばあちゃんが祟りなんて言う必要はどこにも見当たらない。 おばあちゃんはあの人の代わりに、私にときどきお水をくれるから、私はとても好きだった。 「これはへちまか? あのへちまなのか?」 どうしたの? おばあちゃん。いつもみたいにお水をちょうだいよ。私、乾いちゃってるの。ねぇ、いつもみたいにお水、ちょうだい。 私は緑の手をきゅっと締め付けるように伸ばす。
―――――――――――――――――――― 何が、連鎖されたんでしょう? 殺人が連鎖されたってことでお許しを。 意味不明なところもあるでしょうが、想像力を最大限膨らませてください。 逃げる作者です。 ちなみに2時間くらいでした。
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