Re: 即興三語小説 -「蚊取り線香」「白猫」「古民家」- ( No.4 ) |
- 日時: 2015/08/11 14:23
- 名前: お ID:twjify7E
小説であるとは言いません。「物語の流れが把握できる程度の粗筋」を目論んでいます。ゆえ、かなりの省略があります。
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「少年だった夏、」 蒹垂 篤梓
小学校が夏休みに入る七月後半。山里にある古民家に老いた白猫と住む媼の元へ、一台の乗用車が上がってくる。スマートに背広を着た父親、キリッとしたサマードレスをまとう母親に、野球帽を被った小学生くらいの子供が連れられて、古ぼけた家の戸を叩く。 夏休みの間、息子の康一を預かって欲しいという両親。少年は黙りこくって俯いている。 「悪夢を見るようなんですの」 「俺たちじゃ、看ててやれないから」 康一は眠ることをひどく厭がったが、移動の疲れからか、すんなりと眠りに落ちる。 蚊帳を吊し、蚊取線香をたてるのは、虫除けであるのと同時に「蟲」除けでもある。 康一少年がうなされ始めたのは、寝入って一時間も経たないうち。媼のできることといえば、傍についていてやることくらい。額に手を当て、少しでも康一が安心できるように。 夢の中で康一は、得体の知れない影に追いかけられる。立ち止まったら捕まる。捕まったら……。怖くて怖くて、眠っている間、ずっと走り続ける。息も絶え絶えになって、もう一歩も足が前に出ない、倒れる……という時になって目が覚めるという繰り返し。 今日に限って、いつもと違うのは、 「こっちよ」 と伸ばされた手。白くて小さな少女の手。康一は、引き寄せられるように少女の誘う方へ。 「しばらくここで休んでいなさい」 影の集まる中へ躍り出る少女。けれど…… 「ごめんね、あたしじゃ、ダメみたい。助けを呼んでくるから、それまで待ってて」 壱居櫟(ひとい いちい)が夢の中で出遭ったのは、白い肌の少女。 「お願い、助けて」 その声に聞き惚れた途端、襖障子に囲まれた広い座敷にいる。薄暗い中、わらわらと湧き上がっては、よたよたと歩く黒い霧のようなモノ。辛気くささが気に障るも、害はないようで、襲ってくるような気配もない。向かう先に着いて行くと、黒っぽいもやもやに囲まれている少年と少女。 「襲われてるのかな?」 襲われもしない櫟は、悠然と歩き寄り、 「しゃんとしろよ、男の子!」 ぽんと頭を叩いて立ち上がらせる。 「助けて欲しい。ここから抜け出したいの」 と少女の気丈な瞳。やれやれと思いながら、この場で断る無為を知り肯く。と、それまで無害だった影が、ゾンビの如く櫟にまで襲いかかってくるのを、足蹴にし踏みつける。 霧散する影。と同時に、康一が胸を押さえる。わらわらと寄って来る影を、一体、また一体と蹴倒し踏み潰す櫟。その度、息を詰まらせ胸の苦しみを訴える康一。 「なんだよ、これ」 「苦しいか、胸を圧し潰されるように? 其の場凌ぎの現実逃避じゃ、逃げることは出来ても、痛みは退かない。ま、当たり前だな。見な」 と指す方、靄となって広がる影を背景にして見えるは、いつか少年が体験した過去。 教室、教師の質問に答える康一。周り子供たちの笑い声、その表情…… 「落ち着け。相手をよく見て見ろ。アイツらはお前のことを見ているか」 はっとする少年。 「お前は何を怖れていたんだ?」 「僕は……」 別の光景は、マンションの一室らしい。二人並ぶのは夫婦なのか、同じ年頃の男女。何か言っているが、声は聞こえない。青い顔をして頭を掻きむしる夫、輪郭のない顔をヒステリックに引き攣らせる妻、ひどくだらしがなく滑稽に見える。 「真っ当なことを言っているようでも、本性はこんなもの。敬うべきは敬えば良いけど、さて、怯えるほどに怖れ、畏まるほどのものかな」 康一の表情に迷いが生じる。 と、そこへ、 『オレ達は一人が怖い。一人になるのが怖い。一人取り残されるのが怖い。誰にも相手にされず、馬鹿にされ、一人惨めにうずくまるのが怖い』 声がする。どこからともなく、至るところから。陰鬱な声。 『共に苦しもう、共に嘆こう。オレ達は友達。オレ達は不幸を分け合う、真の友情』 大人の握り拳くらいの小鬼が、どこからともなく、わらわらと湧いて出てくる。 「厄介なのが出たな」 『お前は良いヤツだ。両親に心配を掛けまいとしている。お前は優しいヤツだ。両親の負担になるまいとしている。お前は優等生でなけりゃいけない。誰からも信頼され、クラスの中心で、成績優秀、教師の言うことも良くきき、行事にも熱心に参加する。なぜなら、お前は良い子だから。好い児でないと両親に褒めて貰えない。好い児でないと、嫌われてしまう。好い児でないと……捨てられてしまう。だって、お前は、いらない子だから』 「やめろ、止めてくれ」 『そうだ、お前は不幸だ。どんなに辛くても、辛いなんて言えない。自分の中に抱え込んで、笑ってみせる。お前は好い児なんかじゃない。好い児じゃなけりゃいられない子供なんだ。オレ達と同じ』 鬼たちの一人一人が、不幸を抱え落ち、足掻き悶え苦しみながら、それに酔っている。 『苦しみこそが至高、苦しみながら頑張ってるオレら最高、こんなにも苦しんでるんだから、オレらに問題を解決させようとなんてするんじゃない。オレらは永遠に苦しむ。苦しみながら、平穏に生きていく。誰にも邪魔させない。絶対に、誰にも』 「こいつは、拙いな」 飄々としていた櫟の表情にいくらかの焦りが見られる。 『邪魔者は排除する。そしてオレら安寧』 圧し寄せる鬼の大群。どれもこれもが辛気くさい顔をして、ぶつぶつ小声で不平を漏らしながら、笑っている。口角は上がり、目尻は下がるも、眼は死んだまま。 鬼たちの波に呑まれる櫟。そして、 「いなくなった?」 夢から押し出されてしまったのか櫟の気配が消える。 『邪魔者は消えた。オレらスゲぇ』 暗い笑顔で喜び合う鬼ども。 「お前はそれで良いのか?」 「だって、仕方ないよ。この状況からは逃れられないし」 『そうだ、お前はオレ達と同じ』 「何かに立ち向かうって言うのは怖いし、変わってしまった時、どうなるのか分からないじゃないか」 『今のままで良い。苦しみながら頑張るオレら格好いい。格好良くなくなったら、オレらは存在する意味をなくしてしまう。オレ達はいらない子なんだ』 「僕は、好い児だから」 『オレらは好い児だから』 「必要とされるんだ」 『必要とされる』 「本気でそんなことを言っているのか」 「だって……、本当のことだから」 ぴしゃりと叩く少女の掌。 少年は、頬に残る痛みよりも、くしゃくしゃに表情を歪める少女の、その辛そうな瞳に引き込まれる。 「なんで、泣いてるの?」 「お前のせいだ。お前がそんな辛いことを言うから」 「さっき会ったばっかりなのに、何で」 「お前が生まれて、こうやって育って、今も生きてくれていることを、本当に喜んでいる者だっているんだ。会ったことはなくたって、お前という人間がこの世にいてくれることを、何よりの幸福と思って生きてる者だっているんだ。だから、そんな寂しいことを言わないでくれ」 額の辺りにじんわりと暖かみを感じる。 「お婆ちゃん?」 「ワタシとお前の祖母は、かつては確かに同一の者だった。だが今はそうとも言えん。けれどあれの心はワタシに逐一伝わってくる。アレはそう長くはない。ワタシもな。お前の将来を見守ってやることは出来んだろう。だから強くなれ。ちょっとばかり打たれ強いばかりじゃ、世の中は渡れん。少しくらい小狡いくらいに強かになれ。そのためには、もう少しだけでも、自分に優しくなれ。辛さを強いてばかりじゃ、自分が歪んでしまう」 少年は省みる。今まで、自分を案じた人は? 自分のために涙を流した人は? そして、自分は……? 心を知られることを怖れていた。だから、心を知ることを避けてきた。周囲を騙し、自分を騙し。けど、もう、そんなのは、 「ごめんだ」 自分すら騙して、僕はいったい、何になりたかったのだろう。 「僕は、僕でいたい。だから、僕の偽物はもういらない」 少年は前を向く。今までは目を背けてきた。でも、今からは。 「ワタシも手伝おう。何が出来るでもないが、おらぬよりはましだろう。気休めだと思ってくれ」 歩み出す二人。二人を怖れて、鬼どもが逃れていく。いくつもの部屋を抜け、奥へ奥へ。様々な光景が目に入る。背けるのではなく、見詰める。逃れるのではなく、受け入れる。本当はどうしたかったのか、反芻しながら。相手の態度も本当はどうだったか、確認しながら。 そして、辿り着く最深の一間。 手にするのは、薄いガラスの珠。そこに見える光景は、少年の心の一番奥底に留められ、しっかり封をされ、二度と浮き出てないように、それそのものを忘れようとしてきた。その封が開く。 小さな幼子の首に伸びる、女の白い手。力を込め、締められる。けれど、 「あたしにはできない。この子の将来を摘んでしまうことも、この子の将来を積み上げてあげることも。ダメな母親」 力なく項垂れる女。年若い、少女の面影すら残るような。 「誰にも頼れない。死なせてあげることも出来ない。あたしが育てるしかない」 自分に言い聞かせる言葉とは裏腹、不安に揺れる瞳は深く沈み込む。 「やっぱり僕はいらない子だった」 絶望よりも深い諦めが少年を締め付ける。鬼たちが勢いを盛り返し、すぐ傍まで迫ってくる。 そこへ飛び込む白猫。一声咆哮すると、巨大な白虎へ変わる。 「よく見ておやりな、母親の表情を」 背中をさする少女に促されて見る。 「お前が憎かったわけじゃない。お前が邪魔だったわけじゃない。怖かったのだろうさ。先の見えない自分の将来が。それにお前を巻き込んでしまうことが。今の状態よりもっと非道いことを想像して怯えていたのさ。でなけりゃ、あの涙は流せないよ」 若い母親の頬を伝う熱い滴りには、苦渋満ちた中に微かな悦びが混ざる。少なくとも康一にはそう思えた。 「行っておやり」 促されて、肯く。今ここにはないはずの母親の肩にそっと手を置く。思っていたよりずっと細く、頼りなげだった。 「生まれてきてごめん、重荷になってごめん。でも、僕は生きてるよ。母さんが生かせてくれたから。いつもいつもは好い児でいられないかも知れないし、これからもっと迷惑をかけるかも知れない、重荷になっちゃうかも知れない。でも、僕は生きるよ。僕として、母さんの息子として」 闇が晴れる。光の中に影が溶け込み、一つ一つが光の珠となって、康一の身体の中に吸い込まれていく。 陰鬱な邸は消え、陽だまりに包まれ温かな座敷にいる。 「良くやったな」 白猫を連れて櫟。縁側に足を投げ出し茶を啜る。 「明日、お前を訪ねて三人の子供が来る。少しばかりお馬鹿だけど、悪気だけはないヤツらだ。適当に相手をしてやってくれ」 翌朝、康一の携帯が鳴る。母親から迎えに行こうかという電話だった。 「大丈夫だよ。……、無理なんかしてない。良いところだよ。友達もできそうな気がするし」 お盆には必ず行くからと言って、電話は切れた。 少年にとって、何かが変わる切欠が生まれる夏休み。
(。・_・)ノ
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