Re: 即興三語小説 ―今年が終わらないうちに― 投稿がないので、締め切りを延期します ( No.4 ) |
- 日時: 2014/11/16 23:59
- 名前: ROM ID:QVCqMPaw
月明かりがカーテンの隙間から差し込み、夫の丸い背中を浮き上がらせていた。 ――まただ、また起きてる。 結夏は眠気に負けそうになりながら、顔を少し動かし、ベット横に置いてある目覚まし時計を盗み見た。 午前2時過ぎ。 夜中、寒さのせいか不意に目が覚めると決まって、夫である陽介の後ろ姿を目にする。もうこの二週間で3度目だ。1、2度めは、あれ起きてるな、どうしたんだろうと思いつつも眠気に抗えずそのまま眠りについてしまった。朝は、結夏も働いているため、どうしてもバタバタしてしまう。後で聞こうと思っていたら、すっかり忘れて数日経ってしまい、また夜中に目が覚めるのだ。陽介がいつも通りに元気で、笑顔が絶えないということも、夜中のこの姿を思い出さない原因でもあるかもしれない。 そう、いつもの陽介からは想像のつかない姿だ。結夏は息を殺して首を持ち上げ、もう一度陽介に目をやる。今宵の陽介もベッドに腰を掛けて、ただじっと下を向いているようだった。微動だにしない。 寝ぼけて起き上がっているのだろうか。気分でも悪いのだろうか。トイレに行った帰りだろうか。 どれもしっくりこない。 (……もしかして悩み事だったり?) 何か悩んで寝れないとすれば、妻である結夏が支えてあげなければ――。 意を決して、陽介の背中に声を掛けようと体をゆっくりと起こした。 「……よーすけ」 思った以上に、掠れて小さな声だ。陽介は反応しない。結夏は喉の渇きを感じ、一度口を閉じ口内を湿らせた。ふと自分の手を見ると微かに震えている。 (あれ?) 震えをごまかすように握りしめれば、じっとりと汗をかいているのに気づいた。次第に震えは大きくなり、カチカチと歯が音をたてる。本能的な何かが、これは危険だと結夏に知らせてくる。 助けを求めるように陽介を見やるが、依然として静かな背中。 ふんわりとカーテンが巻き上がり、一層明るく部屋を、いや陽介を照らした。 亡霊のように、月明かりに溶けていくかのように。 照らされた陽介の輪郭がじんわりと滲んでいる。 ――これは、ダレなの? 頭の片隅から追いやっていた違和感を意識した途端に、鳥肌が全身にたち、悪寒が結夏を襲う。 この人は私の知っている陽介ではない。 姿形は紛れも無く陽介であるが、結夏の本能が、はっきり違うと伝えていた。 結夏は勢い良く毛布を被り、ぎゅっと目を瞑った。その行動に普段の陽介が気づかないはずはないが、やはり無言のままだ。いや、今の陽介が動き出したらそれはそれで、怖い。 ――朝になれ、朝になれ、朝になれ。 朝になれば、『陽介』がおはようと起こしてくれるはずだ。暖かいカフェオレを用意して優しく微笑んでくれるはずだ。 早く朝になって。 ああ、それにしても。もう秋も深まったというのに窓を開けっ放しにしているから、寒さで目が覚めてしまうのだ。カーテンだってしっかりと閉めれば、あの背中に気づくことはなかったかもしれない。 寝る前に確認しよう。 思考をずらすことで恐怖心と戦っていた結夏は、ようやくきた眠気に安堵して身を任せた。
「マジ、パネェっす」 よくわからない丁寧語で興奮した様子の後輩を前に、陽介は「とりあえず注文しようよ」と促した。 後輩の行きつけである『らーめん三四郎』は、スーパーこってりチャーシュー麺が一部のマニアに人気で、狭い店内はいつも混み合っている。今だってお昼を随分と過ぎてはいるが、外で待っているお客さんもいた。迅速に頼んで、無言で食べ、お勘定をする。それが一種の暗黙のマナーとなっていて、だらだらいると熊のような巨体の店主に睨みつけられる。出刃包丁を顔の横でちらつかせる店主の姿は殺人的であった。後輩の吉田は気づいていないのか飄々としているが、陽介はその包丁が飛んできやしないかとハラハラしてしまう。 「でも、アレっすね。無事リリースも終わったし、今日は定時っすね。ガチでハンパないっすわ、この現場」 「あはは。システム開発の下請けなんて、まあこんな感じが多いよ」 注文を済ませ、また話し始めた後輩に苦笑し、声量を落として陽介も答えた。 配属されてから半年、ほぼ終電が続き、土日のどちらかは休日出勤当たり前の雰囲気。スケジュールなんてものは、渡された時点で間に合っていないのに、余計な作業も入ってくる。仕様がろくに決まってなくても期限は動かないという、どうしようもない現場であった。終わったのは奇跡といっていい。いやそれではこの業界、奇跡だらけになってしまうわけだが。 2年めの後輩には、確かにキツい現場であったかもしれない。 「ほんと頑張ったよね、吉田くん」 「あざーす」 あまりに軽い調子に、客先勤務で大丈夫かといつも心配してしまうのだが、吉田はどうしてかお固いお客さんにも許されてしまう。あいつはだめだと言われながら、いつの間にかムードメーカーになっているのだ。 会話が途切れて、代わりにあくびが出た。 「眠いっすか」 眠い。正直に言うのも癪だ。眠気を飛ばすように水を一気飲みして「だれかが噂してるのかな」とうそぶいた。 「須崎さん、人気者っすもんね。カッコ可愛いのに、優しくて仕事できるとか」 マジ、リスペクトっす――真正面に好意を向けられ「え、いや、そんなことは」と口ごもってしまう。ボケたつもりなのに、先ほどの自分のセリフがこれではまるでナルシストみたいだと追い打ちを掛けて恥ずかしくなった。 「奥さんも可愛いとか、勝ち組じゃないっすか」 「え、吉田くん知ってるの?」 「あー高橋さんが言ってたんすよ、天然な奥さんを優しい目で見てー、可愛くて可愛くてしかたないって感じだったーって。言ってたんすよ。喧嘩もあんましないって」 「あいつ……」 おそらく同期の高橋であろう。3年前の社内イベントでバーベキューをやったときに、妻の結夏を紹介したことがある。あの時は新婚だった。幸せオーラが出すぎていたとしてもおかしくはない。今でも、友人に呆れられるくらい夫婦仲は良好であるが。 ふと、寝起き直後の結夏の顔が浮かんだ。 (そういえば、今日も少し様子がおかしかったな) 幸せとは程遠い顔をしていた。しばらくぼんやりとしていたかと思うと、陽介に焦点を合わせじっと見つめてくる。疲れというよりは、不安や困惑といった表情だ。心配になって、大丈夫かと聞いても、首を振って「怖い夢をみただけ」とか「仕事が忙しいからかも」と詳しいことを話してくれない。話したくないこともあるかと、せめて気持ちを込めて作った特製カフェオレを出せば、ころっと安心したようにいつもの笑顔に戻るのだ。たまにそういう朝があった。 (いつからだろう……ここ数週間の話じゃないな。そろそろ聞き出してみよう。あんまり放っておくと、また変な方向に突っ走ってしまいそうだ) 「お子さんまだなんすか」 吉田の遠慮のない質問に、ぞわりとした感覚が体の奥底に宿った。その感覚に驚き、自分自身がそのことを懸念していたのだと認識して、戸惑いを覚える。 「いや、まだなんだよ、忙しすぎるってのも困る」 「あぁ、そっよねーまじいつヤるんだって感じすよね、少子化問題っすよ」 「あ、ちょっと声落としてくれる?」 「うぃーす」 重なるように、女性のアルバイトさんが「お待たせしたね〜」と言って、スーパーこってりチャーシュー麺と醤油ラーメンをテーブルに置いた。スープが結構こぼれたが、それよりも先程の会話が途切れたことに安堵する。 醤油ラーメンをすすりながらも、もやもやとした気分から抜けだせないでいた。 子供は2人欲しいね、とお互いに言っていた。 避妊もしていなければ、計画もしていないし、いわゆる妊活もしていない。自然に任せて出来ればいいと思っていた。 そう、自然に任せて。 (もう、3年か……) いつの間にか、食べ終わっていた吉田が、陽介を見据えていた。 「諦めたらそこで終わりっすよ、その先はないじゃないっすか。でも、諦めなきゃ、いつまでも続けられるんです。大変でも絶対そっちのがいいっすよ。そっちのが何気に幸せな感じしないっすか」 「え?」 「俺の友達、実はめっちゃ悩んでたらしいんすけど、思い切って環境が変えたら、ぽんぽん年子が生まれたって言ってましたよ」 吉田なりに何か気にしたのか、珍しい早口に陽介は、ふっと笑いがこみ上げた。 「うん、そっか、ストレス良くないってきくもんね」 「あと、あれっすね。新鮮な方がいいらしいっす」 「は?何が?」 「なにがって、あれっすよ、せい――」 ちょっと待ったと陽介は手を伸ばし、吉田の口を抑えたがすでに周りの客にも店主にも聞かれてしまったのかもしれない。なんせ会話を楽しんでいるのは、陽介と吉田のみ。店主のギロリとした目に今度こそヤラれるかもしれないと青ざめた。 急いで残りを食べ、そそくさとお金を払っていこうとすると、店主に無言で茶色の瓶を押し付けられた。ラベルには『即効!エナジードリンクZ』とよくわからないシルエットとともに書かれている。「あ、ありがとうございます」と、どうにか言葉を出してラーメン屋を後にした。 外に出ると、冷たくて強い風が巻き起こり、地面を隠していた落葉が舞い上がる。 そういえば、昨日寝る前に木枯らしが吹いたと結夏が言っていた。カラカラとしがみついている残った木の葉も数日経てば、見れなくなるのかもしれない。そして、雪の季節がやってくる。 季節がいつのまにか変わっている。いや、季節だけでない。年月も振り返るとあっという間に経っていた。 また、強い風が吹いた。 色鮮やかな木の葉が、舞い上がり落ちていく。赤、きいろ、オレンジ、茶色、赤、きいろ―― 「赤、白、ピンク、黒!」 自分の心の声かと思ったら、横にいる吉田の声だ。 「ぴんく?え?黒?」 「俺、めっちゃ、目が異常にいいんすよ!唯一の自慢っす」 話が噛み合ってない気がして「なんの色」と問えば「ぱんつに決まってるじゃないですか」と胸を張る吉田の笑顔が眩しい。 「他にもいいところ、たくさんあるよ……」 なんとなくセンチメンタルな気分になり、今日は早く家に帰ろうと決めた。
陽介は、10才になるまでの記憶がない。 何が原因で記憶喪失となったのかは、全くわかっていないが、10才の誕生日に施設の前に倒れていたそうだ。基本的な情報と名前が書かれた手紙を持たされ、凍える寒さの中、玄関前にあったベンチにもたれかかっているのを、職員に発見されたらしい。保護された翌日には目を覚ましたが、自分のことも、そしてどこから来たかも一切覚えていなかったという話だ。その後、施設所長の知り合いに引き取られていった。 (記憶がなかったのが、良かったのかもしれないな……) 陽介を引き取ってくれた夫婦は、陽介を本当の子供のように扱ってくれた。陽介自身も違和感なく、家族として溶け込めた気がする。
----------------------------------------------------------- 終わりませんでした……!
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