着ぐるみな上着は、決して脱げない ( No.3 ) |
- 日時: 2011/07/11 03:19
- 名前: とりさと ID:4mWFR.q.
のったりした空気が、夜に満ちている。 暑い。風が流れても、その空気の動きはどこか重い。動くにしても、呼吸をするにしても、絡みつくような、自分の体温に近い空気はこんなにももどかしい。そんな熱が空気に重さを与えているよう熱帯夜。 とある森の中をパンダと、狼と、猿が歩いていた。 「おい猿の鈴木。俺達……もしかして死ぬんじゃないか?」 「あはは、パンダの山田先輩。なんで疑問形なんすか? ……死ぬに、決まってるじゃないすか。ねえ、狼の佐藤先輩」 「ああ、これは、死ぬな。百パーセント、死ぬ」 その三匹の獣が、会話を交わす。もちろん、三人とも人間だ。このクソ暑いなか着ぐるみを装備しているのだ。 ただの馬鹿、ということなかれ。 ぜえぜえはあはあ息を切らせながら、男たちは進んでいく。 ただ、生きるために、生き残るために、死に立ち向かうのだった。
いまでこそ着ぐるみの彼らだが、もちろん最初からそんな愉快なナリをしていたわけではない。彼らは大学のロッククライミングのサークルに所属している。今回は、合宿のため女子マネージャーふたりと共にホテルをとって来たのだ。 その初日の夜である。 ことの発端は、山田が「風呂をのぞこう」と言い始めたことだった。 山田の台詞に、後輩の鈴木と同輩の佐藤は、はあとため息をついた。 「山田先輩……それは、どうかと思うっすよ」 「そうだぞ山田。オレたちも、もう高校生じゃないんだ。ましてやこのホテル、一般のお客さんもいるんだぞ」 「そんなことをいいながらものぞきの準備しているお前らが俺は大好きだ!」 ぐっと三人は大変よい笑顔で手を重ねる。 「よし、鈴木。ポジションは確保してあるか?」 「なめないでください、山田先輩。完璧っすよ。佐藤先輩はどうっすか」 「まかせろ、道具の準備は万端だぜ」 「よし、それじゃ野郎ども。いくぞぉお!」 「「おおー!」」 と、淫行軍人どものそんな姦計は 「エロいのはいけないと思いますっ!」 「そうね、エロいのは死刑よね」 直後に、ばん、と音を立てて開かれた扉と共にあらわれた女子マネ二人によって一瞬で潰えた。
というわけで、罰として三人は着ぐるみでロッククライミングして来いと送りだされてきたのだ。目標の壁を登ってこないで帰ってきたら「コロスわよ」脅されている。ちなみに着ぐるみは南京錠をがかけられるように改造してあり、紫藤の持つ鍵がないことには決して脱げない。 「そもそも冷静に考えようぜ。なぜ、女子二人は合宿に着ぐるみを持ってきたんだよ?」 山田のもっともな疑問に、佐藤は淡々と答えた。 「こいうことは紫藤しか考えないだろ。なにしろあいつは、Sの権化だ」 三人がこんな無茶を遂行しようとしているのは、主に紫藤女子マネージャーによるところが大きい。彼女はやると言ったら必ずやり、殺るといったら殺りねない女なのだ。 「あ、いや違うっす。今回のは、紫藤先輩じゃなくて、安中の発案っすよ。この間部室に貼ろうとする時に紫藤先輩と話しあってるのをうっかり聞いちゃたんですけど――」 ――紫藤先輩。着ぐるみってかわいいですよね! ――そうねぇ……あ、そうだ、いいこと思いついた。安中ちゃん。着ぐるみでロッククライミングって、いいと思わない? ――ふわぁ! すごいです紫藤先輩! かわいいのにカッコいいですよ、それ! ――そう。じゃ、今度の合宿のメニューに入れとくわ。適当に体力向上のためとか理由をつけて……そうね。あれ着てたら、クッション代わりになるし命綱もいらないわね。経費削減だわ ……………………そんな会話があったらしい。 「おれ、あまりの恐ろしさに部室にはいれなかったっす……!」 「お前はわるくない。お前はなにも悪くないぞ鈴木……! 安中さんの天然も怖ろしいが、それを利用する紫藤のS思考が恐ろしいすぎるぜ……!」 「ていうか、俺たち別にのぞきとかしなくても着ぐるみでロッククライミングをさせられる予定だったのか……!」 そんな会話をしながらも、行軍は続いていく。 そのままどれだけ歩いただろうか。しばらくして、山田がぽつり呟く。 「しかし、いつ着くんだろうな」 「紫藤先輩は、真っ直ぐ歩いてればその内つくって言ってたっすけど」 「あいつの言葉が真実かも疑問だが、何よりはたして真っすぐ歩けてるかどうかが問題だぜ?」 佐藤の疑問はもっともだ。なにせ着ぐるみを来ている状態なのである。視界は悪いし、汗がヤバくて死にそうだし、何より暑さで三人とも意識がもうろうとしている。こんな状態で真っすぐ歩けているかどうかなど、判断できるはずがない。 「この着ぐるみをポジティブに考えるっすよ。これを着てれば、やぶ蚊にさされることもないっす。森の中をけっこう平気で歩いてるのも着ぐるみのおかげっす。完全防備っす」 「火事の中の金庫と一緒だけどな」 「そうっすね……あれ」 不毛な会話に終始していると、鈴木がふとあらぬ方向を見て足を止めた。 「どうした、鈴木」 「いや、山田先輩。向こう側に、超絶的な美女がいるっすよ。すげえ艶めかしいっす。あれきっと、クレオパトラっすよ」 「おいおい鈴木、大丈夫かぁ?」 呆れたように、佐藤が反論した。 「ったく、よく見ろよ。あの川の向こうにいる美女の色香、あれはまさしく傾国にふさわしいぜ。きっと楊貴妃に決まってる。そうだろ山田」 「…………ああ、そうだな」 極限状態なのだろう。あからさまに見えてはいけない故人達に招かれてふらふらっと道をそれていく二人に、しかし山田はついていかない。 そんな山田に、二人の着ぐるみは不審げな様子で振り返った。 「おい、どうしたんだよ山田? 一緒にあの川を渡って美女たちときゃっきゃうふふしようぜ」 「あはは、そうすっよ、山田先輩。あっちは幸せにあふれてるっすよ? いかなきゃ損っすよ。なにも地獄に向かうことはないっす」 「……悪い、ふたりとも」 あの二人は、自分を待っている。ついてくるのを疑ってすらいない。 だが、ついていくわけにはいかない。あの気のいい仲間だが、おいていかなくてはいかない。 山田は着ぐるみのしたでぼたぼたともう汗だか涙だか判別できない汁を流しながら、ふたりに背を向けた。 「俺は、俺は……俺には、小野妹子しかみえねえんだ……!」 川向うにいるおっさんに手招きされたって、いくわけがない。 「ここまで来たら小野小町だろうがよ……清楚な日本美人の小野小町だろうがよう……!」 そんな悔しさで男泣きしながら、山田はふたりの屍を越えて歩き続けた。
どれだけ歩いただろうか。 もう時間も分からない。けれどもけれども。 壁が、見えた。 「お、ぉお」 間違いない。厳格でもない。これは紫藤に指示された壁だろう。そう、着いた。着いたのだ。 「鈴木! 鈴木! 佐藤! 佐藤! そして、見たか、紫藤のどSがぁあああ! 俺はやったぞ。俺は、やってやったぞぉおおおお!」 あとは、この壁を登るだけだ。これさえ登れば罰ゲームをクリア。無理難題を突破したとして、紫藤の鼻をあかせてやれる。 「は、あはははは!」 勝利。勝利だ。紫藤に勝てるのだ。こんな壁、三分で登って見せる。いままで幾多の絶壁を登って見せたのだ。こんな掴むところに溢れている壁、ものの数ではない。 一瞬で登るルートを算出。 そして、いざ。 つる。 「あれ?」 ああ。汗だろうか。こんな暑い中、手も更けなかったのだ。木おつけなくてはいけない。 「あはは、ま、途中で滑り落ちるよりか良いだろ」 笑いながら、再度掴もうとするが。 つる。 またしても滑る。 「あは、あはははは」 いや、分かってる。原因は分かってるのだ。 「はははは、あはははは」 何度も何度もつるつると手を壁に滑らせなが、山田はひきつった笑い声をあげる。 そりゃ、そうである。 着ぐるみの手は、動かない。 着ぐるみの手が、壁をつかめるはずもない。 「着ぐるみでロッククライミングできるわけねえだろうが、ぶぅぁあああああああか!」 そうして、着ぐるみの最後の一匹が、倒れた。
ホテルの一室。 からからと回る扇風機がぬるい空気を揺らす。窓につるされ風鈴が、時折ちりんちりんと涼しく鳴く。古きぶたの蚊取り線香からは、どことなくなつかしい香りのする煙が揺らめいていた。 そんな『夏を楽しみましょう』という謳い文句でホテルに設置された和室に、女子マネの二人はいた。 畳に座る二人はホテルで借りた浴衣を見につけている。まあ、もちろん下にTシャツと短パンを身につけてはいるのだが。 ふたりは注文した蕎麦をすすっている。 「すいません、紫藤先輩。これ、おごってもらっちゃって」 「あら、平気よ。わたしが先輩だもの。それにこの(山田のカバンから勝手に借りた)巾着袋の中には、たっぷりお金が入ってるから、気にすることないわ」 まだ何か言いたげだったが、紫藤はこほんと、しわぶきを入れて言わせなくする。先輩の好意を申し訳ないなどと言ってほしくはない。 「それにしても」 後輩が何か言うよりも早く、ぐるりと部屋を見る。 たたみ部屋、からから回る扇風機、風鈴、蚊取り線香。これぞまさしく日本の夏だ。 紫藤はつるりと蕎麦をすすりながら後輩に、にっこり笑いかける。 「粋ねぇ」 「ほんとですね」 女子マネ二人は、ほのぼのと夏を満喫していた。
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RYOさんを一人には、させないんだ……! と意気込んだ三人目です。 執筆一時間半ぐらいですやい。ところどころ適当なのは、ご容赦ください。 久しぶりにお邪魔しました。
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