Re: 即興三語小説 ―新年はいいことがありますように― ( No.3 ) |
- 日時: 2016/01/05 01:29
- 名前: 時雨ノ宮 蜉蝣丸 ID:MSntwmE2
「……どうして、」 十二月二十五日、午後五時過ぎ。 私立S高校の美術室前にて、あたし・茅原桃乃(かやはらももの)は立ち往生していた。 「どうして駄目なんですか先生っ!」 「どうもこうも、そんなものを持ち込まれては困るからですよ」 目の前の、冷静に応じる男性教師を上目遣いに睨む。年は三十代前半。さらりと垂れる黒い前髪。涼やかな切れ長の目。色白で細身、故に黒と紫のストライプベストと黒のスラックスという、いささかゴシックなファッションも、違和感なく着こなせている…… ……と、あたしは思っている。 「今すぐお返ししてきなさい」 「やですぅっ! こんな寒い中に放り出すなんて、できませんっ」 あたしを見下ろし、彼――氷見乃秋人(ひみのあきと)は呆れた声で言った。 「学校に猫をどこからか拾ってくるような人、私は知りません」 あたしの腕の中には、ウィンドブレーカーにくるまれた猫が一匹いる。先ほど、校門前で寒そうにうずくまっていた、灰色の雌猫。放っておけず拾ってきたのだが、あたしの家までは自転車で片道二十分かかり、連れ帰るのはどう考えても得策ではなかった。 「だからといって、なぜ私のところに」 「だって先生、年末ぎりぎりまで学校にいるって聞いたので」 「それは年の瀬の大掃除のためです、美術室が散らかっているので」 「あれ? 大掃除ありましたよね、終業式の日に」 「美術準備室はしてません。生徒に触らせるわけにいかないものが多い」 考えた挙げ句、近くて暖房の効いている美術室へあたしはやってきた。猫を連れて。そして氷見乃先生に捕まった。 先生は、この高校で美術を教えている。 美術部の主顧問で、美術室の鍵を任された先生でもある。 あたしの入学当初、美術部の部員は一年生のあたしたった一人だった。これによりあたしは、容姿端麗冷静冷徹、生徒間から『かっこいいけど、ちょっと怖い』だの『喋り方が一昔前の女学校の先生みたい』だのと噂の風変わり教師・氷見乃秋人と放課後の長い時間を過ごすことになった。 「美術部をやめた未だに、当時のツテをほじくるんじゃありません」 「だって先生暇でしょ。ニャンコ好きでしょ」 「暇じゃありません。猫派ですがそれとこれは別です」 「ストーブ焚いてるんでしょ! あったかい紅茶飲んでたんでしょ! 灯油とアールグレイの素敵な香りがしますっ!」 「こらっ、乙女が男の服を嗅ぐんじゃありません!」 ヨイショと先生を押しのけ、あたしは美術室に踏み込んだ。絵の具や石膏の独特の匂いがする。あぁ、あったかい。生き返る。ストーブに一番近い椅子――先生用回転椅子に陣取り、ウィンドブレーカーから猫を出した。 「ほら~、あったかいよ~」 「ニャーン」 「ほらっ、先生ニャンコが! 喜んでますよっ」 「……はぁ」 わかりやすくつかれた溜め息を無視して、あたしは先生に話しかけた。
「先生」 「何です」 「暇でしょ、何か描いてくださいよ」 「……はあ? 嫌です」 露骨に嫌そうな顔で返された。 「久しぶりに先生の絵が見たいんですぅ」 「せっかく片付けた画材を出すのは骨が折れます」 「デッサンでいいんです、可愛いかつての部員が頼んでるんですよ、聞いてやってくださいよ」 「私は貴女を『可愛い』などと思った記憶はありません」 「あらっ、こんなところにスケッチブックといい具合に削られたHB鉛筆が! 運命ですよ、描くっきゃないですよ!」 「……はぁ……」 ゴリゴリ道具を押しつけまくるあたしに氷見乃先生が折れるまで、数分とかからなかった。案外、先生はこのテの厚かましい押しに弱い。一年の時に学んだ。 「……何を描くんですか」 「何でもいいです。先生が描くんですから」 あたしはマフラーを外し、ついでにきっちり締めていた制服のリボンとブラウスの第一ボタンも外した。回転椅子にふんぞり返り、猫を撫でる。 「学校で、しかも教師の前でそんな格好はしません」 「冬休みでしょ、いいでしょー」 ストーブの上には金属製のやかんが乗っかって、蒸気を噴いていた。これは先生の私物だ、自分用に珈琲や紅茶を淹れるための。教卓兼デスクは、ファイルや鉛筆や色相環図なんかが整理整頓されていて、先生の几帳面な性格がよく表れている。 「先生、このマグカップの紅茶飲んでもいい?」 「お馬鹿な発言はやめなさい。冷めているでしょう?」 「じゃ、淹れてもいい? カップ貸してください~」 「右三番目の引き出しに予備が入ってますが割らないように」 白いマグカップを拝借して、ちゃちゃっと紅茶を淹れた。アールグレイの上品な香りが漂い、寒さで麻痺した鼻腔が刺激される。 その傍らで、先生が素早く鉛筆を走らせていた。シュッシュッ、小気味よい芯と紙の摩擦音が響く。この音があたしは、昔から好きだった。
備品の関係で、普通の教室より多少広めの美術室だが、今はあたしと先生と猫だけ。 絵の具と石膏の硬い匂い。紅茶とストーブの温かい香り。 日の落ちた窓に映る、蛍光灯。 迷い猫の欠伸。 先生の絵を描く音。 「……むふふ」 無意識に笑みがこぼれた。案の定先生が顔をしかめ、 「なんですかその腑抜け顔は」 「ひどいです。……描けたんですか?」 「まだですよ」
「ねぇ、先生」 「なんです」 「先生は恋したこと、ありますか?」 ――鉛筆の音が止まった。あたしは黙って待っていた。『馬鹿なことを』『からかわないでください』そんな言葉を。きっと。 「……さあ、どうでしょうね」
「もう確かめようがないことです」 先生がお茶を濁すのは、言いたくない『YES』がある時だと。 なぜかあたしは、……知っている。
「ほら、描けましたよ。さっさと帰ってください」 破り、差し出されたページには、丸まる猫と、それを膝に乗せた制服姿の少女が描かれていた。紙の白と鉛筆の黒のクッキリしたコントラストでできた輪郭。淡く濃く、まるで水彩のように伸び縮みする明暗。迷いなく描き込まれた、睫毛や毛並み。 「これ、あたし?」 「モデルがいないので、あえなく」 訊くまでもなかった。描かれているのはあたしだ。鏡写しのように、しかし実物よりも圧倒的な美しさと存在感を孕んで、『先生から見たあたし』がそこに在る。 「流石ですねぇ先生。素敵な絵……」 「おや、実物より美人になってしまいましたね。描き直しましょうか」 「駄目です! 大事にするんですから!」 ――正直、すごく嬉しかったけれど、哀しかった。 先生があたしを、消去法でとはいえモデルに選んでくれたことが嬉しくて。でもなんだか自分じゃないみたいで。自分じゃない誰かの影が、仄かに透いて見えている気がした。 「はいはい、お帰んなさい」 「にゃーっ、先生の意地悪ぅー。いけっ、ニャンコ! 反抗の猫パンチ!」 「ふざけてないで、その猫は恐らくこの近辺で可愛がられている野良でしょう。向こうの自販機の陰がいい風よけになります、そこに放ってやりなさい」 「……はぁい」
「そういえば今日って、クリスマスイヴでしたねぇ」 「私はクリスチャンじゃないので」 「むぅ、夢のない返事ですね。……この絵、クリスマスプレゼントとしてもらっておきます」 「お好きにどうぞ。あと、わかっているとは思いますが、夜道では気をつけて」 校庭へ出ると、夜空に星が光っていた。寒い。ストーブと温かい紅茶がすでに恋しい。
『もう確かめようがないことです』
「……いこっか、ニャンコ」 「にゃー」 聖夜を背に、あたし達は歩き出した。
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3000字くらいで、二時間ちょっと。 〆切りも時間も完全オーバーです。すみません。突っ走ったので推敲も何もないです、ぐちゃぐちゃ。
マルメガネ 様
大掃除、いつの間にやら発掘作業と化す。 越冬するカメムシには俺も心当たりがありまして、ちょっと共感しました。 小説としてはやや弱いかな……と思いました。
RYO 様
野良猫ネタが被ってしまいました、すみません。本当に偶然です。 恩返しに拾いもののブレスレットとは、なかなかなことをする猫だなぁとか思いました。そのブレスレットが実は先月別れた彼女の愛用の品で「なんでお前がこれを……まさかあいつは……」とか、実は彼女は交通事故で先週亡くなっており、衝撃で外れた行方不明のブレスレットでした的なノリを勝手に想像したりしてました。 死期を悟って雲隠れ、きっとどこか居心地のよい拠点を見つけているに違いないと、ほんのり不安に苛まれながら考えたりするのでしょうね。
ただの感想ですみません。ありがとうございました。
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