Re: 即興三語小説 ―多分祭り的な勢いがいるんだよ― ( No.3 ) |
- 日時: 2014/12/28 23:15
- 名前: 朝陽 ID:Ycv9iSwo
「ニュージーランドで羊飼って暮らしたい」 と祐輔が言い出したのはいよいよ暮れも押し迫る十二月二十九日の深夜、いい肉の日じゃないけど肉の日だから格安焼き肉食べ放題に突撃しようぜ、とかなんとか言いながら目を開けて夢を見ている後輩(二十六歳)を蹴り倒しながら実咲が自分のデスクから引き出しを引っこ抜いて逆さまにした、まさしくその瞬間のことだった。完全に目が据わっていた。遠くを見ているとかいうレベルではなかった。おそらく人間が見てはいけない領域の何かを見ていた。 オフィスの電灯は皓々と点り、机周りは散らかり放題。社員の誰一人として帰宅する気配もない。年明け一番で納品しなくてはならないデータの、大元が入っていたサーバーが唐突にお亡くなりになり、バックアップを入れていたUSBが、そそっかしい新人君のおかげでどこにいったかわからない。 課内のどこかにはあるはずだという半泣きの主張に、一斉捜索活動が展開されて早五時間、そっと抜き足差し足で帰ろうとしていた後輩は襟首をひっつかまれて、気の毒にも、明日朝の飛行機のキャンセルを余儀なくされていた。この時期の沖縄行きの金額は、薄給の身にはしゃれにならないだろう。 納期というのは余裕をもって設定するのが世間一般の常識、大人の知恵というものだ。普段だったら社長が土下座でもなんでもして、もう一日待ってくださいと相手先に泣きつくところだ。だが今回にかぎっては緊急の依頼で、どんなに粘ったところで二日の朝が正真正銘のデッドライン、それが間に合わなければ三百万が露と消える。それだけでも吹けば飛びそうな零細企業ではあるが、問題はそれだけではない。相手方が取引の四割を占める得意先中の得意先だということだ。三百万の穴は社長が貯金を切り崩してでも補填するかもしれないが、失った信用を埋めるものは誰にも思い当たらない。 新人はミスをするものだ。真っ青になってがたがた震えながらカバンの中身をひっくり返している気の毒な二十歳の新人に、殺気だったまなざしが集まったのもやむなきことながら、まして、元データを丸ごと消してしまったとでもいうならともかく、念のためで取らせておいたバックアップを、連日の残業続きでふらふらになった中でうっかり紛失したわけだから、それなりに情状酌量の余地はある。間が悪かったのだ。そんなことは新人だけに任せるようなことでもなかったのだし、普段だったら祐輔か実咲のどちらかがちゃんと見ていただろう。別件の納期に追われている最中に得意先から年末の緊急依頼、皆が平常モードではなかった。不幸な事故だった。 ともかくバックアップが出てきさえすれば、あと三日、どうにか間に合わせることもできる。できるはずだ。正月が潰れるのはまあいい、どうせ実咲にも祐輔にも帰省の予定はないし恋人もいない。社長は正月手当をはずむだろう。いい肉だって食べにいける。バックアップさえ見つかれば。 「ニュージーランドで羊……」 「見つかってからね」 壊れたテープレコーダーのようになった祐輔を(という表現を先日使ったら、その新人君から「テープレコーダーってなんですか」と聞かれて戦慄を覚えたのは余談)、にべもなく一蹴して、出てきたUSBを片っ端からパソコンにさしこんで中身をたしかめる。時計の針は二十三時を回って、実咲はそろそろ終電だ。もうとっくに諦めてはいたが。 「次から社用のUSBは、紛失防止で巨大なやつにする。パソコンと同じくらいのサイズがいい。売ってなかったら手作りする……」 反省を即座に次に活かすことができるのは社長のいいところかもしれないが、この修羅場の真ん中で通販サイトを見はじめる現実からの逃げっぷりは、長所を補ってあまりある。それでも人がついてゆくのは人徳なのか何なのか。 「ニュージーランド……」 「羊って美味しいのかな」 「ジンギスカンが北海道民のソウルフードっていうくらいだから、美味しいんじゃないですか」 そもそもなんでニュージーランドなんだろう。二十四時間働かされることもしばしばの零細IT企業と、なんとなく対極っぽい気がするからか。だけど実咲の常識からすると、牧畜というのは零細企業なみのブラックな労働環境なんじゃないだろうかという気はしている。もちろんやり方や規模にもよるだろうし、ニュージーランドの農業の実態を知っているわけでもないのだが。 「電気も通ってないような田舎がいい。家電は小さい発電機置いて、電球一つとラジオくらいでさ。そしたら顧客からの電話に捕まることもないし、株価の上下にいちいち振り回されることもないし……」 「こいつ株とかやってたのか」 「誰か止めといてやってよ、向かないでしょうどう考えても」 「お前が言うのが一番きくだろ」 「なんで」 「情け容赦なくけちょんけちょんにけなすから」 殺気だったオフィスの雰囲気が雑談で少し和らぐ、どころかますますすさみ始めたあたりで、後輩二十六歳が天井を見上げて、 「バックアップなんて幻だったんじゃないか」 とか言い出した。電波を受信したような顔つきだ。「バックアップがあってほしい、誰かとっただろう、とったはずだ、とかいうような願望が俺たちの心の中に架空の記憶をねつ造したんじゃないか。そうだ、バックアップなんてなかったんだ!」 三日間の平均睡眠時間およそ二時間のところに起こった大惨事に、とうとう心が耐えられなくなったらしいが、もっともらしく思えてきて恐ろしいから本気でやめてほしい。 だが手を止めてつい与太話に聞き入ったおかげで、ふと実咲は冷静さを取り戻して、 「ちょっと飲み物調達してくる」 そう言い置いて、オフィスを出た。「あいつ逃げるつもりだ! そのまま帰ってこない気だ!」とかなんとかいわれのない糾弾が追いかけてきたが、べつに追っ手はかからなかった。誰にもそんな気力はない。 腹が立って本気で逃げてやろうかと考えないでもなかったのだが、ひとまず隣のコンビニに入って、全員分の軽食と飲み物を調達する。がっつんがっつん脳味噌に聞きそうな、甘ったるいやつ。レシートはあとで社長に押しつけるつもりだった。疲れ切って睡眠不足に空腹で、パニックのまま探すよりも、この際ひと息いれたほうがいい。 風が冷たい。明日は雪の予報だ。星もろくに見えない都会の空を仰いで、自分の息が白くなるのを追いかけてから、コートの襟を立てた。 「ニュージーランドで羊、かあ」 エレベーターの中でつい口から独り言がこぼれた。実家は農家だ。子供のころにはさんざん手伝わされていたし、いまも現役で牛を飼っている。羊はまた勝手が違うかもしれないが、やってやれないこともないような気がしてくる。 洗脳されかかっているような気がして、慌てて首を振る。給料取りのほうが生活が安定しているとはいわないが(吹けば飛ぶような零細企業につとめているくらいだし)、動物の世話は向かない。そう思ったから家を出たのに。 真っ暗な廊下を抜けてオフィスに戻ると、皆が頭を抱えて転がっていた。 「なにどうしたの、一酸化炭素中毒かなんか起きた? 室内で羊焼いて食おうとした?」 「……セル……」 小声すぎて聞き取れず、床に転がる社長の口元に耳を寄せる。 「もう……あれいらなくなったって……キャンセル料払うから、悪いねって、電話」 一瞬、脳が話を理解するのを拒絶した。それから、ああ、こんな時間まで向こうも仕事か気の毒だなあ、と考えた。怒りがきたのはその三秒後、「はあ!?」 でっかい声が出た。自宅だったら近所の窓がガラガラ開きそうな勢いだった。 「ふっざけんじゃないわよそんなもん納期ぎりっぎりの完成品出来上がる頃に電話してきといて規定のキャンセル料で済むと思ってんの!? いくら零細企業だって舐められすぎでしょそれでまさか引き下がったんじゃないでしょうね社長!」 「現物用意できてないのに全額受け取る気だよ……」 「女って怖いな」 「羊……」 「俺には無理だ。皆、すまないがボーナスは……あきらめて……」 「それとこれとは話が別でしょ!?」 ぎゃあぎゃあわめいているうちに時計は午前を回り、ボーナスは無理だけど社長が新年会でジンギスカンを全員に奢るというところに話が決着するころには皆がニュージーランドゆきを夢想しはじめていたのも、正月休み明けに発見されたUSBが、なぜだか社長が新人君にプレゼントしたお昼寝枕(ひつじ柄)のカバーの間からひょっこり出てきたのも、まあ余談ではある。
---------------------------------------- 時間はオーバーしてるわ話はまとまらないわ…………恥を忍んでそっと残しておきます…… 2014年さようなら。今年も一年お疲れ様でした!
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