悪い女 ( No.2 ) |
- 日時: 2012/09/02 21:11
- 名前: HAL ID:TM5kcp5Q
- 参照: http://dabunnsouko.web.fc2.com/
「RYOさんが可愛すぎて生きるのが辛い」 携帯電話の向こう側で紗代子がそう言い出したのが日付が変わる直前のこと、周囲が騒々しくて後半しかまともに聞きとれなかったわたしが方向転換してタクシーをつかまえたのがその五秒後で、さらにその一分後には誤解も解けたのだが、いまさらタクシーの運転手に引き返せというのも気まずくて、そのまま彼女のアパートに向かった。まあそれはいい、どうせ残業帰りでぎりぎり終電に間に合うかどうかというところだった。 着いたのが零時半前、前に来たときと同じように、紗代子の部屋は汚かった。 足の踏み場もない。生ゴミだけはきちんと出しているので衛生的にはまあなんとかギリギリ、しかし部屋の壁際には高く積み上げられた漫画に雑誌にDVD、ゲームソフトがラックからはみ出してテレビの向こう側に落ちている。脱ぎ散らかされた服に万年床に干しっぱなしの洗濯物。その隙間に埋まるようにして、紗代子が転がって漫画を読んでいた。 顔を上げてわたしと目があうと、沙代子はにへら、と笑う。しまりのない笑顔だ。 「まったくもう、人騒がせなやつ。あたしゃてっきりあんたが、せっかくできた男に捨てられて自棄にでもなったのかと」 「あ、そういやそうだね一週間前に。えーすごい、どうしてわかったの。おぬしさては千里眼か」 リアクションに詰まる。三秒黙って、とりあえず靴を脱いだ。 ストッキングが蒸れているのがちょっと気にはなったけれど(朝の七時から履いてりゃ臭くもなる)、この部屋の汚さを見れば遠慮する気にもならない。ずかずか上り込むなり、紗代子の隣の床を適当にかき分けて、とにかく座る隙間を作った。 十五年来のつきあいの友人の、ぼけっとした顔をまじまじと見下ろす。顔色は悪くない。肌も荒れていないし、隈もそんなに目立たない。眠れない夜を過ごしてるふうには見えなかった。 「平気そうね?」 紗代子はくすりと笑う。「さっきの電話の剣幕ったらないわー。あたしが失恋のショックで自殺とかするようなタマに見える?」 「まあ、見えないけどさ」 でしょでしょ。うなずいて、紗代子はようやく漫画を置いた。「やー、やっぱり生身の男はアレだね、無理だわ」 「そうか、無理か」 ほかにどういいようもなくて、間の抜けた相槌を打ってしまった。 紗代子は眼の端で笑う。その笑い方というか、目じりのニュアンスが、なんというか絶妙に可笑しそうな自嘲の色。「なんだろうねえ。自分が恋愛してるところなんか、ずっと想像もつかなかったけど」 「あんた恋愛小説とか少女マンガとか、昔っからすごい好きだったじゃない」 「それとこれとは別」 「……別か」 「別べつ、ぜんぜん別」 うなずいて、紗代子は立ち上がる。「コーヒー飲む?」 こんな夜中にコーヒーもあるかと思ったけれど、黙ってうなずいた。この部屋にアルコールが置いてあるはずがない。紗代子は酒を飲まないし、人が近くで酒を飲むのも嫌がる。 まあいい、カフェインでうっかり眠れなくなっても、明日は土曜だ。休日出勤する予定にはしているけれど、昼からゆっくり出てもかまわない。 それに、紗代子の淹れるコーヒーはおいしい。 「あんた、まさかこの部屋に彼氏上げてたの?」 「いや、いちおうコウサイキカンチュウはさ、頑張って片づけてたんだよ。ねえねえ一週間でここまで元通りになるって、逆にすごくない? もうこれはあれだよね、あたしの遺伝子に部屋を散らかすっていう項目がインプットされてるとしか思えないね。生存本能だよね」 ケトルが騒ぎ出す寸前でコンロを止める紗代子の手が、薄暗いキッチンで白く浮かび上がっている。料理なんかしてるときには笑えるほどぶきっちょな手つきなのに、コーヒーを淹れるときだけは、魔法のように滑らかに動く、丸っこい指。 「アイタタっすよー。ちょっと可愛い服とか、無理して買っちゃったりしてさあ。このあともう着るわきゃないってのに。あんまり悔しいから、分解してコスプレの材料にしちゃると思ってさー」 笑う紗代子からコーヒーを受け取って、違和感を覚えた。いつものと、カップが違う。 紗代子のふくらはぎと踝に、大きめの絆創膏が二枚貼られていることに、そのときようやく気が付いた。 「――別れてよかったんじゃないの?」 思わず顔をしかめていうと、紗代子はふにゃりと笑った。「や、まあ、あたしが悪かったんだよ」 わたしはよっぽど納得がいかない顔をしてたんだろう。紗代子はひとくちコーヒーを啜って、頭を掻いた。 「なんていうかさ、好きでもない相手と付き合ったりとかするから、痛い目みるんだよね。まったくもって悪いことしちまったぜ。……ねーねー聞いてよ、生まれて初めて男の子泣かせちゃったよ。びっくりだよ。あらいやだ紗代子さん悪い女だネー」 自分でそんなふうにおちゃらけてみせて、それから紗代子は、ぼそりといった。「ひとを好きになるって、どういうことだろうねえ」 答える言葉は見つけきれなかった。 だってわたしにも、ほんとうに人を好きになったことなんかない。認めたくないけれど、たぶん、一度も。 恋人と呼ぶような相手がいたことは、何度かある。だけど仕事仕事で、いつも相手をほっぽらかして別れを切り出されるのは、わたしのほうだ。 別れたくないなんて泣いて縋ったこともない。いつも面倒くさくなってしまう。その面倒くさいに勝てるほど好きになれる相手が、できる気がしない。 紗代子は気まずくなったのをごまかすように、やたらに明るく笑って手を振った。 「いやー、思えばさ、生まれて初めて告白とかされちゃってさあ、舞い上がってたんだよねえ。自分の身にそういうことがあるなんて、思ってもなかったもんだからさ。でもだからって、好奇心だけでOKしたりするもんじゃないっつう話ですよネー」 一息にいって、紗代子は漫画を拾い上げる。「まあいいのさ、だっていまのあたしにはRYOさんがいるし!」 電話でいっていた、可愛すぎて死にそうだとかいう人物は、どうやらこの漫画のキャラクターらしかった。ちらりと見る限り、バンドもののようだ。 「RYOってどれよ」 「これこれこの人!」 紗代子が指差す男は、ステージの上でベースを弾いている。飛び散る汗、スポットライト、ステージ下で沸き立つファン。……はいいのだけれど、なんだか微妙な恰好をしていた。 「なんで黒マント?」 「あっいやそれはこのライブのときだけのパフォーマンスでねえ、普段はもっと渋いかんじなんだよあーねえこっちの巻みてここここ! よくない? ねえかっこよくない?」 わたしはどっちかっていうとこっちのギターの子のほうが好きだなあとかなんとか、半分上の空で相槌を打ちながら、まだ頭の半分では、かけるべき言葉を探していた。 「あー好きそう、ギターの子もねえ、すっごい良い子なんだよー。やっぱり男は二次元がイチバンっすよねー」 紗代子がいうのに、思わずうなずく。「だね。現実にいい男がいないのが悪いね」 本気でいってるわけじゃない。ですよねー、と笑う紗代子も、たぶんぜんぜん本気じゃない。 だけどひとを好きになるって、なんだろう。 思わず黙りこんでしまった。その沈黙に、紗代子がまた無理をして何か笑いを取ろうと言葉を探すのがわかったので、勢いよく弾みをつけて立ち上がった。 「よし、失恋祝いをしよう!」 「えっ祝うの? ねえちょっとひどくない?」 「結婚は人生の墓場だと、偉大な先人はいった。墓場ゆきを回避したんだから、祝うのが順当ってもんでしょう。焼肉がいい? ケーキがいい?」 「肉肉、断固として肉!」 即答だった。おもむろにうなずいて、携帯で店を探す。懐に問題はない、少し前に出たボーナスが、まだ残っている。 明日はまず吐く寸前までめいっぱい焼肉を食べて、それから出勤しよう。服ににおいがついても知ったことか。どうせサービス残業だ。 「ネット予約完了。よし祝おう。盛大に祝おう」 「肉!」 そんでもし、いつかまかり間違ってだれかと結婚することになったら、そのときは大変遺憾ながら、残念会もちゃんとしてあげようじゃないの。 いうと、紗代子はにへらと笑った。なんともしまりのない笑顔だった。
---------------------------------------- 久しぶりの三語! 二時間くらいでした。また微妙なものを書いてしまった……。おお題が難しかったのが何もかも悪い! ……嘘です精進します。 そしてせっかくチャットでRYO様から許可をもらったのに、ちっともセクハラできませんでした……ちっ。BLネタでも書けばよかったか(ぼそ)
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