夜と動物 ( No.2 ) |
- 日時: 2011/07/11 11:28
- 名前: 二号 ID:YM1Y1NDo
すいません。性的描写があります。
最近は七時を回ってから、ようやく夜になる。この頃はじわじわと夜になる。ピンク色の空がどんどん青く暗くなっていって、その空の中を暗い影を持つ鳥が何処か俺の知らない場所に向かって、じりじりと夜を行く。 何もしていなくても体には汗がにじんでいる。ベッドのシーツからは汗のにおいしかしない。扇風機が音を立てながら生ぬるい風を送ってくる。水風呂に入ろうかと考えてみる。冬が恋しい。このままではオレは溶けてしまうんじゃないかと思う。どろどろに溶けて、ベッドのシーツに染み込んでしまいそうだ。喉が渇く。冷たい水が飲みたい。冷たい水を浴びたい。
短い眠りにつこうと思いながら自分の体を触ってみると、意外なことに手のひらに感じる温度は少し冷たい。きっと汗が体温を外に逃がそうとしてくれているせいだろう。 自分が、小さな穴をいくつも開けた水袋になってしまったかのような気がする。多分、中の水はあまり綺麗じゃないはずだ。 何もしなくてもオレの体は汗をかいて熱を外に放出していく。次から次へ新しい熱を生み出しながら、体の表面から熱を失っていく。それがオレで、熱を持つ生き物だ。べとべとに湿っていて、もう少し涼しくならないと暑くて眠れそうにない。
眠るのを諦めて台所に向かう。七月のカレンダーにはかわいい子犬の写真が張ってあって、生まれたばかりの口の周りの黒い小さな柴犬がこちらに向かって走っている。 犬って可愛いよな。と思ったけれど、カレンダーの中の子犬には漫画みたいな吹き出しが付けられて、「七月、運動をするときは、水分をこまめに補給してね。熱中症に注意」と書いてあった。子犬なのに、ずいぶん賢いことを言う子犬だなと少しおかしくなった。だけど、犬がしゃべっちゃダメなんじゃないかなとも思った。多分人は、犬とか猫が、しゃべることができないから彼らを愛することができるんじゃないだろうか。鳥かごの中に入れられた九官鳥が、ふと思い出したように「寂しい、寂しい」と呟いていたら。飼い主はそうとう気が滅入るんじゃないだろうか。
熱くて開けっ放しの窓からは、どこからか蚊取り線香の匂いが入って来ていて、隣には暖かい肌を持った女の子がいる。眠る前の彼女の体を触りながら、女の子の体って柔らかいな、とオレは改めて感動していた。
台所のイスには彼女の薄い上着がかけられている。暑いのになんで上着なんか着てきたのか尋ねると、夜は冷えるかもしれないからと彼女は答えた。今日は昼間から夜も蒸し暑くなるのが分かるくらい暑かったから、それで少し彼女をからかった。
彼女が目を覚ますと、二人で蕎麦を茹でて食べた。具なしのただの蕎麦とめんつゆ。暑くて蕎麦ゆで用の鍋から立ち上る湯気で何も作る気になれなかった。
食べ終わるとオレはビールを二本開けて、二人してぼんやりとテレビを眺めていた。動物番組がやっていて、彼女はテレビの中の動物が可愛いだの、芸人が面白かったことなどをオレに報告してきて、オレはそうだね、面白いねと笑って答えていた。もっとしゃべってくれと彼女は膨れてオレに言ったりもした。そのたびに笑ってごまかしたり、冗談を言ったりした。
会話がなくなると、いつの間にかいい雰囲気になっていて、彼女の唇に顔を近づけると、彼女は黙って目を瞑って少し上を向いた。
飲みかけの三本目のビールが、缶の中で泡を立てながら少しずつ温くなっていくのが分かった。 目の前の彼女が大きく見える。汗を吸い取ったシャツが肌に張り付いて気持ちが悪い。脱ぎ捨ててしまいたい。 形の分からない何か湿ったものが俺を何処か遠いところに運んでいこうとしている。 彼女の胸が俺の体に触れる。布越しでもそれが暖かく柔らかいものなのだということが分かる。 それから、キスしたり、彼女の服をずらしたり、色んなところを撫でたり、舐めたりする。 なるべく、優しく。なるべく、スマートに。なるべく、気持ちよく。こういうことはあんまり上手じゃないから、できるだけ丁寧にしなくちゃなと思う。 彼女の名前をよんでみると、 「時田君」と言ってくれる。やさしい声でオレをよんでくれる。 彼女の手のひらが胸からおなかへ、おなかから下へと降りていって、あんまり触られると恥ずかしいような情けないような気分になってくるので彼女を押し倒す。彼女はくすくす笑いながらベッドの上にぺたんと倒れて足を開いてくれる。
彼女と付き合いはじめて三ヶ月くらいになるけれど、こういう瞬間になると相変わらず緊張する。うまくやれるだろうかとか、変な顔していないだろうかといろいろ考える。
彼女と付き合う前に、初めて女の人としたときも、いざという時に緊張しすぎで全然だめになってしまった。年上の綺麗な人で、他に恋人がいた。ちゃんと付き合うにはオレなんか全然子供で、仕事のこととか恋人のことで色々悩んでいるようだった。 結局、こういう関係はオレのためにもよくないという理由で、謝られながら一年前にふられた。それから今の彼女と付き合うことにした。初めての彼女は今は仕事を辞めて、実家のほうに帰ってしまったと、たしか人づてに聞いた。その話を聞いたとき、あの時はキリンみたいにスマートで綺麗な人だと思っていたけれど、多分、ぎりぎりのところを片足で踏ん張っているフラミンゴだったんだなと思った。 オレが彼女を追い詰めちゃったんじゃないかな、とも思った。片足で踏ん張っているところに、バカみたいに無遠慮にのしかかってしまったんじゃないかとか。
「時田君。時田君」と彼女が言った。 オレは彼女の上で頑張りながら、彼女とは別の女の人のことを考えている。息が荒くなって、犬みたいに舌を出してはあはあいっている。
そんなことを考えていると、彼女に申し訳なくなって、だめになってしまった。
「どうしたの?」と彼女が言った。 「ごめん、酔いが回っちゃったみたい」 本当に、オレは何をやっているんだ。罪悪感でバカみたいになってしまう。 「かわりにおしゃべりしよう」 「なんの話しするの?」 「この前面白い小説読んだんだよ。名前は忘れちゃったんだけどさ、ベトナム戦争の帰還兵の話。名前は何だったかな、くそ、思い出せないな」 「ねえ、時田君大丈夫なの? 顔色悪いし、あせもすごいかいてるよ。具合悪いんじゃないの?」 本当に酔いが回ってきたのかもしれない。変な気分だ。今はただゆがみたい。軋む音を立ててひずみながら、不思議な心地よさの中で、ばらばらになるその瞬間を待ちたい。オレはもうだめだ。彼女に嫌われたい。 「いや、大丈夫だよ。というかむしろ、気分はすごくいいんだ。それで、そう。戦争に行く前、男は将来を期待されたピアニストだったんだ。音楽を愛し、彼も音楽に愛されていた。彼も、彼の周りの人間も、彼のピアニストとしての成功を信じて疑わなかった。でもそうはならなかった。何でだか分かる?」 「わかんないよ。時田君、何の話なの?」 「うん、ごめん。わかんないよな。こんな変な質問なんて。だけど今オレはこの話がすごい大事なことのように思えるんだ。つまり、彼は戦争で人を殺してしまったということが全てなんだ。彼は純粋に音楽を愛していた。本当に、純粋に愛していたんだ。でもそれが仇になってしまった。それまではそれでよかった。音楽を心のそこから愛せるということが、彼の才能でもあったし、才能も彼の愛に見合った素晴らしい演奏を彼に与えて来た。全てが暖かい温度を持ちながら彼と音楽の間を流れる、小さくて丸い環の中で巡っていたんだ。だけど、戦争が彼を変えてしまった。回りくどくなっっちゃったな。ごめん。彼には、彼なりの音楽の愛し方というものがあって、それは多分彼の音楽における全てだったんだ。音楽に対する哲学ともいえるかもしれない。彼の音楽に対する哲学をオレが語るとするならば、つまり、こういうことなんだ」
「音楽は人間だ。良い人間だけが良い演奏をやれる」
「こういうことなんだ。人を殺し、心が汚れてしまった自分にはもう音楽を愛する資格は無いし、音楽も自分のことを愛することは無い。だから彼はやめたんだ」
「ある日、男が昔馴染みの友人に誘われて彼の家を訪れる。友人は昔からの音楽仲間だったんだけど、今は音楽をやめてしまっていた。自分には才能が無いかっていって。それで、男に再び音楽をやるように説得してくる。お前の才能を腐らせるには惜しいものだ、お前には音楽しかない、とか、思いつく限りの言葉で熱心に説得をする。それで男は一度だけという条件で彼の前でピアノを弾く。その演奏がとても素晴らしいもので友人は感動して男の成功を再び確認するんだ。だけど男は心の穢れた自分がそれまでよりも良い演奏ができているということに悲しくなって、音楽が信じられなくなってしまう。それで男は海に身を投げてしまうんだ。悲しいよな。でもすごい綺麗な話だったんだよ」
「何の話なの? わかんないよ。時田君絶対おかしいって。いつもこんな風に喋ったりしないのに。ねえ、本当に大丈夫なの? 絶対おかしいよ。ねえ、大丈夫なの?顔色も悪いよ」 彼女が本気で不安がっている。 「そんなひどい顔してるのかなオレ。ちょっと見てくるよ、ついでに顔も洗ってくる」そう言って風呂場の鏡を覗き込んでみる。顔が真っ白で、目が濁っている。嫌な顔だ。見ているだけで胸がむかついてくる。本当に戻してしまいそうになる。
「あはは、ごめん。ほんとにひどい顔してた」 大声で風呂場から彼女に向かって言った。返事は無くて、戻ってみると彼女が泣いていた。それでやっと、自分がどうしようもなくバカなことをやっているんだと分かった。
「いや、ごめん。本当に大丈夫なんだよ。多分喋りすぎただけ。オレはどうもしてないよ。だけど多分、今までがしゃべらなすぎたんだよ。そういう意味でどうかしていたかもしれない。大切なことはきっと口に出したほうがいいんだよな。この先どのくらい生きるのか分からないけど、多分50年か60年かな、そのくらい生きるとして、その中でたまっていった、色んな形の良くないものをずっと吐き出さずにいたら、オレ多分どうにかなっちゃうと思うんだよ。ほんとに破裂しちゃうかも、水風船みたいに、ぱーんって」
勢いに任せてしゃべりまくった後で、はっと、オレは今ものすごく子供っぽいことを言っているなと気がついて、彼女にあきれられないだろうかと心配になっってきた。すると彼女が、 「なんだか今日の時田君子供みたい」と言ったので、ああやっぱりと思った。 「ほんとごめん、やっぱりオレ酔ってるんだよ。ちょっと眠くなってきたかも。眠ることにするよ。おかしなことをしゃべりまくるのも、多分今夜だけ。目が覚めたら、またいつものように戻るよ」 「最初はびっくりしたけど、今は元に戻ったみたいだね。大丈夫。全然気にしてないよ」 彼女は笑っていて、もう泣きやんでいた。 「時田君は多分寂しいんじゃないかな。何でなのかわかんないけど、多分寂しいんだと思うよ」 「そうなのかな、オレは寂しいのかな」 「うん。私もそういう時あるの」
といって、頭を抱きしめてくれた。 オレの弱いところを、暖かいもので優しく包み込んでもらっているようで、もうちょっとのところで声を上げて泣いてしまいそうだった。だけど、さすがにかっこ悪すぎるかなと思ってこらえてしまった。体の中には水がたっぷりとたまっていた。 そのままベッドに倒れこんで、彼女に抱きしめてもらっていた。もうずいぶん眠くなって、頭が重い。 「今の時田君、すごくかわいいよ」 優しい声で言って笑う彼女のことを、キツネみたいだと思う。ずるがしこそうなやつじゃなくって、優しいキツネ。小学校の頃の教科書で読んだ、子ギツネが手袋を買いに行く話に出てくる優しいキツネ。 明日、目が覚めたら、彼女に謝ってちゃんと好きだってことを伝えなくちゃいけないな。
ああそうだ、今度近いうちに動物園に行くのもいいかもしれない。彼女がいいと言ってくれるなら、彼女もつれて。そこで、オレに似た動物を探すのだ。それは臆病なメガネザルかもしれないし、よく分からない言葉をしわぶき続けている年老いた九官鳥かもしれない。ヨチヨチ歩きのペンギンはすごく可愛いと思う。他にも、檻から外に向かって叫ぶ気のたったクマだとか、遠くでそれを聞いてノイローゼ気味にキャンキャンと吠え立てている小型犬だとか。
夜の動物園でも、動物たちは月を見て意味も無く寂しくなったりするのだろうか? そういう時、彼らはどうやってそれをやり過ごすのだろう。 オレも泣いたほうが良かったのかもしれないなと、眠りとベッドの間くらいで、ぼんやりと思った。 きっと動物園は、様々な生き物の叫び声で満たされていると思う。そのどれもが、純粋で真剣な彼らなりの意味を持つ叫びなのだろう。
おわり
わっはっは。四時間位時間オーバーと遅刻しました。…すいません。 エロいのはいけないと思いますっ! …ほんとすいません。ダメそうだったら消します。
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