Re: 即興三語小説-第87回- ドMってなんのことぼくわかんない ( No.2 ) |
- 日時: 2010/12/24 18:05
- 名前: ぢみへん ID:9Fk4y2hc
窓から差し込んだ、黄昏の陽光。いつからか顔面にその光をまともに浴びて私は目覚めた。丸く、小さな窓からは遥か遠くで神々しく金色に燃える太陽が雪原の彼方、地平線の向こうへ落ちようとしている―― そこまで眺めたところで、私は自分が見ているのが雪原ではないことに気が付いた。 実際それは、見渡す限り壮大に広がる雲海であった。一体どこから来てどこへ行くのだろう? 太陽と飛行機と、その下の全てを覆うかのような雲の大群だけが存在し、その雲の下に地上があるとは、一瞬、信じられないほどにも思えた。高度4000メートルを疾走する鋼鉄の機体から望む、夕闇の迫る大空を前にして、私は、不意に自分の口元に微笑みが浮かぶのを感じた。 しかし次第に意識が目覚め始め、機内の現実を認めたあたりから、私はなぜ自分がここにいるのかを思い出す。止むに止まれぬ、危急の事情に迫られて私はここにいた。微笑みが苦渋に変わった。
昨日の深夜のことだ。根回しや商談の取りまとめで一日中歩き回り、たった一人残ったオフィスで「今日も終電か」などと思っていたところへ、一度帰ったはずの部下がやってきた。 「大井さん、まずいっスよ」 「知ってる」 「えっ?なんで?」 「お前の愛妻弁当は不味い」 「実はそうなんスよお……じゃなくて!」 「何だ?」 「まずいッス」 「田中、もうそれは聞いた」 「コペンハーゲンとの通信が確保できません」 「そうか……ってなにぃい?!」 コペンハーゲン支社との通信確保に目処が立たないということは、このとき、少なくとも私と田中には死活問題を意味していた。
私の勤める商社はいわゆるグローバル企業で、東京本社の他に国内に3つ、海外はデンマークとアメリカ、インド、それから中国に支社を置いている。私と田中は海外の鉱物資源企業との――ごく小さなベンチャー企業から、デビアスのような巨大メジャーも含めた――渉外実務の担当を任されており、実際の実務は海外支社との商談アセスメントが中心となっていた。 二日後に迫っていた東京-コペンハーゲン間のオンライン会議はダイアモンド市場に関する重要な会議という位置付けで、これが上手くいかないことは会社の意思決定において少なからぬダメージを及ぼしかねない出来事となる。なぜならその会議にはコペンハーゲン支社の担当者だけでなく、某メジャー鉱物企業の重役も出席する予定だったからだ。商談とはどれも失敗は許されないものと言いながら、実際には上手くいかないこともある。だがこの商談は絶対に失敗できない。 「どうしましょう」 「分かっていると思うが」大学を出てわずか2年の田中と違い、三十路も超えてある程度の酸い甘いを知った私には自慢ではないがこういうときにどういう態度をとるべきかが分かる。「彼が来るということは、我々にサイトホルダーの提案をしてくる可能性がある」 サイトホルダーとはダイアモンドメジャー企業と特別のコネをもつメンバーのことで、このコネを通じて様々な要望に応え得るダイアモンドを入手できる可能性が高まるのがメリットだ。適当な石を言い値で買わせようともするから注意が必要ではあるが、そもそもダイアモンド市場のコネクションは極端に狭いので、利権関係も集中しているから、コネを持つことは商売の上で極めて重要な要因となる。 生真面目な田中は右手で左手の親指を所在無さげに弄りだした。何百万ドルという話が、会議の延期で流れてしまうかもしれないというと、多くの人はそんな馬鹿な、と眉をひそめるだろう。 しかしサイトホルダーになりたい輩はゴマンとおり、そもそも正式な連絡ラインというものも存在しない。何から何までコネなのである。つまり、話があったそのときに商談を詰めてしまえなければ、次のある保証は全くないということになる。オンライン会議用のソフトウェアが基盤としている通信インフラに故障が発生した今、私たちに可能な選択肢は一つしかなかった。 「コペンハーゲンに行くぞ」
それから12時間以上経ち、私と田中は共に飛行機の上にいる。 コペンハーゲンに行くと決めた瞬間から田中は成田空港へ直行しブッキングに専念していたが、私はというと既に10時間近く経過したフライトに加えて、昨夜から殆ど一睡もできなかったために疲労感が抜けないままだった。田中のいない分も含めて急な出張によるしわ寄せを一手に引き受けねばならなかったし、さすがにもう若くはない。意識が一瞬飛んでしまうことが何度もあり、離陸直後にすぐ寝入ってしまったにも関わらず、まるで休んだ気がしないのだ。着ている服もそのままで、さすがに臭っているにではないかと心配になる。ファッションセンスを疑われるから、向こうについたら着替えなくてはならないだろう。 だがそれより気がかりだったのは、帰りのフライトも入れると週末に一緒に遊ぶはずだった、子供との約束も叶いそうになかったことだった。少し、気が滅入っていたかもしれない。 だが24歳の田中はさすがに元気そのもので、こっちの気も知らずに話しかけてきた。 「大井さん、すごいニュースですよ」 こういうことを言うときの田中は、大抵当てが外れる。几帳面で記憶力も高いが、どこか抜けているのがこいつの特徴だ。最近の若者に多いのだろうか? 「古瀬絵里って知ってます?」 「さぁ……誰だ?」 「胸がでかくて、『スイカップ』って話題になった元アナウンサーですよ」 「お前の嫁とは対極の女か」 「ええ……」 「そこは否定しろ、嫁のために」 「…」 「で、その古瀬が何だって?」 「どうやら大きな障害を負ったらしいです」 「あまり面白くないニュースだな」 「僕、結構ファンだったんですけどねぇ~。残念ス」 そんな話題に全く興味のない私は、手元にあったポータブルPCを起動し現地のニュースを確認することにした。今ヨーロッパは寒波がすさまじいという記事を見ると、ちゃんと到着できなかったらどうしよう、などと少し不安も生じたが、そもそも着陸できる見込みもないのにフライトが実行されるはずもないと自分に言い聞かせた。 と、そのとき。私の注意が一つの記事に注がれた。 「……」 知らないうちに機内食を取っていた田中が横から声を掛けてきた。 「大井さん、何か面白いニュースでも?」 「まぁ…な」 「何ですか? 教えてくださいよ~」こいつは子供の頃からこうやって生き延びてきたに違いない。 「お前、さっきのアナウンサーの話、どこで見たんだ」 「見たんじゃないです、空港のロビーで誰かが話すのを聞いたんですよ」 「ほぉー」 私はPCのモニタを田中に見せた。田中は最初訳が分からないといった顔をしていたが、数秒してから噴出した。 「マジっすか」 「マジだな」 「何だよ~、恥かいちゃったな~」
そのモニタにはこう書かれていたのだ。 『スカイプ、大規模障害発生。復旧見通し立たず』
「スカイプとスイカップを聞き違うとは、お前馬鹿だろ」 「いや~」田中の顔は真っ赤だ。 「会社のみんなに『スイカップ田中』誕生秘話を教えてやろう」 「いやいやいやいや」
気が付くと窓の外はすっかり暗くなっていた。コペンハーゲンまであと10時間だと機内アナウンスが流れる。 田中をからかって暇を潰すには少し長すぎるなと、私は思った。
-------------------------------- おひさしぶりです。ぢみへんです。 3時間くらい、特に何か構想があるわけでなく書きました。 もうちょっとヒネリをいれたかったんですけど…
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