ばかやろうども ( No.2 ) |  
- 日時: 2015/08/10 00:37
 - 名前: ラトリー ID:HmenSlD2
 
 病院の自動ドアを出ると、きつい日差しとよどんだ熱気に見舞われた。  夏も終わりだというのに、太陽の力は先月から半減どころか倍増したかのようだ。  すぐそばの桜の木から黒い虫のようなものが空中へ飛び出した。春先にうっとうしいほど薄桃色の花びらをつけていた桜も、今はただの街路樹以外の何物でもない。  黒い虫のような何かはそのままどこかへ飛び去るかと思いきや、急に力つきたようにアスファルトの地面へと落ちて動かなくなった。  少し歩を進めて正体を確かめる。セミだった。甲羅のような模様のある腹部と六本の足を上にした黒い姿は、時おりゼンマイを巻きなおした玩具のようにぴくぴくと震えている。次第に動作が遅くなってきているから、もう間もなく本物の死を迎えるだろう。  周囲一帯、セミの鳴き声が途切れなく続いている。シャーシャーと声ばかりうるさくて品のない音色から推測するに、おそらくクマゼミの大群だ。  この世を謳歌する単一種の生物と、そこから漏れて死にかけている一個体。  想像してみて、さっき見てきたのと似たようなものだと思う。人の死も、場合によっては驚くほどあっけない。地上へ出てきて羽化したセミが一週間どころか一ヶ月は生きのびることもあるのを考えると、余計にあっという間の出来事に感じられる。  前方に足音がした。死にかけのクマゼミのすぐそばに、黒光りする革靴が見えた。 「熊田のおやっさん、とうとういっちまったのか」  耳にこびりつくような、聞く者の神経を逆なでする声。視線を上げると、生白い肌をした面長の男が立っていた。つり上がった眉に切れ長の瞳、鼻筋の通った威圧感のある顔立ちだ。口元を三日月にゆがめ、仕事帰りのサラリーマンのような風体をして、この暑いのに黒ズボンのポケットに手をつっこんでいる。 「……馬原か」 「夏が終わるまではもつと思ってたんだが、見こみ違いだったな。しょせんおやっさんも大したタマじゃなかったってことか。つまらない」  馬原は鼻を鳴らし、吐き捨てる調子でつぶやいた。まるでこの場にもっと多くの関係者が居合わせていて、いかに自分が不届き者かを見せつけるように。  だが俺は知っている。目の前の男は、誰より熊田という人物を尊く思っていた。  口に精いっぱいの笑みを浮かべようと努力しているが、眼がまったく笑っていない。よほど落ち着かないのか、視線がせわしなく左右に動いている。それだけで演技としては失格だ。本当は深い悲しみに包まれているのが手にとるようにわかる。 「おやっさんの遺体は、姐さんが専用の車に載せて家に連れ帰ったよ。明後日が通夜、次の日が告別式だそうだ」 「自宅で最後の水入らず、ってわけか。未練がましく付き添っても生き返るはずねえのに。さっさと斎場に回せばいいものを」  ポケットに入れた馬原の腕が震えているのは、動揺を抑えきれないからだ。昔からそうだった。感情がすぐ表に出る、わかりやすすぎる男。おまけに、さんざんあの人に世話になっている。取り乱すのを恐れて、死に目に立ち会うのを避けたのも納得だ。 「なあ、鹿嶋。この暑い中、おれが汗だくでやってきた理由がわかるか。おやっさんが最後にどんな死にざまを見せたか、気になって仕方ないんだ。早く教えてくれよ」  もっとも、俺も馬原と立場は似たようなものかもしれない。あの人は生き残るための知識や知恵を授けてくれたし、おかげで悪くない地位を手に入れることもできた。  セミの死骸を視界の隅にとらえたまま、俺はしばしあの人との思い出にふけった。  両親の不仲、毎夜繰り返される口論とエスカレートする暴力。ちょうど中学に上がったころから壊れ始めた家庭に背を向け、一度非行に手を染めてから堕ちるのは早かった。  なまじ体格と体力に自信があり、狡猾なやり口の是非にも頭が働いたから、幸か不幸か、ちょうど痛い目にあって道をやり直すきっかけも生まれなかった。母が父の命を奪い、鉄格子の向こうに送りこまれると、その時点で俺が遠慮する相手は誰もいなくなった。  これまで犯罪と名のつくものにはだいたい関わってきた。だが牢屋にぶちこまれるのは俺じゃない、安易に手を組んだ愚か者がたどる末路だ。  うまい汁を吸わせてくれる相手を見つけ、顔を見せないで行うアドバイスと出所をつかませない資金で援助する。たとえ警察に目をつけられても罰金だけで解放される案件にとどめ、致命的な証拠には触れさせない。そうやって少しずつ生きる糧を蓄えてきた。  熊田に出会ったのはそんな時だ。地元の幅広い業界に顔がきき、口より先に手が出る威勢のいい連中を何百人も従えるだけの人望があった。馬原が呼び習わす通り、あの男は確かに「おやっさん」と慕われるだけの度量をもっていた。  俺は馬原と同じ時期に熊田の一家へ入った。 「馬原に鹿嶋、ウマにシカか。こいつは傑作だ」  何が面白いのやら、熊田はそう言って俺と馬原の肩をたたいて豪快に笑った。  その頃から、あの男に引導を渡すタイミングを見計らっていたのかもしれない。  俺は馬原と組んで事に当たることが多かった。地元の得意先へのあいさつ回り、時々お礼参り。表には出てこない秘密の貿易、ダイエットあるいはストレス解消に役立つ魔法の薬の販売。素直に受け入れない相手には、ちょっとした実力行使を用いて言い含める。  鉄砲玉を務めるのは馬原で、俺はもっぱら後方支援を好んだ。どうしても出ていく時は熊田の子飼いを引き連れて、数の力で相手を威圧することを忘れなかった。  もちろん、時には同業者と仲良くすることも必要だ。お互いが紳士協定によって暴発を押さえこんでいるのだと警察に信じこませ、裏から金の力をちらつかせる。奴らが究極的に守ろうとしているのは治安じゃない、秩序だ。混沌を嫌うのなら説得もたやすい。  こうして俺は熊田からの信頼を高めていった。同時に熊田の健康状態は徐々に悪化し、俺が熊田一家の跡継ぎに指名されたころには風前の灯火と言っていい状況だった。  もともと酒も煙草も大いに好む性格で、暴飲暴食を常としている男だった。どんなに頑健な人間でも、長年の無理がたたって急に命を落とすことは充分に考えられる。  俺はただ、ほんの少しその後押しをしてやったにすぎない。医療機関でも発見が困難な、ごく微量の毒物を百日単位、千日単位でターゲットに摂取させる。気づく奴などいるはずがない。なぜならそうやって、俺は今まで無事にやりおおせてきたのだから―― 「……ありがとう、鹿嶋。おやっさんの最期が立派だったってこと、よくわかったよ」  熊田の闘病ぶりについて話し終えると、馬原は泣きそうな顔で、かろうじて笑みを浮かべながら何度も首を縦に振った。  この過剰な仕草を含め、俺は馬原のことがどうも嫌いになれない。こんな愚か者であっても、今まで俺のために一生懸命働いてくれたのだ。  ひとたびトップとして組織を率いる立場となったからには、これまで以上に取り立ててやらなければならないだろう。馬原の肩に手を置き、穏やかな声色を出す。 「泣くな、馬原。これからのことを考えろ。おやっさんの思いを俺たちで継いでいくんだ。お前のことは頼りにしてる。きっとうまくやっていけるさ。俺たち、似た者同士だろ」  馬原が顔を上げた。満面の笑みに涙を流しながら、意を決したように進んでくる。地面のセミを踏みつぶす音がした直後、俺の額には一丁の拳銃が突きつけられていた。  ポケットにずっと入っていたからか、銃口は弾が放たれる前からほのかに熱かった。真夏の太陽のようだ。クマゼミの大合唱が遠ざかっていく。 「ああ、そうだな。俺たち、本当によく似てる。おかげでおやっさんが手遅れになるまで気づかなかった。お前の企みを見抜けなかった。まったくとんでもない――」
   銃声。
  「馬鹿野郎共だ」
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   久しぶりに挑戦してみました。やっぱり難しい……  実際に書くのにかけたのは、三時間くらいです。  
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