Re: 即興三語小説 -「猛暑日」「ミンクオイル」「フリーマーケット」 ( No.2 ) |
- 日時: 2015/08/02 15:32
- 名前: 時雨ノ宮 蜉蝣丸 ID:55TGtYPg
ませた中学生の女の子が主人公です。
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「落とし物」 かけられた声に、私は振り返った。連続する猛暑日に辟易としながら、ようやく『今日が終わった』と塾からの帰り道を急いでいる時だった。 今まで何回となく近道のために商店街の脇道へ踏み込んできた私が、その違和感に気づけないはずはなかったけれど、この時は呼び止められるまで、それに疑問を抱くどころか視認さえできていなかった。 それくらい『それ』は、突如として私の五感に割り込んできた。 「落とし物」 同じ調子で声は繰り返した。聖歌隊のようによく通るそれに、私は足を止めた。 声の主は男だった。二十代半ばくらいか。カンカン帽を被り、縞模様の浴衣を着、煙管を手にひっくり返したビールケースに腰掛けている。その周囲にはゴザが敷かれ、時計や箱や皿など、まったく統一感のない物達がわかりやすく並べられていた。 「……これ、嬢ちゃんのモンやろ」 そう彼が示す地面には、ピンクのハンカチが落ちていた。白いレースのあしらわれた、実に女の子らしいデザインのハンカチ。 「……なんで、あたしのだって?」 「そら、落ちるとこ見とったから」 おかしなことを訊く娘やなぁ、彼は笑って肩をすくめた。口の端から八重歯が覗いて、ちょっとだけ彼を幼く見せた。 「拾ってくれないの?」 「俺が拾うより嬢ちゃんが拾う方が早いやろ」 「そう?」 「あと、俺みたいな不審者が拾って渡しても、嬢ちゃん受け取ってくれなさそーやし」 「よくわかってるじゃない」 私はハンカチを拾って仕舞い、「じゃあね」と立ち去ろうとした。
「ちょお待ち」 「何?」 「せっかくやし、なんか見て行かへん?」 「急いでるの」 「まあまあ、ちょっとだけ。買わんでもええから。……買ってもらえるとも思ってへんし」 「……?」 彼の妙な言い方が引っかかったが、「怪しいフリーマーケット男の売り物なんて」「怪しくて結構や。あとこれみんな新品やからな、古市と一緒くたにせんといて」「絶対買わないわよ」「せやから買わんでええって言うてるやん。見てもらえるだけで、俺は幸せやねん」と、最後の一言に押される形で私はそこにしゃがみ込んだ。 白地に青い花の描かれた陶器の皿。木製の四角い鳥籠。対で箱に入れられた切り子のグラス。 「……『ミンクオイル』?」 「靴磨きとかに使うんや」 「あれは?」 「ポストカードのセットやね。見る?」 確かにお洒落な食器や雑貨など、嫌いではないが、特別に興味を抱くようなものではなかった。 「ありゃ、あんまりお気に召さんかったみたいやね」 「だってありふれたものばかりで」 「うーん。じゃあこんなのは?」 彼はビールケースの裏から、旅行鞄のようなものを取り出した。あれは、柳行李とかいうやつだったかな。 両側をつまんで、ぱっと広げられた鞄の中身は、一着のドレスだった。 「女の子はこういうの、好きやろ」 水色の繻子に、白いフリルやレースやパールがあしらわれた逸品で、蜉蝣の翅のようなベールが街灯に反射してきらきらと輝いていた。月光みたいだ、と思った。 「綺麗やろ」 「そうね。……でも、あたしの日常生活には無用の長物だわ」 「今の子は夢がないな-。そないなこと言うてたら、王子様のお迎えが来てもすれ違ってまうで」 「何よそれ。非現実的」 私が鼻で笑うと彼は、呆れ半分、哀れみ半分な微笑を浮かべた。「はは……ひどいなぁ」
「夢とか見ぃひんの、嬢ちゃん」 「見るけど所詮夢でしょ。割り切れないほど子供じゃないわ」 「寂しくない?」 「……寂しい……?」 「夢は夢。王子様は非現実。じゃあ嬢ちゃんは、何を胸にこの世を歩いてるの?」 何を胸に、私が歩いているか? そんなの、 「決まってるわ。私立の高校に受かって、いい大学を出て、一流商社に就職して、そうすれば素敵な人生が待っているわ」 「……それ、本当の話?」 「当たり前じゃない。成功者が不幸なわけない」 「…………成功者、なぁ」 煙管を唇に当てて、彼は呟いた。 「俺みたいな奴が言うのもアレやけど。人生の正解とか、俺は知らんけど、嬢ちゃんが言うような人が、世に言う本物の成功者なんやとしたら、俺は成功者なんかにゃなりたくないなぁ」 「そんなの逃げるための口実でしょ」 「うん、頑張ってる人からしたら、逃げてるようにしか見えへん。でも、……例えば、やで」
「人生に一回だけ、本物の夢を見られる機会があって、本物の王子様が迎えに来てくれるとしても、嬢ちゃんはそれを全部、成功するために蹴飛ばしてしまうの?」
「……本物の夢なんて、どこにも無いわ」 私が告げると、彼の目がほんの少し光った。 「……んー、そうか」 ごそごそと旅行鞄をまさぐる。何を探しているのだろう……やがて彼は、四角い木箱を突き出してきた。 「何よ、これ」
「これは、遠い異国の俺の友達が作ったモンや。俺が扱う品の中で、一番価値のある品。世界中探しても、同じものは二つとしてない。開けられるのは、人生に一回きり。一度見たら、生まれ変わるまで見られない。で、や」 彼は何を言っているのだろう。箱は金属の留め金がされていて、蓋にはずいぶん荒っぽく「Genuine foam」と彫られていた。 「今の嬢ちゃんにとって、一番不必要でマイナスにしかならない代物や」 「ならどうして、それをあたしに差し出してるのよ」 「嬢ちゃんがこれを開ける価値があるのは、今だけやからや」 ……?
「開けて」 彼ははっきりと、そう言った。 「ただの木箱を開ける気持ちで。開けて」 ――私は、指を留め金にかけた。なぜ彼に従う気になったのか、あとで考えてもわからなかった。
「……ただのオルゴールじゃない」 箱からこぼれる音色に、私はわかりやすく溜め息をついてみせた。 あれだけ煽っておいて、結果はありふれすぎてつまらないものだった。何の変哲も無い、薄い鉄の板を弾く音。 「安いわね」 「本当に安いかどうか、ちゃんと見てみ」
「 え 、」 パキンと一際高い音が鳴ったかと思えば、周りの景色が一変していた。 ――オレンジ色の明かりが、大理石の床を照らしていた。その床の上を、滑るようにたくさんの人が、色とりどりの衣装を煌めかせて動き回っていた。陽気な管弦楽が鳴り、楽しげなお喋りやグラスの揺れる音が合間に聞こえていた。 なんだ、これは。 私はなぜ、こんなところにいるのか。 呆然としていると、誰かに話しかけられた。 「踊らないのですか」 「え」 「踊らないのであれば、避けた方がいいですよ」 話しかけてきた相手は、白いタキシードに身を包んだ青年だった。金色の髪に、エメラルドグリーンの瞳が特徴的な、ハッとするほどの美青年が、私の顔を覗き込んでいた。 「……ここ、は」 「夢中になっている間は、向こうもこちらを避けてはくれませんから」 「あたし……どうして」 「おっと」 サッ、と青年が私を引き寄せた直後、緑色のドレスがそこを横切っていった。その時ようやく私は、自分が立っている場所が、どこかのお屋敷の大広間で、今がダンスパーティの真っ最中であることに気がついた。 ……なぜ。 私はダンスパーティの真ん中にいるのだろうか。 なぜ。だって、私はつい先ほどまで、見慣れた商店街の脇道で、不可思議な露天商の男と話をしていたはずだ。 こんなところを訪れた記憶は無い。ダンスパーティに招待される理由も無い。 一体、何があって私はここに……。
「あの、本当に大丈夫ですか」 青年の瞳が不安げな色をしているのに気づいて、私は慌てて「……ええ、ごめんなさい」 「……気分が優れないのであれば、誰かを呼びますが」 「いいえ。ありがとう。……あたし、踊れないの。だからもう帰るわ」 何にしても、もとの場所に帰ることが先決だ。私は青年に短く挨拶をし、彼の返事も待たないで踵を返した。 いつの間に変化していたのは場所だけではないようで、私は塾帰りの制服姿だったのが白いドレスを纏っていた。足下もスニーカーではなく、銀色の見たこともない靴である。 慣れない服装に靴。思い通りに動けないまま、それでも無理に人を掻き分けていくと、ある年配の夫人とぶつかった拍子に、彼女の持っていたグラスが傾いてワインがこぼれてしまった。 ワインは私の白いドレスに鮮やかに跡をつけて、瞬く間に染み込んでいった。 「ごめんなさい、怪我はないですか」 「ええ……ワタシはいいけれど……貴女、ドレスが……」 その時背後から「すみません、通していただけますか」と声がした。振り返ると例の美青年が、人々の合間を縫ってやってくるところだった。 「……追いかけてこなくたって、いいのに」 「いいえ。……それより」 彼は私のドレスに目をやって、すぐさま通りがかった燕尾服を捕まえた。何かを囁き、軽く頷く。 「……行きましょう」 「……どこへ?」 「私の知り合いが、控えのドレスを何着か持っているので、貸してくれるよう頼みました」 青年に手を引かれ、私は客室らしい一室に案内された。「外で待っているから」と彼が扉を閉め、一人きりになり、用意されていたドレスを見た私は、あっと声を上げた。
ここへ来る前、露天商の男が見せてくれた、あの青いドレスがそこにあった。 水色の繻子に、白いフリルやレースやパールがあしらわれた逸品。蜉蝣の翅のようなベールは、窓から差し込む本物の月光に淡く輝いていた。 なんの冗談か。 部屋を見渡すも、露天商の男はおろか私以外、誰もいはしなかった。 「…………しょうがないわ」 半ば自分に言い聞かせるように呟き、ドレスに袖を通すと、あっという間に肌に馴染んだので驚いた。まるで昔から、何回も何回も着ていたかのような、自分のものであったかのような感覚……。 そんなはずはないのだが、あまりにもピッタリすぎて、そう思えてしまった。 部屋を出ると、私を待っていた青年が開口一番、「驚きました」 「一瞬、誰だかわかりませんでした」 「褒め言葉で正解かしら、それ」 「もちろんです」 にこりと笑う顔は、今まで私が見てきたどんな笑顔より美しかった。つられて私も笑った、自然と頬が上気してくるのが自分でもわかった。 だからふと浮かんだ露天商の男の、どこか切なく幼い笑顔に、胸が「きゅう」と鳴いたことが、少し不思議だった。
「せっかくですから、一曲だけでも踊っていきませんか」 広間へ続く廊下で、青年がそんなことを言ってきた。 「あたし、踊れないの」 「大丈夫です。私に合わせて動けば」 「でも、足踏んじゃうかもしれないわよ」 「貴女になら平気です」 どう返事をしようか考えているうちに、私達は広間へ戻ってきていた。相変わらず、色とりどりの裾が花びらのように舞い踊り、管弦楽の暖かな音が空間に満ちていた。 「ほら、踊りましょう」 「……どうなっても知らないわよ」 一言だけ前置きをし、私は青年の手に自分の手を重ねた。彼はそれをしっかり握ると、小さく微笑んでみせた。 次の瞬間、まるで氷が滑り出すように、私達は踊りの中へ踏み込んでいた。 打って変わって、銀の靴は素直に私の足を運んだ。さっきあれだけ悪戦苦闘したというのに、今は青年の踏むステップに合わせて次のステップへ導いてくれている。ワルツだ。豪奢な音色の三拍子が、大広間に木霊していた。 「上手じゃないですか」 「今に転ぶわ」 「いいえ。私が受け止めますから、転びはしません」 私の捻くれた言葉に笑顔で応えながら、青年は鮮やかに群衆をすり抜けていった。そのたびに、水色の裾が翻って、翅のベールが煌めいた。 「美しいですよ」 「ドレスが、でしょ」 「貴女が着ているから美しく映るのです」 「お上手」 曲調が変わった。また別の種類のワルツだ。私はお世辞にも、音楽に明るいとはいえない。自分が踊っている曲が何という題名の曲なのかもわからない。 それでも、いいように思えた。楽しかったからだ。どこかもわからないお屋敷の大広間で、誰かも知らない青年と、何というのかもわからないワルツを踊っていることが、奇妙なくらい楽しかった。 「貴女は、」 踊りの傍ら、青年が訊ねてきた。 「どちらからいらしたのですか」 「……きっと、遠い場所からよ」 「貴女のいた場所ならば、さぞ素敵な国なのでしょうね」 「素敵なんかじゃ……」 言いかけて思い出す。あの露天商の男に自分が「素敵な人生」について説いたことを。 私が自信満々に言い切った時の、彼の顔がどうであったか…… 「……あたしは、自分のことも含めて、何かを素敵だって思ったことが無いから」 なぜ私は、あれを「素敵な人生」と捉えていたのだろうか。 「わからないのよ」 「……哀しいですか」 「…………『哀しい』……?」 これは哀しみで合っているのか。別の感情のようで、同じ色味のようでもあって…… 「わからない。……わからないことが、哀しいのかさえわからない……」 「……」 青年が笑ったのがわかった。相変わらず綺麗だったけれど、もう私の頬は染まりはしなかった。
あれからしばらく踊って、私が疲れたことを察したらしい青年は、私を外へ連れ出してくれた。しかし、すぐに誰かから呼ばれて、私に挨拶をして中へ戻っていった。 「急いで戻りますから」 残された私は、することも無いので庭を散歩してみることにした。 空は雲一つ無い快晴で、満月が高く鮮やかに上っていた。星は見えない。照らし出された庭は、さすが豪邸とでも言うべきか、よく手入れされた植え込みや噴水が、青白く光っていた。 一歩を踏み出すたび、柔らかな芝生が足を受け止め、銀の靴に月光が反射した。涼やかな夜風が、火照った体に心地よい。 バラ園へやってくる頃には、すっかり体は冷めきっていて、むしろ肌寒く感じるほどだった。私はドレスを枝や棘に引っかけないようにしながら、園の中心にあるガゼボを目指した。 石でできたベンチは、腰掛けるとひんやり冷たかった。あの青年がいつ戻ってくるかわからないが、少しならここで休憩していってもいいだろう。 周りに人影は見当たらず、風に乗って管弦楽の音が漂ってきていた。自分だけが取り残されているかのような感覚が、何だか恐ろしくて、私はベンチに深く腰掛け、逃げるように目を閉じてみたりした。
「無防備ですねぇ、危ない」 ――突如として降ってきた声に、私は弾かれたように瞼を開けた。 いつの間にか、本当に眠ってしまっていた。どのくらい経っているのか、まだ向こうの方から音が聞こえているから、パーティは終わっていないようだ、と、とりあえず受け取ることにした。 私の前に立っていたのは、髪を後ろへ撫でつけた、燕尾服の若い男だった。「誰、」と訊きかけて、私がドレスを汚した際に青年に捕まえられたあの燕尾服であると気づき、慌てて言葉を変えた。 「……何か、ご用かしら」 「ええ。もちろん。ですがその前に……」 男がニヤリとしたので、私はギクッと身を硬くした。「ああ、勘違いしないでくださいな」 「そうではなく……」
「……えらい他人行儀やなぁ、と思いまして」 「………………え?」
くしゃりと前髪を下ろした男を見て、私はまたしても驚いた。 「……あなた、」 「どうや、『本物の泡沫(Genuine foam)』の味は」 露天商の“彼”は、私の反応を楽しげに眺めて言った。 「ずいぶん夢中になってたみたいやったけど」 「…………安っぽい仕掛けで溢れてたわ」 「最高級の間違いやないの」 クスクス、という笑い声に、私はカッと顔が熱くなるのを感じた。「何よそれ」「何って、まんまの意味やん」同時に、自分がカッとなった理由がわからなくて混乱した。 「……あたし、なんでこんなところにいるのか……わからなくて。びっくりした、けど、……あの人は……あたし、ドレスが……あの人と踊って、上手って……でも、あ、たし……は」 大広間。知らないワルツ。優しい青年。 月光色のドレス。銀の靴。三拍子。微笑み。 「……これは、……」 「ちょっと落ち着こうか」 跪いた彼が、白いハンカチを差し出してきたことで、私は初めてその時自分が涙を流していることを知った。 なんで私は涙なんか……。 彼は静かな声で、私に言った。 「……ダンスは、楽しかった?」 「…………ええ」 「いい人に、会った?」 「……凄く、素敵な人だったわ」 躊躇いなく私は「素敵」という表現を口にしていた。そうだ。あの青年は、私が出会ったどの男性より輝いていた。 まるで――『絵本の中の王子様』みたいで……。 「夢みたいやった?」 「ええ………………あ、」 頷いて、私はハッとした。彼の目が光った。「せや。夢や」
「嬢ちゃんが開けたあの箱、あれは人に『本物の夢』を見せる箱や。 嬢ちゃんみたいな人にとっては、迷惑にしかならんパンドラの箱」
「本物の夢……」 私が、所詮と位置づけたもの。どこにもない、と蹴飛ばしていたもの。 それが今さっきまで、確かな感触をもって、すぐそこに在ったのだ。 気づいてしまえばそれでお終いの、ほんの一時。 「……これは、夢なのね」 ようやく口から出たのは、ありふれた確認の言葉だった。
「ずいぶん残酷なことをするのね」 「嬢ちゃんほどとちゃうで」 「嫌われるわ、こんなこと」 「でも、楽しかったやろ」 「楽しければなんでも許されるほど、世界は安直じゃないのよ」 むしろ楽しいことほど、桎梏に潰されていきやすいの。「……残念な世界やね」「かもね」 「ところで嬢ちゃん、ダンス上手いんやねぇ」 「見てたの? ……まぐれよ、あんなの……」 「俺も相手してほしいなぁ。今」 不意すぎる申し出に、私は「は?」と聞き返していた。 「せっかくやし」 「……冗談でしょ……」 溜め息が漏れた。「みんなそろって『せっかく』って」「俺とあいつとしか言うてへんで」
「お願いします」 彼が手を差し出した。すると図ったように、聞こえていた管弦楽の曲が変わった。 奇しくもそれは、私とあの青年が最初に踊ったのと同じワルツで、私は小さく返事をした。 「……どうなっても、知らないわよ」
私達は、月明かりのもとバラ園で踊った。手を取り合って、お互いのことだけを見て。 「どこの御伽噺かしら、こんなの」 「『王子様と踊ったあとに怪しい露天商とも踊る』お話?」 「どこにも無いわね、そんなおかしな御伽噺」 誰もいないにも関わらず、お互いだけに聞こえるような声で話した。彼は下を向いて、私は上を向いて。 「あなたほど酷い人、あたし知らないわ」 「俺も嬢ちゃんほど、はっきり物を言う娘初めてや」 「要らないって、迷惑ってわかってて、本物の夢だなんて。だから夢は嫌い」 「現実は放っといても現実やん。やのに、わざわざ現実的に物事考えるとかもったいなくない?」 「現実を夢で乗り越えるなんて芸当、天才でもなきゃ無理よ」 銀の靴が芝生を蹴る。水色の裾が、翅のベールが翻る。 それに、と私は続けた。 「本物の夢ってことは、決して現実にはなり得ないってことでしょ。必ず覚める時が来るんでしょ。大広間の灯も、優しい美青年も、ワルツの音も、あなたとこうして踊っていることも全部――」
御伽噺は、十二時の鐘でいとも容易く、終わってしまうのが常だ。 「夢を見ないことは寂しいのかもしれない。けれど、素敵な夢が覚めてしまった時も、同じくらい寂しいのよ」
彼の足が止まった。私もつられて止まる。彼の手が私の髪を梳いて、そっと額に唇が寄せられた。 「……王子様のキスと違うから、ダメやな。きっと」 微笑みを浮かべて、彼は呟いた。今まで私が見てきたどんな笑顔より、哀しくて優しい笑顔だった。 私は両手を伸ばして、彼の頬に触れた。夜風に晒され、少し冷たいそれを包む。ほんの少し背伸びをして、私は今にも泣きそうな彼の睫毛にキスをした。 「お姫様のじゃないから、嬉しくないでしょうけど」
「そろそろお終いなんじゃないの。お別れの挨拶と思って、受け取って頂戴」 「…………ひどいお嬢ちゃんやで、ホンマ……」
彼がこぼした直後、ワルツの演奏がやんだ。代わりに、甲高い金属の音が響き渡った。 『パキン』 鐘の音ではない。 私が夢を見る寸前に聞いたのと同じ音が、だんだんと近づいてきていた。 「夢の終わり、ね」 それに伴い、周囲の景色も歪んでいった。バラも空も月も皆、ひび割れて、霞んで消えた。 「楽しかったやろ」 彼が言った。私は、 「二度と見たくないわね」 と応え、早口で「楽しくは、あったけど」とつけ加えた。 『パキン』
「さようなら、夢売りの人。素敵な夢だったわ」
「さようなら、現実のお嬢さん。よい夢を」
『パキン』 そしてすべてが、砕けて覚めた。
*
「王子様なんて、いやしないわ」 夢からさめてしばらく、私はあの脇道を使わなかった。 二度とあの、露天商の彼に会いたくなかったから。楽しくて美しい、本物の夢を思い出したくなかったから。 あれ以来、私の日常を見る目が変わった。 視界に映る物が、妙に鮮やかで、はっきり輪郭を持つようになったのだ。眩しかったり、痛かったり、些細なことにも意味を見つけようとするようにもなった。
――ひどく不便だと感じた。 不便で、不要で、嫌になるくらい、 「……素敵に思える日ができたの」
昨日も、夢を見た。 遠い異国のオルゴール職人が、小箱に心からの『想い』を込める夢。 曲は、どこかで聞いたような、ワルツ。 箱に刻まれた言葉は、
『 No such awoke not a dream.
To all the people who have forgotten the dream, with love. 』
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8500字くらいで、二、三日かかりました。プロットはさっくり立てた程度。 久しぶりの投稿ですが、全然お題関係なくなりました。
夢売りさんの喋りは「関西弁?」がコンセプト。 乙女チックな幻想小説を目指して後半迷走してますが自覚しているので許してください。
目を通して下さった方、ありがとうございました。
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