Re: 即興三語小説 ―今週は連休につき締め切りが違いますので、お気を付けください- ( No.2 ) |
- 日時: 2014/11/01 00:51
- 名前: 時雨ノ宮 蜉蝣丸 ID:usURhF0E
「何故人が死にたがるのかということに疑問を持つのは人だけだ」 使い古されたスツールの上で、彼ははっきりと言い切った。 「これは人が、原罪というか、僕はクリスチャンでもないしそもそも神など信じちゃいないが(言葉として)、生まれた時からすでにあった一族の数え切れない罪、あるいは理性など他の種族にはない特別なものを得たことへの代償を、常に持たされ続ける運命にあるからだと思う」 そう言って、大きな欠伸を一つする。どんな話をしていても、彼は必ず会話中に一度は欠伸をする。 「つまり人が何故死にたがるのかということは、何故人が生きていたがるのかということ同様、考えるに値しない愚かしき行為でしかない」 お店の大将が差し出してくれた水を、彼は「気が利くね」と呟いて飲み始めた。 私は醤油ラーメンの上に大量に乗っけてもらった白髪ネギを、スープに浸して麺と一緒に口に運びながら、彼が次に何を言うかと待っていた。 行きつけのラーメン屋で、こうして彼の独白のような話を聞くようになったのはいつからだろう。彼は決まって私の隣にやってきて、小難しい話を残していく。大将はラーメンも餃子も注文せず水だけ飲んで帰っていく彼に何も言わないし、他のお客さんも普通に「ああ、またお前か」程度にしか彼を見ないけれど、少なくとも私はそれを“変”だと思っている。 理由は至極単純明快。 「フィロソフィというのは、人間に与えられた理性の代償であり、生きているうちに無意識にこなしている苦行の一種だ。だが大抵の人間は、そのことに気づかず過ごしている。気づかないのは、神の慈悲ってやつだ。考えればわかる、一生『自分が生きている理由』についての果て無き自問自答に苛まれることが、どれほど辛く耐えがたいことであるか。しかもそいつは一度気づいたら以後、半永久的につきまとってくる。たとえ凡才で集団社会の螺子一本でしかなかったとしても、自分の価値に疑問を抱かなければそこそこ満ち足りて生きていけるのだ。天才や秀才の言うフィロソフィは崇高なものとして皆に注目され、時にそれだけで食べていくこともできる。一番不幸で最悪なのは、何の才も無い凡人がそれに気づき、螺子としての働きに疑問を持ってしまった時だ。二度と元通りには動けないうえ、元通りに動かなければ食べていくことはきっとできない。周囲への迷惑も伴う。きみの食べているラーメンの麺の一本が、麺としての業務を放棄して逃げ出し、つられて他の麺も逃げていったら、きみの丼はたちまち空になってしまうだろう?」 私は音を立ててラーメンを啜りながら頷いた。魚介ベースのあっさりしたスープの香りが鼻に抜けた。 「世の中もラーメンも、基本的な仕組みは同じだ。少し違うのは、ラーメンの具達は皆、自分の存在を疑問視せず、またホームの彼方に見える電車に轢き潰されようとしたりもしないことだ」 彼はぐるりとスツールを回して、カウンターの反対側の梁に置かれたブラウン管テレビを見た。画面には先日の野球の試合模様が映されていて、審判がストライクと叫んでいた。 私の左隣で昼間からビールを飲んでいるおじさんの手にも、同じ試合のことが載った新聞があった。一面に「十年ぶりのリーグ優勝! エースの再来!!」と文字が書かれている。「彼を螺子と呼ぶのは、少々違うと感じるやもしれないが」彼は言う。 「きみが僕の一生という演劇のエキストラでない保証はないし、逆に僕がきみの一生という劇の舞台装置でない可能性も否定しきれない」 選手が腕を振り、勢いよくボールがミットに吸い込まれた。ストライクの声。三振、割れんばかりの歓声。 「彼も螺子なのだ。数多のうちの、少しばかり秀でた幸運な螺子でしかないのだ」 言葉を、紫煙のように吐き出す。こういう時の彼は、ひどく小さくて悲しい目をしていると、私は勝手に感じている。 「自覚するというのは、いつの時代も残酷な結論しか導いてはくれない」 注文していた野菜餃子を私が受け取ると同時に、彼は言った。 「自分がどのように存在していたのか、自覚することを人は極端に嫌う。自分のやらかした失敗や、嫌な経験が中心となって記憶は構成されやすいから、あるいは過去の幸福と現在の不幸とを比べてしまうからだ。そして、何故あの幸せを最後として逝かなかったのか、泥沼を這いずり回ってまでここに来た意味が本当にあったのかと、再び自問自答を始めてしまう。理性の代償を、己が心の傷で支払い出す」 もちろん無意識に、だ。テレビが背後で騒いでいる。 「気づけないのは、ある種の幸福だ。そのことに気づけばその者は、即刻終わりなき“生”の蟻地獄に囚われ、忘れることもままならなくなる」 生き地獄などと人は言うが、人にとっての本当のそれは、“生きられない”まま呼吸をして、形だけの生存を貫かなければならないことではないのか? 彼は冷たく歯を見せて、歪んだ笑みのようなものを私に向けた。 「魯鈍なきみにはわかるまい。人の子、意思を忘れた社会の傀儡娘」 私は怒ったり反論したりはせずに、ただ「わからない方が、幸せ」とだけ返した。 「そうさ。わからない方がいいことも、この世には五万とある」 彼は軽く頷き、残っていた水を飲み干した。「餃子食べる?」「気持ちだけ頂こう」話し終えると彼はいつも、少しだけ柔らかな顔をする。 「僕らに人の食べ物は、少々荷が重すぎるからね」 「おや、ソクラテス。もう帰るのかい?」 大将がカウンターの奥から声をかけた。スツールから飛び降りようとしていた彼――“ソクラテス”と呼ばれ、商店街の皆から可愛がられている一匹の雄猫は、少しだけ振り向いて「にゃあ」ではなく「ご馳走様」と言った。 「まだいればいいのに。ここで昼寝して行けば?」 「今夜集会なんだけど、ここは夕方頃からやかましくなる。古書屋の屋根なら、正午も夕方も夜もずっと静かだ」 話を聞いてくれてありがとう、明日も来るのか? ええ、来るわ。……次は味噌ラーメン。 小さく手を振ると、ソクラテスは灰色の尻尾を揺らしながら店を出、やがてどこかへ去っていった。
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プロット無し、思いつきと持論の無法地帯。 猫の名前はソクラテスかアリストテレスか、迷いました。 意味わかんないとか言われそう……よろしくお願いします。
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