【マスターキー】【ピアノ】【猫パンチ】 ( No.2 ) |
- 日時: 2014/08/17 19:03
- 名前: お ID:Hx5005iU
真夜中の校舎は、涼しいとは言えない気候であっても、どこかひんやりとした空気。 廊下に並ぶ窓から見える夜は、昏く、広く、遠く、深い海の底にでも沈み込んだかのように、この校舎を世界から隔絶し、幽閉しているような……、 そんな感慨に浸っているのだろうなぁと思わせる大柄な少年。縦よりも横に広い体躯、その割りにぶよぶよした感じはなく、無駄にがっしりとしている。ガンタンクみたいだ。 大きな顔の真ん中にある二つの口ほどにも大きな鼻の穴をぷくぷくと膨らませ、偉そうに腕組みをし、遠くを見る眼差しで窓の向こうの夜を見ている。 相変わらず自分に浸ってるなぁと思いつつ、春日野佳人は声を掛ける。 「やあ、待ったかい」 「いや、そうでもない。例の物は?」 と振り向いた彼、佳人と同級生の水垣静流。おにぎり侍を彷彿とさせる容貌は、ただただひたすらに暑苦しい。刈り込んだ尖り頭に、ふくよかな頬。海苔を貼り付けたような眉、穴だけが大きすぎる鼻。目付きが悪く、口元が歪んで、周囲を小馬鹿にしているようにも見える。むさ苦しく弛んだ身体。涼しげな名前が泣いている。 「例の物って、これのこと?」 ポケットからじゃらりと取り出したのは、長い鎖の付いた大きめの鍵。 「【マスターキー】か、良くそんな物借りられたな」 「そこは、ま、人徳かな」 「ふん」 面白くもなさそうに鼻息を吹き出す静流。 歩き始める静流に合わせて、佳人も深夜の廊下を歩く。 「で、音楽室に何があるわけ?」 体よく使いぱしりに出されたにも関わらず、佳人は静流からその用向きを聞いていない。 「【ピアノ】が鳴り出す」 対して静流は、どうでも良いだろうと言いたげに素っ気ない返事。 「それはまた、ベタな怪談話だね」 「まあな」 「それで、何をしに行くの。怪談の謎を暴きに?」 「そんなところだ」 さらりと認める静流。佳人は、やれやれと肩をすくめ、 「相変わらず、物好きだね」 と冷やかす。 「身分は学生だが、心は探偵だからな」 静流は分かったような分からないような言い分を自信満々に言い放つ。 「探偵なんだ」 感情の籠もらない声で相槌を打つ佳人。静流の鼻の穴がぷくぷくしている時は、あまり逆らわなない方が良い。ぐずぐずと面倒臭いことこの上ないのだ。 「それはそうと、なぜ、僕を誘ったのさ」 「お前は教師受けが良い」 なるほど。何かあっても緩衝材になりうると。 「ちなみに、お前の本命は、生物の相沢か、英語の友部か、体育の吉沢か、どれなんだ」 鋭い眼光で問い質す静流。 「なんのことやら」 飄々とした笑みを崩さず受け流す佳人。 「まあ、良いがな」 元々大した興味もないものか、静流はキャラにもなくあっさり引き下がる。 「オレも大概悪辣キャラ扱いされるが、お前には到底敵わんな」 「まさかの謙遜だね」 「よく言う」 話しはそこまでと言わんばかりに、大仰な素振りで手を振り、静流は廊下の少し先に見えてきた教室表示を指す。 「話しでは、午前零時十七分四十八秒にピアノの音が聞こえ始める」 「また随分と細かいね」 「几帳面なんだろ」 時間にうるさい怪異とかどうなんだろう。時間に遅れると小言を食らったりしてね。佳人は自分の想像にくすりと笑う。 それを見咎めた静流が怪訝に眉を顰める。 それにしてもと佳人は思う。話しが妙に漫画チックで、出来の悪いラノベの導入のようだ。 「ねぇ、騙されてないかい」 当人が「悪辣キャラ扱いされる」と言うように、その性格上、至る所で恨みを買っている。彼のことを口汚く罵る顔なんて、ぱっと思い浮かべただけでも両手に余る。その中には生徒に留まらず教員の顔すら含まれる。ある意味、凄いなとも思う。 「それもあり得るだろうな」 しれっと応える静流。 「備えは常にしている」 とポケットから取り出したのは黒い塊。電気シェーバーのようなフォルムだが、遙かに物騒な物。 「まさか、それって」 「見た通り、スタンガンだ。護身用としては定番だろう。殺傷力は低いが、相手をビビらせるくらいなら充分役に立つ」 そもそも護身用に殺傷力はいらないだろうという突っ込みは控える。言ったところでどうせ意にも介さない。 とりあえず鍵を差し込み、廻してみる。 カチャ 少しだけ力を掛けると、開いた。鍵は閉まっていたようだ。 どうする? と目で問うと、静流は首を横に振る。ピアノの音がするまで待つつもりだろう。あと数秒。静流が音楽室の扉を正面に睨み、スタンガンを構えたところで、音が鳴り出す。 「ショパン……かな?」 「曲名なんてどうでも良い。どうせはオレはクラシックに詳しくない」 佳人は軽く肩をすくめる。クラシックに精通しないのはお互い様だ。 「開けてくれ」 巻き添えはまっぴらだからと、横スライド式の扉の端に立ち、一つ、肯く。 ガラッ 一気に扉を開ける。変にゆっくり開けるよりはアドバンテージを得られるだろう。待ち伏せ対策としては、だが。 果たしてそこには…… 「どうしたんだい」 反応のない静流に、佳人が声を掛ける。予想に反して、飛び出してくる誰かもいなければ、電撃に痺れ倒れ込む者もなく、取っ組み合いの乱闘も起こらない。 それどころか、血気盛んな静流が身動ぎ一つせず、表情は…… 「なんだ、これは」 と言ったきり、ぽかんと口を開け、怪訝に歪む眉根、巨大な鼻の穴をぷくぷくさせるのも忘れ呆然としている。 不思議に思い、差し迫って危険もなさそうだと判断し、佳人も音楽室の中を覗き見る。 「これは、また……」 静流が絶句するのも頷ける。これくらいでないと静流を絶句させるには足りないかも知れない。 「オレの眼が腐ってるのか、それとも、オレの気が触れてしまったのか」 「君の気が触れてるのは今に始まったことじゃないだろうに」 何を今さらとばかりの佳人の軽口を、静流はぎろりと一睨みで封じる。 「僕の気が触れてないことは確かだし、僕にも見えているということは、目の錯覚とかじゃないことは確かだね」 「だろうな。オレも至って正気だ。教師相手に三股掛けるようなイカレた精神はしていない」 皮肉には皮肉で返す。 佳人はにやりと笑みを浮かべるが、肯定も否定もしない。 「とすれば、これは何だ」 「宇宙だろ」 静流の問いに、当然というように佳人が応える。 「そう、思うか。確かにそのように見える。が、しかし、科学的にはいろいろおかしい。そもそもなぜ音楽室の中に宇宙がある」 「この扉が宇宙空間のどこか一点に繋がっているとか?」 「それにしてもおかしいだろう」 「まぁ、そうだね。入れるの?」 「お前、入る度胸があるのか」 「探偵は君だろう?」 「そんな設定は忘れたな」 都合が良いなぁと佳人は苦笑を漏らす。 「往生際が悪いよ」 と、佳人は静流の分厚い背中に手を添える。 「おい、お前、何を……」 抗議の声をあげようとする静流に、抵抗する暇も与えず、佳人は静流の背に添えた手に力を込める。 あ、とか、わ、とか言葉にならない声をあげて、静流の上体が水に飛び込むようにつんのめる。 二歩、三歩、踏鞴を踏む静流。扉の桟を越える。 わあぁぁぁ と言う抜けた声を残して落ちていく。正しく急降下、一瞬で目の前から消え、声だけが残響する。どこまでも、どこまでも、落ちていく。 「幻覚の類ではないと」 幻覚なら床を越えて落下することはない。ということは、宇宙かどうかは別として、どこか他の場所と空間的に連結しているのだろうと言う推測が成り立つ。SFチックだろうが、非現実的だろうが、目の前で起こったことを否定できない。 佳人は冷静に分析しながら、これは引き返した方が良いかなと考える。このままそっと扉を閉める。明日になれば元に戻っているかもしれないし、別の犠牲者が出れば、誰かが対応に乗り出すかも知れない。ここで関わり合いになるのは得策ではない……と佳人が結論付けた時、 「なんてことをしやがる」 目の前に静流のおにぎり顔。怒りに青筋が浮き立っている。今にも掴みかからんばかりの形相だが、 「へえ、戻ってこれるんだ」 呑気に応える佳人は、何事もないかのように変わらない笑みを浮かべている。 と、その佳人の腕を静流は掴み、 「お前も来い」 と力ませに引っ張る。 踏鞴を踏む佳人。先の静流と同じく真っ逆さまに落下し、しばらくすると浮上してくる。 「乱暴だなぁ」 そんなに力を入れなくたって、抵抗なんて出来やしないのにと文句を垂れつつ、 「不思議だねぇ、ぷかぷか浮いてるような感覚なのに、同時にちゃんと立っている感覚もある」 と、足を動かして二三歩歩いてみる。床の上を歩くように、普通に歩ける。けれど、身体に掛かる重力の感覚は薄く、やはりどこかふわふわ浮かんでいるような気分が付きまとう。 ふと振り向くと、二人が入ってきたはずの扉がない。 「退路は断たれたか」 不敵に嗤う静流。 やれやれと肩をすくめる佳人。 「こうなれば前に進むしかないか」 「前向きだね」 「仕方なかろう。それとも、お前のせいだと糾弾して殴りかかって欲しいのか」 「暴力反対」 両手を掲げる佳人は、本気ともおどけているともとれる表情。 ぎろりと一睨みした後、歩き始める静流。佳人もそれに続く。 しばらくと言ってもどれくらいなのか良く分からない。時間の感覚が曖昧になっている。小一時間ほど歩いたような気もするし、ほんの十分くらいしか経っていないような気もする。 見渡す限りの冥い闇。遠くに輝く小さな光点は、宇宙に散らばる恒星や、その集まりである銀河なのか。足元もまた闇。底の見えない無限。何かあるとも思われないが、この足は確かに何かを踏みし見ている。 そして、何万光年も離れているだろう星々の他に、初めて、手に触れられる程の距離にある物を見つけた。 宇宙よりも黒いグランドピアノが一台、まるでそれこそが宇宙の中心であるとでも言うように据え置かれている。 二人はその意味の不明さに、呆然とそれを眺め見る。 なぁおぅと鳴いたのは、ピアノの上に一匹の猫。どこにでもいる丸顔の三毛が、手の甲を舐めている。 「良く来たな小僧共」 ぞんざいなその言葉は、鈴を転がすような涼やかでいて耳に心地良い声音で発せられた。 猫が話した? そう思って見ると、猫の姿がだんだん変化して、三毛柄のビキニを着けた美女の姿に変わっていた。耳は顔の横ではなく、頭の上にふさふさの毛が生えた三角耳がある。身体に体毛はなく、人の肌と何も変わらない。つやつやですべすべで、撫で心地が良さそうだ。髭はなく、気の強そうな吊目。ピアノの上でしなだれる姿勢は艶めかしくも、高貴で近寄りがたい雰囲気もある。 「ピアノを弾くが良い。我を満足させられたら、元の場所に返してやろう」 艶めかしく変身した猫女を見て熱り立ったのは、静流。おもむろにピアノを開け、椅子にどかりと座り込む。 「オレは『猫踏んじゃった』が得意なのだ」 横を喜ばすのに適当な曲だとは思えないが、得意というなら任せるのが良いだろう。邪魔にならないよう佳人は一歩下がる。 「その代わり、満足させられたらオレのものになれ!」 唐突に無茶苦茶を言う。静流らしいと言えばそうだが、初対面の猫女に通用するとは思えない。が、 「良かろう。そのピアノは世の真理を詰め込んだ神器。誠に操れる者が顕れたなら、我はその者に仕えるつもりであった」 了承されてしまった。 「さぁ、存分に奏でるが良い」 猫女が煽り立てる。 「おおおおぉ」 喚きながら両手を高く掲げる静流。 ピアノを弾くんだよね? 格闘技始めるわけじゃないよね? この二人、実は似た者同士なんじゃ。 とそこで静流の動きが止まる。 「鍵盤が一つない、これでは曲を弾けんぞ」 見れば、確かに、所々黒を挟みつつ白い鍵盤が綺麗に並ぶ、その真ん中より少し左辺りにぽっかり空白がある。ただそれだけの隙間なのに、永遠の宇宙が内包されるかのように無限の空虚感がそこに感じられた。 「諦めるのかえ」 蔑むような猫女の声。 がっくり項垂れる静流。オレの童貞が……とか呟かなくて良いから。 そこでふと思い出す。あの形、色は白、どこかで見たような? 「これかな?」 ポケットから取り出したのは白い棒状の木材。今の今までピアノの鍵盤とは結びつきもしなかったけど、どうやらそれっぽい。 「おい、それをどこで」 「さっき落っこちた時に、底の方に落ちてたんだ」 底なんてものがあるのか、あったのか定かではないが、拾った物は拾ったのだ。 「なんという都合の良い」 「事実は小説より御都合主義なのさ」 佳人はひょいと肩をすくめる。 「そんな格言は聞いたことがないな」 と猫女に突っ込まれた。 「それは、この神器を動かすためのキー。世界の真理に触れるためのマスターキーよ。それを持ち、妾を心酔させたなら、いつでもその神器を呼び出せよう。むろん、妾をもじゃ」 解説口調の猫女。 俄然、息を吹き返す静流。 「いくぜぇぇえ!」 絶叫いらないし。格闘漫画じゃないし。 けれどその演奏は、気合いの入れようとは相反した、ただただたどたどしい稚拙なものだった。所々つっかえ、流れるようでもなければ、表現力豊かでもなかった。 これはだめかなと猫女を見ると、なぜだか、とろんと目尻を下げ涙をこぼしていた。 「感動した! こんなに素晴らしい演奏は初めて聴いた」 と絶賛の嵐。 耳、腐ってませんか? 「うぉぉぅ」 と勝利の雄叫びを挙げる静流。言うに事欠いて、 「じゃあ、今すぐここでオレとにゃんにゃん」 と飛びかかる。世界の真理よりも、童貞喪失に必死だった。 「痴れ者めが。場を弁えよ」 と、さすがにそこは猫女の繰り出す【猫パンチ】を物の見事に喰らう。脳天を揺さぶられ、目の前に星が散らばり、意識が遠退いて…… 「オレのものになると言ったのに……
*
……というところで目が覚めた」 無念さに表情を歪める静流。 昼休みの体育館裏。裏というと日陰で湿ったイメージだが、ここは陽当たりも良く、かつ程好く教員の目が届かない。立地の良さにも関わらず、人の集まらないところも良い。格好のだべり場所である。 「オレの壮大な想像力が見せた夢だったわけだが」 「そうだね、首尾一貫して夢オチだとしか考えられなかったね」 佳人は苦笑い。三限目四限目ぶっとおしで寝てると思ったら、そんな夢を見ていたのか。 「何か問題でも?」 「いや、別に。君がいかに欲求不満かと言うことが知れたくらいかな、猫に発情するくらいにね」 「失礼だな、夢の中のことだろ」 「夢は心理の表れだろ」 それはそれとしてさ、 「これ、なんだろうね」 とポケットから出したもの。白くて、角張り細長い棒状の物。木製のそれは何か部品のようでもあり…… 「夢じゃなかったのか?」 静流のつぶやき。 「さぁ、どうだろう」 惚ける佳人。 「くれ、オレにくれ」 「さあ、どうしようかな」 「オレの童貞卒業!」 学校を囲う塀の上、猫が悠然と歩き去る。 世はなべて事も無し。
(。・_・)ノ
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