Re: 即興三語小説 ―「全集」「餅」「枕」 ( No.1 ) |
- 日時: 2017/01/08 23:01
- 名前: 寺泊遊月 ID:JiT4iVUg
雨上がり
雨が降っていた。
雨の正月とは憂鬱なものだ。ただでさえ寒くて仕方のない正月にこのような雨に見舞われるとは、吾輩は昨年よほど罰当たりなことをいたしたのであろうか。思い浮かばぬ。しかもこの雨降りに、甥っ子が年始参りにやってくるらしいのだ。
甥っ子の親父──すなわち吾輩の弟──は一緒に来るのだろうか。どちらにせよ、8歳の甥っ子は吾輩からお年玉をかすめ取ろうと目を血走らせてやってくる。これは間違いない。吾輩も生来見栄っ張りなものだから、あの小僧に2千円ばかりは呉れてやらずにはおれぬのである。困った性分に生まれついたものだ。
吾輩は枕から頭を起こし、布団を抜け出た。寒いっ! これでは死んでしまう、と慌ててストーブに火をつける。さてどうしよう。別れた女房が置いていった餅でも焼いて食うか。まだ10時だし、甥っ子めらはそう早くはやって来るまい。
と思っていた矢先、玄関先から甲高い怒鳴り声が響いてきた。
「あけましておめでとうございまぁっす!」
来やがった。まだ11時前で吾輩は餅も食っておらぬというのに。しかもこの雨を突いてやってくるとは油断していた。うむむ、欲の皮が突っ張ったガキ恐るべし。という思いは深く胸の内に封印し、吾輩は甥っ子を出迎えた。
「おーう、坊や。あけましておめでとう」 「本年もよろしくお願いします!」 「うん、よろしく。こんな雨の中よく来たな」 「もうじきやむよ、伯父さん」 「どうして」 「だって伯父さんが僕にお年玉をくれれば晴れるって、お祖父さんが言ってた」
お祖父さん? 吾輩と弟の親父だが、なぜお年玉をこのガキにやれば晴れるのだ? しかも親父は2年前に亡くなっていて、このガキに余計なことを言ったりはできぬはずなのに。
「お祖父さんが初夢に出て来てね、伯父さんからお年玉貰って来いって。そうすれば雨があがって、いい天気になるって」
吾輩は胸の内で毒づいた。生きてる間からいろいろ迷惑なことをしてくれた親父ではあったが、あの世に行ってまで甥っ子に要らぬ知恵を付けたりせんでよいものを。
「お父さんはどうした」 「会社から電話がかかってきて、大急ぎで出てった。僕一人で伯父さんの家に行ってきなさいって」 「ふぅん」
とにかく、追い返すわけにもゆかぬ。「まあ、上がんなさい」と吾輩は言って、座敷に上げた。ご馳走もしてあげられぬが、まあ、黄粉餅でも食わせてやろうか。
焼いた餅を黄粉と砂糖にまぶして、甥っ子に出してやった。吾輩は酒が飲みたかった。熱燗が飲みたい。そして早く温まりたいのだ。 しかし、酒は無い。昨日のうちに全部飲んでしまったので、買ってこなければならぬ。吾輩は財布を開けてみた。
何? 2千円しか入っておらぬではないか! これを甥っ子に呉れてやったら、酒を買う金などない! どうしよう……。
目の前では口の周りを黄粉まみれにした甥っ子が、三個目の餅を食い始めようとしているところだった。
「坊や。お年玉、お金じゃなくてもいいかい?」 「お金じゃないお年玉ってあるの?」 「あるとも! ちょっと重いかもしれないが、とっても坊やのためになるお年玉をあげよう」 「何々?」 「ちょっと待ってなさい」
吾輩は書斎に行き、中里介山全集の中から「大菩薩峠」の第一巻を引き抜いて、餅を食っている甥っ子のところへ戻った。
「これをあげよう」 「本なの? えー? なんだか難しそうな本だなぁ」 「難しいことがあるもんか! 今のうちからこういう本を読んでおけば、絶対に国語で百点が取れるようになる」 「本当?」 「伯父さんが嘘を言うもんか。頑張って読んでみなさい。読み終わったらこの続きもあげる」
現金を当てにしてきた甥っ子は、変な顔をして「大菩薩峠」第一巻を眺めていた。よほど吾輩は変な大人と見られたのだろう。だがそれは間違いではない。吾輩は自他ともに認める、変な大人なのである。
甥っ子は黄粉餅を食い終わった。そして、「大菩薩峠」第一巻を持って、「伯父さんありがとう!」と言って玄関を出て駆けていった。
親父の余計なご託宣通り、雨は上がって太陽が顔をのぞかせていた。そして吾輩の2千円は無事だった。
さてと。酒でも買いに行くとするか。
|
|