Re: 即興三語小説 -「雨だれ」「艦隊」「二十四時」 締切9/11に延長します ( No.1 ) |
- 日時: 2016/09/12 00:27
- 名前: 時雨ノ宮 蜉蝣丸 ID:zfzKzhvA
「何してるの」 九月上旬。近づく台風に雨音が鳴り止まない二十四時。 「見てのとおり」 二三彦(ふみひこ)が襖を開けると、そこは既に嵐の後だった。 「……何してるの」 「調べ物してたら眠くなって寝ちゃってた」 大量に積まれ、並べられた本、本、本。『艦隊の乙女心理学』『アジアの美しい蝶』『空のすべて』『シェイクスピア議論』『英国と紅茶と私』『浮世婆娑羅』……実に統一感のない文字達の中に、ひとりの少女が寝そべっている。 「何を調べてたの」 「えーと、……ココアと珈琲のカフェイン含有量について?」 「…………嘘ね」 「ん、嘘」 ごろりと顔を仰向けて、ニヒルげに唇を歪ませる。ザックリ切られた飴色の髪に、上も下も長い睫毛。病的な白さをした肌は、物置部屋の薄闇でもよく映えていた。 「葉八(はや)、あんまり入り浸るとまた父さんに叱られるよ」 「ふみちゃんのパパじゃないでしょ、葉八のパパよ」 「わかってるよ。旦那様に叱られるの、葉八も嫌だろう」 「嫌。でも」 葉八と呼ばれた少女は、胸に抱いた本をぱっと開いて見せ、 「そういうことを言いに来るふみちゃんのが、もっと嫌い」 「…………」 二三彦が黙ると、満足そうに笑った。
二三彦が実家を出て、二年の間住み込みで働いている老舗の古本屋。 そこの次期三代目は一人娘で、今年高校生になる。 だが学校には行っていない。 家族への挨拶も、三度の飯も放り出して、一日中本を読み散らかしているばかりなのである。 なぜかといえば、
「ねー。ふみちゃん」 「何」 「ふみちゃんって、嘘が下手くそよね」 「……急だな」 シシシ、と子供っぽく歯を出して、「ほんと、下手っていうか」 「内緒話は秘めるから価値になるのに、ふみちゃんてばそれもできないんだ。自分で自分の首絞めてること、いい加減気づいたら」 「…………さっぱりわからない」 「夕方、ママの部屋で何してたの」 ――二三彦の顔が凍りついた。心拍が加速し、唇がわななく。 「ママに呼ばれてたよね、部屋においでって。長いこと出てこなかったねぇ、どんなことしてたのかな」 言葉の傍ら、本を開いたり閉じたりを繰り返す。意味があるのかないのか、いや意味がないわけではない。少なくとも二三彦にとって、それは心底に鎮まっている感情を煽り起こす動作である。 葉八の、何かを考えている時の癖。 よいことも、悪いことも。 「…………」 「苦しいよ。ずっと息を止めてるのは」 「…………そんな、こと」 「あるでしょ。認めちゃえ」 指先で二三彦を招く。近づいて座ると突如、襟元を掴まれた。あっと言う間もなく引き寄せられ、互いの呼吸が混じる距離まで詰められる。 「嘘つきふみちゃん」 唄うように、葉八は言った。 「葉八さぁ、去年からずっと気になってたの。ふみちゃんとママが、なんか急によそよそしくなっちゃって、パパとママが喋ってることが少なくなっちゃって。だから学校サボって、家でみんなのこと観察してた。パパもママもふみちゃんも、ただの不登校って考えてたでしょ。で、今日の夕方、ママの部屋にふみちゃんが行くの見ちゃった。パパにお店の整頓言いつけられなかったら、最後までついてったのに」 蒼白な頬を撫でる手つきは、異様なほど優しかった。
「ふみちゃん、葉八が怖い?」 ふ、と。 真顔になって、少女は問う。 「ふみちゃんの秘密を暴こうとしてる葉八が、パパのこともママのこともお構いなしに、ふみちゃん達を壊しそうな葉八が、怖い?」 ――怖い。 掠れた声で、二三彦は答えた。 「憎い?」 ――わからない。 「でも、殺したいくらい?」 ――わからない……。
「壊されたくない?」 「……壊されたく、ない……」 嗚咽のように絞り出されたのは、今さらな願望だった。
「じゃあ、そうしよう」
――え? どういうこと? 「中身はもうグチャグチャで直しようがないけど、外面くらいは綺麗にしておこう」 何それ。 呆然とする二三彦へ、葉八は細い人差し指を立ててみせる。 「内緒にしてあげる。ふみちゃんのこと。だから守ってあげる、秘密を守るお手伝い」 ――秘密を守る、お手伝い。 「よし、まずはママね」 元気に起き上がった葉八を見、ようやく二三彦は彼女が何をしようとしているのか理解した。 だが、 「……葉八」 「なぁに」 「…………本当に、秘密にしてくれるの」 「女に二言はないよ」 「……………………………………そう」 この時、葉八がひとつだけ大きな勘違いをしていることを、二三彦は知っていた。そして葉八は、知らなかった。
葉八の母親の部屋にて。 「…………どういう、こと」 入り口で、葉八は立ち尽くしていた。 「なんで、」
――床に溢れる、液体。 むせ返るような鉄の匂いの中、お気に入りのブラウスを真っ赤に汚した母が、死んで横たわっていた。
「……葉八」 二三彦が話しかけると、葉八は困惑のまま振り向いた。 「……ふみちゃん、これって」 「葉八。おまえは、ひとつ勘違いをしているよ」 告げる声がいやに冷静で、自分で少し可笑しかった。
「俺が今日、奥様に呼ばれたのは、睦言を交わすためじゃない」
「呼ばれた理由は、ある人との仲を疑われていたからだ」
「その人は奥様にとって、とても大切な人だった」
「俺にとっても、命ごと捧げたってかまわないくらい」
「今だって」
「だから今日、奥様に呼ばれた時、決めたんだ」
「俺達を壊そうとするこの人を、殺そうって」
「……その、人って」 「頭のいい葉八なら、すぐわかるよね」 ――愕然と。 口からこぼれたのは、 「……嘘」 「嘘じゃない」 「……なんで、だって、……そんな、」 刹那、葉八は叫んでいた。 「嘘でしょ! なんで、そんなのおかしい! だって、そんなの赦されないよ。誰だって赦されない、ママだって。赦せないよ、なんで? なんでそんなことになっちゃったの?」 髪を振り乱し、二三彦のシャツに掴みかかる。 数分前までの静かな少女は、どこにもいなかった。 「ママはふみちゃんのこと、大事にしてた」 「……ああ。奥様は最後まで、俺の――『奥様が信じたい俺』のことを、信じようとしてた」 「何それ、ママのこと馬鹿にしてるの。あり得ない……ママが可哀想だよ、信じてた人達に裏切られて、勝手に殺されちゃうなんて。悪いのはママじゃないのに、……」 華奢な体が、床に崩れる。 「……最悪。ふみちゃん、最低だよ」 「…………知ってる」 冷徹な肯定が、震える背中を突き刺した。
「……葉八」 「…………何」 「結局、おまえは俺を助けちゃくれないんだろう?」 「当たり前じゃない。葉八から大事な人を “二人も” 奪っていった男のことなんて」 「……わかった」 うずくまる葉八を、一際濃い影が包んだ。二三彦だった。 「本当はね、少し期待してた。ひょっとして、葉八ならって。でも駄目だった、もちろん驚いてはいないよ」 腕が、少女を抱く。優しく、慈しむように。 息を呑む音が、言葉の合間に伝った――
「ただ、ほんのちょっとだけ。 ほんのちょっとだけ――残念だった」
しなやかに絡みついた指が、細い喉を締めつけた。 悲鳴も慟哭も遮って、藻掻く四肢から酸素を奪っていった。 一瞬閃いた雷が、シャッターのように母の死体を焼きつけて、消えた。
――やがて、少女が事切れた。 二三彦は立ち上がると、夫人のベッドからシーツを剥ぎ取って、二つの死体をくるんだ。床の血を拭いて、部屋をあとにした。 これから、死体と部屋の始末をしなければならない。 家人に話は通してある、他言無用の圧力もかけた。 だが、今は何よりも――
ポケットから携帯電話をとり出す。 「……あ、もしもし。終わりましたよ。ええ、大丈夫です。ちゃんとシーツを使って。血も拭いときました。……え? 俺にそこまでさせられないって? やだなぁ、これくらいどうってことないですよ」 暗色の廊下に、楽しげな声が響く。 「それより死体の処理と……あは、駄目ですって今晩は流石に。明日以降で、ってもう今日か。俺も血だらけですし。……綺麗な姿で会いたいんです、……えぇ? ちょっと変態じみてません? あはは……」
「俺は貴方だけのものですよ。今までも、これからも、ね」
雨だれと、骸。 心から幸福そうに、青年は微笑んだ。
+ + + + + +
プロット無し、推敲もそこそこに二日かかりました。 一時間制限も日付制限もオーバーですが、もったいなさから投稿しました。 勝手してしまい、申し訳ありません。 目を通してくださった方々に感謝致します。
|
|