よるとつき ( No.1 ) |
- 日時: 2014/11/24 15:25
- 名前: 川野 ID:TW2SRSE6
園崎のアパートを出たのは、夜の十一時を過ぎたころだった。さっきまで飲んでいたスミノフの、弾けるような舌触りと、清冽なアルコールの匂いの余韻に浸りながら、わたしと前田は空をみあげた。 「月、ぜんぜん見えないね」 「そうですね。曇ってますからね」 淡々と返してきた前田の頭をかるくこづき、歩き出した。彼はコートの前をかきあわせながら、わたしに歩調を合わせてくる。 正直、わたしは前田が苦手だった。彼がうちのゼミに入ってきたときから、ずっと。おなじ一年生でも、園崎とはよく喋る。もともとわたしは人と話すことが得意というか、昔からどんなタイプの人間が相手でも、割とすんなり馴染むことができた。 ただ、前田だけは別だ。何をかんがえてるのかわからないとよく言われる、と新入生歓迎会で本人も言っていたとおり、いまいち顔に出ないのだ。口数が少ないわけではないし、話しかけると返してくれる。けれど、どこか、つかめない。顔立ちはとくに整っているわけでもないし、そこまでひどいわけでもない。体格も、服装も、標準的。何も特徴がない。突出したところ、つかむところが、ないのだ。 ゼミ長として、苦手な新入生がいるというのは、非常に困る。示しがつかない。そこで園崎に頼んで、前田と三人で鍋パーティを催したのだった。 「川嶋さん?」 眠いんですか、と訊いてくる前田の視線を、右手で振り払う。 「ちがう。考えごと」 結局、鍋は失敗だった。いや、鍋自体はおいしかったし、酒も旨かった。ただ、最初から最後まで、前田との距離は変わらなかった。飲ませればどうにかなるだろうと考えていたものの、彼は「苦手なんで」と一滴も口にしなかった。嫌がる者に無理に飲ませるわけにもいかず、用意した酒の大半は、なかば仕方なく、なかば喜んで、わたしと園崎で飲み干した。 「飲みすぎじゃないですか」 ぼそりと前田が言う。 「は?」 「いや。園崎はまだしも、川嶋さんがあんなに飲まれるとは思ってなかったんで」 「文句あるの」 「別に」 だめだ。いらいらする。 ふたたびあがってきた体の熱を冷ますために、わたしは目を閉じた。冷気をふくんだ秋の風が、夜の街をひんやりとなぶってゆく。粗い舗装の道ばたに転がる、無数の空き缶。どこか遠くで、バイクのエンジン音がこだましていた。公園前の掲示板に貼られた「明るい選挙」のポスターは、みじめに剥がれかかっている。 ここら辺は治安が悪いんすよ、と帰り際に園崎は言った。 「前田、駅まで川嶋さんを送れ。女の人ひとりじゃ、危ないから」 前田は表情ひとつ変えず、頷いた。本当は、そのときからずっといらついていたのだ。 ねえ、とわたしは振り向いて声をかけた。 「前田さあ、趣味とかないの」 「ないです」 「服とか、どこで買うの?」 「適当に、その辺で」 「好きな食べものは?」 「何でも食います」 「好きな映画とか」 「特に観ないです」 ああ、もう、どうしたらいいんだよ。 前田の中心にあるはずの、なにか芯のようなものが、ぜんぜんみえてこない。彼の本質、彼の核心が、どこにあるのか、わからない。 嘆息しながら、わたしは最後に訊いた。 「じゃあ、好きな作家とか」 「バタイユ」 は? と、わたしは思わず立ち止まった。バタイユ? 「あの、眼球の……?」 「眼球譚ですね」 ひょうひょうと答える前田。 「前田、文学、すきなの?」 「文句ありますか」 「別に」 ふたたび歩き出した前田に、慌ててついていく。自然に、口元がほころんでゆく。 なんだ。意外と、かんたんじゃないか。 「川嶋さん、バタイユ知ってるんですか」 「知ってるよ」 「カート・ヴォネガットは?」 「ガラパゴスの方舟」 「アントニー・バークリー」 「第二の銃声」 「尾崎翠」 「地下室アントンの一夜」 ふは、と突然、前田がわらった。今日、初めての笑顔だった。 「ジャンル、バラバラじゃないですか」 「あんたが言ってきたんでしょうが」 「そんなに読んでて、なんで文学科いかなかったんですか」 「趣味だから。前田こそ」 「おれも同じですよ」 「趣味ないって言ったじゃん」 「いや、まさか話つうじるとは思ってなかったんで」 みるみるうちに、言葉が増えてゆく。笑顔。弾む吐息。 ああ。ようやく、気づいた。わたしは、前田の笑顔がみたかったんだ。心臓が、どくどくと波打ち始める。顔が、熱をもつ。 風はますますつよくなる。雲は流れ、星屑は未だみえない。月も、なにもかも、闇におおわれている。 それでも、美しかった。美しい、夜だと思った。 「月がきれいですね」 言いながら、こちらに振り返った前田の表情は、陰になってよくみえない。
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Re: 即興三語小説 ―選挙、選挙、明るい選挙― ( No.2 ) |
- 日時: 2014/11/29 15:39
- 名前: ローズ ID:D7sePfiE
読みました。感想は初めてですが、失礼します。
視点さんと前田君の話がバタイユを通じて繋がった時、何かスッキリしました。これから前田君と視点さんは文学を通じて仲良くなって行きそうですね。
あと、つかみ所のない前田君の書き方がとても良かったです。
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感想 ( No.3 ) |
- 日時: 2014/11/29 22:12
- 名前: むむ ID:E/Ifn0n2
こんにちわ。 川嶋さんの気持ちの流れが、わかりやすくてこっちまで前田くんにときめいてしまいました。 月は出てたほうが私は好みかもしれません。え、どっち?どっちなのとはらはらしたい笑 それにしても川嶋さんはなんて答えたのか気になります。「私、死んでもいい」ですか? この二人が仲良くなったとしたら、他の人にはわかりづらい言葉遊びで楽しみそうでそれも覗いてみたいなと思いました。
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