カウンター越しに常連客が、彼女のささくれだった薬指に、指輪をそっと通していく。 サイズでも間違っていればいいのに。 グラスを拭きながら思う。布巾をもつ手にいつもより力が入っていることを自覚する。 横恋慕--。彼女の名前さえ知らない。 初めて常連客に連れてこられた日のことは今も覚えている。突然の雨に降られて非難するように、二人で入ってきた。いつもは一人でしか来ない彼だったから、それはとても珍しかった。ほのかに上気した頬と、濡れた栗色の髪が印象的だった。 思えば、彼がここでプロポーズをしているのは、私へのあてつけなのかもしれない。私がいるときを事前にチェックしていた可能性だってある。 彼女は指輪を見ながら、うっとりとしている。きらきらとダイアモンドがライトを反射している。「おめでとうございます」 皮肉を込めて、にっこり微笑んでみせるが、幸せの絶頂の二人には届かないらしく、「ありがとう」とあっさり返された。 もっとも、うちで告白をしたカップルが再び二人で来店したことはないのだけれど、幸せそうな二人には些細な問題なのだろう。しばらく待てば、きっと彼は一人でやってくるに違いない。 グラスを拭く手に力が入っていることを自覚して、思わず笑みがこぼれた。 とりあえず、コメント書くことが思いつかなかったので、即興で。------------------------------------------------------------------------------●基本ルール以下のお題や縛りに沿って小説を書いてください。なお、「任意」とついているお題等については、余力があれば挑戦してみていただければ。きっちり全部使った勇者には、尊敬の視線が注がれます。たぶん。▲お題:『指輪』『ささくれ』『客』▲表現文章テーマ:なし▲縛り:なし▲任意お題:なし▲投稿締切:10/13(月)23:59まで <書き換え忘れてました。連休なので月曜です。<このスレッドじゃなかったですね。すいません。このままにしておきます。▲文字数制限:6000字以内程度▲執筆目標時間:60分以内を目安(プロットを立てたり構想を練ったりする時間は含みません) しかし、多少の逸脱はご愛嬌。とくに罰ゲーム等はありませんので、制限オーバーした場合は、その旨を作品の末尾にでも添え書きしていただければ充分です。●その他の注意事項・楽しく書きましょう。楽しく読みましょう。(最重要)・お題はそのままの形で本文中に使用してください。・感想書きは義務ではありませんが、参加された方は、遅くなってもいいので、できるだけお願いしますね。参加されない方の感想も、もちろん大歓迎です。・性的描写やシモネタ、猟奇描写などの禁止事項は特にありませんが、極端な場合は冒頭かタイトルの脇に「R18」などと添え書きしていただければ幸いです。・飛び入り大歓迎です! 一回参加したら毎週参加しないと……なんていうことはありませんので、どなた様でもぜひお気軽にご参加くださいませ。●ミーティング 毎週日曜日の21時ごろより、チャットルームの片隅をお借りして、次週のお題等を決めるミーティングを行っています。ご質問、ルール等についてのご要望もそちらで承ります。 ミーティングに参加したからといって、絶対に投稿しないといけないわけではありません。逆に、ミーティングに参加しなかったら投稿できないというわけでもありません。しかし、お題を提案する人は多いほうが楽しいですから、ぜひお気軽にご参加くださいませ。●旧・即興三語小説会場跡地 http://novelspace.bbs.fc2.com/ TCが閉鎖されていた間、ラトリーさまが用意してくださった掲示板をお借りして開催されていました。--------------------------------------------------------------------------------○過去にあった縛り・登場人物(三十代女性、子ども、消防士、一方の性別のみ、動物、同性愛者など)・舞台(季節、月面都市など)・ジャンル(SF、ファンタジー、ホラーなど)・状況・場面(キスシーンを入れる、空中のシーンを入れる、バッドエンドにするなど)・小道具(同じ小道具を三回使用、火の粉を演出に使う、料理のレシピを盛り込むなど)・文章表現・技法(オノマトペを複数回使用、色彩表現を複数回描写、過去形禁止、セリフ禁止、冒頭や末尾の文を指定、ミスリードを誘う、句読点・括弧以外の記号使用禁止など)・その他(文芸作品などの引用をする、自分が過去に書いた作品の続編など)------------------------------------------------------------------------------
※若干、性別的なことやら兄弟的なあれこれがあります。 ネタバレになるので詳しくは書けませんが苦手な方は回れ右お願いします。 + + + + + +「黒揚羽って、綺麗だよね」 古い部屋の真ん中で、サキは言った。「あの羽が、とても綺麗。黒くて、夜に濡れたみたいに光ってて」 言いながら、自分の短い髪を手で梳いた。黒くて、夜に濡れたように光る髪を。 俺は短く「ああ、そうだな」と応えた。「でも、標本箱に入ってるような、止まってるのは嫌だった。生きて呼吸してるのでなきゃ、気持ち悪くって」 青いカーテンがひらめいて、白い漆喰の壁に影をつくった。硝子の痛んだ窓は建て付けが悪く、閉め切っても必ず隙間ができ、そこから無粋な客人のような風が入ってくる。窓の外には雪に覆われた田園が広がり、この家の孤立感を際立たせている。 ここはもともと、俺達の祖母の家だった。しかしその祖母も、もういない。「何だかここは標本箱の中みたいで、嫌だった。お祖母ちゃんは優しかったけど、お母さんは凄く怖くて、全然外に出してもらえなかった」 いつもこの窓から、外見てたんだよ、と言う。まるで標本箱に打ちつけられた蝶みたいにね、と。 サキをここに打ちつけていたのは、周りからの好奇の目だった。友人、家族、そして俺。特に母親は世間体を気にする人で、サキをこの家に連れてくる前はしょっちゅう、躾と称して八つ当たり混じりの罰を与えていた。母親のヒステリックな叫びとサキの悲鳴は、未だ俺の耳に残っていて、たまに悪夢のように再生されることがある。 最大の理解者であるべき存在が、サキにとっては最大の敵だったのだ。 でも、とサキは呟く。「もう、いいんだよね」 カーテンの青は床にも落ちていて、波のようにうねっていた。サキは静かにしゃがみ込むと、ささくれた表面をその白い指先で触った。少なくとも十年以上、サキの足下にあり続けたボロい床板。「冬は痛くて、裸足じゃとても歩けないの」。十年もの歳月をかけ、サキの柔らかな足を硬く荒らしていった――「もう、……いいんだよね……」 サキの肩は、小さく震えていた。俺が手を置くと、振り返って泣きそうになった。「ねぇ、お兄ちゃん」 サキが、俺を呼んだ。「みんな、いなくなっちゃったね」 俺は「ああ」と頷いた。「お祖母ちゃんも、お父さんも、……お母さんも」「……ああ、……いなくなった」 ――俺達の祖母が死んだのは、先月末。寿命でぽっくり、逝ってしまった。 その二週間後、両親は買い物に出かけた帰りに凍結した路面で車をスリップさせ、結果、対向車と正面衝突した。運転席の父親は即死、母親は意識不明の重体だった。 だが、つい昨日――俺が学校へ行っている間に、息を引き取った。 サキは一人、祖母の遺したこの家に閉じ込められていて、俺が母の死を知らせたのは、母が死んでから何時間も経ったあとだった。「……もう、」 蚊の鳴くような声で、サキは言った。「ここにいなくて、いいんだよね?」「ああ」「好きに出かけて、いいんだよね?」「……ああ」「お兄ちゃんと同じように制服着て、学校行って、勉強して、お休みの日にはお洒落して、遊んで……」 ねぇ、と。「お兄ちゃんは“僕”のこと、妹として見てくれる?」「…………ああ――」 サキは、男だった。 だがそれは、サキの望んだ性別ではなく、サキの見かけの部分だけのことだった。 例外なく、外見に合った性格になることを周囲はサキに望み、できないとなれば徹底的に押さえつけ、差別した。 何故できないのか。 何故お前だけが。 そのことに一番葛藤し、悩み苦しんでいたのは、サキ本人であったというのに。 サキが女である自分をさらけ出せたのは、俺と、死んだ祖母の前でだけだった。 俺も最初は、ずいぶん戸惑ったものだが、小柄で女顔のサキが男言葉を使うのには少々違和感を抱いていたし、何より本当の自分でいるサキの嬉しそうな顔を見ているうちに、この事実を受け入れられるようになっていった。 だから、「……お前は、俺の妹だ」「………………ありがとう……」 サキが抱きついてきても、文句は言わなかった。 否、文句など言えるだろうか。 両親と祖母の死を代償に得た自由。 差別、拒絶、皮肉に苛まれ続けた、十五歳の『少女』に。「お兄ちゃん」「ん」「……あのね、もう一つだけ、我が儘」「何だ」「僕、お兄ちゃんのこと好きなんだ」 ――ギョッとして俺が身を引こうとしたのと、サキが俺を離すまいと手に力を込めたのとは、ほぼ同時だった。「……こ、恋人として、だよ」「……………………それ、は……」「わかってる。僕が女の子になっても駄目なことくらい。でも、それでも」 胸元に熱いものが染みた。すぐに、サキの涙だと理解した。 ……長い間近くにいて、本当の自分を受け入れてくれた異性に焦がれるのは、至って普通のことだろうとは思う。 しかしこればかりは、安易に肯定できるものではない。 俺は一つ溜め息をついて、上着のポケットからあるものを取り出した。「……サキ」 サキが俺を見上げて、濡れた長い睫毛が、重たげに揺れた。 俺はそっとサキの手を取ると、取り出したそれを通してやった。「これ……」「お前が自由になったら、買ってやるつもりだった」 それはいつぞや、サキがほしいと呟いていたピンキーリングだった。 そして生前の祖母が、俺に「買ってやれ」と言っていたものでもあった。「……お前に刺さっていた一番太い釘は、抜けたはずだ。標本箱の蝶じゃなくて、いいんだ。だから好きに飛んでって、色んなものを見てくればいい」 色んなものを見て、本物の価値観を得て、それで。「本物の指輪は、俺よりいい奴ができた時に、そいつに買ってもらえ」 俺じゃない、外の誰かの愛を知れ。「だからその薬指は、空けておけ――」 いつか、お前を大事に思う人が、現れるまで。 ぐしゃぐしゃになったサキの顔を、俺はもう、見ることができなくなっていた。 真っ白な田園風景の中を、俺達はただ歩いていた。 恐らく二度と踏むことも無いであろう、最寄りのバス停までの一本道。 サキの荷物はすべて、引っ越し屋に任せて送り出した。あとは俺達が、俺の住む家に戻るだけである。「……これから、忙しくなるだろうけど」 うん、と後ろから声がした。「葬式とか、手続きとか」 うん。「引っ越しも、しなきゃいけない。お前のことは、親父の方の叔父さん夫婦がみてくれる」 うん。「俺が話した限りじゃ、いい人みたいだったし。お前のことも、大丈夫だって、言ってくれたし」 うん。「しばらく離ればなれだけど、時々は会いにいくから」 サキが、俺の手に触れた。俺が避けようとすると、「今だけ」と言った。「今だけで、いいから」 言うが早いか、指を絡ませ握ってしまう。 こうなると、振りほどくのは無理そうだった。「……バス停までだぞ」 うん。小さな声が、応えた。 標本箱の黒揚羽は、雪原の彼方へ消えてゆく。 + + + + + + + 初めてこっちに投稿します。 だいぶ変わった題材で読みにくいかもしれないですがひとつ、よろしくお願いします。
運命の輪 鑑定士が預かった指輪の鑑定をする。 その様子を持ってきた貴婦人と思われる品の良い客が心配そうな顔をして見守る。「ふむ。値がつけられませんね。いいものです。大事にしてください」 心配そうに見守る客にいろいろな角度から指輪を眺めて鑑定した鑑定士が言うと、「いくらでもいいのですが、買い取っていただけますか?」と、その客が思わぬことを口にした。 いくらでもいいから現金に換えたいらしい。 それには鑑定士は困った。 すると、横で見ていた貴金属商が「それなら、私が買い取りましょう」と言ってきた。「よろしいのですか?」「はい。喜んで」 貴金属商が貴婦人にほくほく顔で答える。 貴金属商はささくれたような指で貴婦人からその指輪を受け取ると、なにがしかの金額を示した。「それだけなら十分ですわ」 貴婦人が安堵した顔をして、貴金属商が示した金額に手を打ち、商談が成立した。 貴婦人が帰った後、貴金属商が貴婦人から買い取った指輪を確認した。 純銀製らしく、長い時間を経たらしいその指輪はいぶし銀のような光沢を放っている。「君は、どうして買い取らなかったんだい?」 誇らしげに貴金属商が鑑定士に聞いた。「いや、買うのはいいけど、なんだか不幸が訪れそうでね」 鑑定士が頼りなさげに答えると、貴金属商は「そんなのは迷信さ」と気にしていない様子だった。 それからしばらくしてその貴金属商は帰って行った。 それ以来、指輪の鑑定を依頼し、買い取ってくれるのか聞いた貴婦人も指輪を買い取った馴染みの貴金属商も来なくなった。 鑑定士といえば、仕事が舞い込んできて忙しくなり、そのこともすっかり忘れ、やがて数年の年月が経った。「数年ぶりです」 そんなある日、一仕事を終えた鑑定士のもとにそう声をかけて入ってきた人物がいた。 指輪を貴婦人から買い取った馴染みの貴金属商である。 彼は数年前に比べると痩せこけ、目ばかりがぎらつき、頭も白髪になっていた。「数年ぶりですね。どうなさったので?」 鑑定士が数年ぶりにやってきた貴金属商に聞くと、貴金属商は指輪を買っていろいろあったことを話して聞かせた。 その話を聞くところによれば、指輪を買った後に株価が上昇し、仕事も何もかも順調だったが、一年もせぬうちに金銀の価格が下落して経営が苦しくなり、また体を壊してしまって寝込んだらしかった。「君が言っていたことは確かなことだったよ」 貴金属商がため息交じりに言う。「なんとなくそう思っただけなんだがなぁ。苦労したねぇ」 鑑定士が苦笑いする。「それで、あの貴婦人は来たかい?」「いや、来ないよ」 何か文句があるのかと鑑定士は勘ぐったが、それは外れ「あの指輪を返そうと思っているのだ。わしの手には合わなくてな」と貴金属商が言った。相変わらず手だけはささくれだらけだ。「ふむ。どうしたものか」 鑑定士は貴婦人の連絡先を聞いていなかった。 二人でどうしようかと悩んでいると、数年前に指輪の鑑定に訪れた貴婦人がやって来た。 数年たってもその女性は変わっていないようにも見えた。「その後はいかがですか?」 貴婦人がそのように言う。「いろいろありましてね。私の手には合いませんでしたね」 貴金属商がそう言うと、貴婦人は「あらそうでしたか…。ではどうなさいますか?」と聞いてきた。「お返しします」 貴金属商がそう答えると、不思議なことにいぶし銀の指輪が割れた。 貴婦人はそれを見届けると何も言わずに立ち去って行った。 それと同時に割れたいぶし銀の指輪は煙のように消えていた。「不思議なこともあるものだな」「ああ。そうだ。やっぱりわしにはふさわしくなかったのかもしれんな」 二人でそう話す。 貴婦人の正体は何者であったのかはわからない。 ただ二人には、その貴婦人が運命の女神だったのかもしれない、と思えるのだった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ まとまりがありません。無理やりな気がしますが、とりあえず。
カウンター越しに常連客が、彼女のささくれだった薬指に、指輪をそっと通していく。 サイズでも間違っていればいいのに。 グラスを拭きながら思う。布巾をもつ手にいつもより力が入っていることを自覚する。 横恋慕--。彼女の名前さえ知らない。 初めて常連客に連れてこられた日のことは今も覚えている。突然の雨に降られて非難するように、二人で入ってきた。いつもは一人でしか来ない彼だったから、それはとても珍しかった。ほのかに上気した頬と、濡れた栗色の髪が印象的だった。 思えば、彼がここでプロポーズをしているのは、私へのあてつけなのかもしれない。私がいるときを事前にチェックしていた可能性だってある。 彼女は指輪を見ながら、うっとりとしている。きらきらとダイアモンドがライトを反射している。「おめでとうございます」 皮肉を込めて、にっこり微笑んでみせるが、幸せの絶頂の二人には届かないらしく、「ありがとう」とあっさり返された。 もっとも、うちで告白をしたカップルが再び二人で来店したことはないのだけれど、幸せそうな二人には些細な問題なのだろう。しばらく待てば、きっと彼は一人でやってくるに違いない。 グラスを拭く手に力が入っていることを自覚して、思わず笑みがこぼれた。 ささくれができていた。左手の薬指のだ。これでは、たった今通してもらった婚約指輪よりも、ささくれのほうが気になってしかたない。もっともサイズが合わなかったら、どうしようとかいう緊張がなかったと言えば嘘になる。それならそれでも構わない。指輪の価値が替わるわけでもない。仕事上、指輪をすることはないし、それならそれで都合も悪くはなかった。幸い、彼は十分に私の指のサイズを覚えておいてくれたようだ。それはとてもうれしいことでもあった。 彼ににっこりと笑って見せる。カウンター越しの店員さんのまなざし一瞬険しくなったようにも思ったけれど、関係ない。意外とささくれを私と同じように気にしているかもしれない。みっともないと。もっとも、今日指輪をくれるなんて思ってもみなかった。それらしい兆候はあったのだけれど、ここは彼なりのサプライズということで、素直に喜んであげるのが、私の努めというもの。「素敵」 うっとりするような声をだして、左手の甲を自分の顔に向けて、指先をピンとのばして見せる。ダイアモンドに照明がきらきらと反射して目に飛び込んでくる。それでも、ささくれは視界に入ってきて、声を殺して笑った。「何かおかしかった?」 彼が聞いてくる。「ううん。なんでもない。ちょっとささくれが気になってね」 ホラ、と指先を彼に示す。指輪よりもプロポーズよりもささくれが気になるなんて、なんてひどい女だろう。これで結婚がだめになるかもしれないと頭の中で警鐘が鳴る。もっとも、ここまできて駄目になるなんて、想像したこともないし、そんな経験はこれまで一度もなかった。 ここまできて、今更よね。 目の前の彼は少し上気して頬が赤く染まって、いて、ハンカチで今日何度目かの汗を拭っていた。緊張の糸が切れたのか、安堵のため息をつく様子がかわいい。 独身の地方公務員。まじめでタバコもギャンブルもしない。酒はつきあい程度で、趣味は特にない。長所もまじめなら、短所もまじめな男性。デートはいつも私の好きなところにいって、最後は必ず、彼の住むマンションの一階にあるこの喫茶店でコーヒーを飲む。おきまりのパターンを続けて、一年ようやくここまで、こぎつけた。 きらきらと光るダイアモンドの輝きはこれからもきっと変わらない。 ささくれていた。彼女の左手の薬指のことではない。私の心が、だ。 彼女の左手の薬指にダイアモンドの指輪を通す。柔らかく白い手を取って。自分の手が震えていることに気が付かれてはいないだろうか。懸念していることは、指輪のサイズだけ。プロポーズが断られることなんて、微塵も考えていない。ただ失敗は許されなかった。 彼女との出会いは、職場近くのビルの最上階に店を構えた高級バーだった。仕事に行き詰まったり、ストレスでどうしようもなくなったときに、一人でグラスをかたむけにきていた。私の唯一と言ってもいいくらいの、趣味らしい趣味であり、ごくたまの贅沢だった。 話しかけてきたのは彼女の方からだった。ちょうど、付き合っていた彼女と別れたようなことを話したことを覚えている。彼女は親身に私の話を聞いてくれた。それから付き合うまでには時間はそうそう掛からなかった。彼女も最近男から裏切られたのだという。お互いに過去を詮索し合うことはなかったから、語りたくもないことを語らなくてもいいのは、都合がよかった。 彼女は私とは違って、アクティブな女性だった。新しい店がオープンしたと聞けば、すぐにでも出かけていったし、新作の映画は公開初日が常だった。そんな彼女だから、灰色だった私の世界はいつしから色づいていった。何より、彼女の連れて歩くと、その美貌に振り返る男たちの視線に、私は心密かに誇らしく思うと同時に、男とはこんなにもバカであることに内心嘆息を吐いた。 彼女と未だ男と女の関係にないことは幸いなことだった。「そういうことは、結婚をしてからにしよう。君は古風と思うかもしれないけど」 長所は真面目、短所はクソ真面目で通してきたから、彼女は大きくは疑わなかった。多分、彼女は私がまだ男性であると信じて疑ってはいないだろう。ここまでくると少し悲しくはあるけれど。 彼女の左手の薬指に指輪を通そうとする私の手が震えているのは、そんな理由だけではない。この指輪は結婚寸前までいった元彼が「もうあげたものだから」と、私に押しつけていったものだからだ。もらったまま、一度も付けることがなかった指輪がまさかこんな形で役に立つなんて、思ってもみなかった。サイズは大丈夫だろうか? 合わなかったら、いや、もしも彼女が勘づいたら、この一年の苦労は水の泡だ。男の振りをし続けた一年が、パーになるのだ。地方公務員で、タバコもギャンブルもやらず、酒はたしなむ程度なんて設定の一年もーー嘘ではないけれど。とにかく、ご破算だけはどうしても避けたい。 経費削減なんてクソくらえ。いくら命令とはいえ女性刑事である私に、男装して結婚詐欺師に近づけなんて、あんまりだ。もっとも、捨てるに捨てられなかった指輪がこんな形で役に立つとは思ってなかったけど。 とりあえず、指輪は通った。彼女は指輪よりも、ささくれの方が気になっていたようだけど、それはもう些細なこと。結婚詐欺師である彼女の逮捕までもう少し――。 常連客のプロポーズを店の奥から覗きみながら、今日何度めかの溜息をつく。指輪はすっと、左手の薬指に収まる。 似ている。容姿というよりも、雰囲気が。もしかしたら、整形でもしたのかもしれない。いや、それなら納得がいくか。 この喫茶店を開く六年前のことだ。結婚詐欺にあったのは。開店資金をもっていかれてしまった。若かったと言えば、若かった。それくらい魅力的であったことは今も変わらない。あのとき、彼女は忽然と姿を消した。救いだったのは借金まではなかったことだろうか。人探しとして、警察に相談したら、詐欺の可能性が高いと言われた。考えて見れば、彼女のことを何も知らなかった。どこに住んでいるのかも、どんな仕事をしているのかも。 彼女との出会いはまだコーヒーの修行をしていた喫茶店だ。彼氏に振られたのだと泣いていた。思えば、あれは演技だったのだろう。そう演技だったのだ。 再び開店資金が貯まるまで、二年かかった。店を開くにあたって、決めたことがある。客の恋愛には首をつっこまない。手痛い失敗で学んだことだ。客が恋愛相談しようものなら、「うちで恋愛相談されたお客さん。始めは良いらしいんですけど、すぐに駄目になるらしくてね」 と、店の奥に引っ込むことにしていた。そんなことばかりしていたから、カップルでくる客はめっきり減ってしまった。 が、今、目の前にだまされようとしている男性がいる。大切な常連客が、だ。 もしも人違いだったら、どうする? こんなに失礼な話はない。せっかくの結婚を駄目にしてどうする。 でも、もしも本当に詐欺だったら、どうする? 私と同じ被害者を作るのか? だまされるほうが悪いのかもしれないが・・・・・・これだから恋愛に首を突っ込むのはイヤなんだ。「マスターからも一言お祝いを」 カウンターからバイトがのれんをめくる。マスターと女性客の目が合う。一瞬の間が訪れる。二人にしか分からない、一瞬が永遠とも思える瞬間ーーちくちくと心にささくれができたような痛みを覚える。「ごめんなさい。体調が良くないみたい」 女性客が席を立とうとする。「せっかくですから、コーヒーだけでも。おい心ですよ。ここのは」 男性客も席を立つ。身長は女性客とそんなに変わらない。「いえ、今日は本当に結構ですから」「ああそんなに体調が悪いのでしたら、送っていきますよ」 女性客が店を出ていくのを追いかけるように、男性客も出て行く。「マスター、埋め合わせにまた来ますから」とドア越しに店内に響いた。「急にどうしたんですかね? プロポーズはうまく言ったみたいでしたけど」 バイトはどこかうれしそうだった。「大人の事情って奴だろう。やはり人の恋愛に首を突っ込むのは良くない」 苦虫を噛みしめたように、マスターは眉を寄せた。「そんなだから、恋愛のうまくいかない喫茶店とか言われるんですよ」「今日はその名前が誇らしげに思えるな」 マスターは今日何度目かの溜息をついて、「彼らはもう二度と来ないだろうよ」と確信をもってつぶやいた。もっともこのバイトが詐欺に合わずにすんだことや、一人の男性常連客が減って、女性の常連客が増えたことは誰も知らない。--------------------------------------------------------------------------------久しぶりの三語です。楽しくかけました。4000字くらいで、2時間を少し超えたくらいでしょうか。冒頭は、変えてません。思いつきで、登場人物視点で混ぜ込んでみました。一人よがりになった気がしますが。ちょっと一部修正しました。わかりにくくてすいません。
時雨ノ宮 蜉蝣丸 様 まず、黒揚羽で、なんて読むのか止まってしまいました(笑) 監禁されていたお話だったわけですが、身なりがそれなりに綺麗というか清潔だったりするあたりに、疑問ももってしまいました。>自分の短い髪を手で梳いた。黒くて、夜に濡れたように光る髪を。 まぁ、祖母や主人公が風呂なりに入れていたのか、それとも家の中ならある程度の自由があったのか。どちらにしても、標本箱の例えが薄れてしまうように思います。>サキをここに打ちつけていたのは周りからの好奇の目だった。友人、家族、そして俺。 ここがあることで、結末と矛盾しているように思います。結局、女性として生きようとしたから、好奇の目にさらされた(逆に男性として生きればそれもなかった)わけで、母親の死だけで、自由になれるという結末に至るのか。もっと母親の存在が強いのであれば、違ったのかもしれません。>特に母親は世間体を気にする人で、サキをこの家に連れてくる前は 連れてきた理由ってなんでしょう? 父親も一緒らしくて、離婚ってわけでもなさそうですし。>サキが女である自分をさらけ出せたのは、俺と、死んだ祖母の前でだけだった。 さらけ出せるのが限られた相手だけなら、隠すすべもあったように思うんですが、どうなんでしょう? 日頃が男なのか女なのか、自分の性についてどう思っていたのか、周囲が思っていることについてどう思っていたのか、その辺のサキ自身の作中の情報が少ないので、もう少しあるとよかったように思います。雰囲気があった分、もったいなかったなと。 両親の死について、何かサスペンス的な展開を期待した部分があるので、肩透かしを食らった気分でした。マルメガネ 様 運命の輪 雰囲気は好きだったんですが、作品の中に何が起きたはずのところが何もなくて、起承転結の起と結だけになってしまった印象です。 鑑定士と貴金属商が馴染みという点に違和感がありました。職業上の私のイメージが原因かもしれませんが、貴金属商であるならそれなりに鑑定もできると思いますし、貴金属の鑑定ができるのであれば、貴金属専門の鑑定士だと思うわけで、同じ場にいるのであれば、理由があるほうがすっきりしました。貴金属商がなにか買いに来たとか。 貴金属商が「指輪が合わなかった」って、自分のために買った? もっと高く売るためではなかった? 何のために買ったんでしょう? 最後の運命の女神は、強引にまとめたためと思いますが、何が運命だったのか、わからなかったりします。オー・ヘンリーの小説の雰囲気を感じましたので、もう少し肉付けをしていただけるとうれしいです。自作 大人の事情 わかりにくいですね。すいません。 一つの事象を、それぞれの登場人物の視点で書いてみました。 三人称の視点としては、指輪が収まるその前後のみです。 こうしてみると結構が文量になりましたね。 一人称故なのか、説明不足があるように思います。 バイト君と、結婚詐欺師と、女性刑事と、マスターと ……タイトルこっちにしておけばよかったw
『ただいま』 煙草を吸うようになった女は処女を捨てたという説を大学の先輩から聞いた事がある。今、居酒屋で隣に座って日本酒を飲むこの居酒屋のバイト上がりの可愛らしい女、会話する時は大きな目で真っ直ぐに人の目を見て、周りの人間全てに対する気づかいを欠かさないまま明るいノリで気の利いた事を言う女を僕は強烈に意識していた。正確に言えば、僕は僕の意識を気取られないようにする不自然な全身の力みに苦しみながら、普段と変わらないように冷静に振舞っていた。さっきまでカウンターの向こうにいて、僕にだし巻き卵を作ってくれたり、お酒を注いでくれたり、僕以外の客のからみに上手く対応しながら、あるいは店主のお婆さんと他愛もない会話をしながら、色々な笑みを様々な角度から送ってくれた女が慣れた手つきで煙草を挟む左手の薬指には金色の細い指輪が嵌められていて、酒の酔いに頭がぼんやりしてきた僕は黙って目を閉じ、自分の胸の内でぐにゃぐにゃと捻じれている何かの正体を見極めようとしていた。カウンター上方の白色蛍光灯の光は明るすぎるように感じられ、世間から後ろ指差されるような人間を執拗に追い回す報道記者のたくフラッシュライトのようにさえ思われた。僕がどんな悪い事をしたって言うんだ。こんな言葉を頭に思い浮かべると同時に、女の挙動と女に対する周囲の挙動の一々に(特に笑いの爆発に)胸を抉られるように思いながら、この痛みに耐える事が僕がここにいる意味だという風に自分に無理やり言い聞かせ、精一杯胸の内のぐにゃぐにゃと対峙していた。ふと、自分の右手の人指し指を見ると、小さなささくれが爪の根元付近にあって、思い切りむしり取ってしまいたい衝動を強く感じた。その皮は指先から腕を通じ肩と脇の接合部の辺りを通って鳩尾の辺りまで到達する血の滲む赤い軌跡を肌に残しながら皮膚の内側のにゃぐにゃと繋がって、死ぬ気で引っ張ればぐにゃぐにゃを取り出せるに違いない――僕はずんずん痛み始めた頭を抱え、目をこすりながらふらふらと立ち上がり背側すぐ傍のトイレに入って小便をした。トイレの扉の外でまた笑いの爆発が起きた。遠くで「ビールと軟骨からあげ…」と学生の張り上げた声がする。僕は小便を流したが、流している音に紛れて聞こえなくていいと思ったのもあって、嘔吐した。涙が零れ、頭痛が激しくなる。愛している、と心の内で絶叫しながら、ますます敏感になった耳で女の笑い声を聞く。笑い声が止んだ後、女が払う注意の動きを心の目で追う。トイレに膝立ちでこもっている僕に、決して向かいはしないその動きに安心しつつ、吐しゃ物を綺麗に流し、立ち上がって鏡を見ると真っ赤に充血した眼が僕を眼差しで殺そうとしているようだった。全身がぐにゃぐにゃになって頭も朦朧としていたが、それでも自分が人指しの先で潰した蟻の頭程の大きさの存在である事を胸の内で殆ど文字通りの意味でひしひしと感じながら、それを押しつぶそうとする圧力に胸が裂けそうだった。冷静を装い、鏡の中の己の腫れぼったいような不細工な顔の細い目に据わった瞳に憎悪を込めて眼差しを注ぎ、心の中の(愛している)がもはや聞きとれなくなった時、扉をノックする音が聞こえたので、何食わぬ顔で外に出、カウンターに座りなおした午前二時。女の隣にはイケメンの彼氏が迎えに来ていて、いつの間にか僕の隣の席に座っていた中年の太ったおっさんの長話に二人して神妙そうにうなづいているのを見て僕は「お会計」と言った。 「しんどそう、気をつけて」と同情の声を店主に掛けられ、一人で外に出れば街のはるか上空で月が冴えた光を放っていた。僕はずっと一人だ。千鳥足とは言わないが、ふらついた足どりで一人暮らしの部屋までの道を歩きながら、(愛している)と言ったのは嘘で、本当は(愛されたい)だな、と思いなおした。なぜ、この地上に生きる人々は、全ての瞬間に(愛されたい)と泣き叫び、訴えようとしないのだろうか。何を怖れ、ごまかすのだろうか。こんな風に問いかけながら、もし人が怖れることなく、ごまかす事がなくても、女が僕を愛する事とは無関係だという事に気付き、僕は無性に悲しくなって狭い路地に折れ、暗がりの電信柱に寄りかかって泣こうとした。だが、涙は一滴も出ず、女を、女の彼氏を、長話するおっさんを、店主を、見知らぬ客全てを残酷な目に合わせる事は出来ないかという無色透明の強烈な悪意が火照った身体をかえって静まらせていた。僕はこれ以上ないほど落ち着いた心で身体をアスファルトの地面にうつ伏せに横たえ、両手でわずかに上半身を宙に浮かせ、眼前の黒いつぶつぶを陰影と共に凝視し、匂いを嗅ぎ、舌先を突きだして舐めてみた。また、仰向けになり、マンションとマンションの間、電線の向こうの薄い雲の漂う空を眺めたりした。何かこれといった意図がある訳ではなかった。いや、常識的に解釈され得るような意図がそこにはなかったというだけで、僕の行為に意味がある事を僕は分かっていた。僕はものになろうとしていたのだ。普段、誰もが見ていながら見過ごしてしまうようなものは、どれだけ(愛されたい)と願っていたって愛されたりしない。たとえば西日の当たるベージュの壁が何か大事な事を言い忘れたような不安を呼び起こしても、僕達は愛ゆえにそこに立ち尽くしたりしない。ものは(愛されたい)なんて願ったりしないんだろうが、ともかく、ものと、僕の違いなんかこれっぽっちもないんだ、と全身で言おうとしていた事を僕は分かっていた。するとどうだろう、突然涙があふれ出し、僕の身体は境界を失っていくような心地よさを芯から感じ始めた。声こそしなかったが、何かがこう言っていた。「おかえり」。 部屋に帰って、シャワーも浴びずベッドに突っ伏して眠りこんだ。そしてこんな夢を見た。 海に囲まれた街だが海は見えない。巨大なビル群が城壁のように囲む街を、山の頂上のような場所から眺めていた。真っ直ぐ向こうにはビル群を押しのけるように途轍もなく大きな階段をそなえた神殿があり、神殿の上空には白い雲が浮かんでいるのだが、その雲は見えない円の輪郭を持つ不死鳥のマークのように見えた。僕は街の全貌と共に不死鳥の雲をポケットから取り出したiphone5で撮影しようとしたのだが、どうも、画面下、すなわち僕の見晴らしている地点からもっとも近い家々の中の一つが炎に包まれているのに気付いた。次の瞬間、僕はその家の近くにいて、周りの人間が写メを撮る中、「どうも、中に人はいないみたいよ。小さな動物が黒焦げになってるみたいだけど」というおばさんの声が聞こえてきた。僕はその家の玄関に立ち、壊れた呼び鈴の下にある非常ボタンを何度も押すのだが、誰も助けに来ない。仕方ないので僕は家の中に飛び込んだ。廊下を抜けてドアを開き、整理され落ち着いた雰囲気のリビングに足を踏み入れた。そこには誰もいない。見回すと、横開きの扉があったのでそれを開くと、そこは畳敷きの和室だった。足を踏み入れたが、その部屋も落ち着いていて、何の変哲もない。ふと振り返ると、真っ黒な虫のようなものの大群が扉の隙間から侵入してあっという間に和室の天井を覆い尽くしもぞもぞと蠢いていた。僕は叫び声をあげたが立ちつくしたまま動けず、黒い蠢きをじっと見ていたら、突然「ざっ」という音がして大群が天井から僕に向かって落ちてきた。 朝、目を覚ました僕は、キッチンで冷蔵庫から取り出した牛乳をコップに注ぎ、一気に飲み干した。それからノートを開き、日記に見た夢を書こうとしたが、無駄なような気がして止めた。日記というのは不思議だ。日をおいて読み返した日記に記された事は、いつも、他人事のような気がする。紙面からは映像や音、匂いなどが立ち上がって来るけど、思い返せば思い返す程に「過去」は何もかもが偶然の産物のように見えてくる。今だって、そうかもしれないのに、何もかもばらばらの寄せ集めかもしれないのに、どうして僕は、こんなに安心して、今日もまた平凡な一日を予想しているのだろう…そんな事を考えながら、やがて考えるのに飽き、半ば夢見心地のまま、シャワーを浴びたり、歯を磨いたり、洗濯をしてベランダの物干しで乾かしたり、北野武の『あの夏、一番静かな海』を観たり、服を着替えたり、遅めの昼食を川沿いのイスラエル料理屋でとったり、ベンチに腰掛けぼんやり川を眺めたり、夕暮れ時の神社を散歩したり、電器屋のテレビで御嶽山の噴火を知ったり、本屋で中村文則の新刊を手に取ったり、部屋に帰ってラヴェルの音楽を聴いたり、唐突に縁を切った知人のツイ―トをネットで読んだり、Marc Perezの絵画をホームページで眺めたり、エロ動画を観たり、パソコンを閉じ自転車でコンビニに出向きおでんを買ってきてゆず胡椒をつけて食べサッポロ生ビールやハイネケンを飲んだり、部屋の明かりを消しオレンジの照明器具の小さな灯りをつけ、アンゲロプロスの『永遠と一日』を観たりして、それから、何となく手に取ったノートに僕は床に転がっていたボールペンで「ただいま」と書きつけた。**************************かなり強引ですが(笑)、試しに書いてみました。よろしくお願いします。
ささくれができるのは、親不幸。そう言われるのは全国共通だろうか。 妻が親指のささくれと格闘しながら、また今日もくだらない話を続けている。 向かいの洗濯物の干し方が綺麗だとか、いつも寝ている野良猫が今日は少しだけ起きてまた寝たとか、あと、なんだ、変なお客さんがコンビニにいた話とか。 どうして、こんなにくだらない話を口に出そうと思うのだろう。仕事をしているときの緊張感と妻のゆるい話のギャップにため息が出そうになる。僕はiphoneをいじりながら、たまに相槌を打ち、当たり障りのない返答をして、それを聞き流す。まともに聞いているとなんだかもったいない気がした。たまの休みである。子供が寝た後くらい、ゆっくり自分のことをしたいじゃないか。「それでねーーねぇ聞いてる?」 何度目かの妻からの確認に僕はディスプレイのOKボタンを押しつつ、答える。「ああ聞いてるよ」それだけだと証拠にならないので「ぼくはどこのメロンパンでも好きだよ」と付け加えた。「そう、ならいいけど。私はセブンのが一番好きなんだ…あ、とれそう」 ちら、と妻を見るとイタイイタイイタイと言いながら、ささくれを引っ張っている。まだ格闘していたのか、はさみで切った方がよいのではないだろうか。「あ、とれた、けど血出ちゃったな。いたい」「絆創膏貼っとけよ」「うん」妻は両手を天井に掲げ、ぼんやりと見上げた。そのまま伸びをして後ろに倒れてしまいーーさらに逆でんぐり返しをやって「78点!おしい!」とのたまってまた同じ位置に座り直した。妻の突拍子もない言動は常である。出会った頃は、いちいち驚き、戸惑い、笑い、可愛いと思った。結婚して5年経った今ではすっかり慣れてしまったのだけれども。「なにやってんのさ」スクロールしながらお決まりのツッコミをする。「ささくれってなんで出来るのかな」「え?」 ささくれは親不孝。そんな言い伝えが頭に浮かぶ。しかし、なんで親不孝なのだろう。無意識にグーグル先生を呼び出し「ささくれ 親不孝」と打った。なんでも、すぐに調べてしまうのは僕の癖である。「家事を手伝わない説と、不摂生説があるみたいだな。あ、ささくれができるのは親不孝って言い伝えのことだけど。えっと、原因だよな……乾燥とか栄養状態の偏りとか、そんな感じみたいだよ」「調べてくれたんだ」「友香の場合は、なんだろな。やっぱり乾燥じゃないか?最近ほんと寒くなったし」「親不孝になっちゃうからかも」 消えそうなつぶやきに、僕はiphoneから目を離し、妻の顔を見た。それに気づいたのか妻は苦笑しながら、手のひらをテーブルに置いて僕に差し出すように見せた。白くて細い綺麗な手。ささくれの後が、痛々しい。「どうした?」「私ね、体重は少し太ったけど手のサイズは変わらないよ」「うん……」 正直何が言いたいのか分からなかった。普段はくだらなくてわかりやすい事柄をわかりやすく話す妻。僕は、不安を感じて話を促した。「ふ、変な顔。絆創膏はってくる」「なんだよ、それは」 妻の柔らかい笑顔に、家庭ではめったにしない緊張が解ける。いつもの気まぐれかと思い直し、iphoneのディスプレイに意識を戻した。 すぐに妻は戻ってきて「これ、ちゃんとサインしておいてね」と紙をテーブルに置いて、部屋を出る。どうやら寝るらしい。僕は「おう」と答えて、ディスプレイをスクロールする。そこで違和感を感じ、ふとテーブルを見た。 紙を手前に寄せて、息を飲んだ。 ーー自分には関係のないと思っていた、離婚届が目の前にある。 ガチャガチャガチャ。 寝室のドアを開けようとするが、当たり前のように鍵がかかっていた。「友香、ともか、どういうことだよ。俺なんかした?」 ドアの向こうに話しかけながら、真っ暗な未来が頭をよぎる。離婚した先輩の話を真面目に聞けばよかった。先輩はなんと言っていた?『良いことも悪いことも積み重ねなんだよ。後悔してる。大好きな子供に会えない。誰もいない家に帰ってコンビニ弁当。起きてもひとりだ。やさしい「おかえり」も、玄関外からわかる夕飯の匂いも、暖かいお風呂も、家のどこかにいる家族の気配も、知ってしまってからのひとりはきついよ』「友香、疑っているのか。言っておくけど、浮気なんか一回もしたことない。ケータイ見てるのは、ニュースとか、まぁ掲示板とかゲームとかだよ。隠すものなんてないし。なんだったら確認してくれていい」 浮気なんかするはずもない。僕は妻のことを愛しているし、子供も可愛い。この幸せを無くしたくない。 開かないとわかっていても、ドアノブをガチャガチャと回す。すると、ドアの下の隙間からメモ用紙が滑ってでてきた。”颯太が起きるから静かにして” 颯太は長男の名前である。そんなことを言ってる場合じゃないだろうと、舌打ちする。だが確かに子供が起きると、うやむやのまま話が進まないのは確実だ。声を落として、絞るように問いかけた。「理由を教えてくれ」 しばらくして、また一枚、メモ用紙が滑りこむ。”疑ってない” 安堵の息が漏れるが、解決はしていない。「じゃあ、なんでだよ」”別に”「別に、じゃないだろ」”分からない?”「ごめん、教えてくれよ……」 次のメモは、すぐに出てきた。用意をしていたようだ。「”今日は何日でしょう”……?」 ぐしゃぐしゃになった離婚届と一緒に握りしめていたiphoneをのろのろと持ち上げ、右上部分にあるボタンを押す。黒くなっていたディスプレイに、息子の写真と日付時刻が浮かび上がった。 ーー11月22日。 見た瞬間に「あ」とマヌケな声が出てしまった。 11月22日、いい夫婦の日。と同時に僕たちの結婚記念日である。 すかさずメモ用紙が出てくる。そこには文章はなく、箇条書きが記されていた。 ・カフェラテ ・あんまん ・ショートケーキ ・チーズケーキ ・メロンパン 僕が財布だけ持って一目散に外へ出たのは、言うまでもない。 もちろん、一番近いローソンではなく少し離れたところにあるセブンへ、である。 数週間後、友香は息子の颯太と同じみのセブンへと足を運んだ。 日頃から節約はしているが、たまに自分へのご褒美だとセブンのデザートを買いにくるのだ。 何度か足を運んでいるうちに、レジのおばさんとは世間話をする仲になっていた。「それでね、なんだか変だったのよ。この寒い季節に、夜だったのよ、こんなに寒いのにコートも羽織らないで。スウェットっていうのかしら、それ着て、それなのにビジネス靴なのよ。顔も必死だったし、危ない人かと思っちゃったわ」 ここのレジは、夜もこのおばさんなのだろうか。と関係のないところにひっかかりつつ、友香はにんまりした。「よほど急いでたんでしょうね」「それでね、いくつかレジに持ってきてから、さらに追加で大量のデザートを持ってきたのよ」「食べきれないでしょうね。賞味期限はやいから」「せっせと、レジ打ってたら、今度は神妙な顔して話しかけてきてさ」「なんて言ったんですか」「『さすがに指輪は売ってないですよね』て」 さすがにないわよ、て真面目に答えちゃったわと笑って、おばさんはお釣りとレシートを渡してくれた。それを受け取り、変なお客さんもいるもんですね、と友香はコンビニを出る。 外は、からっと晴れた清々しい天気。 太陽に左手をかざすと、その薬指に真新しい誕生石の入ったプラチナリングが輝いている。 結婚当時はいろいろとお金が必要で、かなり安めの結婚指輪を購入したが、すぐにくすんでダメにしてしまったのだ。夫はまったく怒りもせず「5周年にいいやつプレゼントするから、楽しみにしてて」と言って慰めてくれたのだ。 そのときの夫の笑顔がとても印象的で、ずっとついていこうと思った。 指輪が欲しかったわけでも、夫に愛想尽きたわけでもなんでもない。 ただ、五周年は友香にとって特別で、すっかり忘れていた夫にサプライズしたかったのだ。 離婚届はパソコンから拾った偽物でーーいつかどっかでサプライズに使おうと用意していたーーしかも、名前もその他の情報も少しづつ変えている。おまけに欄外に堂々と『さぷらいず!』と書いていた。それにもかかわらず、夫が本気で焦っていたので、実は友香のほうも焦ってしまったのである。「悪いことしちゃったな」 とつぶやくと、手をつないでいた颯太が「めーよー。だめー」と言って笑っている友香を見上げた。------------------------------------はじめまして。チャットで三語の話題になり、これも何かの縁だと(勝手に)参加させていただきました。60分て、難しいですね。だいぶ超えてしまった気がします。小説を書いたのは、10年ぶりくらいです、たぶん。書き始めたら勢いに乗ってしまい、とても楽しんでいたので、そんな自分にびっくりしました笑。ありがとうございます。ここの使い方も不安だし、メンタル豆腐(絹。水切り後)なので、かなりどきどきしています。他の方への感想は、また後日載せようと思います。はやく寝なければ!睡眠時間が!
も、もしかして、このお題が最新ではなかったのですか……!でもせっかくなので、感想を書きます。見てないかもですが;>時雨ノ宮 蜉蝣丸さんサキの打ち付けられていた標本箱の描写が、頭に浮かんで惹き込まれました。ささくれ、ときいた(みた)ときに、指のささくれしか思い浮かばなかったので、「そっかこれもささくれか〜!」と笑。サキが男の子と知ってびっくりし、さらに、お兄ちゃんへの告白でびっくりしました。おそらくお兄ちゃん以上に、私は困惑したと思います。そうですよね、今まで近くにいた自分をわかってくれる”異性”がお兄ちゃんだけだとすると、好きになってしまいますよね。難しい題材ですが、雰囲気があってするすると読みやすかったですし、最後サキとお兄ちゃんの想いを考えて切なくなるくらいに、入りこめました。>丸メガネさんなぜ、鑑定士は不幸が訪れそうと感じたのか。そこの描写(なんとなくでも)がほしいなぁと思いました。それに対しての「そんなのは迷信さ」と答えたところにも違和感がありました。ここが同じ世界なのかわからないですが、そういう迷信でも広がっているのかなぁとか。(私が世間知らずだったらごめんさない)いや、ほんとに貴婦人さん何者だったの。と気になって仕方ありません笑運命の女神と呼ばせるには、何か足りないような……もう少しはっきりとしたほうが、こういう話は生きる気がします。貴金属商が調子に載ってる感じだとか。じゃないと、かわいそうで笑いろいろ考えさせられるお話でした。>RYOさん一番上の(お題が提示されているところ)を読んだときに、この短い文章できれいにお題を使ってまとまっているので、すごいなぁと感じました。ここだけの文章だと「うちで告白をしたカップルが再び二人で来店したことがない」というのをもう少し前に出した方がいいかなと思っていたのですが。続きがあったので喜んで読みました。それぞれの思惑があって、読み終えたときに、全体がみえるというのは、面白かったです。女性刑事だけが少し解せない……仕事での行き詰まりやストレス解消に元々着ていた時に話しかけられたとすると、男装する前から、男と間違われていたということなのですかね??常連だった喫茶店の店員さんも男だと思ってたんですもんね。逮捕という大事なときなのに、元カレの指輪を使うのか?使っちゃいますか?笑こういうの好きです。>Aさん何度、今読んでいるとこを見失い、はじめから読んだことか……!最後の章ですね、なんとなく好きで、読み終えたときに何故か笑ってしまいました。で、あれ?なんだっけ?と思ってもう一度はじめからよんだら、頭に映像が浮かんできました。それにしても…もしかして、実話なんじゃ…なんて。もっと読んでいたかったです。でも、あれですね、ブラウザで読むとすると…文字でうめつくされているので、それに慄いて帰っちゃう人いるかもしれませんね!笑本当にただの感想になってしまって申し訳ないです。楽しかったので、ひっそりとまた参加できればなと思います。ありがとうごいました。