Re: 即興三語小説 ―正月ボケの清涼剤― ( No.1 ) |
- 日時: 2013/01/08 02:59
- 名前: Φ ID:WYpkCwAU
蜘蛛の巣が張ったような幽かな光に照らされた赤煉瓦の前で、陸(ルー)はハーレー・ファットボーイのエンジンを止めた。黄砂の痛みが残る頬を撫でながらゴーグルを額に挙げる。ガラス戸に映った自分の姿に気付き、時代錯誤にも"蒼天已死"などと書かれた警戒色のバンダナを外す。血気盛んな若い連中のなかには本気で反乱軍気取りもいるが、陸は路賊(ハイウェイ・パイレーツ)を生計の手段として割り切っていた。自らも理解していない大義とやらを振りかざして、無駄な諍いの種を作りたくはない。陸は、そんな大人たちが後悔のなかで死んでいくのを見た最後の世代だった。 オリガの店に入り、用心棒の張兄弟に挨拶をする。客が疎らなのはいつものことだが、珍しくピアノの前に誰も座っていなかった。間接照明しかない洋館風の内装が、まるで幽霊屋敷のようだ。 「調子はどうだい。今日はえらく静かじゃないか……」 陸がカウンター越しに声をかけると、オリガは自慢の黒髪をかきあげ、年齢不詳の美貌を覗かせた。中共崩壊前からこの店をやってるという噂が本当なら、陸の母親と同じくらいの年齢だ。 「全然(ニェット)。あんたみたいな無法者ばかり相手にしてるから関帝がお怒りなんだろうね。飲み物は……」 「バラライカ。ストリチナヤでいい」 オリガはシェーカーを気怠そうに振るい、白色の液体をグラスに注ぐ。甘く爽やかな香りが鼻孔に届く。 「薛(シュエ)じいさんなら奥だよ」 陸は他の客の顔触れを見ながら、煙の立ち込める一角へ足を運んだ。薛は何時間も前からそこにいたかのように風景の一部に溶けこんでいた。陸が近づくと、置物のように静かだった老人は咥えていた煙管を置き、もごもごと口を動かした。 「兎は穫れたかね……」 陸はソファに沈み、一口グラスを啜って脇にどかすと、ウエストバッグに入っていた裸のハードディスクをテーブルの上に放り出した。薛のショットグラスがぐらつく。 「ドイツ企業のトラックさ。字は読めなかったね。ウムラウトがあるのはわかったんだが」 老人は頷いてハードディスクを手元に引き寄せ、携帯バッテリーにケーブルを繋ぐ。 「プラーテン=ハラーミュンデ(P=H)製薬だろう。この島にオフィスと研究所を作る計画を発表していた」 「へえ。知らないね」 「今どきの若もんは、もう少し新聞やニュースを見たほうがいい」 薛は閉じていた右目を開く。カール・ツァイス製のレンズが瞳孔を青く光らせた。 「始めるぞ」 陸も額のゴーグルを降ろし、AR(強化現実)機能を起動させた。データ・サルベージは、故買屋がイカサマをしないよう、必ず二人の共有レイヤで作業を行うのが暗黙の了解になっている。もっとも、陸に気付かれないままデータをくすねることなど、金盾(グレート・ファイアウォール)の開発に携わっていた薛には造作もないことだろう。どれだけテクノロジーが発達しようと、最後に残るのは信頼関係しかない。 二人が挟んだテーブルの上に、光の芽が生えてきた。芽は指数的速度で成長してたちまち太い幹となり、幾重もの枝葉を付けた光の大樹となった。 「好い兎だ。まるまる肥えている」 薛は皺だらけの笑みを浮かべ、庭師のように慣れた手つきで不要な枝を払い落としていく。そのときどきに重要度の高そうなファイルを陸にも見えるよう展開していくが、暗号化されたバイナリ・ファイルなのでわかりようがない。陸は上海で見たパフォーマンス・アートの数々を思い出しながらその光景をじっと眺めていた。 老人が手を止めた。掌を差し出し、複雑に絡みあった原色のリボンの束たちをそこに浮かべる。これには陸も見覚えがあった。 「肝臓だ。ここが一番美味い」 薛はオンラインでタンパク質立体構造データバンク(PDB)を呼び出し、掌の上の獲物たちと一致する構造を検索した。もしこれが特許にすらなっていない新薬の情報なら、競合する製薬企業に高く売りつけることが出来る。しかし陸の期待とは裏腹に、どの獲物も次々とPDBの中でヒットされていった。念のために他のオントロジーでも照会されたが、結果は同様で、どれも既に論文や特許になっているものばかりだった。薛の掌からリボンが零れ落ちていく。 「新鮮な肝臓じゃなかったみたいだな。食えたもんじゃない」 「そう腐るな。面白いものを見つけた」 と、今度はリボンではなく、雪の結晶を三次元にしたような刺々しい球体を浮かべた。 「これは2013年に猛威を振るったインフルエンザ・ウイルスだ。当時、中国でも大量に死者が出た。農村部にワクチンが行き渡らず、暴動の原因にもなった」 「半世紀前の治療薬じゃあ金になんねえよ」 「違う。これは奴らが新型ウイルスそのものを作っていたという証拠だ」薛の眼のAF(オートフォーカス)音が聞こえる。「無論、そのワクチンも含めて、という話ではあるが」 陸の背筋を冷たいものが走った。老人は快活に笑う。 「これは上手くいけば新薬よりも好い獲物だ。わかるか……買い取り手を探す必要がない」 「適当なデータ・ヘイヴンにこの情報をリークする。俺たちはP=Hの株を空売りする」 薛はぱちりと両手を合わせ、テーブルに生えた光の大樹を一瞬でかき消した。陸もゴーグルを外す。 「祝杯を挙げよう。グレイグースで作ったマティーニを二つだ。今日は奢ろう」 そう言って薛は煙管の火皿に煙草を詰め始めた。陸は頷いて立ち上がり、心地よい気分でカウンターに着いた。 オリガは、ギターケースを背に抱えたブロンドの若い娘と話をしていた。 「だから何度も言うけど、今日は演奏なんて頼んじゃいないのさ。客のいる日に来てくれよ」 困った顔の娘が陸の方を見た。碧眼の奥で小さくAF音が鳴るのが聞こえた。 「弾いてくれるってんなら結構じゃないか、ええ、オリガ……」陸は娘の肩に手を置いた。「このしみったれた店に花を咲かせて、関帝のご機嫌を取ってやれよ。金は俺が払うさ」 白人の娘は静かに笑った。 「ありがとうございます。では、一曲」 娘は座り込んで革張りのギターケースの蓋を開けた。中に入っていたのはギターではなかった。人の頭ほどの大きさの、白い針金細工が幾つも敷き詰められていた。針金細工たちは一斉に宙に躍り出て、群れをなして天井を埋めた。陸の脳裏を過ぎったのは、子供の頃に参加させられたデモ隊が血の海に沈んでいく風景だった。フランス製の小型無人機群(ドローン・クラスタ)による対人制圧システム、"シャルルマーニュの十二勇士"だ。 肩を鉄棒で貫かれるような痛みを覚えながらも、陸は娘に跳びかかり、カウンターの角に頭を打ち付けた。娘は抵抗しない。非戦闘用の代理義体(サロゲート)だった。ドローンを店内に持ち込んだ時点で役割を終えていたのだ。 一瞬前までは凪いだ海のように静かだった店内を、銃声と叫び声が埋めつくす。陸はカウンターを飛び越えてしゃがみこむ。真横にいるオリガの手には既にセミ・オートのПЯ(ペーヤー)が握られ、反撃の機会を伺っていた。陸は銃をファットボーイのシートの下に置いてきたことを思い出した。ウエストバッグの裏から鏢(スローイング・ナイフ)を抜き取る。 小型ドローンの装弾数は最大でも二十発というところだ。銃声のほとんどは張兄弟か客が撃ったものだろう。ドローンたちは複数の視座から得られる豊富な空間情報をクラウド戦術AIにフィードバックし、ターゲットの死角や逃走経路の予測に基づいた、確実なワンショット・ワンキルを狙う。それ以外のときには脅威判定と回避行動しか行わない。 ドローンを撃っていた者たちの無闇な発砲も収まり、再び静けさが訪れる。壁際に並んだ逆さまのグラスが、ローターの周波数と共鳴して震えている。そのうちのひとつのワイン・グラスの反射面で、ドローンの姿が段々と大きくなっていた。 陸はオリガと反対側のスイング・ドアにタックルし、身近なテーブルを引き倒して身を隠した。即席のトーチカにされたテーブルが即座に蜂の巣にされる。砕け散った木片が脇腹に刺さった。 「操(ツァオ)ッ」 陸はターゲットの最優先(プライオリティ)が自分に設定されていることを悟り、天を仰いだ。今回の狩りのどこで過ちを犯したかに頭を巡らせた。 顔を濡らすものがあった。雨だ。誰かがスプリンクラーを起動させたらしい。突然増した重みにバランスを崩したローターの異音が聞こえる。飛行制御だけでなく、赤外線センサーの温度補正にも時間がかかるはずだ。 テーブルから半身を出し、予想よりも近くに浮いていたドローンに全力で鏢を投げ付けた。それが当たったかも確認せずに身体を引っ込め、今度は反対側から身を乗り出し、天井近くのドローンと壁際のドローンにも鏢を飛ばした。 同じタイミングで複数の銃声が鳴る。この店に来る連中は大方同類だ。一人くらいは中に腕の立つ客がいることを陸は期待した。 硬い物が幾つか落ちる音が聞こえた。ドローンの翅音も、壊れたレコードを引っ掻くような音が混じっている。やがてその音も、緩やかに低くなって落下音に変わった。 陸は背にしているテーブルの、千切れかけている脚をへし折った。テーブルの影から腕だけを伸ばし、握った脚を宙に放り投げた。何の反応もなく、木片が床を転がる音が聞こえる。 一拍だけ置いて深呼吸をし、陸はその場で立ち上がった。 眼前に浮いているドローンの銃口の、ライフリングが見えた。最期に見たものがマズルフラッシュかと観念したとき、視界の横から黒い脚が伸びてきた。見事な飛び足刀蹴りだった。ドローンを下敷きに着地した張の兄は、スーツが被った埃を払い落としてた。 「すごいな。少林寺にでもいたのかい……」 陸は笑いながら言った。 「破門されたんだよ。試合で相手を殺して」 そう言ったのは陸にタオルを差し出した張の弟だった。 陸はタオルで脇の傷口を押さえながら、十二体のドローンがすべて床に転がっているのを目で確認した。肩の弾は貫通していないので、医者に見てもらわなければならないと思った。 店の奥を見遣ると、何事もなかったかのように薛は煙管をくゆらせていた。 「爺さん、怪我は……」 薛は首を左右に振り、何も言わずにテーブルの上のハードディスクを指さした。三つの弾痕が穿たれ、とても修復可能な状態には見えなかった。 「最優先はこっちだったか」 陸は足元に転がる、ローターのひしゃげたドローンをひとつ、つまみあげた。 「だが、こいつは十二体もあるんだ。ジャンク屋に売れば結構な金になるぞ」 薛は猿のような声を上げて笑い、陸も釣られて笑った。オリガと他の客が周りに集まってきた。 「この場にいる人間の山分けだよ。店の修理代を引いた後で、ね」 オリガは腕を組んで溜め息を吐いた。
---- 久々に書いてたら楽しくなって、時間、全然間に合ってない。
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Re: 即興三語小説 ―正月ボケの清涼剤― ( No.2 ) |
- 日時: 2013/01/14 05:32
- 名前: サニー ID:ZSht0GC2
楽しく読ませていただきました。
バーが舞台なのでカウボーイビバップのような印象を受けました。 ウィルス開発とワクチン開発は、表裏一体ですからね。 病気をばら撒くのがもうけるためには、一番手っ取り早いでしょうね。 あと悪いことをしようとしてしきれないでチャンチャンといったオチも良かったです。 1つ気になるのは、ギターの彼女の目的です。 データの盗み聞きからの強奪なのか依頼を受けての破壊なのかハッキリしないので展開が唐突すぎる気がしてしまいます。
あと関係は、無いですが 1杯目にバラライカとは…… いきなりきついカクテルから入りますね。 次もマティーニときついですね。
ショートカクテルは、温まると不味いからついついペースが上がって 私は、いつもすぐに酔ってしまうんですよorz
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Re: 即興三語小説 ―正月ボケの清涼剤― ( No.3 ) |
- 日時: 2013/01/15 10:54
- 名前: お ID:hSbBiDrQ
感想です。 かっこいい! よもや三語でサイバーパンクが読めるとは! 未来的でありながら、どこか泥臭い。 カウボーイ的な感じが良いんでしょうねえ。 三語で終わらせるのはもったいない。 ぜひ、シリーズかしてみてはいかがでしょうか! と期待を込めて。
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Re: 即興三語小説 ―正月ボケの清涼剤― ( No.4 ) |
- 日時: 2013/02/05 00:39
- 名前: Φ ID:y0MI9Jqs
感想有難う御座います。遅ればせながら返答を。
>サニー さん 描写不足で申し訳ないです。企業がデータ奪還のために雇った刺客、のつもりで書いておりました。 カクテルの件。雰囲気に合うものを、という考えばかりが先行しておりました。 飲む順番とは…鋭いご指摘ありがとうございます。今度から活かしたいです。 ちなみに、私はウォッカベース一杯で顔が真っ赤です…。
>お さん 雰囲気が伝わったようで何よりです。 サイバーパンク…大好きなんですよ… 同じ舞台で何作品か書いてみたいです。
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Re: 即興三語小説 ―正月ボケの清涼剤― ( No.5 ) |
- 日時: 2013/02/06 00:34
- 名前: お ID:Qz1inois
やった!期待してます。
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