Re: 即興三語小説-第90回-正月ボケを吹っ飛ばせ! ( No.1 ) |
- 日時: 2011/01/13 20:07
- 名前: 沙里子 ID:MQI2Qbkw
――国立電子図書館cloze〔クローザ〕 閉館のお知らせ――
国民の皆様に、およそ一世紀半に渡ってご利用頂いてきた国立電子図書館クローザが、今月いっぱいで閉館となります。 主な理由としては、電子書籍新規購入の為の資金繰りが困難であることと、本体へのアクセス数が伸び悩んでいるところが挙げられます。 世界規模の人口衰退の煽りを受け、我が国の人口数も減少傾向にあります。端末自体の売り上げ推移も伸びておりません。 電子空間内クローザの閉鎖は決定事項ですが、首都に設置された図書館本体は撤去致しませんので、どうぞご自由にご利用ください。 不要になった書籍観覧用の端末は、お近くの生活援護ワゴンにお持ち頂ければ食料引換券と交換させて頂きます。 当施設をご利用頂いた皆様、真にありがとうございました。
大理石の床に響く足音を聴いて目を覚ました。 ステンドグラスの向こうの外は薄ぼんやりと煙り、細やかな雨が降っているようであった。 巨大な空間を孕む聖堂は、中央に存在するマザーコンピュータの無機質な唸り声だけを低く響かせている。 足音は徐々に近づき、やがて石造りの回廊におぼろげな影が二つ見えた。波に揺られて青白い燐光を放つ海蛍のようだ。くっきりと輪郭が浮かんでくる。少年と子ども、二つの影。 「レアリアン、遊びに来たよ」 蜜色の髪をした少年が手を上げて云った。隣に立つ子どもは、黙ったまま少年の服の裾を掴んでいる。 「この前借りた本、失くしちゃった」 その言葉を聞いた瞬間、少年めがけて祭壇から飛び降りた。 瞬間的に原子を再構築させてつくったナイフを、その白い喉に突きつける。蔵書探索用の電子司書でも、そのくらいの戦闘能力は備えている。 『云いたいことはそれだけか?』 人工音声を響かせて問うと、彼は焦ったように首を振った。 「違う、冗談だよレアリアン。落ち着いて。本なら、ほら、ここにある」 革の鞄から取り出された本を、彼の手から奪い取る。染みはないか? 湿気で紙は皺になっていないか? 電子書籍より紙媒体の書籍の方が保存法が難しいから、数倍貴重なのだ。 本の無事を確認してやっと、ナイフを下ろした。 「レアリアン、君も一応女の子なんだからさ。もっとおしとやかにできないの?」 少年の言葉を無視し、取り戻した本を脇に抱えてマザーコンピュータの内部へ入った。 内部では、幾億もの電子図書が螺旋状に渦巻き、うす青い燐光を放ちながらゆっくりとうねり続けている。 いくつも連なる螺旋の間を飛び、ようやく目当ての本棚に辿り着く。紙媒体の書籍だけを集めた本棚だ。 本一冊分空いたスペースに、持ってきた本を戻して再び外に出た。 少年は柱にもたれかかって、ガラスの向こうに広がる街を眺めていた。 子どもの方は階段に座り込み、玩具で遊んでいる。拡大して玩具の種類を識別してみた。知恵の輪だ。 子どもはかちゃかちゃと音をさせながら、外して繋げて、また外している。 「おいで、ユーリ」 少年が呼びかけると子どもは立ち上がり、知恵の輪を持ったまま彼の元へ駆けていく。少年は両腕で子どもを抱き上げ、再び外へと視線を戻した。 『今日は、本を借りて行かないのか』 訊くと、少年はゆるりと首を振った。 「いや、いいよ。最近右目の視力も低下してきているし。電子書籍はもちろん、紙に印字された文字を読むのも疲れるんだ」 少年の左目に埋め込まれたガラスの表面に、廃墟同然と化した首都の街が映り込む。 「なんでこんなことになっちゃったんだろうなぁ」 ぽつりと少年が呟いた。 「今日の食べ物を確保することに必死で、もう誰も本なんか読まない。生き残るんじゃなく生きることが大切だってことに、どうして気付かないのかな」 『お前のようなことを考えている者の方が、今は少ないだろう。確かに、誰かに読まれることで初めて本は情報としての価値をもつ』 「逆に云うと、読まれなきゃその本の価値はないってことだよね」 小さくため息を吐いて少年は続ける。 「ねえレアリアン。僕も視力が良かったら、一生かけてでもこの図書館の本を読み尽くしてやるのに」 『できるものか、そんなこと。蔵書は億を超えている』 「毎日ちょっとずつ読めばいいさ。少しずつページをめくっていけさえすれば、どんな本も必ず読み終わる。けれどもう読めそうにないよ。視力の限界がきた」 少年は閉じた瞼の上から、指で義眼を押さえた。心なしか少し腫れて見える。 「端末で電子書籍を読みすぎたのが原因かも。いや、もしかすると先天的なものかもしれないな。近視とかじゃなくて、視界全体がぼやけているんだ」 それまで大人しくしていた子どもが、突然ぐずり出した。かちゃかちゃと知恵の輪がこすれて鳴る。 「どうしたの、ユーリ。お腹が空いてるのか?」 甲高い音を立てて、知恵の輪が大理石の床に落ちる。拾い上げて少年に手渡すと、彼は小さく礼を言った。 「ここ最近、何だか不機嫌なんだよ。なにかの病気にかかっているかもしれない」 『ワクチン接種はしてあるのか?』 「できるわけないだろう、あんな高価なもの」 吐き捨てるように少年が云った。すぐに口をつぐみ、小さく「ごめん」と云った。 しばらく沈黙が続いた。膨大な量の空気の粒がカテドラルの空間に淀み、流れていく。 唸り続ける巨大コンピュータに手を置くと、かすかに温かかった。これが停止すれば、自動的に司書の動きも停まるのだろうか。 「やっぱり本借りていい? ユーリに何かお勧めの絵本を持ってきてあげて」 沈黙を打ち破るように少年が云い、鞄から黒くぶ厚い初期の端末を取り出した。端末は電子書籍の観覧だけでなく、本の貸し借りの際にも必要だ。 端末を胸のコネクタに押し当てると、聞き慣れた電子音がした。少年の個人データが、メモリに読み込まれていく。 リノ=アルデプス。カンタベリー在住。十五歳。男。これまでの貸し出し冊数、1023冊。 『そこで待っていろ』 再びコンピュータ内に進入した。 蔵書探索システムを起動。億以上の蔵書から紙媒体の書籍を選択、続けて児童図書。表示されたわずかなストックから一番新しいものを選び、外に出た。 『これでいいか?』 少年に手渡すと、彼はすぐに笑顔を浮かべた。 「ありがとう、レアリアン。ほらユーリ」 少年から絵本を手渡された子どもは不思議そうに本を眺め、そしてページをめくり始めた。文字を追う子どもを見ながら、少年が云う。 「多分、僕の目はもうすぐ完全に視えなくなる。だから今のうちに、ユーリに読書の楽しさを教えておかないと」 『そうか』 数秒の間をおいてぽつりと云った。 「君の姿も視えなくなるのは、少し寂しいな。レアリアン、僕は君のことがとても好きなんだよ」 『好き、ということがよく分からないな。そもそも恋愛に値する感情を知らない』 クローザに収めてある電子書籍は一通り読み込んできた。研究資料に図鑑、論文、辞典、そして小説。 正直なところ、小説は苦手である。予測できないのだ。主人公の行動や心情が、予想できない。 悲しいなら涙を流せばいいのに、無理に微笑んでみせる。 隠さず真実を話せばいいのに、嘘を吐く。 作り笑いをする。 怒っていないふりをする。 小さなことで幸福に、或いは不幸になる。 嗚呼、人間の書いた小説は本当に理解しがたい。意味の分からないことで溢れている。 例えば詩、哲学、痛覚、存在意義の必要性、物事への嫌悪や憎悪、特殊性への差別。それから、愛。 理解できないことを無理に嚥下しようとすると、体の奥に潜む人口回路が軋む感覚がする。 受け入れてはいけない、思考してはいけない。 それでいいのだ、小説の真髄など理解しなくとも蔵書の管理は可能である。己は無機物だということを、再確認しなければ。 右腕を軽く擦ってみた。ヒトに似せて作られた、この人口皮膚の下には冷たい機械が詰め込まれている。 少年は考え込むようなそぶりをしながら云った。 「好きっていうのは……そうだね、相手を抱きしめたいっていう気持ちに近いかな」 『意味が分からない』 「君は分からなくていいんだよ。人間じゃないんだから」 少年は小さく笑い、それから革の鞄を肩に掛けた。 「じゃあそろそろ帰るね」 『ああ、分かった』 これから蔵書の点検でもしようかと思い、背を向けた。その瞬間、「レアリアン」。ふいに腕を引かれた。思わず振り返ると、両肩を掴まれる。 『おい、離せ』 「悔しいよ、僕。もっと本を読みたいのに、君の姿を見ていたいのに。神さまは許してくれないんだ」 そこで少年は力なく微笑んだ。 「ごめんね、レアリアン。大好きだよ」 一瞬のことだった。彼の両腕に包まれた。本当に、一瞬の出来事。 温かい。柔らかい。微弱な、優しい、やさしい、温かい。熱い。熱い。頬が。体が。あついよ。 次々に反応する感度、処理が追いつかない。回路が焼き切れ、焦げる音がした。耳鳴り。 『リノ!』 力を振り絞って両腕を突き出すと、少年はあっけなく転んだ。 「レアリアン、僕は」 『……いい。もういい。帰ってくれ』 少年の眼窩に嵌め込まれたガラス球が、淡い青色に揺らいだ。 しゃがみ込んでいた彼は、しばらくして立ち上がった。 「ユーリ、帰るよ」 子どもの手を握り、少年は回廊の方へ歩き始める。柱の影に隠れて見えなくなる寸前、こちらを振り向いた。 「また来るよ!」 一言叫んで、再び前を向く。やがて二人の姿は、完全に見えなくなった。小さくなっていく足音を聴きながら、再びコンピュータ内に進入した。
あと何回、このカテドラルを視ることができるのだろうか。荘厳な聖堂を振り返りながら、ふとそんなことを思った。 濁っていくこの眼に、焼きつけなければ。聖堂の姿を。否、彼女の姿を。 白い人口肌。大きくて、そのくせ何も映していなさそうな青い双眸。銀の長い髪。硬い口調。胸のコネクタ。 声を、仕草を。焼きつけろ。そして二度と剥がすな。レアリアン。 ユーリの小さな手のひらを握りながら、僕は考える。 恋なんてしたって、仕方ないじゃないか。何の生産性も見出せないし、そう、所詮小説の中の物語だと思っていたのに。 けれど今、やっと分かった。この気持ちをずっと遺しておきたかったから、皆小説を書いたんだね。 他人の為に書いたんじゃない。自分の為に書いてきたんだ。自分の軌跡を遺す為に。 何百年経っても変わらない。人間は馬鹿で、稚拙で、なんていとおしい生きものなんだろう。 あとどれくらいで視力を失ってしまうのかは分からないけれど、光が差す限りは活字を追い続けよう。美しい彼女の姿を、見つめ続けよう。 ぼんやりと考えながら、僕は鞄の上から端末をそっと撫でた。
電子書籍で埋め尽くされた仮想本棚の隙間に座り込み、生まれようとする人の心を知識の海に沈めようとした。 阻止しなければならない。感情など要らないのだ、ただの電子司書なのに。無機物なのに。鉄の塊なのに。なのに。要らないのだ。いらない。イラナイ。 電子回路が再び熱を帯び、やがて自己復旧プログラムが作動した。 急速に冷めていく感情の渦を眺めながら、どこか惜しいような気もした。気がしただけである。 もうすぐ全てが元通りになる。少年とのやり取りも、きっとなかったことになるだろう。復旧プログラムから悪性だと判断された記憶は、メモリから消去されるのだ。 ふと、床に転がった知恵の輪が目に入った。複雑に絡まりあった銀の輪ふたつ。一度外したら、きっと繋がらない。 絡まった銀の輪を、力任せに引きちぎる。 壊れた銀の破片が落ちるまで、私は彼の温もりを覚えていられるだろうか。
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もう何時間かかったか分からないです……三時間半くらいかな…本当にすみません。 文体は変えられなかったので、代わりに一人称をできるだけ書かないようにしました。
古いもの(カテドラル)と新しいもの(コンピュータ)の組み合わせって、結構好きです。 カテドラルのイメージは、去夏に訪れたイギリスのカンタベリー大聖堂です。すごかった……
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